【科学という思想信条】
【マルクスとアインシュタイン】 2005/05/01合同特別号

   今回もゴールデンウィーク合同特別号をおおくりいたします。
   テーマは前回の続きです。


●人を信じちゃいけないってことですか?

 TVをはじめとするマスコミは、盛んにJRを責め立てていますね。
 ま、それは良いのですが、勘違いな批判は困りものです。
 たとえば、ATSなどの安全装置の類が旧式だったことをネタに、営利優先
 ・安全軽視と喧伝するのは考えものだと思います。
 なぜなら、旧式でも人間がしっかりしていれば、事故なんかそうそう起こる
 ものではないからです。

 もちろん、人間である以上、ミスはあり得ます。
 でも、機械だって故障や異常をきたすことがあるでしょう。
 「絶対」などと言えるものはないはずです。

 安全装置の重要性を説くことは、「人を信用してはいけない」と説くことに
 なるはずです。
 これは、誰かさんたちの教義「人を信じてはいけないとは言えない」と矛盾
 していることではありませんか?
 またまた得意のダブル・スタンダード。
 もっとも、ああいうことを言いながら、「まず疑ってみよう」だの「懐疑精
 神が重要だ」だのと説教する人たちですから、今更改めて指摘するほどのこ
 とでもないのですが…。


●出ました!「心のケア」説教

 こういう悲惨な出来事が起こると必ず出てくるのが、「心のケア」説教です。
 案の定、今朝の北海道新聞にそれが載っています。

 確かに、まともなケアは必要です。
 でも、マスコミが持ち上げる「心のケア」は、空理空論の文化マルキシズム
 にすぎません。

 北海道新聞が、この種の「心のケア」を持ち上げるのは、驚くに値しません。
 なぜなら、北海道新聞は、勝手に危険なところに行って人質になって世間に
 迷惑かけてPTSDになった(?)人たちのことを、未だに祭り上げている
 メディアだからです。
 「心の傷」が重要になってくるのは、政治・思想・宣伝上、当然でしょう。
 その北海道新聞もまた、NHK同様、進化論や相対論(的宇宙論)をやたら
 と持ち上げたがるメディアです。
 次はNHKかな?


●制限速度の意味

 それにしても、脱線速度133キロとは、どういう意味の数字なのでしょう
 か?
 その速度に達しない限り絶対に脱線しない速度…という意味なのでしょうか?
 それとも、その速度なら確実に脱線する速度…という意味なのでしょうか?
 同じ133キロでも、意味が全然違いますよね。
 これは是非ともはっきりすべきことでしょう。
 JRおよび鉄道総研には、その義務があるはずです。

 科学通を気取るマスコミは、前者の意味で報道しています。
 でも、後者の意味だとしたら、彼らは嘘をまき散らしていたことになるので
 す!

 言うまでもなく、後者なら、133キロよりも遅い速度で脱線する可能性が
 出てきます。
 100キロちょっとで脱線することだって、あり得るはずです。
 速度の出し過ぎだけで説明がつくことになる。
 したがって、「速度の出し過ぎだけでは脱線は起こらない」という報道・分
 析は嘘だったことになるわけです。

 前回も述べましたが、工学の分野では、数字が確定値で述べられることは、
 ほとんどなく、「プラマイいくら」といった範囲をもって表現されるのが普
 通です。
 そうでなければ、確率的な表現をするはずです。
 たとえば、速度○キロなら脱線の確率は○%…というふうに。
 なのに〜ぃ…。

 一方、学者の中には、制限速度を50キロくらい超えないと…と主張してい
 る人もいます。
 もしそうなら、脱線速度は、70+50=120キロ。
 ということは、JRが発表した133キロという数字は、プラマイの範囲の
 大きい方(プラスの方)だったのではないか?
 となれば、小さい方は、120−(133−120)=107キロとなり、
 脱線する可能性が出てくる。
 もちろん、この計算は、私の勝手な推測ですが…。

 いずれにせよ、133キロの数字の意味や根拠をきちんと公表すべきでしょ
 う。

 確定値が求まるのは、(初等)物理学のように、問題が恐ろしいほど理想化
 され、現実世界からは程遠いほど単純化されたモデルの問題においてだけで
 す。
 したがって、脱線する・しないの境界は、デジタル的な明瞭なものではあり
 ません。
 アナログ的な曖昧なものです。
 それを考えると、JRの発表は、速度の出し過ぎのせいにされたくないがゆ
 えの行為だったと疑いたくなるのです。
 得意の懐疑精神はどこに行っちまったんだ〜?

 制限速度とは、一般的には、それを守っている限りにおいては、ユーザー
 (運転者)は責任を問われない…ぐらいのものです。
 ですから、それを超えてしまうと、安全は保証されず、何が起きても(ユ
 ーザーは)文句を言えず、自己責任で…ということになるのです。
 ですから、制限速度を明らかに超えていた今回の事故では、事故が起きても
 不思議ではない…と報じるべきだったのです。
 それを、「制限速度を超えたくらいでは脱線は起こらない」と報じるのは、
 制限速度の重要性に対する世間の認識を失わせる行為であり、交通事故を増
 やすことになる行為なのです。
 マスコミは、この責任を問われるべきでしょう。


●やっぱり「総合」がお好き

 それにしても呆れるのは、TVや新聞といったメディアに登場する学者たち
 に、133キロという数字を疑う者がいないことです。
 成分調査と、目撃者の証言などから、置き石説の可能性は極めて低くなった
 ようですが、それが報じられる前は、置き石説を疑おうともしなかった。
 それどころか、「速度の出し過ぎ+置き石」説を唱えてさえいた。
 そう、彼らお得意の「総合」です。
 弁証法(的唯物論)の実践であります。
 さすがは文化マルキスト!
 やはり正体は隠せない。


●気になる労組の隠蔽体質

 昔から労組には、同志の不祥事を隠そうとする体質があります。
 今回の車掌もそうでしたね。
 だからこそ、JRは厳しい罰則を設けたのではないでしょうか?
 事故を起こした運転手に何らかの問題があったことをJRが把握しきれなか
 ったのも、労組の隠蔽体質が原因だったのではないでしょうか?
 労組は被害者ぶっていますが、疑ってみる価値はあると思います。
 NHKを見ればわかるように、経営者だけが腐敗しているということは、ま
 ずあり得ないことだからです。
 労組贔屓な報道があまりにも目立つ中、この程度の多様性精神(?)は許さ
 れると思うのですが…。
 もちろん事故を起こした一番の責任はJRにありますよ。念のため。


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発行者:media
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