【サマータイム制導入に反対する】 vol.1102


◎前書き

 またまた、間があいてしまい、申し訳ありません。
 時間がなかなか取れず、休刊処分扱い期限が迫っているので、今
 回は『二〇一九肺炎』と関連のある話だけで勘弁して下さい。
 それに、この話だけでも相当な長さ(分量)になってしまったこ
 ともありますので…。

 というわけで、レギュラーのテーマ(『人殺しのニセ科学=『お
 しめり気象学』を斬る!』と『改めて福島第一原発事故の本当の
 原因を考える』)は、次回以降におおくりします。
 邪魔が入らなければ、来月上旬までには配信できると思います。
 ということで、よろしくお願いします。


●疫病は立派な環境問題です!

 二〇一九肺炎という疫病のせいで、経済が(一部の例外を除いて)
 ズタボロ状態になっていますね。
 いや、経済だけではない、(一部の例外を除いて)社会のほぼ全
 ての分野がボロボロ状態です。

 そこで、是非とも気付かなければならないことがあります。
 それは、『疫病もまた、重大な環境問題である』という事実です。
 疫病のせいでこんなことになってしまっているのですから、疫病
 は間違いなく公害であり、故に、環境問題であるということにな
 るはずです。
 このことを(指摘されても)認めない者がいたとしたら、それは
 よほどの恥知らずだけでしょう。

 何しろ、人が死んでいるのですからね。
 後遺症に苦しんでいる人もいる。
 水俣病とかと何も変わらないではりませんか!
 なのに、なぜ、環境問題と認めないのですか?

 まったく、戦後ニッポン人の破廉恥ぶりには呆れる限りです。


●環境庁・環境省で白痴化した戦後ニッポン人

 どうして戦後ニッポン人は、こうも恥知らずになったのか?
 いや、恥知らずになったのではなく、そんなこともわからないほ
 ど白痴化しただけなのか?
 もしそうなら、その理由は?
 それは、おそらく、環境庁・環境省という、カスなお役所がつく
 られたせいでしょう。

 環境は、本来、公衆衛生などと一緒に取り扱われるべき分野です。
 実際、地方行政では「環境衛生」という形で扱われることが多い
 ものです。
 つまり、健康と不可分の分野なのです。
 従って、国政でも、厚生省、厚生労働省に担当させるべき分野な
 のです。

 ところが、「ニューリーダー」世代の連中は、「環境」を切り離
 してしまったのです。
 そう、環境庁の設立です。
 これにより、環境は健康とは疎遠のものになってしまったのです。

 そして、トドメを刺したのが、森政権による環境庁の環境省への
 昇格です。
 これにより、環境は健康とは全く無縁のものとなってしまったの
 です。

 森政権と言えば、省庁再編を行った政権で、多くの省庁を統合し
 たにもかかわらず、環境庁だけは、全く逆に、環境省に昇格させ、
 独立性を高めたのです。
 こうしてみると、確信犯であることがわかるでしょう。

 ちなみに、森政権は安倍派政権の一つです。
 やはり、安倍派は亡国勢力なのであり、詐欺勢力なのです。

 疫病は環境問題です。
 安倍派に騙されては、いけません!


●環境グルイは経済環境無視派だったというお笑い

 今の現実を見ればイヤでもわかるように、疫病は経済産業を(も)
 ダメにします。
 ということは、疫病は経済産業にとっても環境問題であるという
 ことでしょう。
 疫病は、経済産業の環境を破壊する公害なのです。
 この事実に気付かなければなりません。

 さて、疫病が経済にとって環境問題であるのならば、本当に環境
 と経済の両方のことを考えている人なら、疫病のことに気をつけ
 るはずでしょう。
 そして、疫病禍を招く可能性が高いことは出来るだけ避けようと
 するはずでしょう。

 では、我が国の総理大臣は、どうだったでしょうか?
 彼は、狂信的な環境グルイでした。
 インチキだらけの地球温暖化説を強力に擁護し、国民を騙して負
 担を増やし、日本のものづくり産業をぶっ潰しまくりました。
 さらには、海洋プラゴミ汚染をレジ袋のせいにし、営業分野での
 サービス精神や意欲といったものまでをも削ぎまくりました。
 それほどの環境グルイなら、当然、経済のための環境にもナーバ
 スなくらいに気を使う…はずですよね。

 と〜ころが、どっこいーっ!
 彼は、疫病を招き入れることに力を注いだのです。
 つまり、環境問題を引き起こすリスクを高めるようなことを存分
 にやってくれたのです。
 それは環境(イベント)ファッショです。
 その結果、彼は深刻な環境破壊を招いたのです。

