【くたばれ!友情論】 vol.9


●友情と評価

 今回は、まず、こんな情況を考えてみてください。
 あなたは、人事を担当しているとします。
 そして、今、ある重要なポストをめぐって、二人の人物(Aさん
 とBさん)のうちのどちらかを選ばねばなりません。
 あるテストを行ったところ、Aさんは90点、Bさんは87点で
 した。
 ちなみに、このテストの結果は、あなた以外は誰も知りません。
 さて、それならば、あなたははたしてどちらの人物を選ぶでしょ
 うか?

 もしAさんもBさんも「あかの他人」なら、テストの結果を尊重
 してAさんを選ぶことができますよね。

 ですが、Aさんは他人で、Bさんがあなたの友人だったとしたら、
 どうでしょうか?
 かなり迷うのではないでしょうか?
 90点と87点なんて、そんなに違いませんよね。
 ならば、友人であるBさんを選びたくなるのが、人の性(さが)
 というものではないでしょうか?

 また、もし、そのテストというものが、ペーパー・テストのよう
 なものではなく、面接試験のようなものだったとしたら…
 評価(点数)そのものに私情が入り込んできてしまう可能性が出
 てくるのではないでしょうか?

 こうしてみると、人を選んだり評価する上で、友情というものが
 客観性や公平性の障害となりうることがわかるでしょう。


●友情と実績主義

 さて、そうなると問題になってくるのが、最近、多くの職場で流
 行りになってきている「実績主義」です。
 確かに実績で評価されること自体は良いことだとは思います。
 しかしながら、その評価は本当に公平・公正といえるようなもの
 なのでしょうか?

 ここで注意しなければならないのが、昭和生まれの多くの人たち
 が狂信的な友情論者たちであることです。
 だとすれば、公平・公正な評価など、まず期待できないのではな
 いでしょうか?

 たとえ数字で評価していても、公平・公正とは限りません。
 おいしい仕事をもらえれば、良い結果を出せるでしょうし、そう
 でなければ、その逆です。
 また、良い上司やパートナーや部下を得れば、良い結果を出せる
 でしょうし、そうでなければ、その逆です。
 それ以前に、実力を発揮する機会を与えられるか否かという問題
 があります。
 こうしてみると、公平・公正な評価というものが、思った以上に
 難しいものであることがわかるでしょう。

 まして、そこに友情のような私情がからんでくると、ますます怪
 しげなものになってきます。

 念のため忠告しておきますが、このメルマガを御覧になっておら
 れるみなさんを評価する人たちは、皆、友情崇拝世代の人たちな
 のです。
 だとすれば、実績主義に過度の期待を寄せるのは、あまりにもお
 めでたいことではないでしょうか?


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発行者:media
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