【マルクスとアインシュタイン】 vol.15
◇おわび◇
発行がたびたび中断してしまって、すみません。m(_ _)m
◎マルクス主義の実態(その13)
(注)初読の方は、まず、vol.1〜14を必ず熟読して下さい。
→ http://mediax.hp.infoseek.co.jp/mm5/bn.htm
●矛盾と反証
マルクス主義の中心的教義の一つである弁証法的唯物論では、矛
盾は発展のための原動力とされています。
ということは、何かに矛盾が見つかっても、それは捨て去られる
ことなく、むしろ発展させられてしまう…ということになります
ね。
これは、科学にとっては、深刻な問題をもたらすものとなります。
なぜなら、この教義に従うならば、理論を反証することが不可能
になってしまうからです。
理論を反証する時は、何らかの形で矛盾を指摘します。
それは、論理の矛盾もあれば、事実との矛盾もあるでしょう。
いずれにせよ、矛盾があることが、その理論が間違っている証拠
となるわけです。
だからこそ、矛盾を指摘することで、その理論を反証したことに
なるわけです。
そして、反証された理論は、捨て去られるか、さもなければ、か
なりの修正を迫られるのが普通です。
ところが、矛盾が発展のための原動力ということになると、矛盾
(があること)は、その理論が間違っている証拠にはならなくな
ってしまいます。
せいぜい、「足りない部分」とか「不完全な部分」がある証拠ぐ
らいにしかなり得ません。
ですから、それらを補うような新たな屁理屈をでっち上げてしま
えば、「問題解決!」になってしまうのです。
これでは、理論の、少なくとも本質的な根幹の部分を反証するこ
とは、絶対に無理でしょう。
かくして、反証不可能になってしまうのです。
弁証法的唯物論が、マルクス主義を反証不可能にすることに、大
きく貢献していることが、これでおわかりいただけたと思います。
●周転円
言うまでもなく、反証不可能性、特に、原理的な反証不可能性は、
疑似科学の特徴です。
実は、こうした「理論を反証不可能にするテクニック」というも
のは、何もマルクス主義の専売特許ではありません。
たとえば、天動説の「周転円」も、そういう類のものになり得る
ものなのです。
天動説では、「地球が宇宙の中心で(静止しているので)あり、
また、天体の運動の軌道は美しい真円(の組み合わせ)である」
ということを、絶対の前提としています。
そして、観測事実との矛盾が見つかると、これを解消するために、
次々と周転円が書き加えられていったのです。
ですから、周転円は、天動説を反証不可能にするテクニックと言
えるわけです。
別の言い方をしますと、周転円は、矛盾を原動力として天動説を
発展させるものだったわけです。
こうしてみると、マルクス主義は、まさしく「社会科学の天動説」
と呼ぶにふさわしいものであることがわかるでしょう。
さて、相対論や量子論に始まる近現代物理学や、その応用分野で
ある宇宙論の分野では、周転円のような「矛盾を原動力にして理
論を発展させるテクニック」すなわち「理論を反証不可能にする
トリック」が、多数用いられています。
「仮説の山」って、聞いたことありません?
こんなところも、マルクス主義の世界にそっくりなんですよねー。
もっとも、彼らの場合、そうしたトリックを使う前に、矛盾その
ものを無視したり、封殺してしまう場合が多いのですが…。
こんなところも、そっくりです。
●矛盾と常識
さて、「矛盾」というものは、ある重要な概念と深い関係にあり
ます。
それは、「常識」です。
常識がなければ、矛盾なんてことはあり得ないですよね。
ですから、常識が曖昧だったり、常識を侮辱したりしていたので
は、矛盾があることは示されません。
その結果、反証不可能になる。
これでは、科学たり得ませんよね。
もちろん、常識が必ずしも絶対的に全面的に正しいというわけで
はありません。
しかし、ある常識の間違いを指摘するためには、その根拠を示す
必要があります。
そして、そのためには、それとは別の常識が必要であり、それを
尊重しなければならないはず。
ですから、常識を明確にし、なおかつ、常識を侮辱しないことが
重要になってくる…はずなのです。
ところが、マルキストたちの言う「常識」は、まことに曖昧です。
しかも、彼らは「常識」を侮辱したがります。
これはおかしなことではありませんか。
もっとも、彼らには、一般世間における「常識」とは別の、彼ら
の世界でしか通用しない「常識」があり、彼らはそれを尊重して
いるのかもしれません。
でも、特定の人間たちの世界でしか通用しないものは、「常識」
とは言いませんよね。
そんなのは、「ひとりよがり」と同じで、シンパやカルト信者た
ちにしか受け入れられないものでしょう。
実は、こうした態度もまた、相対論や量子論に始まる近現代物理
学や、その応用分野である宇宙論の分野を盲信する人たちの間で
よく見られるものなのです。
●矛盾とトンデモ
ところで、「常識」と切っても切れない関係にある表現が、「と
んでもない」です。
常識に反することだから、「とんでもない」ということになるわ
けですよね。
ですから、常識がなければ、「とんでもない」とは言えないわけ
です。
ということは、「とんでもない」という表現は、矛盾と関係があ
ることになりますよね。
常識的なことと矛盾することだからこそ、「とんでもない」と言
うのではありませんか?
ということは、「とんでもない」という表現を好んで用いる人た
ちは、常識を重んじる人たち…ということになるはずですよね。
つまりは、常識を侮辱することを許さない人たちのはずであり、
常識を疑うことを許さない人たちのはずです。
一方、相対論や量子論に始まる近現代物理学や、その応用分野で
ある宇宙論の分野は、常識を疑い、あるいは、侮辱しまくる学問
(?)分野です。
ですから、「とんでもない」という表現は、これらの学問(?)
分野を盲信する人たちには全く好まれない表現のはずなのです。
ところが、これらの学問(?)分野を盲信している人たちに限っ
て、「とんでもない」などという表現を大変好んで頻繁に用いて
いるのです。
これは自己矛盾もいいところでしょう。
要するに、彼らは、いつも、ダブル・スタンダードなのです。
そして、ダブル・スタンダードは、(文化)マルキストたちの最
大の特徴であります。
このことからも、これらの学問(?)分野が、文化マルキシズム
にすぎないことがわかるでしょう。
ですから、北にやさしいアサヒストやエヌエイチケイストらが夢
中になるのは、当然のことなのです。
結局のところ、「トンデモ」とは、彼らが、「自己の信念」から、
死ンデモ認めたくないことを意味する感情表現用語にすぎないの
です。
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発行者:media
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