 これ、傍目から見れば、爆笑ものではありませんか?
 だって、環境グルイの奴が、環境破壊を招いてしまったのですか
 ら。
 しかも、不可抗力ではなく、そうなって当然のことをして、そう
 なったのですから。
 全くのお笑いです。

 誰のことかは、もうおわかりですね。
 そう、ホシュ・ウヨクが「しかいない」と神格化していた人物で
 す。

 環境グルイは経済環境無視派だったのです。
 ま、環境グルイなんて、そんなもんです。


●だから、経済最優先は経済をダメにする

 彼は「経済最優先」を唱えていました。
 なのに、彼は経済を、その真逆のズタボロ状態にしました。
 これだけでも、十分、爆笑モノですよね。

 それはともかく、これは当然の結果なのです。
 なぜなら、「経済最優先」なんてものを唱えるような連中は、そ
 れ以外のことには気を払わないのが普通だからです。
 当然、「それ以外のこと」の中には、経済環境問題も含まれます。
 「経済最優先」を唱える奴は、大抵、経済環境問題のことは考え
 ないものなのです。
 だから、経済環境破壊を招き、結果、経済破壊を招いてしまうも
 のなのです。

 ちなみに、私は経済環境のことも考える主義者です。
 だから、環境(イベント)ファッショを批判したのです。(もち
 ろん、他にも理由はありましたけどね。)
 なのに、自称「愛国者」も、自称「社会主義者」も、ぜ〜んぜん
 耳を貸してくれませんでした。
 もちろん、自称「環境保護主義者」も、自称「経済最優先主義者」
 も。

 要するに、こいつらは、みな、その程度の連中だったということ
 です。


●経済環境を汚染する高リスク産業に力を入れた環境グルイ

 観光(イベント)産業には、疫病を呼び込んでしまう効果があり
 ます。
 人が、それも沢山、やってくるのですから、当然でしょう。
 人もまた、蚊やネズミなどと同様に、疫病(の病原体)を運ぶ媒
 体となり得るのですからね。
 従って、疫病進入を出来るだけ防ぐためには、観光(イベント)
 産業に依存するようなことは避けるべきなのです。

 ところが、安倍は観光(イベント)産業への依存を大幅に高める
 ようなことをしたのです。
 つまり、経済環境を汚染するリスクが極めて高い産業に力を入れ
 たのです。
 そんなことをすれば、今のような事態を招くことになるのは当然
 のことでしょう。

 安倍は、『令和恐慌』の「A級戦犯」なのです。(笑)


●アインシュタイン相対論にそっくりな思考体質

 どんな産業も、程度の差こそあれ、環境に負荷をかけるものです。
 厳密に言うと、環境に全く負荷をかけない人間活動なんて無いの
 です。
 観光(イベント)産業にも、環境に負荷をかけてしまうところが
 ある。
 そのことに気付かなかったのだとしたら、大いに「反省」しなけ
 ればなりません。

 ところが、例によって例のごとく、「反省」したがらない人たち
 がいる!
 観光(イベント)産業の環境負荷を「理解」したがらない人たち
 がいる!
 どうして、彼らはこうなのか?

 そんな彼らをウォッチングしていると、ある共通点があることに
 気付きます。
 それは、アインシュタイン相対論の盲信者もしくは狂信者である
 ということです。

 これは、別に、驚くべきことではありません。
 なぜなら、どちらも同じ思考から来ることだからです。

 なぜ、観光(イベント)産業が環境に負荷をかけることが理解で
 きないのか?
 それは、観光(イベント)産業が環境に負荷をかけるという事実
 を認めたくないからです。
 観光(イベント)産業が環境から影響を受けることは強く訴える
 くせに、環境が観光(イベント)産業から(悪)影響を受けるこ
 とは認めたくないわけです。
 「観光(イベント)産業は、環境には悪影響を及ぼさないものな
 のだ」という原理主義者たちなのです、この人たちは。
 こういう人たちには、何を言っても無駄というものでしょう。

 で、同じような思考(というか、流儀というか…)が、アインシ
 ュタイン相対論でも見られるのです。

 たとえば、重力を説明するための時空の曲がりについてです。
 よく凹んだシートにたとえられますが、ヘボなテキスト・アート
 による絵で示すと、こんな感じになります。(等幅フォントで御
 覧下さい。)

  
   ̄\        ○/ ̄
    \       /
     \     /
      \   /
       \●/
         ̄

 物体●のせいでシートが凹むために、物体○には物体●の方へ向
 かわせようとする(重)力が働く…というわけです。

 一見、もっともらしく思える説明ですが、実は、あるトリックが
 存在するのです。
 それは、物体○による凹みが考慮されていないことです。
 物体○にも質量があるわけですから、シートは凹むはずです。
 こんな感じで。

  
   ̄\             / ̄
    \           /
     \         /
      \   / ̄\○/
       \●/    ̄
         ̄

