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 この版は実際に配信された版で、いくつかの誤植があります。
 訂正済みの版は、こちら。


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【サマータイム制導入に反対する】 号外中の号外


◎前書き

 今回は、『号外中の号外』的な内容のものとなります。
 つまり、メルマガのテーマとは全然関係の無いものです。
 今回のテーマは、『二・二六事件の定説を疑う』です。

 なぜそんなものをやるのかというと、明日が2月26日であるこ
 との他に、次のような理由があるからです。

 まず一つは、私自身が矛盾や不合理や不条理というものに我慢で
 きない人間であることです。
 定説によると、二・二六事件は『日本の軍国主義化の野心を抱く
 陸軍の若者たちによるクーデターであり、それは失敗に終わった
 ものの、日本の軍国主義化のきっかけとなった』とされています。
 ですが、よ〜く考えと、これ、変なのです。
 そのことを、まず、知っていただきたいのです。

 そして、おかしな説が定説となっている場合は、大抵、裏に欺瞞
 があるものです。
 たとえば、誰かを悪者に仕立て上げることで、自分たちの罪や責
 任をごまかそうとするとか…。
 そういうことがもしあるのならば、それは許されないことのはず
 でしょう。
 これが、二つめの理由です。

 三つめの理由は、嘘や欺瞞を見破るための手本にしていただきた
 いと思っていることです。
 嘘や欺瞞というものは、必ず矛盾や不合理や不条理といったもの
 があるものです。
 たとえ分野が異なろうとも、その点では同じなはずです。

 四つめの理由は、我が国の文系人間が、あまりにも頼りないこと
 です。
 今回のテーマは、明らかに文系のテーマなわけですが、肝心の文
 系人間たちが頼りない。
 今、大問題になっている疫病問題もそうです。
 疫病は立派な環境問題です
 しかも、経済にとっても決して無視できない環境問題です。
 事実、疫病のせいで経済活動は(一部の例外を除いて)麻痺状態
 に陥っているではありませんか。
 ですから、文系の問題でもあるのです。(経済は文系分野でしょ
 う。)
 ところが、文系人間たちは、疫病の問題を考えず、疫病を招き入
 れる産業(環境・イベント)に夢中になり、社会を疫病に弱い社
 会してしまいました。
 これは大いに恥じるべきことです。
 なぜなら、小・中・高等学校の場合、疫病は理科の教科書ではほ
 とんど取り上げられることが無く、むしろ、社会科(歴史)の教
 科書で取り上げられることが多いからです。
 ですから、「私は文系人間だから…」などという言い訳は通用し
 ないのです。

 さらに、もう一つ、五つめの理由があります。
 それは、文系人間の中に、自然科学に干渉したがる輩がいること
 です。
 自然科学は理系分野のはずであり、これは越権行為のはずです。
 なのに、そういうことをする『ろくでなし』文系人間がいる!
 理系人間が(自分たち文系人間よりも)口先や筆先が不器用(∴
 表現活動に消極的)であることをいいことに、ストーカー行為を
 繰り返す、そんな輩がいる!
 あるいは、自分たち文系人間がカネなどの権限を握っていること
 をいいことに、パワハラ行為を繰り返す、そんな輩がいる!
 そこで、私は、彼らの分野(文系の分野)にツッコミをかまして
 やろうと思ったのです。
 歴史問題も文系の分野ですよね。
 だから、ツッコミかましてやることにしたのです。
 上記の悪徳文系人間どもにとって、これは、理系人間側からの逆
 襲・復讐・報復となる記事となることでしょう。

 おそらく、(彼らのようなことをしない)良識ある文系の方々に
 は、(賛同できるかどうかは別として)意義のあるものだと私は
 自負しております。
 どうか、最後まで、お付き合い下さりますよう、よろしく願い申
 し上げます。


●二・二六事件の定説を疑う

 二・二六事件は、日本の軍国主義化を望む好戦的な陸軍の若者た
 ちによって起こされたクーデターであり、それは失敗に終わった
 ものの、日本が軍国主義化するきっかけとなった…。
 学校では、今も大体そのように教えられているのではないでしょ
 うか。
 事実、テレビや新聞などといったマスゴミや、そこに登場する文
 化人は、そのように説くことがほとんどですよね。

 でも、これ、臭いませんか?
 まるで、日本が軍国主義に陥った原因を、二・二六事件の決起部
 隊の人たちのせいにしよう(責任を押し付けよう)としているか
 のようです。

 このような場合、真犯人がいるのが普通です。
 そこで、今回は、この定説のおかしさを抉(えぐ)り出してみた
 いと思います。


●「尊皇」は軍国主義なのか?

