【マルクスとアインシュタイン】 vol.18


◇おわび◇

  発行間隔が隔月刊並に長くなってしまって、申し訳ありません。


◎マルクス主義の実態(その16)

 (注)初読の方は、まず、vol.1〜17をお読み下さい。
     → http://mediax.hp.infoseek.co.jp/mm5/bn.htm


●一対一志向

 よく、マルクス主義は、革新的・進歩的な思想だと言われます。
 ですが、実際には、非常に古くさいところのある思想なのです。

 たとえば、「一対一志向」とでも言うべき特徴が、そうです。
 ちなみに、「一対一志向」という言葉は、 私が勝手に作った言
 葉です。(念のため。)
 これは、なんでもかんでも「一対一の関係」でとらえようとする
 傾向のことを言います。
 実際、マルクス主義では、「資本家 vs 労働者」という関係で人
 間社会をとらえようとしますでしょう。

 この「一対一志向」というものは、何もマルクス主義の専売特許
 ではありません。
 西洋では紀元前の時代からあるものなのです。
 たとえば、神と悪魔、神と人間…というふうにです。
 ですから、これは非常に古くさいものなのです。

 そして、そういう古くさいものを、マルクス主義はしっかりと、
 それもお得意の批判すら無しに、継承しているのです!

 そう、中身はオンボロなのに、上辺ばかりが新しく見えるのが、
 マルクス主義の特徴なのです。


●二者に限定する単純志向

 「一対一志向」の本質は、要するに、関係者を二者だけに限定す
 ることにあります。(1+1=2)
 つまり、第三者の関与を認めない思想なのです。
 無能な者や怠け者でも理解できる(好きになれる?)、極めて単
 純素朴な思想であることがわかるでしょう。

 それだけに、第三者が関係してくることは説明できないことにな
 ります。
 つまり、単純なものしか説明できないのです。

 現実の世界は、「一体一の関係」でとらえられるほど単純ではあ
 りません。
 大抵は、多数(無数)のものが、互いに絡み合うように、複雑に
 かかわり合っているものです。
 「一対一」で説明できるのは、完全に現実離れした、とことん理
 想化された世界、すなわち、理論・理屈の世界だけです。
 つまりは、頭の中だけの非現実世界においてなのです。
 こうした現実と理想との混乱は、理論家がよく陥ることです。

 もっとも、科学と芸術との見分けのつかない連中は、こう言って
 自分たちの正当性を主張します。
 「単純なものこそ、美しい。そして、美しいものこそ、科学的で
 あり、真実なのだ。」と。
 アインシュタインは、まさにそういう考え方の持ち主でした。

 上辺ばかりが複雑そうに見えて、中身の方は単純素朴でお粗末な
 ハッタリ思想…というのが、マルクス主義の実態なのです。


●真の原因に関心を向けさせない悪のテクニック

 「一体一志向」では、考察の対象が二者に限定されます。
 このため、二者以外のものには、関心がいきません。
 これは、裏を返せば、「一体一志向」の精神を人々に吹き込めば、
 二者以外のものには関心がいかないようにできる…ということで
 す。

 そこで考えてほしいのですが、もし二者以外のものに原因がある
 ことに対し、「一体一志向」的な態度をとったとしたら、どうな
 るでしょうか?
 当然、真の原因はわからないことになりますね。

 実は、ここが極めて重要なポイントなのです。

 まず、このことから、「一体一志向」を押しつければ、真の原因
 を隠すことができることがわかるでしょう。

 また、真の原因がわからないと、代わりに新たな理屈が求められ
 ることになります。
 そして、それは、屁理屈をでっち上げ、世間に信じ込ませること
 ができる絶好の機会が得られる…ということなのです。

 実のところ、(文化)マルキストたちは、この手をよく使うので
 す。


●大衆煽動のテクニック

 先ほども述べたように、マルクス主義では、「資本家 vs 労働者」
 という、まこと単純な関係で、人間社会をとらえようとします。
 しかし、現実の人間社会は、そんな単純なものではありません。
 では、なぜ、そんな単純な(故に馬鹿馬鹿しい)論理を展開した
 りするのでしょうか?

 実は、ここに、とんでもない悪の誘導術が隠されているのです!

