【ブライデン夫妻ブームを斬る】 vol.9


●「ケア」って、なぁに?

 今回は、前回も少し述べた、「ケア」というもののいい加減さを
 指摘したいと思います。

 とにかく、カタカナ語には、いい加減なものが多いものです。
 意味のはっきりしないものが多い。
 痴呆関連でよく用いられる「ケア」もそうです。
 なんか、わかったような、わからないような言葉です。
 はっきり日本語で言えば良いのですよね。
 でも、日本語では言わない。
 なぜなら、ボロが出てしまうからです。
 だからカタカナ語を使う。
 文化人には、よくあることです。

 文化人の欺瞞をウォッチングしてきた私は、カタカナ語人間のい
 い加減さに慣れっこになっている…はずなのですが…。
 でも、現実問題でこれをやられると、やっぱり、キレます。
 「ふざけるな!」と。


●治療ではなく情操

 痴呆のケアにおいて、何より欺瞞に満ちていると言わざるを得な
 いのは、ただの情操を、まるで治療のようにほざいていることで
 す。
 つまり、痴呆症患者を情操できたことを、「痴呆が改善した」と
 宣伝していることです。

 情操と改善は違います。
 彼らのケアでは、痴呆は改善されません。
 そのことは、脳の写真等を見れば明らかです。
 単に患者が問題を起こさなくなる・機嫌が良くなる…というだけ
 のことなのです。

 もちろん、家族や介護者にとっては、それだけでも十分ありがた
 いことかもしれません。
 しかし、決して病状そのものが良くなるわけではないのです。
 そういう意味では、「改善」という表現は、世間に誤解を与え、
 好ましくないと思うのです。

 ホスピスなどで「癌が改善された」などと言ったら、非難を浴び
 るのではありませんか?


●ペット療法の欺瞞

 一見、良くなったように見えても、実は良くなっていない場合が
 結構あります。

 ペット療法なんか、その良い例ですね。
 ペットを飼うと痴呆や心の病が改善される…とか。
 でも、それって、根本的な治療にはなっていない場合がほとんど
 です。
 実際、ペットがいなくなってしまうと、もとに戻ってしまう場合
 が少なくない。
 いわゆるペット依存症。
 場合によっては、ペットを失ったことで、以前よりも症状が悪化
 する危険性だって考えられるのです。
 要するに治るわけではないのですよ。
 単に情操が上手くいくというだけのことなのです。

 余談ですが、ペットのせいで、ますます人間不信のひきこもりに
 なる可能性も無いわけではありません。
 また、他人を動物並みにみなす(ペットのように人は自分になつ
 くものだと誤解する)悪い癖がつく可能性があることも否定しき
 れません。
 一つ間違えると、大変なことになりそうです。

 とにかく、そういうわけですから、本当は療法などと言えるもの
 ではないのです。

 では、なぜ、痴呆症老人には良いのか?
 それは、老人は老い先短い身だからです。
 彼らは、これから社会に出て活躍しなければならない人たちでは
 ありません。
 残り僅かな期間、情操さえされていれば良い人たちなのです。
 だからペット療法は良い…とされるのです。
 そこを勘違いされては困るのです。
 よくよく考えると、かえって残酷なことですよ。


●押し付けの夢は、もう沢山!

 最近の健康オタク番組とかを見ていると、「これを食べれば、こ
 の運動をすれば、痴呆が改善される」と喧伝していることがよく
 ありますね。
 でも、これらも胡散臭いものがほとんどです。
 「改善」という言葉は、そういう場で用いられる表現のようです。
 意味が曖昧、あやふや。
 実際には治っていなくても「効果あり」とすることができる。
 だから、似非科学にとっては都合が良い。

 こういう話術で、彼らは夢や希望を与えているつもりになってい
 るのかもしれません。
 でも、真実を知ったら、かえって傷つくでしょう。
 真実は隠し通せるものではありません。

 それに、変に夢や希望を煽ることは、思わぬところで人を傷つけ
 てしまうことがあるものです。
 「ああいうケアがあるのに、なぜやらないんだ?」とか。
 「あのケアをやってるんだから、いいんだろ」とか。
 言われた側は傷つくものですよ。

 とにかく、「ケア」なんて言葉で、変な夢や希望を植え付けるの
 はやめてもらいたいものです。
 独善的ですよ、あまりにも。
 本当のことを正直に話すべきです。


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発行者:media
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