 まず指摘したいのは、決起部隊の人たちが「尊皇」を訴えていた
 ことです。
 ですから、定説が正しいとすると、「尊皇」は軍国主義であるこ
 とになります。

 でも、これは、いくらなんでもおかしいですよね。
 天皇を敬うだけで軍国主義になるのなら、日本は遅くても大和朝
 廷時代から、ずっと軍国主義の国だったことになるはずです。
 ですから、二・二六事件が軍国主義化を目指したクーデターであ
 るはずがありません。
 その時、既に軍国主義だったはずですから。
 また、同様の理由で、軍国主義化のきっかけになったはずがない。

 まず、このことからだけでも、定説は矛盾がバレバレなのです。


●「邪」が何かも明らかにせずに…

 次に指摘したいのは、決起部隊の人たちが、「尊皇」とともに、
 「討邪」を訴えていたことです。
 「邪」を討つことを歌えていたのです。

 そこで問題になってくるのが、『彼らが言っていた「邪」とは、
 何のことなのか?』という問題です。
 反戦平和主義者のことか?
 それとも、後に「鬼畜」と呼ばれることになる米英のことか?
 それとも…。

 呆れたことに、定説を支持する文化人どもは、この「邪」が何な
 のかを全く明らかにしていないのです。
 これは、あまりにも無責任な態度ではありませんか?
 「邪」の正体を明らかにせずに軍国主義者呼ばわりするのは、そ
 れこそ、差別、偏見、誹謗、中傷、ヘイトというものでしょう。

 「邪」が反戦平和主義者のことなら、そう言ってしまえばいいで
 はないか!
 あるいは、「邪」が米英のことなら、そうハッキリ言ってしまえ
 ばいいでしょう。
 なのに、言わない。
 なぜか?

 それは、「邪」が何なのか、本当はわからないからです。
 つまり、「邪」が軍国主義者の敵である反戦平和主義者である証
 拠も、また、それが米英である証拠も、無いからなのです。
 そんなことで、どうして、決起部隊の人たちが軍国主義化を目指
 していたなどと言い切れるのだ?

 こういうところを見ても、定説には説得力が全く無いことがわか
 ると思います。


●軍部の要求や圧力の具体的内容を明かさない破廉恥

 次に指摘したいのが、軍部(から)の要求や圧力の具体的内容を
 明かさないことです。
 これも、おかしい。

 「二・二六事件が軍国主義化のきっかけとなった」と言い張る連
 中は、たとえば、「この事件によって、政界や財界の人たちは、
 軍部に恐怖を抱くようになり、軍部の言いなりになっていった」
 という話をして、定説を擁護します。

 ならば、おたずねしよう!
 軍部は、事件後、何を要求してきたのか?
 どんな圧力をかけてきたというのか?

 軍部の言いなりいなっていたのなら、当然、軍部から要求や圧力
 が政界や財界にあったはずですよね。
 ならば、それは、具体的に、どういうものだったのか?
 定説が本当に正しいのなら、この質問に答えられるはずです。

 ところが、信者たちは、この質問に答えないのです。
 聞こえないふりをする。
 それは答えられないからではないのか?
 わからないから。
 証拠が無いから。
 だとすれば、「軍部の言いなりになった」説は、全く説得力が無
 いことになるでしょう。
 そして、「軍国主義化のきっかけとなった」説も。

 このように、二・二六事件が日本の軍国主義化のきっかけになっ
 たとする説は、全く胡散臭い説なのです。


●天皇は海軍に加えて陸軍をも掌握した

 そもそも、軍部が圧力をかけることは不可能だったはずです。
 なぜなら、天皇は海軍に加えて、陸軍をも掌握したからです。

 陸軍は、当初、決起部隊の人たちの行為に、理解を示す態度をと
 っていましたが、やがて、天皇のご意向に従うことにしました。
 一方、海軍は、当初から全面的に天皇に味方していました。
 だから、決起部隊の人たちは孤立し、クーデターは失敗に終わっ
 てしまったのです。

