【マルクスとアインシュタイン】 vol.13


◎マルクス主義の実態(その11)

 (注)初読の方は、まず、vol.1〜12を必ず熟読して下さい。
     → http://mediax.hp.infoseek.co.jp/mm5/bn.htm


●理解できないからすばらしい?

 マルクス主義は難解だと言われます。
 つまり理解できない。
 そこで、感覚的なものに流れやすい人は、「だからこそ、すばら
 しい」と絶賛します。
 まあ、芸術や芸能の世界なら、それでいいんでしょうけどね。
 どーせ虚構の世界なんだから。

 でも、事実の世界と向きあわなければならない分野では、そうは
 いきません。
 現に、マルクス主義がとんでもない疑似科学であることは、ソ連
 の崩壊などによって証明されているではありませんか。

 マルクス主義が難解な(理解できない)のは、決してそれがすば
 らしいものだからではなく、それがこけおどしの疑似科学だから
 です。
 知識や理屈が膨大で、そのくせ抽象的で、おまけに論理が混乱し
 ているからです。

 感覚的な人たちは、ほんと騙されやすい。
 イメージとか雰囲気とかが全て。

 そして、いるでんすよ、そういう人たちが、物理学とか宇宙論と
 かの分野にも。


●取り違え、すり替え

 では、マルクス主義の本質の一つである「論理の混乱」とは、ど
 ういうものなのでしょうか?
 ウソをもっともらしく見せているものは何でしょうか?

 その主たるものが、「取り違え」または「すり替え」です。
 この両者は、やること自体は同じです。
 ただ、「取り違え」は過失によるもの、「すり替え」は故意によ
 るもの、という違いはあります。
 とはいえ、マルキストの場合、過失によるものか、故意によるも
 のなのか、はっきりしない場合が少なくありません。
 何しろ、自分たちの思想信条…というか保身のためなら、平気で
 ウソをつく人たちですから。
 このため、「取り違え」と「すり替え」を区別することは、それ
 ほど意味がないと言えます。

 では、マルキストたちがよくやる「取り違え・すり替え」には、
 具体的にどのようなものがあるのでしょうか?

 たとえば、「結論と前提との取り違え・すり替え」というのがあ
 ります。

 それから、「手段と目的との取り違え・すり替え」というのもあ
 りますね。

 あと、よくやらかすのが、「理想と事実の取り違え・すり替え」
 です。
 これと同類のものに、
 「仮説と事実との取り違え・すり替え」
 「理論(理屈)と事実との取り違え・すり替え」
 などがあります。
 これらは総じて言うならば、
 「作りものの世界と、現実の世界との取り違え・すり替え」
 ということになるでしょう。

 そして、いるでんすよ、そういうことの好きな人たちが、物理学
 とか宇宙論とかの分野にも。

 NHKとかの宇宙や生物をテーマにした科学関連番組でも、こう
 した「取り違え・すり替え」は、よくお目にかかれます。(笑)
 「〜と考えられています」という話から始まったはずなのに、い
 つの間にか「〜なのです」という事実の話になってしまう。
 ああいう番組は、ほんと、子供には見せたくないものです。


●見分けがつかない

 ところで、「取り違える」とか「すり替える」ということは、要
 するに「(両者の)見分けがつかない」ということですよね。
 ですから、たとえば、「作りものの世界と、現実の世界とを取り
 違える・すり替える」というのは、「作りものの世界と、現実の
 世界との見分けがつかない」ということになります。

 いますよね、そういう人って。
 アニメとか、SFとか、ビデオとか、ゲームとかに夢中になって
 いるうちに、作りものの世界と現実の世界との見境がつかなくな
 っちゃって、しまいには犯罪までおかしちゃったりする人とか…。

 マルキストたちも同じです。
 だから惹かれ合うのかも。

 物理学とか宇宙論とかの分野にもいますよ、そういう人たちと惹
 かれ合う人たちが…。


●統一をめぐる混乱

 以前も指摘しましたが、マルキストたちは、「統一的に説明でき
 る」ということと、「統一する」ということとの違いがわかりま
 せん。
 ですから、「統一的に説明できる理論」と「統一する理論」との
 見分けもつきません。
 だから、「統一する理論」をでっち上げて、「統一的に説明でき
 る理論」を発明した!、などと喧伝するのです。
 でも「統一する理論」によって統一されたものが、統一的に説明
 できるのはあたりまえですよね。
 全くふざけてます。

 いうまでもなく、統一された状態というものは、それを望む人間
 が勝手に作りだしたものです。
 もとからあったものではありません。
 つまり「作りものの世界」です。
 それを事実と混同しているのです。
 そう、ここでもやっぱり作りものの世界と現実の世界との見分け
 がつかなくなっちゃってるのです。

 統一的に見えるのは、人間が勝手に統一しているからであって、
 もともと一つのものだったからではありません。
 それは、所詮、作りものの世界にすぎないのです。


●偶像、芸術・芸能…

 ところが、思想オタクたちは、それを「現実の世界なのだ」とみ
 なしたがるものなのです。
 そう、彼らにとっては、「作りもの」こそが「真実」であり「真
 理」なのです。
 物理学とか宇宙論とかの分野にもいますよ、そういう人たちが…。

 彼らは「作りもの」を崇めます。
 つまりは偶像崇拝者です。
 事実よりも、原理とか、権威ある方程式とかを重んじます。

 それだけではありません。
 偶像崇拝は、人物に対しても行われます。
 偶像なしでは人気が保てないのがマルクス主義。
 だから重要人物の偶像化は欠かせない。
 そう、やっぱ芸術や芸能の世界と同じ。
 軽いネーチャンたちがアイドルに夢中になるように、文系思想オ
 タクたちはマルクスやエンゲルスを偶像崇拝し、理系思想オタク
 たちはアインシュタインを偶像崇拝する。
 そして、それを互いに真似し合い、科学通や教養人を装う。

 やはり類は友を呼ぶんですなぁ。
 こうしてみると、アインシュタインばかりが、なぜ、芸術家や芸
 能人並みの異常な人気を誇っているのかも、わかるでしょう。

 そういえば、芸術や芸能も、作りものの世界。
 やっぱ芸術なんですよ、ゲージュツ!
 理屈や論理じゃ理解できっこないんすよ。
 感性を磨かなくちゃ。
 思い込みや暗示や作りものに惑わされる鋭い感性を。

 相対論が理解できないのは、ピカソの絵が理解できないのと同じ。
 芸術は革命の武器であります。

 相対論が理解できない諸君、これで少しは理解できた…かな?


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発行者:media
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