【くたばれ!友情論】 vol.65
●人に利用されることを屈辱と思わない症候群
去年の8月に配信するようなことを言っておきながら、今の今ま
で配信できず、すみませんでした。
さて、久々の今回は、昨年から予定はしてあった話ではなく、日
本人人質事件に関係のある話をしたいと思います。
相変わらず、「行くな!」と言われても危険な所に行って、人質
にされ、利用されてしまう人たちがいるみたいですね。
この人たちのことを、友情論批判の観点からウォッチングしてい
る者の立場から評させてもらうと、「人に利用されることに屈辱
感を覚えないのだろうか?」と言いたくなるのです。
人質にされると、間違いなく、利用されてしまいますでしょう。
ですから、人に利用されることを嫌がる人なら、人質になるよう
なことは、まずしないと思うわけです。
人質になってしまうようなことをするのは、その人たちが、人に
利用されても屈辱感を覚えない人たちだからでしょう。
では、なぜ、彼らは、人に利用されても屈辱感を覚えないのか?
それは、彼らが友情論者だからではありませんか?
友だちって、互いに相手を利用し合いますよね。
お互い様だから、そういうことが許せるわけです。
で、そういう世界に浸りすぎると、人に利用されても、屈辱感を
覚えなくなる可能性が考えられるわけです。
また、そういう感覚になってしまうと、「(誘拐犯と)必ず理解
し合える」などという甘い考えを抱くようになってしまう可能性
も考えられるわけです。
実際、その通りになっていませんか?
●友だちを求めると、みんな「良い人」に見えてくる
そういえば、この種の人たちを庇う人たちは、「住民は良い人ば
かり」という話をしたがりますね。
でも、現実のテロリストというのは、映画とかに出てくるのと違
って、普通の住民のようにしている場合が少なくないのですよ。
つまり、住民に紛れ込んでいる場合があるということです。
また、住民の中に、テロリストのシンパがいる場合もあり得ます。
一方、テロリストに脅されて協力させられてしまうケースもあり
得ます。
また、テロリストに騙されて協力してしまうケースもあり得ます。
こちらは、上の例と違って、間違いなく「良い人」なだけに、厄
介です。
さらに困るのは、住民もテロリストのことをよく知らないという
ケースです。
だから、住民も襲われるのでしょう。
ですから、「良い人」たちだからといって信用しきる(頼りきる)
のは、大間違いなのです。
でも、友情論者たちは、「信じる」ことを第一にする。
だから、酷い目に遭う危険性が高くなるのです。
人質になっている人たちは、いずれも友情ファッショ時代に生ま
れ育った人たちです。
となれば、やはり、友情論の有害性を考えなければならないでし
ょう。
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発行者:media
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