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『科学』という思想信条 vol.17
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当メルマガを購読していただき、ありがとうございます。
前回に引き続き、『ダーウィン進化論』について取り上げようと思います。
なお、今回から購読される方は、このメルマガのvol.14〜16、及び、旧メル
マガ『隠れオカルティズム』のvol.3〜14を、まず御覧になることをおすす
めします。
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<純粋な物質>
物理学にしろ、化学にしろ、どのような学問分野でも、沢山のものが関わっ
てくる複雑な問題より、少数のものだけを扱えばすむ単純な問題の方が好ま
れるものです。
なぜなら、その方が考えるのに楽だからです。
そこで問題なってくるのが、
『はたして、単純な状態というものは、複雑な状態よりも、実現しやすい
ものなのだろうか?』
という疑問です。
たとえば、金属の精錬という分野に目を向けてみましょう。
純度の高い金属を得る(精錬する)のには、それだけ高い技術が必要です。
遺跡の調査などでは、使われている金属の純度を調べることで、いつ頃の時
代のものか?ということが、ある程度わかるとまで言われています。
それだけ、純粋な物質を得るということは、難しいことなんですね。
さて、純粋な物質というのは、理論の立場からいえば、単純な状態というこ
とが言えます。
いろんな物質がごちゃごちゃ混ざった合金や化合物の状態よりは、単一の物
質からなる純粋な物質の状態の方が、理論上の扱いが単純なものになります
よね。
ということは、上の話は、
『複雑な状態よりも、単純な状態の方が、実現しにくい』
ということを教えてくれていることになります。
こうしたことに気付くと、ダーウィン進化論が、極めて重大な問題を抱えて
いることがわかるのです。
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<単純なものを起源とするドグマ>
その問題とは何かというと、単純なものを起源と決めつけていることです。
系統樹を過去に遡っていくと、より原始的なもの、すなわち、より単純なも
のとされている生物が祖先とされていますよね。
つまり、
『単純なものから、より複雑なものが進化してくる』
と決めつけられているのです。
確かに、
『複雑なものは、単純なものの組み合わせによって説明される』
というのが、科学の流儀であることは事実です。
しかしながら、これは必ずしも『単純なものこそが起源である』ことを絶対
視するものではないはずです。
事実、上で述べたように、単純なものの方が実現しにくい例が、少なからず
存在するのです。
ということは、『単純なもの』を起源とするのは、人間の勝手な思いこみと
いうことになるのではないでしょうか?
実現しにくいもの(=単純なもの)が、実現しやすいもの(=複雑なもの)
よりも、どうして先に実現(誕生)し得たのでしょうか?
余計なことかもしれませんが、工学系の人たちは、こうした問題の意義をよ
く理解してくれます。
おそらく、上で述べたような技術的な難しさ(=現実)というものを、身を
もって経験しているからでしょう。
ところが、理論中心の理学系の人たちや、文系の人たちは、こうした問題の
意義を全然理解してくれません。
これも、おそらく、彼らが、上で述べたような現実を経験することが無いか
らでしょう。
理論の世界で『単純なもの』が起源に選ばれるのは、そこに確かな根拠があ
るからではなく、その方が考えるのに楽だからです。
とすれば、それは、あまりに御都合主義的で人間的なドグマではないでしょ
うか?
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<単純さ、複雑さ…って、何?>
仮に、単純なものを起源とするドグマを無批判に受け入れたとしても、なお
別の問題が存在します。
それは、生物における『単純さ』とか『複雑さ』とは、一体、何なのか?、
何によって決められるのか?、という問題です。
実は、これとよく似た問題を、以前、旧メルマガ『隠れオカルティズム』の
vol.6でも述べたことがあります。
(→ http://isweb23.infoseek.co.jp/school/mediax/mm2/6.htm )
つまり、『単純(=下等)』とか『複雑(=高等)』というものは、簡単に
は決められないということです。
巨視的スケールで見れば、多細胞生物は単細胞生物よりも複雑と言えます。
しかし、微視的スケール、すなわち、細胞というスケールで見ていくと、必
ずしもそうとは言えないところがあります。
単細胞生物の細胞には、生きていくための機能が全部揃っています。
ところが、多細胞生物の(個々の)細胞は、限られた機能しか持たず、それ
故、単独では生きていくことはできません。
こうしてみると、どちらが単純とか複雑とは、一概には言えないのではない
でしょうか?
だとすれば、仮に単純なものを起源とするとしても、何が単純なのか決定出
来ない以上、何を起源とすべきかも決定は出来ないはずです。
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<単純さを目指したはずが…>
単純なものを起源とするのは、ダーウィン進化論だけではありません。
現代の主流宇宙論、ビッグバン理論もそうです。
そこでは、宇宙は『点』から始まったとしています。
確かに、『点』は、この上なく単純なものですよね。
でも、ここで問題が生じるのです。
それは、『点』の前の状態(前提となるもの)は、どんなものだったのか?
という問題です。
これは、言い換えれば、ビッグバンの前には何があったか?、ということで
す。
単純なものを起源とするというドグマに従うならば、ビッグバンの前提とな
るものは、『点』以上に単純なものでなければなりません。
ところが、プレ・ビッグバン理論(注:これは私の造語で、公的には認めら
れていない用語です)では、ビッグバンの前提となった状態は、とてつもな
く複雑怪奇なものということになっています。
これは、奇妙なことです。
なぜなら、ある時点(ビッグバン)までは『単純さ志向』だったのに、ある
時点からは、手のひらを返したように『複雑さ志向』になるからです。
これでは、まるっきり、一貫性がありません。
もちろん、このことから、現代の宇宙論が間違っているなどと主張する気は
毛頭ありません。
ですが、どうせ複雑なものに向かうのなら、わざわざ単純な状態(=点)を
経由する必要もないのではないでしょうか?
(現在とは異なる)複雑な状態から、(現在のような)複雑な状態が生まれ
たとしても良いのではないでしょうか?
少なくとも、『複雑→単純→複雑』という経緯をたどる定説の考え方だけを
絶対視しなければならない理由はどこにも無いはずです。
さて、話をダーウィン進化論に戻しましょう。
もし、原初の生物が(定説が主張するように)単純なものだとしたら、その
前提となったものは、より単純なものとすべきなのでしょうか?
それとも、宇宙論の場合と同じように、一転、複雑なものとすべきなのでし
ょうか?
ちなみに、この生物は、その後、様々な生物に進化していける可能性を有す
るものでなくてはなりません。
そのような生物を生み出した前提とは…?
否、前提など誰も主張していない(わからない)のですから、こんな議論は
無意味なのかもしれません。
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発行者 : media
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