【マルクスとアインシュタイン】 vol.19


◇おわび◇

  毎度のことですが、発行間隔が隔月刊並に長くなってしまって、
  申し訳ありません。


◎マルクス主義の実態(その17)

 (注)初読の方は、まず、vol.1〜18をお読み下さい。
     → http://mediax.hp.infoseek.co.jp/mm5/bn.htm


●革新・進歩・前衛…という幻想

 マルキストたちは、よく、「革新」とか「進歩」とか「前衛」と
 かを気取ります。
 要するに、自分たちのことを、(価値観や考え方などが)新しい
 人間だと思っているわけです。
 困ったことに、彼らの敵であるホシュやウヨクの中にさえ、彼ら
 のことをそう思っている人がいたりします。┐(-_-)┌

 マルキストたちは、決して(価値観や考え方などが)新しい人た
 ちなんかではありません。
 本当は、(価値観や考え方などが)非常に古臭い人たちなのです。
 「ホシュ」という言葉が「古いものに固執する人たち」を意味す
 る言葉だとしたら、マルキストは間違いなくホシュです!

 これは何も旧・東側の人間の立場で言っているのではありません。
 (共産圏だった旧・東側では、マルキストはホシュ!)
 旧・西側の人間の立場から見ても、マルキストはちっとも新しく
 ない人たちなのです。

 では、なぜ、マルキストたち(の考え)は新しく見えてしまうの
 でしょうか?
 それは、彼らの言う「新しさ・新しいもの」の正体を調べればわ
 かることです。


●実はすでにあったもの

 マルキストたちが主張する「新しいもの」とは、どういうものな
 のでしょうか?
 それは、主に三種類あります。

 一種類目は、「すでにあったもの」です。
 これには、「昔からあったもの」に加えて、「昔あったもの」も
 含みます。

 これは古臭いものでしょう。
 そういう古臭いものを、姿・形を変えて持ち出してくるのです。
 それで、「新しい」と錯覚してしまう人が出てくるわけです。

 たとえば、ジェンダーフリーも、学生紛争(が過激化した)時代
 からあった闘争思想を、リメイクしたものにすぎません。
 こういうの、得意なんですよ。
 というか、創造性が無く、なおかつ、偏狭な思考しかできない人
 たちですから、そういうものしか思いつかないのです。

 若い人は、この種のものに特に騙されやすいようです。
 というのは、昔そういうものがあったという事実を知らないから
 です。
 人間とは、自分が生きてきた時代のことしか知らないものですか
 ら。


●馬鹿馬鹿しいから誰も提唱しなかっただけ

 二種類目は、「馬鹿馬鹿しいから誰も提唱しなかっただけのもの」
 です。

 こういうの、すごく多いですね。
 うまくいきっこないこと、ろくな結果を招かないこと、(人に迷
 惑をかけるが故に)人から顰蹙をかうこと、あまりに常識はずれ
 なこと、矛盾していること、馬鹿げている(ふざけている)こと、
 非道なこと、・・・等々。
 そういうことは、まともな人なら誰も提唱しませんよね。
 そんなことを提唱(あるいは実践)して、「自分は誰もやったこ
 とのない新しいことをやっている人間」などと浮れているのです。
 何ともおめでたい人たちです。

 ちなみに、あまりに馬鹿げたことをぬかすと、まともな人たちは、
 あっけにとられて、批判の意欲さえをも失ってしまうものです。
 あまりに馬鹿げているものは、かえって批判されにくいものなの
 です。
 そして、そうこうしているうちに、いつの間にか、権威を獲得し
 てしまっている。
 気付いた時には、手遅れ…と。
 これは、よくあるパターンです。

 ちなみに、この種の考えを押し通す上で有効なのが、「常識を疑
 う」とか「常識が間違っている」、「常識など通用しない」とい
 った殺し文句です。
 そう言われると、思い当たる節があるでしょう。


●水と油の錬金術

 三種類目は、「めちゃくちゃな混血」です。
 これは、上の二種類をともに応用したものでもあります。

 複数のものをかけ合わせて新しいものを作り出そうとすることを
 「折衷」と言います。
 ですが、マルキストたちのやっていることは、とても「折衷」と
 言えるようなものではありません。
 というのは、全く相容れないものどうしを無理やり一緒にしよう
 とするからです。
 その結果、とんでもない殺人ウィルス(笑)が作り出されてしま
 うことになるのです。
 ま、軽薄な連中は、そういうものを「斬新なもの」と思うようで
 すが、実際には、論理がめちゃくちゃで矛盾だらけの疑似科学思
 想にすぎません。
 ですから、それを信じ、実践などしようものなら、当然、とんで
 もない結果を招くことになります。

