【ブライデン夫妻ブームを斬る】 vol.2
●「偏見」は加害者を作り出す用語
私が「ブライデン夫妻ブーム」に違和感を覚えた最初の理由は、
そのキャッチ・フレーズ(?)の中に、「痴呆(の人)への偏見」
という一節があったからです。
「偏見」という言葉は、誰かを批判する言葉です。
ですから、極めて攻撃的な言葉なのです。
もっと言うと、誰かを加害者扱いする言葉です。
つまりは、加害者を作り出す言葉なのです。
こんな言葉は、福祉にはふさわしくありません。
なぜなら、福祉とは、「人を攻撃すること」ではないからです。
そんなものを福祉だと思うのは、批判精神の塊で、福祉を「革命
の武器」として利用しようとする政治家や思想家たちぐらいなも
のでしょう。
福祉とは、前回述べたように、『社会構成員に等しくもたらされ
るべき幸福』のことなのです。
批判(攻撃)で、そのような幸福はもたらされません。
批判(攻撃)がもたらすのは、むしろ、破壊や憎悪です。
福祉で必要なのは、より多くの人たちの理解と協力(を得ること)
です。
批判(攻撃)では、そんなものは得られません。
こういうところからして、このブームは、政治思想色の強い、ま
こと胡散くさいものに思えてならないのです。
福祉は人種差別問題などとは違うはずです。
●具体性を嫌う偽善者たち
もし、世間の人たちの認識に誤りがある場合、私なら「偏見」な
どという攻撃的な言葉は使いません。(注:ただし、これは、福
祉に関する件においての話です。あらゆる件で…というわけでは
ありません。念のため。)
代わりに「誤解」という言葉を用います。
この方が、角が立たず、理解や協力が得やすいからです。
もっとも、「誤解」という言葉を使うと、相手から、「では、具
体的に、どういう誤解があるのですか?」と質問されることにな
ります。
こういう時、ありもしない偏見(→誤解)を、「ある」と言い張
っている嘘つきたちは、追い込まれることになるわけです。
こうなっては、マズイでしょう。
逆に、「偏見」という言葉を使うと、こういう事態を免れます。
なぜなら、「偏見」という言葉に同情してくれる人たちは、情緒
的で、偏見(→誤解)の具体的実態に関心をもつことなく、「な
んて酷い奴がいるんだ!」と感情を爆発させる(情に流される)
からです。
一方、「偏見」という言葉に同情しない人たちは、相手にしませ
ん。(故に、追求もしてきません。)
そういうわけで、「偏見」という言葉を好んで用いるのです。
「誤解」という穏やかな表現では、情緒的な人たちを煽ることは
できないわけです。
つまり、「偏見」という言葉は、具体性をごまかし、なおかつ、
世間を煽動するために用いられることの多い言葉なのです。
だからこそ、胡散くさいブームに思えてならないのです。
ちなみに、福祉を「革命の武器」とする人たちは、具体性という
ものを、えらく嫌う傾向があります。
とにかく、こういう人たちがでしゃばってくると、結局は、痴呆
に関する福祉が後退することになるだけではないか?、と思えて
ならないのです。
福祉のおかれた厳しい現実を知る者としては、福祉を「闘争」の
場にされては困る!と言いたいのです。
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発行者:media
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