【くたばれ!友情論】 vol.72
●なぜ悪や偽善は『多勢』なのか?
友情論支持者たちは、友情を『清いもの』とか『絶対的善』とし
たがります。
実際、マンガとかアニメとかTVドラマとか映画とかといった、
いわゆる『つくりもの』の世界では、そのようなものとして扱わ
れるのが常識となっています。
そして、今では、報道の世界でも…。(ニュースを感動話に仕立
て上げるために。)
でも、こうしたイメージは、本当に正しいものなのでしょうか?
現実に目をやると、それは極めて疑わしいと言わざるを得ないも
のです。
なぜなら、悪や偽善は『多勢』であることが多いからです。
特に、政治の世界では、そうです。(笑)
多勢であるということは、お友だちが多いということでしょう。
つまりは、多数の者が友情で結ばれているということです。
ならば、友情は、ちっとも清くはなく、善でもないことになるで
はありませんか?
『つくりもの』の世界のイメージは、全く現実逃避的なものでし
かないことになります。
実際、正義や真実を貫こうとすると人が離れていくことが多いも
のです。
むしろ、嘘や虚構に同調した方が、友だちは出来やすいものです。
つまり、悪や偽善に巻かれた方が友だちをつくりやすいというの
が現実なのです。
ならば、友情は『清いもの』でも『絶対的善』でもないことにな
るはずでしょう。
そういえば、いわゆる『つくりもの』の世界でも、最初のうちは
悪の方が多勢ですよね。
となると、やっぱり、友情は『清いもの』でも『絶対的善』でも
ないことになるのではありませんか?
●弱い者には友だちが出来にくい現実
もっとも、こういう話をすると、友情論の支持者たちは「悪の多
勢は、友情によるものではなく、損得勘定や騙しや力による恐怖
によって成り立っているものだ!」と反論してくるに違いありま
せん。
ならば、友情というものは、本当に損得抜きなものなのでしょう
か?
まぁ、中には、そういう友情もあるのでしょうね。
でも、そうでない友情も相当あるのではありませんか?
その証拠と言えるのが、『弱い者には友だちが出来にくい』とい
う現実です。
これ、本当ですよ。
弱いと、人が寄ってこない。(まぁ、若い美女や美少女の場合は、
好色な男が寄ってきますけどね。でも、そういうのは友だちとは
言わないでしょう。)
それが現実です。
いや、いわゆる『つくりもの』の世界でも、そうですよね。
正義のヒーローとかが登場しきて、弱い者を救出・解放してくれ
るまでは。(笑)
ということは、やっぱり、損得勘定があるということでしょう。
これはごもっともなことで、弱い者と友だちになっても、損する
ことはあっても、得することはまれだからです。
そうした実態を無視するのは、あまりに破廉恥なことではりませ
んか?
●不良になれば友だちが出来る現実
繰り返しますが、弱い者には、なかなか友だちが出来ないもので
す。
でも、そんな人たちにも友だちが出来る方法が、実はあるのです。
それは、不良になることです。
未成年者の場合は、非行少年(少女)ですね。
また、大人の場合は、「カス」や「クズ」になることです。
まぁ、孤独を苦にしない人は、そんなものにはならないものなの
ですがね。
でも、孤独に弱い人は、やっぱり、そうなってしまいがちなので
す。
特に、今日のように友情論が強い時代には。
こうしてみると、友情論は、弱い人を悪の道に誘惑する反社会的
思想であることがわかるでしょう。
ですから、少なくとも、真の愛国者や真の社会主義者には危険思
想でしかないはずなのです。
逆に言うと、「愛国者」や「社会主義者」を自称していながら友
情論を支持している者は、似非愛国者や似非社会主義者でしかな
いのです。
騙されては、いけません。
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発行者:media
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