【くたばれ!友情論】 vol.29


◎マスコミ人間と友情論(その6)

 今回も、マスコミ人間の友情オタクぶりを追求してみようと思い
 ます。


●続・ホリエモンと友情論

 今回も、まずは、かつてマスコミがヨイショしていたホリエモン
 の話で行きましょうね。

 友情のことを悪く言う奴はホリエモンのような人間になる…と言
 わんばかりの友情論者たちですが…
 学生時代のホリエモンは、どうだったのでしょうか?

 ある証言によると、昔はああいう人(いわゆる拝金主義者)では
 なかった…ということです。
 では、友達の方はどうだったのでしょう?

 確か、友達が貸してくれたカネで会社つくったんじゃありません
 でしたっけ?
 ってことは、友達がいた…ってことですよねー。
 だから、この頃はまともだった?

 でもさー、そのせいで人が変わってしまった…ともとれませんか?
 友達がいなければ、会社つくれるほどの大金を手にすることもな
 く、真面目に生きていたかもしれませんでしょう。
 友情がホリエモンの進むべき道を狂わせてしまった…ともとれる
 わけです。

 ホリエモンをネタに、友情懐疑論を攻撃するのは、ナンセンスで
 す。


●友情は白い巨塔?

 正確には覚えていないのですが、「白い巨塔」というTVドラマ
 の中で、こんなセリフがありました。

 「友情をもてない奴は、大学にはいられないってことさ。」

 これは、財前教授が、裁判で楯突いた友人の里見助教授のことを
 述べたセリフです。(注:うろ覚えなので、少し違っていたかも
 しれません。)
 里見助教授は、裁判で真実を述べたために、大学を追われる身に
 なってしまったのでした。

 ま、ドラマという作りモノの世界での話ではありますけどね。
 でも、これは、現実世界でも…否、現実世界でこそ言えることで
 しょう。
 友情に溺れていると、正義や真実は貫けない…ということですね。

 つまり、友情は正義や真実の敵になることがある…ということで
 す。
 友情論は、正義や真実を圧殺するには、非常に都合が良いのです。
 だから、今時のオトナたちは、「友情、友情!」と言うのです。


●孤立が死ぬより怖い

 友情論者にとって死ぬほど…否、死ぬより怖いのが、「孤立」で
 す。
 ものすごく恐ろしがりますね。
 そこに、ある種の連中は、つけ込むわけです。
 「日本は、アジアで、世界で、孤立するぞー!」と。

 こうして見ると、弱い人間を作る上で、友情論は、この上なく都
 合のいいものであることがわかるでしょう。
 家畜化には、もってこいです。
 だから、今時のオトナたちは、友情論教育に力を入れるのです。
 そして、こう恐怖や不安を煽るわけです。
 「日本は、アジアで、世界で、孤立するぞー!」

 以上のことから、友情論者たちの正体は明らかでしょう。
 正義や真実を憎み、日本の弱体化・家畜化を目指す。
 そう、自称・科学的民主主義者たちです。


●孤高の素晴らしさを知るべき

 “いじめ”は“友情”と表裏一体をなすものです。
 友情を絶対的善とか絶対的美とかいうふうにみなすのは、おろか
 なことです。

 とはいえ、友達がいなくなると、辛いですよね。
 でも、それが正義や真実を貫いた結果だとしたら、それは立派な
 ことだと思いますよ。

 今の人達は、「孤高」というものの素晴らしさを知るべきですね。
 昔は、男は孤高であることを誇りにしていたものです。
 それは、勇気ある証拠、男らしさの証しでもあったからです。
 だから、尊敬もされていた。
 また、優しい女たち(=女らしい女たち)は、そんな孤独な男た
 ちのことを思いやった。

 今は、「男らしさ」や「女らしさ」からして「いけない!」とさ
 れる、ジェンダー・フリーの時代ですから、そういう教育に毒さ
 れてしまった世代の人達には、全く理解不可能な話になってしま
 うのかもしれませんがね。
 友情論の思想性が見えてきますでしょう。

 余談ですが、男にとって、“いじめ”は、男らしくないことでし
 た。
 なぜなら、“いじめ”は卑怯なことだからです。
 また、女にとっては、女らしくないことでした。
 なぜなら、“いじめ”は優しさの欠いた人間のすることだからで
 す。
 ジェンダー・フリーが“いじめ”と深い関係にあるという事実に、
 現代日本人は気付くべきです。


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発行者:media
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