【マルクスとアインシュタイン】 vol.24
◎お詫び
発行が長期間滞り、申し訳ありません。
こんなはずでは…。(^_^;)
◎マルクス主義の実態(その22)
(注)初読の方は、まず、vol.1〜23をお読み下さい。
→ http://mediax.hp.infoseek.co.jp/mm5/bn.htm
●視覚と思想
感覚は、思想にとって、切っても切れない関係にあります。
感覚なきところに思想は生まれ得ません。
一方、人間の感覚というものは、あてにならないものです。
ですから、それを過信する人達の思想は、狂気となってしまうの
です。
さて、それでは、マルクス主義に最も影響を及ぼしている感覚は、
どの感覚でしょうか?
それは、視覚です。
何しろ、「唯物論」を“自称”しているわけですから。
ま、あくまで“自称”ですけど…。(笑)
とにかく、唯物論を自称する以上、視覚が大きくかかわっている
思想であることにかわりはありません。
視覚は、知能と深い関係にあります。
もし人間がこれほど優れた視覚能力を有していなかったならば、
おそらく、たとえば“数”という概念は生み出せなかったでしょ
う。
ちなみに、数は、唯物論の基本的概念の一つです。
動物の場合も、知能の高い動物は、視覚能力が優れている場合が
多いものです。
こうしたことから、優れた文明の発達には、優れた視覚能力が必
要だと考えられるのです。
そういえば、英語など欧州の言語では、「見る」という意味の単
語には、「わかる」という意味もある場合が多いですよね。
となると、やはり、視覚の限界というものを悟ることが、非常に
重要であることがわかるでしょう。
それを悟らない者は、狂気の思い込みの世界に陥るのですから。
●小さい方の限界
それでは、視覚の限界について考えてみましょう。
前回は、視界や視野といった、大きい方の限界について述べまし
た。
ある範囲より外は見えない、ある限られた範囲内のことしか見え
ない…という限界です。
今回は、これとは逆の限界についてです。
それは、小さい方の限界です。
人間の目は、ある小ささ以下のものは、見えません。
視力とか解像度というのは、まさに、こうした限界を表す概念で
あると言えます。
では、この“小さい方の限界”は、どんな不都合をもたらすので
しょうか?
そして、どんな勘違いを人にさせることになるのでしょうか?
そういったことついて、考えてみましょう。
●内部矛盾信仰への道
まず、小さいものの内部は見えないことになりますね。
あるいは、見えないほど小さなものからなるものの内部も、やは
り(正しい姿に)見えないことになります。
このため、内部構造がわからないことになります。
内部構造がわからなければ、当然のことながら、内部のメカニズ
ムもわからない。
このため、内部に原因のある現象は、説明できないことになりま
す。
で、問題は、この場合どうするか?です。
フツーの人は、“今のところは説明できない”ということを、正
直に認めます。
これに対し、マルキストたちは、説明できるふり(わかったふり)
をします。
その際、用いられるのが、「内部矛盾」という考え方です。
矛盾が発展(運動)の原動力だ!と。
そう、わからないことは矛盾でごまかしてしまえ!(矛盾のせい
にしてしまえ!)という、“弁証法的唯物論”の世界です。
●覗いてはいけない!
内部矛盾という考え方は、内部構造の具体的姿の追求を諦めさせ
る教義です。
矛盾で満足しろ!と。
このため、内部を覗いてはいけない(覗こうとしてはならない)!
ということになります。
実は、物理学にも非常によく似た教義を説く理論があるのです。
それが、量子論の決定版である量子力学です。
小さくて見えないのだから、内部構造を覗こうとしてはならない!