 例を挙げれば、弁証法的唯物論がそうです。
 精神を前提とすることで成り立つ弁証法と、物質を前提とする唯
 物論とを、無理やり混ぜ合わせているのです。
 まさに精神と物質の混乱。
 これは、要するに、ヘーゲルの思想と、自然科学という、当時の
 二種類の権威あるものを、ごたまぜにしたものです。

 こういう水と油を混ぜ合わせようとするのが大好きなのです。
 こんなものは、あまりに馬鹿げたことなので、誰もやろうとしな
 いために、自分たちが一番になれる!
 しかも、もとになるアイデアは、すでにあるものを利用(拝借)
 すればよい!
 いかにも彼ららしい、いわゆる「鋏と糊のパッチワーク」です。
 というか、錬金術みたいなものですね。


●統一による進化…のつもり

 もっとも、こうした「ごたまぜ」も、彼らにとっては「統一」に
 なるわけです。(ただ強引にくっつけただけじゃん。)
 やはり統一が三度の飯より好きなんですね。

 それはともかく、こうした「ごたまぜ」行為は、平等・中立・中
 庸を装うのに役立ちます。
 なぜなら、素人の目には、いろんな考え方を採用しているかのよ
 うに映るからです。
 同様の理由で、多様性を認めているように装うのにも役立ちます。
 さらに、何でも知っている知識人・教養人を装うのにも役立ちま
 す!

 とにかく、彼らは、こうした「ごたまぜ」行為によって、いろん
 な考えを統一した新しいものを作った気になっているのです。
 彼ら好みの言葉で言えば、まさに「進化」です。(進化論は社会
 発展論と深い関係にある。だからこそ、彼らは進化論を盲信・狂
 信し、それ以外の生命自然発生論については死ンデモ認めようと
 しない。)
 ちなみに、近年の日本のマルキストたちには、混血を「進化」と
 喧伝したがる傾向があるようです。
 彼らに番組を作らせると、けじめのないオムニバス形式のような
 番組ばかりになるのも、そのためです。
 もっとも、傍目の者からすれば、そういうことでしか「新しいも
 の」(?)を作れないという、彼らの創造性の無さを示すもので
 しかないのですが…。


●ウソをつく時は堂々と…

 嘘をつく時は、自信をもって堂々とついた方が成功します。
 ヒトラーやスターリンなどは、まさにそのよいお手本です。

 さて、全く同じことが、新しい(?)疑似科学思想を主張する際
 にも言えます。
 マルクス、ダーウィン、そして、アインシュタインは、そのよい
 お手本です。

 もちろん、疑似科学思想は嘘とは違います。
 なぜなら、その主張者は、それを嘘とは思っていない(故に、人
 を騙しているとも思っていない)のですから。

 馬鹿げた考えというものは、堂々と自信をもって主張した方が、
 批判されにくく、逆にシンパを得られやすいものなのです。
 これは悪のテクニック(もちろん反面教師)として知っておいた
 方が身のためでしょう。
 事実、世の中を誤った方向へ導く人たちの口調・態度は、異様な
 までの自信に満ち溢れているものです。
 そのことは、たとえば偏向のひどい北海道新聞などを見ればわか
 ることです。(笑)

 それはともかく、今回説明したマルキストたちの新しさ(?)は、
 相対論や量子論に始まる近現代物理学にも、そのまま言えること
 です。
 具体的なことは、物理学の話の中で説明します。(…って、この
 調子で行くと、一体、いつのことになるのやら。(^^;))


●常識をめぐるダブルスタンダードと新しさの関係

 ところで、今回も常識の話がちょこっと出てきたので、改めて、
 ダブルスタンダードの問題を指摘したいと思います。

 彼らは常識を侮辱するのが大好きです。
 そのくせ、「とんでもない」などという表現を好んで用います。
 これはおかしな話です。
 なぜなら、「とんでもない」という表現は、常識を絶対の前提と
 したものだからです。
 ここに、彼らの分裂症ぶりがはっきりと見てとれるでしょう。
 こういうダブルスタンダードな態度は、まともな人にはとても真
 似できるものではありません。
 そう、誰もやったことが無い。
 だから、それをやる自分たちは新しいのだ、と。
 何ともふざけた連中です。
 一体、どっちが「とんでもない」んだか…。


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発行者:media
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