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隠れオカルティズム vol.6
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科学が健全なものであることを願うが故に、一部の名ばかりの正統科学に潜
む非科学的要素や、それを支持する者たちのプロパガンダの手口の実態を、
追求するものです。
これらを理解した上で、当メルマガをお読み下さい。
今回は、『ダーウィン進化論について』の第4回目です。
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<進化か?それとも能力か?>
進化論の根拠として、よく持ち出されるものに、薬剤耐性菌があります。
確かに、その様は、細菌やウィルス等が新たな機能を持つように進化してい
るように見えます。
しかし、それは本当に進化なのでしょうか?
ヒトには薬剤耐性という機能はありませんが、それと似たような生体防御機
能として、免疫というのがあります。
免疫ができることを『進化』などというのは、ちょっと大袈裟ですよね。
それは、もとからある能力というべきでしょう。
そして、ひょっとすると、細菌類にとっても、薬剤耐性ができるのは、もと
からある能力なのかもしれません。
もちろん、こういうことをいうと、
「薬剤耐性は次の世代にも受け継がれるが、免疫は受け継がれないから、別
ものだ!」
と反論があるかもしれません。
しかし、一方が細胞分裂によって子孫を生み出すのに対し、もう一方は受精
によっているという事実に気付かねばなりません。
前者に比べて、後者が、受け継がれるものが少なかったとしても、不思議は
ないでしょう。
ちなみに、ヒトの免疫も、胎児がへそのおでつながっている間は、母体の恩
恵に浴することができるのです。
逆に、こうしたことから、生物が多細胞まで進化すると、ある世代が獲得し
た新機能が、次の世代に受け継がれなくなるのではないか?、という疑惑が
わいてきます。
つまり、多細胞生物では、進化は極めて困難になるということです。
もっとも、辛口の人なら、それ以前に、
「新たな薬剤耐性をもっても、細菌は、いつまでたっても細菌のままで、進
化なんかしないじゃないか!」
と疑うのでしょうが…
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<たかが細菌、されど細菌>
薬剤耐性が進化の証拠にされるのは、それがヒトにはない機能だからではな
いでしょうか?
それに、人間にとって、それは大変な脅威です。
ですから、それを(進化によって獲得した)新機能のように思えてしまうの
ではないでしょうか?
加えて、細菌やウィルスというと、
『増殖するしか取り柄のないもの』
とか、
『人間に害を及ぼすしか能のないもの』
というイメージがあるのではないでしょうか?
それだけに、薬剤耐性ができる機能が、進化と呼ぶに値するものに思えてし
まうところがあるのではないでしょうか?
ここで気付かねばならないのは、進化論が、生物を序列化、すなわちランク
づけしていることです。
つまり、人間の都合で生物を差別しているということです。
進化論というと、すべての生物の起源を一つとすることで、生物を平等に扱
っているかのように見えますが、実際は逆で、『清い動物』『汚らわしい動
物』という感覚に基づく理論なのです。
ひょっとすると、細菌類にとって、薬剤耐性ができるのは、当たりまえの能
力なのかもしれません。
人間は、自分たちヒトを最も高等な生物と思っているのかもしれませんが、
細菌類から見れば、ヒトは薬剤耐性もできない下等動物に見えるのかもしれ
ません。
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<進化の矢>
巨視的スケールで見ると、多細胞生物は単細胞生物よりも多機能で進化して
いるように見えます。
ですが微視的スケール、すなわち細胞というスケールで見ると、単細胞生物
のほうが多機能で進化しているように見えます。
ちなみに、多細胞生物の細胞は、単独では生きてはいけません。
こうしてみると、どちらが高等・下等などとは、単純には言えないことがわ
かるでしょう。
下等なものから高等なものへ進化する、とするのがダーウィン進化論の特徴
ですから、これは決して見過ごせぬ問題のはずです。
ちなみによく引き合いに出される『心臓の構造上の進化』も、定説とは別の
解釈が可能です。
定説では、右心室と左心室をわける壁(心室中隔)の様が、胎児の成長の過
程によく似ていることから、これを進化のシナリオ(魚類→両生類→爬虫類
→哺乳類・鳥類)の根拠としています。
この解釈では、爬虫類は哺乳類や鳥類よりも、また両生類は爬虫類よりも未
進化ということになります。
ですが、両生類や爬虫類の心室中隔が無い、または、不完全なのは、わざと
静脈と動脈の血液を混ぜるためのものかもしれません。
そうすることによって、血液中の酸素濃度の急激な変化をおさえることがで
きるのです。
これらの生物は、泳いだり、水に潜ったりするものが多いですね。
そのために、息を止めねばならず、その結果、血液への酸素の供給は、かな
り変動するはずです。
つまり、心室中隔が無かったり不完全だったりするのは、それが未進化(=
下等)だからではなく、彼らの生活様式や環境に合うように進化した結果か
もしれないのです。
こうしてみると、ダーウィン進化論における進化の矢(向き)が、いかにあ
やふやなものであるかがわかるでしょう。
結局、それを支えているのは、生物に対する人間的な差別観なのです。
(追記1)
両生類や爬虫類に、心室中隔の完全な心臓を移植したら、彼らは生きていけ
るのでしょうか?
これは極めて興味深い問題だと思います。
(追記2)
血が混ざらないという点では、ほ乳類や鳥類の心臓は、爬虫類や両生類より
も魚類に近い…と思うことは、そんなに非科学的なことなのでしょうか?
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発行者 : media
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