 このように、天皇は、事件後は海軍も陸軍も掌握していたのです。
 そんな状況で、どうして軍部が政財界に圧力をかけたりすること
 ができるというのでしょう?
 やはり、定説は矛盾だらけなのです。

 余談ですが、陸軍の上層部の人たちは、反乱分子である決起部隊
 の人たちのことを「彼らも天皇の赤子(せきし)なのだから…」
 という趣旨のことを言って同情したそうです。
 そんな人たちが、庶民にまで向かって「お国のために死ね!」な
 なんて言う思想を強制したりするでしょうかね?
 やはり、定説はおかしなところだらけなのです。


●庶民からは支持されていた超〜不思議

 指摘されなければならないことは、まだまだあります。
 たとえば、決起部隊の人たちが庶民から支持されていたという歴
 史的事実です。

 マスゴミや赤い文化人どもは、この問題を『庶民の無知からくる
 行動』で片づけようとします。
 庶民を一方的に無知扱いするとは、いかにもインテリ・サヨクと
 いう感じがしますね。

 ですが、銃器をもった人たちを支持するという行動は、通常では
 考えられないことです。
 普通なら、怖くて逃げるのではないでしょうか?
 なのに、庶民は支持した。
 当時の庶民はアホウドリ並みだったのか?

 それに、どちらの側かもわからない者たちを支持したりするでし
 ょうか?
 あるいは、国民の敵だと思う者たちを支持したりするでしょうか?

 いや、それ以前に、そもそも、わざわざ支持するということをし
 たということからして全く奇妙です。
 支持するということは、それに味方するということであり、それ
 を応援するということでしょう。
 でも、立場が保障されている人たちのことをわざわざ応援すると
 いうのは、ちょいとおかしくはありませんか?
 だとしたら、なぜ、庶民は応援したのか?
 それは、決起部隊の人たちが孤立していたことを知っていたから
 ではありませんか?
 だとしたら、「庶民は無知だった」説は完全崩壊でしょう。 

 こうしてみると、定説は胡散臭いところだらけであることがわか
 ると思います。


●「軍政=軍国主義」というあまりに乱暴な論理

 決起部隊の人たちが軍国主義者だと決めつけられているのは、彼
 らが「軍政」を訴えていたからです。
 ですが、「軍政=軍国主義」というのは、あまりに乱暴な論理で
 す。
 現に、軍政でも侵攻とは無縁の国が実在します。

 それに、「軍政=軍国主義」というのなら、共産主義国家は、み
 な、軍国主義ということになるはずでしょう。
 共産主義は「暴力」革命で実現しているのですから。
 実際、北朝鮮は南朝鮮(?笑。韓国)に侵攻していますし(朝鮮
 戦争)、その後も日本人を拉致したりしています。
 また、中共もチベットやウィグルや内モンゴルに「解放」とほざ
 いて侵略支配していまし、また、今でも世界のあちこちで破壊工
 作やら貸しはがしやらをやっています。
 なのに、マスゴミやそこに登場する文化人どもは、これらの国々
 のことを軍国主義国家呼ばわりすることをしません。

 こうしてみると、彼らが使う「軍国主義」という用語は、その定
 義や基準からして全くいい加減な用語であることがわかるでしょ
 う。
 ならば、そんないい加減な用語が使われている「軍政=軍国主義」
 という論理も、全くいい加減なものでしかあり得ないでしょう。


●「尊皇」と矛盾する軍部独裁論

 言っときますが、決起部隊の人たちは、軍部による独裁を望んで
 軍政を求めたのではありません。
 「尊皇討邪」のための手段として、軍政を望んだだけです。
 軍部による独裁を望んでいたのなら、「尊皇」は余計でしょう。

 でも、彼らは天皇からは支持されなかった。
 理解が得られなかった。(だから、諦めざるを得なくなった。)
 おそらく天皇は彼らのことを誤解していたのではないかと思われ
 ます。(だから、戦後、「三省」したのではないか?)
 たぶん、周囲の者たちが理解の邪魔をしていたのでしょう。

 で、天皇に理解されなかったことをいいことに、どっかの誰かさ
 んたちは、彼らのことを狂信的な軍国主義者呼ばわりした(もし
 くは、させた)のです。
 そんなことをした(させた)連中こそ、一番の黒幕なのではあり
 ませんか?


