【くたばれ!友情論】 vol.54


◎お詫びとお断り

 先月は一度も配信できず、申し訳ありませんでした。
 さて、今回の内容は、最後の部分を除き、福田総理の辞任がただ
 の噂にすぎなかった先月中にお送りする予定だったものです。
 その点を御理解の上、お読み下さい。
 よろしくお願い申し上げます。


●合意は友だちの証と言えるのか?

 前回、福田政権が、環境ファシズムで欧州と“お友だち”でいた
 つもりが、WTOの新多角的貿易交渉で、まんまと裏切られてし
 まった、マヌケにも…という話をいたしました。
 で、今回は、その続きです。

 福田総理は、その新多角的貿易交渉が決裂したことを、残念がっ
 ていました。
 ですが、前回も述べたように、合意していたら日本の農業は壊滅
 的な打撃を被っていたはずです。
 現に、農業関係者からは、決裂した方がいいという声も聞かれま
 した。
 政府が力を入れてきたバイオ燃料事業(特に食糧以外の)事業だ
 って、駄目になっていた可能性だって大ありです。
 にもかかわらず、合意できなかったことを残念がるとは、まった
 く、何を考えていたのでしょうね?

 福田総理の外交は、いわゆる「お友だち外交」でした。
 そのことは、毒入りギョーザ問題における中共への弱腰態度や、
 環境ファシズムにおける欧州へのすり寄りぶりを見れば、明らか
 でしょう。
 だから、合意するのが絶対的にいいことだと思っていたのではな
 いでしょうか?

 ここで問いたいのは、合意は友だちである証と言えるのか?とい
 うことです。
 合意には、一方が仕方なく…というケースもあるのではないでし
 ょうか?

 特に、日本なんか、よく、そういうことがありますでしょう。
 バカみたいに孤立を恐れて…。
 で、国や国民を儀性にしたりする。

 仕方のない合意は、友だちである証拠とは言えません。
 いじめられっ子が、いじめっ子から金を要求され、それに合意し
 たって、それは“友だち”関係とは言えないでしょう。
 万引き少女が、男に口止め料として肉体関係を要求され、それに
 合意しても、“友だち”関係とは言えないでしょう。
 合意は、決して、友だちの証ではないのです。

 合意は、必ずしも、全ての人(国)が尊重された結果とは言えな
 いのです。
 そういう意味では、むしろ、決裂の方が、全ての人(国)が尊重
 された結果と言えるのです。
 全ての人(国)が、言いたいことをズケズケ言えた証拠ですから
 ね。

 合意は、むしろ、「地球規模」的(笑)ファシズムの証です。
 つまりは、一部の者たちが全てを牛耳る、異論・反論は許さない
 世界です。
 環境ファシズムなんて、まさに、そういう世界です。
 だから、福田総理は環境ファシズムに熱心だったのかな?

 だとすれば、この人の言う「友だち関係」とは、ファシズムによ
 る統一にすぎなかった…ということでしょう。
 そして、このことは、全ての友情偏執狂たちの言う「友だち関係」
 に言えることなのです。


●所詮は力が支配する世界

 統一でモノを言うのは、「力(ちから)」です。
 「力」が、全てを統一する。
 そういう状態を、友情偏執狂たちは「友だち関係」と言っている
 のです。

 福田総理に限らず、政治家(経験者も含む)には、こういう連中
 が少なくないようです。
 そういう例として挙げておきたいのが、中曽根・元総理です。

 彼は、雑誌「正論」8月号(2008年)で、自分の「お友達外交」
 を自慢しています。
 何でも、ミッテラン仏大統領(当時)と、サミットの場で「何で
 もズケズケ言い合える」お友達だった、また、そういう関係を築
 くために自分は努力した…などと自慢してます。

 ですが、中曽根総理(当時)がサミットの場でミッテラン大統領
 に対しズケズケ言えたのは、米国という強国に全面的に追従する
 姿勢をとったからです。
 そう、「力」をバックにしたから、ズケズケ言えたのですよ。
 そんなの、真の「お友達」とは言えないでしょう。

 現に、中曽根総理は、中共に対しては、全然ズケズケ言えません
 でした。
 それが証拠に、自分が始めた派手な靖国公式参拝を、やめてしま
 いました。
 おやおや、これは、一体、どうしたことだぁ?

 おまけに、彼は、今では、媚中です。
 こんな人に、自慢したり、福田総理に説教したりする資格がある
 のでしょうか?

 ま、こんな人の声を載せる「正論」も問題ありですね。
 保守系雑誌を自称していながら…。

 そもそも、靖国参拝を、あんな派手な形でやったから、その後、
 北東アジア各国に、靖国参拝を批判する口実を与えてしまったの
 ではないか?
 地味に行っていれば、ここまで酷いことにはならずに済んだので
 はないか?
 それを自分の政治宣伝に利用しようとして派手にやったものだか
 ら、これだけの批判の対象にされてしまったのではないか?

 ま、そういう人物なら、ああいう独善的かつ偽善的な“お友達”
 外交論も平気で展開できることでしょう。
 恥の意識もなく…。


●ロボットゆえの悲劇

 ま、こんな首相経験者を先輩に持つ福田総理は、ある意味、気の
 毒な人ですね。
 同じ群馬の出身でしょう。

 その福田総理ですが、この人は、自分の意思で総理になったわけ
 ではありません。
 利権派閥談合に都合のいいロボットとして最適な人材として担ぎ
 出されて総理になったのです。
 ならば、「期待」する方がバカというものでしょう。
 世論調査の約5割(の支持率が当初はあった)の人たちの方が悪
 いんですよ。

 ロボットは、ロボットでいるから、地位が維持できる。
 ロボットは、自分の考えで動くことは許されない。
 だから、自分から何かをしようと思っても、出来ない。
 自分で「これはやらねばならない」と思うことがあっても、たち
 まち抵抗にあって、潰されてしまう。
 そんな立場の人に、何が期待できますか?
 「指導力」など、最初から削がれていたのです。
 それがロボットというものです。
 そういう屈辱的立場を受け入れたからこそ、首相になれたのです
 よ。

 でも、さすがに限界に達したようです。
 というか、忠実なロボットでいても、自分ばかりが批判を浴びる。
 かといって、脱ロボットは不可能な立場。
 となれば、投げ出したくなるのは無理もないことでしょう。

 福田総理を「投げ出し」という点から批判するのは、完全に誤っ
 ています。
 批判されるべきは、この人を担ぎ出した連中です。


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発行者:media
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