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           『科学』という思想信条 vol.68

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≪退化論…その18≫

 進化論に対する皮肉として提唱する退化論の第18回目です。
 今回も、移動がもたらす影響についてです。
 前回は「開拓者型(もしくは冒険者型)」についてでしたが、今回は「難民
 型」についてです。
 今まですんでいた場所を追われ、やむなく別の場にやってきたというケース
 です。

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<追い込まれた者の心理>

 進化論者たちの話によると、生物(主に動物や虫)というものは、競争に負
 けて別の場所に追いやられると、その新たな場所の環境に適応できるよう進
 化するのだそうです。
 でも、それは本当でしょうか?
 はたして、そんなことがあり得るのでしょうか?

 ここで問題になってくるのは、生き物の心理です。
 進化には、時間がかかります。
 ですから、それまでの間、ずうーっと我慢していなければなりません。
 しかしながら、野生の生き物に、そのような理性や知性が期待できるでしょ
 うか?

 発展途上国には、テロや紛争が絶えない地域が少なくないですよね。
 なぜ、そんな自分たちを疲弊させるようなことをするのでしょうか?
 それは、未来に絶望しているからではありませんか?
 うまくいかないと、人間、やけをおこしてしまうものです。

 パレスチナの人たちを見て下さい。
 希望がないと、ああなるのです。

 人間でさえ、こうなのです。
 となれば、野生の生き物だって、そうなのではないでしょうか?
 新たな環境に適応できるように進化する前に、やけをおこして、自暴自棄に
 なり、絶滅してしまうのがオチではないでしょうか?

 進化論者にはマルキストが多く、マルキストたちは心理学をふり回すのが好
 きなようですが、ならば、どうして野生の生き物の心理を無視するようなシ
 ナリオを描くのでしょうか?

 もっとも、それ以前に、じっと我慢して耐えても、新環境のもとでは、体が
 もたない…という問題があるのですがね。

 とにかく、以上のようなわけで、「難民型」は、やはり、神の奇跡でもなけ
 ればあり得ないものと言わざるを得ないわけです。
 それ故、前回の話と合わせて、移動による進化は、やはり、超常現象として
 しかあり得ない…と結論せざるを得ないわけです。

 ちなみに、退化論では、このような無茶なシナリオは描きません。
 その場に適応している生き物は、もともと没個性的だった生き物が、その場
 の環境に甘えることで、不要な部分を捨て、最適化(→個性化)された…と
 考えます。
 次回は、その具体的な例を挙げてみようと思います。
 やっと…。(笑)

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<ミスリンクじゃないの?>

 さて、ここで、今話題のミッシングリンク(?)について論じてみたいと思
 います。
 新聞とかでも、昨日、報じられていましたよね。
 カナダ北極圏のエルズミア島にある約3億7500万年前の地層で、米シカ
 ゴ大などのチームが発掘し、6日付の英科学誌ネイチャーに発表した、新種
 の魚類の化石のことです。
 何でも、これが、魚類と両生類とを結ぶミッシングリンクになるのだそうで
 す。

 もっとも、信じない立場の者から言わせてもらうならば、それは「信じる者
 の目には、そう見える」の類にしか思えないのですがね。
 それに、相変わらずの、ネイチャー原理主義。
 権威に対するチェックは無いのでしょうか?

 ということで、以下に疑問点を示してみたいと思います。

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<失明の危機>

 まずは、目です。

 胸びれには4足動物の手首のような関節があったそうですが、これは海底を
 這うように泳いでいたという証拠でしょうか?
 もしそうなら、そうした生き物が、両生類の祖先として、地上に上がってく
 るということは、考えにくいと思いますよ。
 なぜなら、そうした生き物は、目が海底向けになっているからです。

 海底は暗いでしょう。
 つまり、目が暗い所向けなわけです。
 そういう目をもった生き物が、陸上に上がってきたら、あるいは、浅瀬に来
 たら、どうなると思います?
 目が眩んでしまうのではありませんか?

 問題の化石を見ると、目が上を向いていたそうです。
 ということは、太陽光線が、目にモロに射し込んでくることになるというこ
 とでしょう。
 これでは、たちまちのうちに失明してしまうのではありませんか?

 そんな状態で、子孫を残せると思いますか?
 餌をとって生き延びることさえ困難なのではありませんか?
 となれば、こんな生き物が魚類→両生類の中間の生き物になるとは、考えづ
 らいでしょう。

 カラスの賢さ、すなわち、カラスの脳の進化について語る時は、目の話をす
 るくせに、こういう都合の悪い「目の話」は、徹底スルー。
 得意のダブル・スタンダードです。

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<臓器の議論もスルー?>

 進化論者たちは、「うろこ」や「ひれ」や骨格にばかり注目し、喧伝します。
 ですが、重要なことを忘れてはいやしませんか?
 それは、「エラ→肺」という変化です。
 呼吸器という臓器の問題ですね。
 なぜ、この点については、何も論じないのでしょうか?
 不思議です。

 「エラ→肺」という変化(進化)は、劇的な変化です。
 この不連続を埋めてくれる化石と言えるのでしょうか?、この化石は?

