【くたばれ!友情論】 vol.18


●愛って憎むことなの?

 大分前のことになってしまいましたけれど、中国で行われたサッ
カーのアジア杯では、反日騒動がすごかったそうですね。
 もともとスポーツファンというのは熱狂的な人たちが多いし、特
にサポーターともなれば、フーリガンのような人たちがいたとして
も、そんなに驚くべきことではない…と、私は思うのですが…。
 それはともかく、日本の公平中立(!?笑)なメディアは、これ
をもっぱら愛国心教育のせいにしていました。要するに、「愛国心
(教育)はいかん!」と言いたいわけですよね。
 でも、それって違うと思うのです。何かを愛するって、他を憎む
ことではない、と私は思います。
 これは逆に言うと、この人たちにとって、「愛」とは「(他を)
憎むこと」だということですよね。おー、こわ〜。
 こんな人たちに愛された人も、かなり恐怖でしょう。なぜなら、
この種の人たちは、(愛する)相手がひとたび、少しでも自分の思
い通りにならなくなると、たちまち、相手を攻撃してくるようにな
るからです。DVやストーカー行為などは、まさにそのよい例です。
 これは、単に嫉妬深さからくるものではありません。彼らには、
人を、全く二元論的に、「敵・味方」のどちらかに分類しないと気
が済まないところがあるのです。ですから、「愛する者」(=味方)
以外は「敵」ということになり、とことん憎んで攻撃するのです。
このため、「愛」とは「憎むこと」になるわけです。
 実際、彼らの「愛」は、いつも「憎悪」と一緒です。たとえば、
「地域(地方)を愛し、国を憎め!」とか、「アジアを愛し、米帝
を憎め!」とか…。あるいは順不同で、「ブッシュを憎み、将軍様
を敬愛せよ!」とか、「戦争を憎み、ゲリラやテロに同情愛せよ!」
と…。彼らにとって、「愛」とは、ダブル・スタンダードの代名詞
でもあるようです。
 ま、いずれにせよ、これが今時のオトナたちが自慢する「愛」…
ということなのでしょう。
 ということは、彼らが自慢する「友情」も、そういう類のものな
のではないでしょうか?
 「友情」とは、「友だち」以外の人を「憎むこと」だと…。
 上で述べた「愛」という単語を、「友情」に置き換えてみて下さ
い。そういう友情を求める人・押し付けてくる人が、みなさんの周
りにはいませんか?


●絵になる愛

 とはいえ、メディアの世界では、「愛」はとかく「憎悪」と組に
なっていますね。最近流行の「純愛モノ」も含めて、「愛」をテー
マにしたものには、必ずと言っていいほど、「憎まれ役」が登場し
ます。これが、「愛」をより美しく見せるのでしょうね。対比によ
る効果とでも言いましょうか…。ま、いい歳して、そんな演出に惑
わされる方が幼稚なのですが…。
 ちなみに、「憎まれ役」は、何も人間とは限りません。化け物の
場合もあれば、病気や事故、不景気、災害、戦争、死…なんかも、
「愛」の美しさを演出するための「憎まれ役」になり得ます。そう
言われると、思い当たる節がありませんか?
 「愛」をテーマにしたものには、「憎悪」(の要素)は欠かせま
せん。なぜなら、そういうものがあった方が、「絵になる」からで
す。
 ついでに言うと、「憎悪」以外に「愛」を「絵になるもの」にす
るものには、たとえば「叫び」があります。最近、流行でしょう。
「叫び」系の「愛」が…。たしかNEWS23と同じ局の…、えーと、
なんて言いましたっけ?(…ま、いーや。)
 要するに、今時の大人たちは、「絵になる愛」が好きなんですね。
おそらく、彼らが自慢する「愛」も、その種のものなのでしょう。
 ということは、彼らが自慢する「友情」もまた、「絵になる友情」
なのではないでしょうか?
 友情を自慢する芸能人たちを見て下さい。彼らの友情は、すっご
く「絵にな」っているではありませんか。アニメの世界でも、そう
です!
 本当の「愛」って、もっと地味でダサイものだと、私は思うので
す。だから、「絵にな」らない。故に、ドラマのネタにもなり得な
いはずだと…。それが、なってしまうということは、その「愛」が
「本当の愛」ではなく、「誇張やヤラセ・演出を含んだ愛」か、さ
もなければ、「現実にはあり得ない愛」だからだと思います。
 もし「友情」にも「本当の友情」というのがあるのだとしたら、
「愛」の場合と同様、これもまた、ドラマ(アニメも含む)のネタ
にはならないと思います。それが、なってしまっているということ
は、その程度のものだからではないでしょうか?


●悪役首領のおかしな設定

 アニメの世界などを見ると、悪役の首領というものは、概して友
情に批判的だったり、友だちがいなかったりする場合がほとんどで
すよね。こういう作品に洗脳されてしまっている人たちが、友情に
批判的な者や、友だちがいない者のことを、「悪い奴!」と決めた
がるのは、無理もないことです。
 ま、こんな人たちのことはほっときませう。
 むしろ重要なのは、アニメの世界のおかしさに気付くことです。
 友情に批判的な者や、友だちもいない者が、どうやって、あれだ
けの巨大な(悪の)組織や勢力を作れるというのでしょうか?
 友だちがいないということは、仲間や同志がいないってことでは
ありませんか?
 それに、友情に批判的ということは、仲間や同志を作ることに対
しても批判的なはずでしょう。そんな人たちが、どうして、全人類
や全宇宙の平和を脅かすほどの大勢力を形成し得るのでしょうか?
 こうしてみると、アニメの世界は、その設定からして、全く非現
実的で馬鹿げていることがわかっちゃいます。ま、こんなもん真面
目になって見ていれば、頭がおかしくなって当然です。


●トップの人間に必要なもの

 トップの人間が友情論者であると、ろくなことがありません。な
ぜなら、このような人間は、たとえば人事面で、自分の仲間ばかり
を優遇するような恥知らずなことを平気でやるからです。
 トップの人間に必要なのは、むしろ、孤独に対する強さです。こ
ういう人物こそが、真に公平・公正な指揮を執れるのです。
 これに対し、友情論者たちは、孤独に弱いため、それができない
のです。
 こうしてみると、友情批判者・懐疑者・敬遠者を絶対悪と決めつ
けるアニメの教義は、全く反社会的なものであることに気付くでし
ょう。健全な社会を破壊する危険思想です!
 要するに、てめーらの「馴れ合い社会」を正当化・審美化したが
っているだけなのです。アニメは、政治的・思想的な要素でいっぱ
いです。こんなもん真面目になって見てると、頭のイカレた政治思
想オタクになっちゃいますよ。


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発行者:media
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