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           『科学』という思想信条 vol.8

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 今回は、『天動説の教訓』の2回目です。

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<なぜ、地動説を信じるのか?>

 なぜ、現代人は、天動説ではなく、地動説を信じるのでしょうか?
 「そんなの、常識だろ!」ですか?
 でも、それならば、天動説を信じていた中世の時代の人たちだって、同じ主
 張が出来ることになるはずです。
 「本に書いてあるから…」とか「○○先生が言ったから…」なども、全く同
 様です。
 自分で証拠を示せないのであれば、現代人も中世の時代の人たちと同様、た
 だ盲信しているにすぎないことになります。
 それではカルトにすぎません。

 現代人が、地動説の方が正しいと確信できるのは、物心つくまでに、そうし
 た知識を植え付けられるからではないでしょうか?
 別の言い方をするならば、そういう時代に生まれ育ったという幸運に恵まれ
 たからではないでしょうか?
 もし、自分が、中世の時代に生まれていたら…?
 たとえ、宗教の影響力がなかったとしても、地動説が正しいと確信できたで
 しょうか?

 一体、どれだけの現代人が、地動説が正しい(天動説は間違いである)証拠
 を、自分で示すことができるでしょうか?
 これについて考えてみましょう。

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<感じますか?、地球が動いているのを…>

 まず、天文学に関する知識を忘れて、頭を空っぽにしてください。
 その状態で、あなたは、天が動いているのか?、それとも、地球が動いてい
 るのか?、を判断することになります。

 ただし、あなたは、いかなる望遠鏡も用いてはなりません。
 許されるのは、中世の時代の人たちと同様、肉眼による観測だけです。
 この条件で、あなたは天の観測を行うことになります。

 すると、あなたは、星々が、東から西へ移動するという観測結果を得ること
 でしょう。
 まあ、中には火星のように時折逆らった動きをするものもありますが、ほと
 んどの星々は、おおかた同じような動きを示すでしょう。

 そこで、問題です。
 この観測結果から、「天が動いている」と判断することは、それほど不合理
 なことでしょうか?

 「YES!」と答えられる人は、まだ、頭が空っぽになっていない人たちだけで
 しょう。
 頭が空っぽになっている人なら、「YES!」とは答えられないはずです。
 もちろん、このことだけから、
 「天が動いている。地球は動いていない。」
 と断言するのは、強引すぎます。
 とはいえ、この観測結果から、
 「地球が動いている。」
 と断言できないのも確かです。
 このことから、肉眼による観測しか行えなかった中世の時代の人たちが、天
 動説を否定できなかったことを責めることはできないことが、おわかりいた
 だけると思います。

 そもそも、星々が東から西へ移動するという観測結果から、「地球が動いて
 いる」と思う人は、むしろ少数派なのではないでしょうか?
 第一、地球が動いていることを感じ取れる人が、どれだけいるというのでし
 ょうか?
 人間のいかなる感覚を働かせても、地球が動いていることは感じ取れないは
 ずです。
 だとすれば、
 「天が動いている。地球は動いていない。」
 と判断する方が合理的だ(った)と言えるのではないでしょうか?

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<重大な問題>

 上で述べた話は、科学において、極めて重大な問題が存在することを示して
 います。

 まず、第一には、『観測(や実験)には、解釈が伴う』ということです。
 肉眼で得られた観測結果は、天動説にも(地動説にも)有利な証拠となり得
 ます。
 つまり、それだけでは、決着がつかないわけです。
 そこに観測や実験による検証の限界があるわけです。
 よりわかりやすく言うと、観測や実験の結果というものは、何とでも解釈で
 きる、ということです。
 従って、自分に都合のよい解釈を行えば、どんな誤った理論・学説でも、
 「観測や実験によって確証されている」
 と嘯くことができることになるわけです。

 第二には、不十分な観測(検証)は、かえって誤った理論・学説に有利な証
 拠となってしまうことがある、ということです。
 上で述べた『肉眼による観測』の結果は、まさに、そのことをよく示してい
 るでしょう。
 これは、人ごとではありません。
 なぜなら、今日の科学には、直接的な検証の困難な分野、すなわち、十分な
 検証の行えない分野が、少なからず存在するからです。
 しかも、こうした分野ほど、メディアの世界で、もてはやされたりするもの
 なのです。(そういわれると、思い当たるふしがあるでしょう。)

 第三には、人間の感覚は当てにならないということです。
 事実、地球は動いているのに、人間の感覚は、その事実を感じ取れません。
 では、感覚は全て否定されるべきか?、というと、そうではありません。
 感覚を全て否定したのでは、何も認識できなくなるからです。
 とはいえ、感覚が当てにならないのも事実です。

 となると、これは科学にとって、極めて重大な問題をもたらします。
 なぜなら、科学における合理性(の判断)というものが、感覚を通して得ら
 れる経験に基づいているからです。

 いずれにせよ、これらのことから、現代人はもはや、中世の時代の人たちの
 判断を笑うことはできないことがわかるでしょう。
 天動説が支持されたのは、決して宗教だけのせいではなかったのです。

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発行者   : media
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