 こうなると、物体○は、自分自身の質量によって生じた凹みの中
 に埋もれて、動けなくなってしまうでしょう。
 つまり、物体●の方へ向かわせようとする(重)力は働かないこ
 とになるのです。

 これでは困る。
 そこで、アインシュタイン相対論では、自分自身によるシートの
 凹み、すなわち、時空の曲がりは無いことにしているのです。
 こういう御都合主義的なトリックがあるわけですよ、アインシュ
 タインの一般相対性理論による重力場理論には。

 で、これがそっくりなわけです。
 だって、そうでしょう。
 自分自身(この場合は、物体○)による時空への影響は無いこと
 にするわけですから。
 物体○を観光(イベント)産業に、時空を環境に、それぞれ置き
 換えてみて下さい。
 全く同じ思考であることがわかるはずです。

 別の角度から見ると、これは、特定の側からしか物事を考えない
 ということです。
 特殊相対性理論の正しさを証明したとする証拠は、どれも一方の
 系から見たものばかりです。
 時計の遅れにしても、物差しの縮みにしても。
 これが、アインシュタイン相対論の実態なのです。

 で、観光(イベント)産業の環境への負荷(悪影響)を考えない
 (無いことにしてしまう)というのも、特定の側からしか物事を
 考えないからこそ可能な思考です。
 観光(イベント)産業以外の立場のものからすれば、観光(イベ
 ント)産業による影響は明らかに存在します。
 でも、観光(イベント)産業以外の立場では考えないわけです。
 観光(イベント)産業の立場でしか考えないわけです。
 ですから、特定の側からしか物事を考えないことになるのです。
 やはり、同じ思考なのです。

 ならば、彼らがアインシュタイン相対論の盲信者や狂信者であっ
 たとしても、少しも不思議ではないでしょう。
 系に関する差別的思考という点では全く同じなわけですから。

 言っときますが、アインシュタイン相対論は、典型的な矛盾論で
 す。
 つまり、根がマルクス主義と同じなのです。
 そんなものを盲信・狂信することが出来るのは、同じ穴の狢だけ
 でしょう。

 実際、ホシュ・ウヨクにもいますよねー。
 しかも、アインシュタインは日本に対するリップサービスをやっ
 ているので、イチコロってわけです。
 ったく、なっさけない連中です。


●「相対性」とは名ばかりの似非平等主義

 ついでに指摘しておきますと、上で指摘した凹んだシート(時空
 の曲がり)の矛盾は、場の理論の宿命です。

 『場』は、もともとは、マックスウェルが電磁作用を説明するた
 めに導入したので、ある位置における空間の作用発生潜在能力を
 表すものです。
 数学的には、実際に生じる電磁作用(ベクトル)を、作用を受け
 る側の電荷や磁荷(スカラー)で割っただけものです。
 ですから、どの立場から見るかによって違ってくるものなのです。
 つまり、相対的なものでしかないわけです。

 ならば、『見かけ上のもの』とみなせば良かったのですが、それ
 では電磁作用を説明したことにはなりません。
 見かけ上のものでは、実在性の無いものといういことになってし
 まいますから。
 実在性の無いものでは、電磁作用の説明は出来ないでしょう。

 そこで、『どの立場から見るかによって違ってくる』という問題
 を無視する(ごまかす)ことにしたわけです。
 つまり、場について考える時は、一方の側からの影響しか考えな
 いようにするというトリックを用いることにしたわけです。
 もう少し具体的に言うと、場の状態を求める場合は、作用を及ぼ
 す側からの影響だけを考え、作用を及ぼされる側からの影響は考
 えないことにするわけです。
 場の理論には、こうしたトリックが絶対に必要になるのです。
 これは、場の理論の宿命です。
 アインシュタイン相対論も場の理論ですから、当然、このトリッ
 クに依存しているのです。

 というわけで、場の理論の信者たち(⊃アインシュタイン相対論
 の信者たち)は、『一方の側からの影響しか考えない(もう一方
 の側からの影響は考えない)』というやり方に、すっかり慣れ親
 しんでしまっているわけです。
 そして、そのために、これが癖になってしまっている場合がある
 のです。
 つまり、『ある側からの影響を考えない』という病人になってし
 まっている場合があるのです。
 そういう人たちなら、観光(イベント)産業から環境への悪影響
 (負荷)というものを考えないことが十分あり得るでしょう。

 ちなみに、サヨク世代の人たちの間では、「相対性」という言葉
 が、しばしば、「平等」と同じような意味で用いられることがあ
 ります。
 実際、真の相対性理論では、絶対空間を認めないだけでなく、全
 ての系(全ての側)を平等に扱うものです。

