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『科学』という思想信条 vol.67
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当メルマガを購読していただき、ありがとうございます。
引き続き、『ダーウィン進化論』について取り上げようと思います。
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≪退化論…その17≫
お久しぶりです。
進化論に対する皮肉として提唱する退化論の第17回目です。
今回は、移動がもたらす影響についてです。
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<移動が進化させる?>
進化論信者たちに言わせると、動物は、移動することによって、移動した先
の環境に合うように進化するのだそうです。
でも、本当にそうなるのでしょうか?
これには、シナリオ的に、以下の二つのケースがあるようです。
(1)開拓者型(もしくは冒険者型)
(2)難民型
(1)は、動物が、今まですんでいたのとは別の場所に進出するケースです。
これに対し、(2)は、今まですんでいた場所を追われ、やむなく別の場所
にやってきたというケースです。
そこで、まず今回は、(1)について考えてみましょう。
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<動物は苦行を好むか?>
進出した場所は、今の自分に適さない環境です。
故に、動物にとっては、かなりの苦痛のはずです。
そんな場所に自ら進出し定住しようとする動物がいるでしょうか?
まぁ、人間なら、修行のためとかいって、進出する人もいるかもしれません
けどね。
でも、動物が、そんな苦行を好むでしょうか?
あまりに精神主義的。
人間の場合でさえ、極めて疑問ですよね。
なぜ、貧しい国では、テロリストになりたがる若者が跡を絶たないのでしょ
うか?
それは、野を切り開いて額に汗して畑を耕すよりも、略奪の方が楽して多く
のものを得ることができるからですよね。
人間の場合でさえ、こうなのですから、まして動物ともなれば、なおさらで
しょう。
生き物というものは、楽な方を選ぶものです。
こうしてみると、開拓者型の進化は、その前提からして、おこりそうもない
ことであることに気付くでしょう。
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<食い物があれば…>
もっとも、自分にとって適さない環境の場所に、食い物がある場合は、話が
違ってきます。
動物にとって、もっとも重要なことは、食うことです。
ですから、食い物がなければ、進出などしないのです。
逆に、食い物があれば、進出することがあるかもしれません。
ですから、そうしているうちに、その環境に適応できるようになるのだ!と
いう理屈も成り立たなくはないわけです。
ただ問題は、そこに食い物があるということを、どうやって知り得るのか?
ということです。
食い物になるもの、あるいは、その臭いが、こちらにやって来ることがある
のでもない限り、わからないのではないでしょうか?
そこで冒険者型というのが考えられるわけですが、はたして、動物に冒険な
どしている暇があるのでしょうか?
そんな暇があるのは、霊長類の子ぐらいでしょう。
霊長類の子は、親にいいだけ面倒見てもらえますし、それ故、冒険する余裕
があるわけです。
でも、そういうのは、霊長類の子のように、特定の動物にしか言えないこと
です。
ですから、それを全ての動物に適用しようとするのは、無理というものです。
以上のことから、冒険者型も無理があると言わざるを得ないのです。
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<食うより闘争!>
前にも申し上げましたが、ダーウィン進化論の素晴らしいところは、醜い現
実をも科学の要素として認めたことにあります。
それ以前の科学では、神が定めた美しく調和した法則等しか認められません
でしたからね。
ところが、ダーウィン進化論は、醜さの認め方が、あまりにも中途半端なの
です。
時に、ダブル・スタンダードにもなります。
これがまずいところなのです。
たとえば、弱肉強食などというのがありますが、これについて、“食う”こ
との重要性は考えず、もっぱら“闘争”の方ばかりに注目するのです。
こういうところが、進化論が文化マルキシズムたる証拠なのです。
動物にとって一番重要なことは、食うことです。
闘争(生存競争)ではありません。
食うために、結果的に闘争しているだけのことなのです。
そこを勘違いしては、いけません。
食うことが重要だなんて、美しくない。
卑しい、醜い。
でも、それが事実なのですから、受け入れなければなりません。
そういうことができないのですよ、進化論者たちは。
闘争の方が重要なわけです。
まぁ、闘争好きのマルキストなら無理もありませんが…。
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<無理の無い退化論>
退化論では、開拓者型や冒険者型のような無理のあるシナリオは描きません。
生物に苦行は要求しないのです。
移動することがあるとすれば、移動先に食い物があり、なおかつ、移動先の
環境が自分に適したものになっている場合だけです。
退化論の場合、生物が環境に甘える…という醜さ(?)が、変化の原動力と
なります。
環境に甘えることにより、不要となる部分が退化し、より個性化していく。
これが、退化論の考え方です。
ですから、移動により変化することがあるとすれば、それは、移動先が、そ
れまでよりも、より恵まれた環境である場合です。
ただし、生物の存在が環境を変えてしまうことがあるのは、事実です。
特に、自分自身の存在が環境に与える影響をも考えなくてはなりません。
ですから、複雑な多体系の問題になります。
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<進化論は「正しい歴史」>
そこへいくと、進化論は単純でいいですよね。
環境との矛盾が発展的変化をもたらすのですから。
すなわち、自然界における内部矛盾が発展の原動力になるという、弁証法的
唯物論の世界です。
しかも、弱肉強食の闘争史観でもあります。
そう、進化論は、「正しい歴史」の生物学版なのです。
なるほど、NHKがヨイショするわけです。
まぁ、ブラック・ユーモアはこれぐらいにして…
次回は、(2)の難民型について考えてみたいと思います。
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≪余談・その1…進化論信者たちの面白い傾向≫
さて、ここからは余談です。
進化論を盲信・狂信している人達をウォッチングしていると、以下に述べる
ような、二つの面白い傾向(態度のとり方)があることに気付きます。
まず一つは、他人に対しては進化論、自分に対しては創造論であることです。
他人は獣に過ぎない。
これに対し、自分は神に似せて作られた、すべてを支配する者。
もう一つは、他人に対しては唯物論、自分に対しては観念論であることです。
他人はただの物質にすぎない。
これに対し、自分の精神は全ての根源。
何とも人間的な人達です。
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≪余談…IDを反証できますか?≫
みなさんは、IDを反証できますか?
創造論の焼き直しにすぎないから…では、反証になっていませんよ。
そんなことはあり得ない!という証拠を示さなければ…。
反証できないからといって科学とは限らない!ですか?
だったら、進化論だって科学とは限らないのではありませんか?
進化論をめぐるダブル・スタンダードには、もうウンザリです。
別に、IDが正しい!と言っているのではありません。
私自身は、御存知のように、退化論という、創造者を必要としない理論の支
持者です。
私が言いたいのは、進化論以外は認めない人達が、人に厳しく自分に甘い人
達であるということです。
こういうのがウケるのですね。
いわゆるポピュラー・サイエンス(その実は文マル科学)というやつが…。
やはり、類は友を呼ぶわけです。
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発行者:media
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