【くたばれ!友情論】 vol.67


◎おわび

 去年の3月に再開できるようなことを言っておきながら、一年遅
 れになってしまい、申し訳ありません。


●米国に本当の友だちなんているの?

 確か小泉政権の頃だったと思うのですが、米国=ブッシュ政権の
 ある高官が、ある議会か何かの場で、「日本(という国)には友
 だちがいない」という趣旨の発言をしたことがありました。
 まぁ、どういう意図でそういう発言をしたのかはわかりませんが、
 そういうこととは無関係に、こういう発言をされると、思わずこ
 う突っ込みたくなってしまうのですよねー。
 「だったら、アメリカには、真の友と言えるような国は存在する
 のか?」と。

 アメリカが「友だちだ」と言っている国は、「米国は強い国だか
 ら、敵に回すと厄介なことになるから、逆らわず好意的なふりを
 しているだけ」国ではないか?
 あるいは、「米国は強い国ゆえ、米国にすり寄っていると得をす
 るから、仲良くしているだけ」国ではないのか?

 事実、米国の外交政策が変わると、親米と言われていたはずの国
 が離反することがよくありますよね。
 また、米国を悩ますイスラム系テロリストの中には、親米と言わ
 れているはずの国の出身者が意外と多かったりします。
 こうした実態を見せつけられると、米国に親の友と言えるような
 国は存在するようには、どうしても見えないのです。


●強さ・力(ちから)と友だち・友情

 どうも、米国の言う「友だち」は、日本人が考えるような「友だ
 ち」とは違うような気がします。
 もっとも、世界に目をやると、米国の「友だち」という概念の方
 が標準であるように思えます。
 つまり、日本人の「友だち」という概念の方が、世界では異常に
 思えるということです。

 もし米国の「友だち」という概念を絶対視するとなると、友だち
 とか友情というものは、強い者・力のある者しか得られないもの
 …ということになりますね。
 つまり、勢力のある者が獲得できて、勢力の無い者(弱い者・力
 の無い者)には得られないもの…となるわけです。
 だとしたら、友だちや友情とは、結局、力の象徴でしかなかった
 ということになってしまうのではありませんか?


●今時のアニメ・ヒーローに友だちが多い理由

 今時のアニメとかのヒーローやヒロインには、友だちが多い者が
 ほとんどですよね。
 それがなぜだか、考えたことがありますか?

 アニメとかのヒーローやヒロインには、他者には絶対に真似でき
 ない、格の違う、特別な強さを有した者が多いですよね。
 だから、友だち(仲間)が沢山できるのです。

 逆に、弱い無能な者に友だちが沢山できるストーリーのアニメな
 んて、見たことがありますか?
 無いでしょう。
 というか、弱い無能な者は主要人物にならないですよね。
 そんなもんです。

 強者の下には、人が集まってくる。
 弱者は、人から相手にされない。(∴人が集まらない。)
 これが現実です。

 そういう点では、友情を売り物(の一つ)にしている今時のアニ
 メは、とっても、とおっても、現実的に作られています。(笑)


●自分の勢力の大きさを見せびらかす思想

 こうしてみると、友情論とは、自分の勢力の大きさを見せびらか
 す思想であることがわかるでしょう。
 つまり、強者の論理、勝ち組の論理なのです。
 弱肉強食・自然淘汰論と実は同じなのです。
 そのことに気付けば、友情論が、実は、ちぃっとも美しくない思
 想であることがわかっちゃうのです。

 「日本には友だちがいない」という米国高官の言葉も、こうした
 ことがわかれば、ごもっともなことであることがわかるでしょう。
 何しろ、米国は「世界の警察」と言われてきたほどの強国・大国
 なのですから。

 有名芸能人が友だち(の多さ)や友情を自慢するのも、彼らが勝
 ち組だからです。
 「オレ様は、こんなに勢力があるんだぞ!」というのが、彼らの
 本音です。

 これが、友情論がもてはやされる世界の実態なのです。

                        (つづく)

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発行者:media
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