 革命を煽るためには、まず、「(社会の)敵」を作らなければな
 りません。
 「敵」とは、「世の中を悪くしている憎きもの」です。
 そして、この「敵」さえ倒せば、世の中は良くなる…というわけ
 です。
 ですから、まず、大衆が憎むべき「敵」が何なのかを明確にする
 ことが重要なことなのです。

 ところが、「多数のものが複雑にかかわり合っている」と、馬鹿
 正直に真実を述べたのでは、「敵」が明確になりません。
 これでは、革命を煽ることはできません。

 そこで、「一対一」の関係でとらえるという単純化により、「敵」
 を一つにしぼり、「敵」が何なのかを明確にするわけです。
 マルクス主義の場合、「資本家 vs 労働者」という関係で人間社
 会をとらえることにより、「我らの敵は資本家のみ!」と大衆に
 信じ込ませるわけです。
 こうすれば、数の上で勝っている大衆(この場合は労働者たち)
 は、「資本家さえ倒せば、我らの社会は良くなる」と錯覚し、蜂
 起する…というわけです。

 事実、御存知のように、ロシアをはじめとする東側の人たちは、
 この悪の煽動術に、まんまとのせられてしまいました。
 その結果、どうなったか?
 資本家の代わりに、共産党や軍部が、大衆の富や権利を、資本家
 以上に搾取する社会になりました。
 傍目の者から見れば、これはまさに笑い話です。

 そう、世の中、「一対一」ではないのです。
 政治家、役人、軍人、文化人、マスコミ…。
 社会問題の原因となるのは、資本家だけではないのです。
 つまり、「敵」(?)となるものは、決して「一つ」ではないの
 です。
 ですが、「一体一志向」の精神を吹き込まれてしまった人たちは、
 資本家以外のものには関心がいかないのです。
 世の中の複雑さが理解できないのです。
 だから騙される!
 全く哀れなものです。

 ちなみに、ヒトラー(国家社会主義者)も、この悪の煽動テクニ
 ックを用いました。
 彼の「一対一」は、「アーリア人」と「ユダヤ人」でした。
 どうやら、この種のテクニックは、社会主義者の十八番のようで
 す。


●一次元的かつデジタル的

 「一対一志向」の人たちは、ものの見方・考え方が、とかく一次
 元的かつデジタル的なものです。
 たとえば、自分たちと異質なものは、全て「右翼(的)!」と決
 めつけたがります。
 つまり、自分たちサヨクでないものは全て右翼というわけです。
 そう、多様性とか多元性というものを認めないのです。
 物事を「右と左の関係」でしかとらえられない。
 算数で出てくる数直線(→一次元の世界)上の関係でしかとらえ
 られない。
 しかも、「自分たち」以外は「右翼」でしかないわけですから、
 デジタル的でもあるわけです。(中間値がない!)


●別の可能性を封殺する極悪テクニック

 「一対一志向」では、二者以外のことには関心がいきません。
 ですから、この精神を人々に吹き込めば、別の可能性を封じ込め
 るのに大いに役立ちます。

 何しろ、相手は一つしかないことになるわけですから、今論争に
 なっている二つの説以外の可能性(第三・第四…の可能性)は、
 存在し得ないことになるわけです。
 すると、自分たちの説以外の説は、全て、相手の説と同様の疑似
 科学である!…と宣伝することができるというわけです。
 こうすれば、別の可能性を提唱することができなくなるでしょう。
 あるいは、別の可能性を無視したり、人目につかない(世間に知
 られない)ようにすることもできます。
 こうして、「敵」を一者に限定し、自分たちの保身を企てるので
 す。

 例を挙げましょう。
 たとえば、マルキストたちは、ダーウィン進化論以外の非創造論
 的な説を、死ンデモ認めようとはしません。
 つまり、ダーウィン進化論以外には創造論しかあり得ない!、と
 決めつけるのです。
 もし、誰かが、進化論とは異なる生命自然発生説を唱えようもの
 なら、彼らは真っ赤になって、「コイツは創造論者だ!」とヒス
 テリを起こします。
 ダーウィン進化論とシナリオの異なる進化論を唱えた場合でさえ、
 そうです。
 信じられないような話かもしれませんが、これは本当の話です。
 慣れないうちは、基地外(=既知概?:文化マルキストたちがよ
 く使う無差別用語!)としか思えないでしょう。
 まあ、実際、そういうところもあるのですが、それだけが原因な
 のではなく、異説を封じ込めるという意図もあるのです。
 マルキストたちは、こういう汚い手を好んで用いるので、すぐに
 正体がわかります。
 ちなみに、進化論者たちの多くは、マルキストです。