それは女の人のスカートの中を覗こうとするようなものだ!と。
で、数量化はされているものの、具体的な姿を描くことはできな
い、観念論的な概念で満足することを強いられるわけです。
似てますでしょう。
ちなみに、「内部」とは言えませんが、数量化はされているもの
の、具体的な姿を描くことはできない、観念論的な概念で満足す
るよう強いるという点では、相対論も同じです。
これらのことからも、相対論や量子力学が文化マルキシズムであ
ることがわかるでしょう。
●悪平等の根源
ところで、小さい方の限界は、ものごとを誤った形で把握(認識)
してしまう原因となり得ます。
たとえば、みなさんのまわりにある空気を見て下さい。
そこには何もないように見えるでしょう。
でも、実際には、(少なくとも)気体の分子が無数に存在してい
るのですよね。
ただ、人間の目には、小さすぎて見えないわけです。
今度は、御自分の手を御覧になって下さい。
隙間だらけ(スカスカ)なのが、わかりますか?
わかりませんよね。
隙間などない、稠密な連続体のように見えます。
でも、実際には、隙間だらけなのですよ。
物質を構成している原子は、原子核と、その周りを回る電子とか
らなっているのですが、原子核と電子、あるいは、電子どうしの
間には、広大な隙間があるのです。
実際、原子核や電子が占める部分は、原子全体の、ごく一部でし
かないのです。
つまり、物質の実体が占める体積の割合は、ほんのわずかなので
す。
ですから、手(物質)は、本当は、隙間だらけなのです。
でも、そうは見えませんよね。
隙間が小さすぎて見えないわけです。
だから連続体に見えてしまうわけです。
さて、空気の場合も、手の場合も、人間の視覚(肉眼)では、内
部構造を正しく見えない=把握できないことになりますね。
これは、現象のメカニズムを正しく把握できないということです。
誤った理論に走る理由がわかるでしょう。
それだけではありません。
空気の場合も、手の場合も、実際には物質の実体がある部分と、
そうでない部分とがあるのですが、その事実も認識できません。
空気のない場合は、どの部分も「物質なし」と誤認する。
手の場合は、どの部分も「物質あり」と誤認する。
つまり、どちらの場合も、まだらな(ムラがある)のに、まだら
でない(ムラがない)と誤認するわけです。
つまり、物質の存在の有無が、どこも同じ(平等だ)と誤認して
しまうわけです。
これも一種の平等主義と言えるでしょう。
ここに、悪平等の起源を見ることができることがわかると思いま
す。
むりやり平等にする。
平等でもないのに、平等であることにする。
マルクス主義の悪平等思想にそっくりです。
●近接作用と悪平等
実は、物理学では、こうした悪平等思想をよく用いるのです。
問題の単純化のために。
そうでもしないと問題が複雑もしくは煩雑すぎて解けない。
ま、悪平等とはいえ、適切に用いれば、実用上、害は無視できる
ほど小さいので問題にはなりません。
だから、よく用いられるわけです。
しかしながら、乱用・誤用すると、害がもろに出て、全く誤った
結果が導かれてしまうのです。
さて、悪平等思想の上に成り立つ物理理論の一つが、近接作用と
いう理論です。
そして、近接作用理論の一つが、マックスウェル電磁気学です。
そして、マックスウェル電磁気学を絶対視したせいで認めざるを
得なくなってしまったのが、相対論と量子論なのです。
●(内部)構造否定と統計学の乱用
ところで、(内部)構造否定を正当化するのに極めて都合のいい
学問があります。
それが統計学です。
統計学は、個々の要素のふるまいは追跡しません。
このため、内部構造を議論する必要がないわけです。
ですから、これを乱用すれば、結果は合うが内容がデタラメな屁
理屈をでっち上げることができてしまうわけです。
実際、マルキストたちは、自説を正当化するのに、統計学の乱用
をよくやります。
統計学の乱用に注目することは、隠れマルキシズムを見破る上で、
極めて有効な手段です。
ちなみに、量子論は統計学の乱用によって生まれた理論です。
また、相対論でも、実験や観測結果の解釈において、統計学の乱
用という手口が用いられています。
手口が同じということは、同じ思想勢力によるものだということ
でしょう。
(つづく)
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発行者:media
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