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           『科学』という思想信条 vol.9

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 今回は、『天動説の教訓』の3回目です。

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<ガリレイが示した根拠>

 前回も述べたように、地上からの肉眼による観測では、天が動いているのか、
 それとも地球が動いているのかは、わかりません。
 それでは、ガリレイはなぜ、宗教界を敵に回すという危険を冒してまで、地
 動説に固執したのでしょうか?
 一体、何が彼をそこまで確信させたのでしょうか?
 それは、望遠鏡による観測(結果)でした。

 彼は望遠鏡を用いて、木星と、その衛星(の運動)を観測しました。
 そこで、彼は、大きな星(木星)の周りを、小さな星(衛星)が回る様を見
 たわけです。
 この観測事実から、大きな星の周りを小さな星が回るのが、宇宙の法則なの
 だと悟ったわけです。
 そして、このことから、大きな星である太陽の周りを、小さな星である地球
 が回るとする(すなわち地動説)のが正しいと確信したのです。

 望遠鏡による観測という、それまで無かった観測方法により、彼は、地動説
 の正しさの根拠を、人類で初めてつかんだわけです。

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<限界を悟る>

 望遠鏡による観測が、肉眼による観測に比べて優れている理由は何でしょう
 か?
 それは、肉眼では見えない世界を映し出してくれることです。

 人間の感覚には、限界があります。
 視覚の場合も、『視野』とか『視界』とか『解像度』といった限界がありま
 す。
 肉眼による天の観測の場合、木星の衛星のような小さな星、遠くの星…など
 は見えません。
 それを見えるようにしてくれたのが、望遠鏡というわけです。
 つまり、望遠鏡は、人間の視覚の限界を超えた世界を見せてくれる道具と言
 えるわけです。
 別の言い方をするならば、人間の視覚の及ぶ範囲を拡大してくれる道具なの
 です。
 そして、この道具のおかげで、初めて地動説の根拠をつかめたというわけで
 す。

 このことは、前回述べたことを、改めて認識させてくれます。
 つまり、人間の感覚には限界があり、それ故、それによる観測は不十分で、
 当てにならないこと。
 そして、そうした不十分な観測が、天動説にも有利な証拠と解釈できてしま
 うこと。
 それ故、科学には十分な検証が必要だということ…。

 こうしたことを「過去のこと」と片づけてはなりません。
 確かに、現代の観測技術は、ガリレイの時代のそれよりもはるかに進歩して
 います。
 しかしながら、科学理論の方が、それよりもさらに、ずぅーっと先を行って
 しまっているのです。
 理論に観測が追いつかない!
 理論が、観測不可能な領域にまで達しているのです。
 となれば、現代のある種の科学分野のおかれている状態は、中世の時代のそ
 れと、何ら変わりがないことになるわけです。

 今日、メディアの世界を賑わせている科学理論には、こういう類のものが少
 なくないのです。
 それ故、現代人は、決して、中世の時代の人たちを笑うことはできないので
 す。

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<それでも天が動いている!?>

 ところで、御存知のように、ガリレイの主張は、生前、受け入れられません
 でした。

 反論の一つは、
 『望遠鏡に映った姿が真実である根拠が無い』
 というものです。
 科学における検証の重要性を考えれば、これはごもっともなことです。
 当時、望遠鏡に映った姿が真実であることを証明することは、誰にもできな
 かったはずです。

 しかしながら、そんなことよりも、もっと重大な反論は、
 『木星とその衛星の場合は、大きな星の周りを小さな星が回るのだろうが、
  太陽と地球の場合は、それは該当しないのだ!』
 というものです。
 つまり、ガリレイが望遠鏡による観測で得た事実は、
 『地球は特別な存在である(だから宇宙の中心で静止している)』
 という絶対の前提(原理)を覆すものではない、ということです。

 確かに、これまた、誠に、ごもっともなことです!

 このことから気付かねばならないのは、原理のような絶対の前提というもの
 は、なかなか反証できない、ということです。
 だからこそ、原理を偏重する態度というものは、非常に危険なのです。
 次回は、この問題について、より詳しく見ていこうと思います。

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発行者   : media
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