【くたばれ!友情論】 vol.73


●友達がいないと生きていけない国になったニッポン

 約一年もの間、発行が滞ってしまい、申し訳ありません。

 さて、疫病禍のせいで大学生の方々はオンライン授業が増えてし
 まっているそうですが、そのせいで友達ができないことを不安に
 思っている学生さんがいるそうです。

 これには驚きましたね。
 友達ができないことを残念に思うとか、不満に思うというのなら
 まだしも、それを不安に思うとは…。

 これって、友達がいないと生きていけないということではありま
 せんか?
 随分と精神的に弱くなったものですねぇ、ニッポン人は。
 孤独に滅法弱い?

 それとも、別の理由があるからなのでしょか?
 つまり、友達がいない者は不利な立場におかれるからなのでしょ
 うか?
 もしそうだとしたら、日本は『友達がいないと、まともに生きて
 はいけない国』になってしまっているということでしょう。

 これは、大いに憂うべきことです。
 人権問題でしょう、これは。
 友達がいない者は犯罪者扱いですか?
 もしそうなら、友情論は差別思想以外の何ものでもないことにな
 ります。


●実は『和の精神』とは真逆な異文化思想

 こうしてみると、友情論は、日本の伝統的文化精神である『和の
 精神』とは全く対照的な排他主義であることがわかってしまいま
 す。
 『和の精神』は、友達の間だけに見られる文化精神ではありませ
 ん。
 赤の他人との間にさえ見られる文化精神なのです。
 ですから、友情論は、本当は、『和の精神』とは真逆な異文化思
 想なのです。

 ならば、真の日本人なら違和感を覚えるのは当然のことでしょう。
 逆に、日本人でありながら違和感を覚えない人は、自分の知らぬ
 間に洗脳されて、すっかり非日化・無日化されてしまっていると
 いうことなのです。
 これは、ぞっとするような話です。

 友情のことを、日本の伝統的文化精神である『和の精神』と同類
 のものとみなすのは、とんでもない誤りです。
 友情は、友達の間にしかないものです。
 対して、『和の精神』は、友達ではない人たちとの間にさえある
 ものなのです。
 というか、どちらかというと、友達ではない人たちとの間にある
 ものを指す場合の方が多いのではありませんか?
 ですから、全く異質なものなのです。
 そのことに早く気付いて欲しいのです。

 『友情』という概念は、外来種である疑いが濃厚です。
 そもそも、この『友情』という言葉、いつ頃から使われ始めた言
 葉なのでしょう?
 古文に出てくることなんて、ありましたっけ?

 もしかしたら、『友情』という言葉が頻繁に用いられるようにな
 ったのは、戦後のことなのではないか?
 だとしたら、GHQに洗脳され非日化・無日化された連中がハマ
 った思想概念だったということになるでしょう。
 そんなものに敬意を払う必要は全く無いはずです。
 次回以降は、いよいよ友情論の闇の部分に迫っていく予定です。


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発行者:media
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