●軍にしか残っていなかった日本的精神

 では、決起部隊の人たちは、なぜ軍政を求めたのでしょうか?
 「尊皇討邪」が本当の目的なら、何も軍政でなくてもいいはずで
 しょう。
 政治家たちに「尊皇討邪」の政治を約束させるだけで十分だった
 はずです。
 でも、彼らはそうせず、クーデターを起こし、軍政を求めた。
 なぜか?

 それは、当時の政治家には「尊皇討邪」の政治が期待できなかっ
 たからでしょう。
 それぐらい腐っていた。(今と同じじゃん。)
 それで、やむなく、軍政を求めたのです。

 政治家と違い、軍には日本的精神が残っていた。
 恥の文化の精神が残っていた。
 大和魂が残っていた。
 だから、軍政を求めたのです。

 でも、そのこと(真意)が天皇には伝わらなかった。
 誰かが伝わるのを妨害していたからでしょう。
 その真犯人たちは、もはや明らかではありませんか?


●欧米猿真似主義と拝金主義が蔓延していた政界

 こうしてみると、何が二・二六事件の動機になったか、見えてく
 るでしょう。

 「大正デモクラシー」により、日本では欧米猿真似主義が蔓延る
 ことになりました。
 「デモクラシー」と言いますが、実際には民主主義とは関係なく、
 軽薄なだけの単なる欧米猿真似主義ブームだったのです。

 共産主義の蔓延も、このころからです。
 これも、欧米猿真似主義です。
 共産主義が欧米から入ってきた「外来種」思想であることを忘れ
 てもらっては困ります。

 それはともかく、欧米猿真似主義の蔓延は、カネに汚い財界人に
 も大変好評だったようです。
 なぜなら、それが金儲けにつながることだからです。
 人々が物や娯楽を求めるようになりますでしょう。
 つまり、贅沢(道楽、快楽)志向になる。
 だから、都合が良かったわけです。

 一方、当時の政界には、財界と関係のある者たちが少なくなかっ
 た。(何しろ、初期の頃は、平民は高額納税者しか政治家にはな
 れなかったのですからね。)
 それで、こちらも歓迎した。

 そして、いい気になって、皇族利用までするようになった。
 たとえば、天皇にゴルフをさせるとかですね。
 天皇は心の広い方なので、快く従ったのでしょう。
 それにつけ込むような破廉恥が横行していたのです。

 それで、危機感を覚えた人たちがいたわけです。
 このままでは、日本的精神が失われてしまう。
 日本が堕落してダメになってしまう。
 日本が日本でなくなってしまう。
 しかも、天皇まで利用されている。
 このままでは、いけない。
 そこでクーデターを起こしたのが決起部隊の人たちだった…と考
 えられるわけです。

 つまり、「邪」とは、伝統的な日本的精神を破壊する欧米猿真似
 主義(者)であり、それで金儲けを企む拝金主義者であり、それ
 に味方し皇族利用までする政治家らのことだったのです。

 だから、庶民は決起部隊に味方したのです。
 ちなみに、当時、既に格差問題が存在していて、欧米猿真似主義
 が可能だったのは、比較的裕福な人たちだけだったようです。
 それで、庶民は、なおさら、決起部隊の人たちを支持する気にな
 ったと考えられるのです。

 こうしてみると、二・二六事件は軍国主義とは全然関係ないこと
 がわかるでしょう。


●定説を歓迎する真のA級戦犯たち

 二・二六事件を軍国主義に結びつけたがるのは、その人たちこそ
 が真のA級戦犯だからです。

 まずは、米英中露(ソ)の首脳たち。
 太平洋戦争は、ルーズベルト米国大統領が日本にパワハラ三昧し
 て日本を挑発し、先に撃たせることで始まった戦争です。
 その米国を利用したのが、チャーチル英国首相(←ドイツに大苦
 戦してルーズベルトに泣きついた。)と蒋介石(←日本を追い出
 してシナ全土を征服したかった。)とスターリン(←ドイツを潰
 して欲しかったのと、満州から日本を追い出して欲しかった。)
 です。
 彼らにとっては、日本の軍国主義は、日本国内で醸成されたもの
 であったことにしなければならなかった。