 ところが、場の理論は、そうなってはいない。
 従って、アインシュタイン相対論は、真の相対性理論ではないこ
 とになるのです。

 にもかかわらず、御存知のように、信者たちは、真の相対性理論
 であると信じているのです。
 そのために、特定の側からしか考えなかったり、別の側からは考
 えないという「差別」を平気でやらかすのです。

 何しろ、当のご本人たちは、自分が差別しているという意識が、
 これっぽっちも無いのですからね。
 むしろ、「自分は相対的に物事を考えているのだから、平等主義
 者だ」とまで思い込んでいるのです。
 場の理論(⊃アインシュタイン相対論)にハマると、こういう病
 人になってしまうのです。
 恐ろしいことです。

 「相対性」などという言葉を使って自分を正当化するような連中
 には、こういう病人が多いものです。
 彼らの言う「相対性」は、似非相対性でしかなく、故に、似非平
 等主義でしかありません。

 真の相対性主義者なら、あらゆる側を平等に扱うはずです。
 それ故、あらゆる側からの悪影響(負荷)を考えるはず。
 当然、観光(イベント)産業からの悪影響(負荷)も考えるはず
 です。
 それを考えないのは、その人が似非相対性主義者であり、似非平
 等主義者であり、差別主義者でしかないからです。

 これ、サヨクそのもではありませんか?


●現代社会を蝕む政治的流行性疑似科学の原点

 アインシュタイン相対論やマックスウェル電磁気学の根幹となる
 場の理論には、現代社会を蝕む政治的流行性疑似科学の原点とで
 も言える要素が含まれています。

 まず、「場」という概念。
 これには、オカルティストたちが好む「運命」とか「運勢」とい
 った概念と似たようなところがあります。
 また、ある種の宗教信者たちが信じる「精霊」や「悪魔」、ある
 いは「悪霊」とかとも似ているところがあります。
 というわけで、理科の苦手な文系人間にもウケがいいわけです。
 だから、怖い。
 疑似科学でも正統科学とされてしまうので…。

 「場」は、本当は、むしろ、環境とか境遇といったようなものと
 認識すべき代物です。
 あるいは、雰囲気、ムードといったものに近いとさえ言ってもい
 いほどです。
 「空気が読めない」という時の「空気」と似たようなところもあ
 ります。
 何しろ、本当は見かけ上のものでしかないのですから。
 そこに実在するものではないのですから。
 そこに何も存在しなくても、何かから影響されてしまうことがあ
 りますよね。
 そういうものなのです。

 「場」は、実在しない、人が勝手につくった(定めた)ものです。
 そういうものを実在性あるものとして崇めるという態度は、地球
 温暖化説を支える二つの疑似科学、すなわち、偏西風原理主義や
 気圧原理主義に見られるものです。

 なるほど、確かに、場の理論は、現代物理学の根幹となっている
 ものですが、それは現代物理学が政治的流行性疑似科学の世界に
 なり果ててしまっているということを意味しているのです。
 実際、現代物理学を主導しているのは、「世界の警察」こと、米
 国と英国です。(実質、仕切ってもいる。ちなみに、その一番の
 忠犬となっているのが、戦後ニッポン。)
 英国と言えば、マックスウェルを生んだ国であり、アインシュタ
 インを世界で最初に偶像化した国です。
 そして、米国と言えば、アインシュタイン基地外の国。
 アインシュタインという偶像を、いいだけ政治利用してきた国で
 す。
 しかも、どちらもマスゴミ天国&天下の国。
 アインシュタイン相対論は典型的な矛盾論ですが、英国はマルク
 スの亡命先となった国であり、さらに米国とともにソ連(それも
 スターリン政権下のソ連!)を支援した国でもあります。
 場の理論への盲信・狂信は、まさしく、米英主導のグローバリズ
 ムの象徴とさえ言えるのです。
 そんなものを盲信・狂信できるのは、サヨクだけでしょう。

 ちなみに、場の理論を絶対視する現代物理学の世界では、「場こ
 そが実在するものであり、物質は幻想にすぎない」とされていま
 す。
 まさに、あべこべの世界。
 白が黒となり、黒が白となる、サヨクの世界と全く同じなのです。
 となれば、サヨクやサヨク世代の人たちにバカウケするのは当然
 のことでしょう。

 人の思想や思考というものを調べていくと、根が同じものを好む
 という傾向があることに気付きます。
 中でも、自分の専門分野でもないことを人に偉そうに説教したが
 る連中の場合は、特にその傾向が強いものです。
 根が同じものだから、習得するのも容易なのでしょう。(つまり、
 本当の努力というものをしていないということ。)
 その程度の連中なのですよ。
 そんな連中の言うことを信じるなど、愚の骨頂というものでしょ
 う。


──────────────────────────────

バックナンバーへ戻る