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『科学』という思想信条 vol.65
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当メルマガを購読していただき、ありがとうございます。
引き続き、『ダーウィン進化論』について取り上げようと思います。
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マガ『隠れオカルティズム』のvol.3〜14を、まず御覧になることをおすす
めします。
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≪退化論…その15≫
進化論に対する皮肉として提唱する退化論の第15回目です。
今回も話題そのものは、生物についてではありませんが、たとえとして参考
になると思います。
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<あまりに恣意的な評価>
進化とは、より優れたものへと変化することですよね。
でも、何が、あるいは、どちらが優れているか?ということは、簡単に決め
られることではないでしょう。
たとえば、文明人と未開人を比較してみましょうか。
文明の利器を操るという点では、文明人の方が遙かに優秀ですよね。
でも、文明の利器が無いと何もできない(故に生きてもいけない)のも事実
なわけです。
そこへいくと、未開人の方が優れているのではないでしょうか?
文明の利器に依存しているとという点では、文明人の方が劣っていると言わ
ざるを得ないでしょう。
肉食獣と草食獣でも同じですね。
暴力闘争では、肉食獣の方が優秀。
でも、肉食獣は草食獣がいないと生きていけない。
つまり、依存している劣等者なのです。
このように、どこを見るかで、どちらが、あるいは、何が優秀なのか?、変
わってきてしまうのです。
つまり、優秀とか高等なんて概念は、(一部の)人間の感覚によって恣意的
に決められていることなのです。
ですから、客観的でもなければ、まして絶対的なものでもないのです。
となれば、進化も何もあったものではないでしょう。
その前提となるものが崩れてしまっているのですから。
一部の人間の主観的・感覚的な評価を前提とする空想よりも、もっと物質的
な面からの現実的探求を目指すべきでしょう。
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<進化の実態は依存>
進化というシナリオは、人が創ったものです。
進化は、自然現象なのではなく、人間の意志によって築かれるものなのです。
その象徴といえるのが、NHKが盛んに売り込み続けてきた「デジタル進化
論」でしょう。
デジタルの進化は、まさに依存の産物です。
デジタル技術は情報工学の産物ですが、情報工学だけでは駄目なのです。
情報工学の技術を実現するために、情報工学以外の様々な技術が必要なので
す。
たとえば、電子工学。
それも、アナログに関する技術が必要になります。
デジタル回路はアナログ回路の一種にすぎないのですよ。
さらに、電子回路等を作るには、様々な部品が必要。
部品を作るには、材料の観点からは金属工学や化学工学等の技術が必要。
また、材料を加工する必要がありますから、機械工学等の技術が必要。
また、材料を得るためには資源が必要で、地質学とかが必要ですね。
また、それを運ぶ流通が必要。
また、地下資源の採掘とかには、肉体労働者が必要。
さらに、海外からの資源を確保するのには、外交政治の力が必要。
開発資金を得るには、金融のお世話にならなきゃいけない。
作ったものが売れるためには、営業の人たちに頼まなければ…。
…という具合に、様々なものに依存しまくっているのです。
そう、進化とは見せかけで、実は依存しまくり状態なのです。
まだありますよ。
たとえば、デジタル家電が売れたのは、政治家が民意を完全に無視して、地
上波デジタル化を強行してくれたおかげ。
また、ジャーナリズムが「VHSとかアナログ製品は無くなるんだぞぅ」と
世間を脅迫してくれたおかげ。
依存しまくりです。
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<依存するアート>
アートの世界にも、依存しまくっている分野があります。
それが、デジタル・アートです。
デジタルをヨイショするNHKのおかげで、いい思いをすることができたデ
ジタル・アーチストたちが結構沢山いるのではないでしょうか?
デジタル・アートは、最も進化したアートである…てか。
これまた、依存する人たちですね。
デジスタとかやってますけど…。
デジタル・アートって、そんなに素晴らしいものなのでしょうか?