 と、まぁ、これぐらいのことなら、みなさんも想定内の話だと思
 います。
 でも、黒幕はそれだけではないのですよ。
 ニッポン人の側にもいるのです。
 それは、「復讐裁判」(笑)で被告や死刑にならずに済んだ者た
 ちです。
 彼らは、軍国主義化を他者のせいにしたかったはずです。
 そんな彼らにとって、今回ぶった斬った二・二六事件の定説は、
 非常に都合のいいものだったはずです。

 ま、そこから先の追求は、文系の方々におまかせしようと思いま
 す。


●決起部隊の栄誉回復を!

 決起部隊の人たちは、決して日本の軍国主義化を望んでいたので
 はありません。
 日本が軍国湯議に陥ったのは、まず、ルーズベルトらの謀略があ
 ったためであり、さらに、それに加えて、日本の政治家らのヘマ
 があったからです。
 つまり、先の戦争は、文民が招いた戦争だったのです。
 その戦争のために日本は軍国主義になっていったのであり、決し
 て軍人らによる政治思想活動があったからではないのです。
 共産主義革命と一緒にしてはいけません!(笑)

 日本の文民(政治家)たちは。戦争を招くことをしました。
 まずは、満州国の建国。
 日本を守るための防波堤にしようとしたのですが、これが第一の
 失政。
 人気のある地をそうしたものだから、他国から妬まれる結果とな
 った。

 お次は、日独伊・三国軍事同盟。
 米国を怯えさせ、反日を諦めさせるためだったそうですが、逆に
 かえって刺激する結果となった。

 そして、極めつけが、日ソ不可侵条約。
 これで、満州国建国の大義を失ってしまった。
 結果、戦争するか、それとも満州を手放して亡国的な水準の大損
 をするか、それとも石油を諦めて後進国に転落するかしかなくな
 った。
 後者二つの運命を受け入れることができなかった日本は、戦争せ
 ざるを得なくなったのです。
 そして、そのために、軍国主義にならざるを得なくなった。
 これが、歴史の真相です。

 そう、日本側の責任は、全て文民にあったのです。
 ということは、二・二六事件の定説布教には、日本の文民もかか
 わっている可能性が大ということでしょう。

 このように、二・二六事件は、その後の軍国主義化とは全然関係
 が無いのです。
 決起部隊の人たちは、当時の政界の腐敗と戦おうとしただけなの
 です。
 確かに、現代の基準では、暴力はいただけませんが、それ以外に
 彼らに何ができたというのでしょう?

 私は、決起部隊の人たちがやったことは、明智光秀のやったこと
 と、そんなに違わないと思います。(信長は、キリスト教を侵略
 の武器とする勢力に接近しすぎた。)
 また、動機だけを考えるならば、藤原鎌足や中大兄皇子らのやっ
 たことと、そんなに違わないと思います。(蘇我氏は仏教贔屓の
 親中ポチで、神道派から危険視されていた。)
 つまり、歴史時代においては救国に流血は付き物だった(しかた
 のないことだった)ということです。

 もしそれでも許されないことだったというのなら、どうすれば救
 国が可能だったのか、対案を示すべきでしょう。
 それもせずに彼らを軍国主義の走りのように言うのは、卑怯なこ
 とだと私は思います。

 この問題は、実は現代についても言えることです。
 救国のためでも暴力はいけないと言うのなら、暴力を用いなくて
 も救国が可能な制度をつくる必要があるはずです。
 それもしないというのは、あまりにも無責任がすぎるのではあり
 ませんか?

           * * *

 長い長い文章であるにもかかわらず、最後までお付き合い下さり、
 ありがとうございました。
 実は、この記事、去年の2月26日頃に配信したかったのですが、
 いろいろと邪魔が入り、チャンスを逸してしまいました。
 今年は何とか実現できて嬉しく思っています。
 明日2月26日に配信すれば一番良かったのでしょうが、また邪
 魔が入ると困るので、万が一に備えて、一日早めました。
 この記事が決起部隊の人たちの名誉回復に少しでもお役に立てら
 れれば光栄です。


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