【くたばれ!友情論】 vol.33


●「いじめ」と友情論

 今回は、今、問題となっている「いじめ」の問題と友情論との関
 係について述べてみたいと思います。
 「いじめ」と友情は、ある意味、正反対の概念と言って良いと思
 います。
 しかし、だからこそ、この両者の間には、深い関係があると言え
 るのです。

 いじめっ子たちにとって、自分たちがいじめている相手は、友達
 なのでしょうか?
 ま、ドラえもんに出てくる「のびた」と「ジャイアン」みたいな
 関係もあるのかもしれませんが、大抵は、友達ではないでしょう。
 というか、いじめる・いじめられる関係なんて、本当の友達とは
 言えませんよね。
 そういう意味では、ドラえもんの世界は、所詮、アニメの世界に
 すぎないわけです。
 現実世界の「いじめ」は、あんなものではありません。
 アニメを見たぐらいで子どもたちの世界をわかった気になってい
 る今時のオトナたちが、あまりにも幼稚なのです。


●友達が離れていく…

 そういえば、「友達など人に話せば誰かが助けてくれる。だから、
 話す勇気を持とう!」などという主旨の説教をしていた人がいま
 したね。
 こういう人は、いじめられっ子がおかれている現実というものが、
 全然わかっていません。

 友達に話しても、その友達が「下手にかかわると、自分もいじめ
 られる」と恐れて、かかわりたがらなくなる場合だってあるので
 す。
 友達だって、自分のことがあるわけですから…。

 こんなわけで、最悪の場合、いじめられると、友達が離れていっ
 てしまう場合だってあるのです。
 こういう現実を知ってもらいたいものです。


●友情論で職務怠慢を正当化

 さて、友達が離れていってしまうと、いじめられっ子は、さらに
 立場が悪くなります。
 なぜなら、実質、友達がいないのと同じ状態になってしまうから
 です。

 これは、単に「孤独になる」というだけの問題ではありません!
 今時のオトナたちは、友情偏執狂が多いです。
 彼らは、友達の数で、人を評価します。
 このため、友達がいなくなった「いじめられっ子」のことを、低
 く評価するのです。

 その結果、彼らは、いじめられっ子のことを、こう評価すること
 になるのです。
 「友達がいないのは、人格に問題がある証拠。そんな奴なら、い
 じめられるのも無理はない。」と。
 いわゆる「いじめられる側に問題がある」論です。
 友情論がかかわっていますでしょう。

 そもそも、友達が出来る前に、いじめられたら、どうすれば良い
 というのか?
 少しは考えて欲しいものです。

 このように、友情論は、いじめられっ子を、さらに追いつめるこ
 とになるのです。
 となれば、「自殺するしかない」と考えてしまうのも、無理もな
 いことでしょう。

 もっとも、いじめられっ子が自殺しても、彼らは少しも後ろめた
 さを覚えません。
 なぜなら、彼らにとって、自殺した子は「友達も出来ない問題児」
 にすぎないからです。
 いじめられっ子を見捨てた自分たちの職務怠慢も、彼らの頭の中
 の世界では、こうして正当化されてしまうわけです。


●不幸な人には友達が出来ない!

 いじめられっ子に限らず、不幸な立場にある人たちというものは、
 なかなか友達が出来ないものです。
 これは、幸せな立場にある人たちには、なかなかわからないこと
 です。
 そういうことがわかるようになるのが、真の意味で「大人になる」
 ということのはずなのですが、今時のオトナたちは、そうは考え
 ないようです。

 逆に言うと、幸せだと、嫌でも「友達」を自称する人たちが寄っ
 てくるのですよね。
 特に、金や権力や地位やコネに恵まれると…。

 幼稚で、なおかつ、汚いオトナがハマる差別正当化思想…それが
 友情論なのです。


●うまくいっているふりをしなければならなくする

 友達がいないと、オトナたちから卑しめられる…
 いじめられっ子には、さらに、こんなプレッシャーもあるのです。
 だから、余計、みんなとうまくいっているふりをせざるを得なく
 なる。
 本当は死ぬほど辛いのに、悩みなど無いかのように、明るく振る
 舞わざるを得なくなる。
 これが、また辛い!
 そして、いつかは限界が来る。

 友情論に狂う今時のオトナたちは、いじめられっ子を、かくも追
 い込んでいるのです。
 しかも、死後、卑しめている。
 「命の尊さを知らない」などと。

 「鬼畜」とは、こういう連中のことを言うのではないか?


●共通の敵

 一方、いじめる側は?というと…
 「類は友を呼ぶ」と言います。
 同じ人間をいじめる者どうしは、仲良くなれるものです。
 共通の敵を有することで、共鳴するようになる。
 つまり、友達が出来る。
 友達でいられる。
 故に、友達が多い。
 ですから、友情偏執狂の今時のオトナたちに、高く評価されるこ
 とになるわけです。

 いじめっ子を庇いたがるのは、当然の反応です。


●暗いからいじめて良い!?

 いじめに遭うと、人間、どうしても暗くなるものです。
 だから、余計、友達がいなくなる。

 おまけに、今のオトナたちは、性格の明暗で、人を評価する。
 そのために、いじめられっ子は、ますます苦しい立場に置かれる。

 一方、いじめる側は、「暗い奴だから、いじめても良いのだ」と
 なる。
 なぜなら、暗い奴は卑しい奴なのだから。

 全ては、今時のオトナたちの狂った思想にあるのです。


●友情論こそ「いじめ」の温床

 このように、友情論は、辛い立場にある人を、さらに辛い立場に
 追いやる思想なのです。
 友情論こそ、「いじめ」が蔓延る元凶と言っても過言ではありま
 せん。

 考えてみれば、友情とは、人を、自分の好みや都合で差別する行
 為です。
 贔屓といってもいい。
 贔屓する相手が友達。
 それ以外は、とるに足らぬ存在。
 中には、「敵」に分類する者も…。
 ならば、いじめても良い…ということになってしまう。
 恐ろしい差別思想です。

 「いじめ」を正当化・審美化する思想など、さっさと捨て去られ
 るべきです。


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発行者:media
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