 このように、マルキストたちは、対案を封じ込める(思いつかな
 いようにする、提唱できないようにする)ために、「一体一志向」
 の精神を吹き込もうとするのです。


●Q&Aがお好き

 さて、「一対一」的なものとして忘れてはならないのが、「対話」
 です。
 そこから、「問答法」が連想されるでしょう。
 「弁証法」も、元々は(ある種の)問答法のことでした。
 そして、弁証法と言えば、御存知、弁証法的唯物論!
 こんなところからも、マルクス主義の本質が、単純素朴な「一対
 一志向」であることがわかるでしょう。

 そういえば、マルキストたちの著作やHPを見ると、(FAQな
 どと称する)Q&A形式のものが多いようですね。
 この「Q&A」も、マルキストたちがよく使う手です。
 自分たちに都合のいい質問だけを(自分たちで)用意する。
 決してボロが出るような踏み込んだ質問や多角的な質問はしない。
 回答者(=質問者)がいい加減な回答をしても、それ以上は突っ
 込まない。(単なる自己満足!)
 そうやって、あたかも、きちんと質問に答えている(議論してい
 る)ふりをするのです!
 誠実を偽装することにおいては、まさに天才的です。
 そして、この「Q&A」もまた、「一対一」的なものです。


●差別肯定志向

 「一体一志向」では、考察の対象が二者に限定されます。
 すると、二元論的な見方・考え方が支配的になってきます。
 なぜなら、三者以上の場合よりも、二者の場合の方が単純で、比
 較・分類がしやすいからです。
 このため、物事の「善悪」とか「優劣」というものが、単純に決
 めつけられてしまうようになるのです。

 先ほど述べた「大衆煽動のテクニック」などは、まさにそのよい
 例で、一方を「悪」と単純に決めつけることで、「敵」を作り出
 しているのです。

 「優劣」が決めつけられる…というのも、注目すべきことです。
 マルキストたちが「差別好き」なのも、これで説明がつくという
 ものでしょう。
 そして、差別の肯定は、「絶対者の肯定」へと結びつきます。
 つまりは、「主従関係」です。
 その行きつく先が「独裁の肯定」であることは、もはや明白でし
 ょう。

 また、これが「権威主義の肯定」にもつながることもわかると思
 います。


●天動説志向

 さて、「一体一志向」の差別肯定者たちは、二者のうちのどちら
 か一方を中心にして、物事を見よう・考えようとします。
 「主従関係」は、まさにその産物です。
 そして、人間は、「従」(の側)であることよりも、「主」(の
 側)であることを好みます。
 このため、彼らは、自分たちこそ「主」すなわち「中心」である
 と考えたがるのです。
 こうして、彼らは、ジコチューや、あるいは、権威主義(強い者
 の側につけば、自分は中心の側になる)に陥ってしまうのです。

 これは、何もマルキストに限ったことではありません。
 「一対一志向」に走ると、どんな人でも、自分中心にしか物事を
 見れなくなってしまうのです。
 中世の暗黒時代の象徴と言える「天動説」も、そうです。
 天動説は、地球中心にしか宇宙を見ない思想ですよね。
 つまり、「地球=宇宙の絶対的な中心」と「天=地球の周りを回
 る従属的なもの」という「主従関係」的なとらえ方なのです。

 このように、「一体一志向」の人は、自分中心にしか物事が見れ
 ないのです。
 そのため、視野がものすごく狭くなるのです。
 当然、いろんな立場で物事を見ることはできません。

 そして、全く同じことが、「相対性」という概念にも言えるので
 す。(いずれ詳しく説明いたします。)

 もっとも、彼らは、「相手の立場で考えろ!」と説教するのが好
 きですがね。
 人に説教したことを、自分でやらないのが、マルキストの特徴で
 あることは、みなさんも御存知でしょう。


●三体以上でボロが出る!

 さて、今回述べたことは、全て、相対論や量子論に始まる近現代
 物理学にも、そのまま言えることです。
 特に、「一対一志向」は、極めて大きな特徴です。

 「一対一志向」とは、要するに、考察の対象を「二者」に限定し
 てしまう…ということなのです。
 つまり、第三者の関与を認めない思想なのです。
 もちろん、これでは第三者がかかわってくる現象を説明すること
 ができません。
 そのために、奇妙な概念が次々とでっち上げられていくことにな
 るのです。

 また、二者限定の思想であるだけに、三者以上では成り立たない
 (たちまちのうちにボロが出てしまう、矛盾が露呈してしまう)
 思想でもあるのです。
 これは特に相対論に言えることです。

 以上の問題についての詳しいことは、物理学の話の中で説明しま
 す。


──────────────────────────────
発行者:media
──────────────────────────────

バックナンバーへ