技術的には目新しいものでも、その作品がそんなに人を魅了するものと言え
るのか?ってことです。
デジタル・アートって、発色が派手な割には単調で、すぐに飽きてしまうの
ではないか?と思うのですが…。
NHKがデジタル・アートをヨイショするのには、理由があります。
それは、デジタル・アートは、(言葉ではうまく表現できないのですが)細
かい情報が少ないからです。
デジタル放送や、民生用のデジタル録画機器では、データの(不可逆)圧縮
が行われているのですが、これは細かい情報に弱いのです。
そういう情報があると、めちゃ画質が劣化するわけです。
そこへいくと、デジタル・アートは、細かいデータが少ないものですから、
ボロが出なくて良いわけです。
また、CGアニメのような動画の場合は、画面を切り替えるタイミングをう
まく選ぶことで、ブロック・ノイズのような(圧縮による)画質劣化がほと
んどない映像を実現できます。
ですから、デジタル高画質幻想を信じ込ませようとするNHKにとっては、
非常に都合が良いわけです。
でも、デジタルなんて、ただの道具・手段でしょう。
そんなものを有り難がるのは、思想オタクだけですよ。
問われるのは、出来上がった作品の芸術上の価値のはずです。
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<進化、発展、人為>
デジタルは、依存のデパートです。
そんなものを「進化」と呼ぶなんて、ヤラセでしかないでしょう。
ま、確かに、ある面に注目すれば優れているところもあるのは事実でしょう
し、技術の進歩であることも認めますけれどね。
でも、依存というみっともない実態を隠してまで持ち上げるのは、いかがな
ものかと…。
ま、ハッキリ言えることは、「進化」と呼ばれているものは人為にすぎない
ということですね。
自然の流れなんかではないのですよ。
そういう意味では、(社会)発展論と同じです。
本当に彼らのシナリオ通りに社会が発展するのなら、革命闘争なんか必要な
いのですよね。
ま、類は友を呼ぶで、マルキストと進化論盲信者がだぶるのは、決して偶然
ではありません。
進化も(社会)発展も、人が人為的に作り出すものです。
そして、そういうものは、確かに発展・進化し続けます。
たとえば、朝日新聞の論調。
NHK番組改編問題で、「政治圧力があった」という報道が、いつの間にか
「政治との距離」に論点が進化してしまいました。
日教組の主張も進化しています。
あれだけ「ゆとりの教育」を主張していたのに、その弊害が隠せなくなると、
今度は「文科省が悪い」と主張が進化しました。
朝鮮民主主義人民共和国は、追軍売春婦のことを従軍慰安婦と、また、徴用
のことを強制連行と、それぞれ呼び方を進化させました。
中国は、南京事件のことを南京大虐殺とイメージを進化させ、さらに、その
死者数や被害についても、年々、進化させ続けています。
そう、マルは進化させるのが好きなのです。
昨年度NHKが放送していた番組名ふうに言うならば、「進化させる心 進
化させられる心」(*)といったところでしょうか。
そう、進化には心のパワーが必要なのですよ。
(*:オリジナルは「だます心 だまされる心」。そんな説教をしている
ジャーナリズムが、南京大虐殺の証拠写真のウソを見抜けなかった
のは、なぜ?)
(つづく)
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≪余談≫
さて、ここからは本題とは関係のない余談です。
この前、配信した「2005/05/01合同特別号」の「人を信じちゃいけないって
ことですか?」という見出しの記事で、安全志向オタクたちの機械依存症と
分裂症のことを皮肉ったのですが…
案の定…というか、国土交通大臣が、新型ATSの導入を義務づけちゃいま
したね。
そう、「人を信じちゃいけない」と、あのオッサンは説いているのです。
なーるほどねー、そんじゃー言わせてもらいますけど…
あの「鶴の一声」で、ATSの業者は、えらい儲かったんとちゃいますぅ?
国土交通省は、業者から大いに感謝されたのではないか?…と。
で、社会人の常識として、お礼とかあったんじゃないか?…と。
「人を信じちゃいけない」というのなら、これぐらいの懐疑精神は許される
と思うのですが…。
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発行者:media
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