 両生類は、謎の多い類です。
 肺はエラが進化したものなのか?
 それとも、全く別のものなのか?
 仮に前者だとしたら、どんな過程を経て、そう進化したのか?
 未だに謎。
 だからこそ、逆に、勝手なリンクが出来てしまうのでしょう。

 進化論者たちは、臓器に関する議論をしたがりませんね。
 魚類とは構造が大きく異なる心臓についても、そうです。
 だからこそ、化石の採集と解釈ばかりに明け暮れているのでしょう。
 化石には、臓器が残っていない場合が多いですからね。
 だから、臓器について検証する必要も、議論する必要もなくなる。
 「うろこ」だの「ひれ」だの骨格だのについて、議論すれば済む。
 そこでは、多くの場合、造形美学的センスに基づく議論だけで通用してしま
 う。
 なるほど、人気が高いわけです。

 ついでに言うと、先ほど目の話をしましたが、「まぶた」についても論じる
 必要が無いわけですね。
 化石として残りそうもありませんから。
 「まぶた」もまた、進化の謎です。
 これなら、化石解釈がやめられないのは、当然でしょう。

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<相変わらず生理学とは無縁>

 それにしても、進化論者たちは、一体、いつになったら、進化の生理学的メ
 カニズムについて論じてくれるのでしょうね?
 延々と、化石解釈ばかり、やってます。
 なるほど、これでは、臓器の問題など論じられるわけがないですよね。

 でも、こんなものが科学と言えるのでしょうか?
 なぜ、こんな分野に、膨大な研究費がつくのでしょうか?
 次に、これについて考えてみたいと思います。

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<統治には必須の宗教>

 進化論の研究や宣伝布教に最も積極的なのは、アングロサクソンの国々でし
 ょう。
 具体的に言えば、英国や米国などですね。
 では、なぜ、これらの国々は、こんな実用価値もない学説をヨイショしたが
 るもでしょうか?
 自国の宣伝のため?
 金持ちユダヤへの媚び・へつらいのため?
 観光のため?
 ま、そういうこともあるのでしょう。
 しかし、何より大きな理由は、人民(笑)の情操のためです。

 人民(笑)をうまく統治するためには、人民(笑)の情操が必要です。
 その際、「我々についてくれば、必ず、今より良い未来が訪れる」と、人民
 (笑)に信じ込ませる必要があるのです。
 今より良い未来が訪れるのでないのであれば、支持してくれないでしょう。
 暴動だって、おきかねない。

 そこで役立つのが、進化論というわけです。
 世の中は進化するものなのだ!と。
 つまり、人民(笑)の支持を繋ぎとめておくための道具なわけです。
 いわば、自由主義圏の情操のための宗教なわけです。

 共産圏では、社会発展論や五ヵ年計画などが、この役割を担ってますね。
 未来は必ず良くなる!と。

 要するに、自由主義圏でも、そういう人民(笑)の「心の支え」となるもの
 が必要だということです。
 「夢」とか「希望」とかを捨てさせない宗教思想が…。

 実は、聖書にすら、こうした要素はあるのですよ。
 悪しき者は断ち滅ぼされ、神に従う正しき者が最後は永遠の救いを得られる
 という教義ですね。
 人民(笑)を治めるためには、やはり、このような発展論型の宗教教義が必
 要なのです。

 ちなみに、日本では、そういう思想のかわりに、年功序列というのがありま
 した。
 大して能力が無くても、真面目に長くやっていれば、それなりの幸せが得ら
 れる…というわけですね。
 日本のやり方の方が、直接的で現実的だと私は思うのですが…。

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<自己否定の眉唾科学思想>

 進化論は、欧米人や、欧米思想に染まった人たちを統治するのに欠かせない、
 情操のための道具(思想)です。
 これは、逆に言うと、そういうものが無いと彼らは正気ではいられない…と
 いうことです。
 ということは、人間は、やはり、辛い状況に追い込まれて絶望的になると、
 やけをおこしてしまう…ということでしょう。

 となれば、やはり、進化するまで待てない…ということになるのではありま
 せんか?
 そして、人間でさえそうなら、まして人間以外の全ての生物の場合もそうな
 る…と考えられるでしょう。

 つまり、仮に進化する潜在能力があると仮定しても、進化する前に滅びてし
 まうため、結局、進化できない(そういう歴史にはならない)…ということ
 です。
 笑うべきことに、進化論への需要や依存が、そのことを証明してくれている
 のです。
 つまり、進化論者たち自身が、進化論を反証してくれているのです。

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発行者:media
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