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           『科学』という思想信条 04/12/18特別号

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≪おわび≫

 今回も、進化論はお休みにして、地震に関する私の持論を述べたいと思いま
 す。
 というのは、最近、私の故郷=北海道で地震が多いからです。(つまり、全
 く個人的な理由。(^_^;) )
 前回、釧路沖で11月29日にM7.1の地震がありましが、そのわずか一週間
 後の12月6日、今度はそのすぐ近くの根室半島南東沖を震源とするM6.9の
 地震がありました。
 そして、さらに、15日の日には、留萌管内南部で、M6.1の地震が。
 で、詭弁ばかりの地震学者たちに、ちょっとムカついてるです。
 というわけで、今回も地震に関する異端論を展開したいと思います。
 もちろん、支持するかしないかは、みなさまの自由です。

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<またまた後知恵的リンク>

 地震が短期間のうちに立て続けに起きると、(地震が起きてから)それらの
 地震は関連がある…みたいに言う人たちが、必ず現れるのですね。
 で、地震が活発な時期に入った…とか言うわけです。
 でも、それでは、予知ではなく、単なる後知恵でしょう。

 実際、こういうリンク論(なんて言い方はしないのですが…)は、すぐにボ
 ロが出ます。
 予想が当たらないのです。
 たとえば、6日の地震の後、太平洋側の海域が活発な地震の時期に入った…
 と学者たちは言っていたのですが、15日の地震は日本海側で起きたもの。
 位置が逆ですねん。

 もちろん、これで太平洋側で地震が起きる可能性が無くなったというわけで
 はありませんから、全くの間違いだったとは言えませんが…。
 地震が起きてから、「あーだ、こーだ」理屈を言われても、ぜーんぜん説得
 力ありません。
 そんなものをありがたがるのは、権威に対してノーチェックな地方新聞ぐら
 いなものでしょう。

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<♪プレート境界は続くーよー、どーこまでもー♪>

 プレート境界は、線路と同様(笑)、人間の需要に応じて、どこまでも延び
 るもののようです。
 15日の地震の際、学者たちは、日本海側のプレートと、陸側のプレートと
 の境界で地震が発生した…と説明しました。
 ところが、図を見ると、境界は日本海のかなり沖の方にあるのですよね。
 一方、震源地は北海道の陸地部分。
 だいぶ離れているのです。
 位置が一致してないのです!

 で、これに対する学者たちの言い訳がおもしろくて、境界が留萌南部にも延
 びている可能性が高い…というのです。

 なるほどねー。
 でも、境界って、そんな線路みたいに延びるものなのでしょうか?
 震源の位置を一致させるために延ばしているだけのように思えてしまうので
 すが…。
 こんな論理が通用してしまうのなら、どこで発生しても「境界が延びている」
 でごまかせますね。
 こんなのが科学と言えるのでしょうか?

 境界の延びに制限は無いのでしょうか?
 そのあたりからして、定説(プレート説)は胡散臭く思えてなりません。

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<「割れ残り」って、確かめたの?>

 一方、順番が逆になってしまいましたが、6日の地震の時は、29日の地震
 の際の「割れ残り」によるものだ…と学者たちは説明しました。
 当然、典型的な「プレート跳ね返り」によるものだ…とおっしゃられました。
 でも、本当に「割れ残り」のせいだったのでしょうか?
 ちゃんと確かめられたのでしょうか?
 理論による想像だけでおしまい…だったりして。
 これでは、単なる自己満足ではないでしょうか?

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<海水は濁らないの?>

 ところで、海底(の下)でプレートが跳ね返ったのだとしたら、海水はかな
 り濁るのではないでしょうか?
 何しろ、それによって津波が起きたりするくらいなのですから。
 海水の濁りは観測できたことがあるのでしょうか?

 ま、境界が海の深いところにあるから見えないのでしょうね。
 おまけに、地震発生時刻が夜ともなれば、なおさらでしょう。
 ラッキー!

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<ベッドのシーツのしわ>

 ベッドのシーツの「しわ」って、なかなか無くせませんよね。
 ある部分のしわを無くそうと、別のところにしわができちゃったり(寄っち
 ゃったり)します。
 ある部分のしわが無くなると、別の部分にしわができる(寄る)わけです。

 そこで、「しわ」を「歪み」と考え、シーツを地殻だと思って下さい。
 ある部分の歪みが地震によって解放されると、別の部分に歪みがたまり、そ
 こで地震が起きる…。
 こんなことが考えられはしないでしょうか?
 地震が(少し)離れた場所で立て続けに起きるのは、こういうメカニズムに
 よるものではないのかと私は思うのです。

 真偽はともかく、こういったメカニズムの説明をしてくれるのならば、多く
 の人が納得すると思うのです。
 が、彼らがそういう具体的な説明をすることは、まずありません。

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<津波という盲点>

 ところで、地震の定説が盲信されていることに関して、意外な盲点がありま
 す。
 それは、「津波」です。

 震源地は奥底深いところにあるわけですから、地震のメカニズムを直接確か
 めるのは、まず不可能でしょう。(サンダーバードのジェットモグラでも無
 理でしょう。たぶん。(^^;) )
 しかし、これに対して、海は潜って確かめられる場所です。
 また、潜らなくても、超音波などで海底の地形などを知ることができるそう
 です。
 そのせいか、津波の発生メカニズムはわかっている…ことになっています。
 ですから、地震から津波を予知することは、かなり正確にできる…はずなの
 です。

 ということは、もし、津波の予知がはずれたら、地震のメカニズムが間違っ
 ていたことになりますよね。

 で、津波の予知(予想)と、実際の津波のデータを比べてみますと…
 これが、結構、はずれることが多いのですよね。
 あまり話題にはなりませんけれど…。
 数値が一致しないのです。(大抵、予想値よりも実際の値が小さい。)
 時には、「来る」と言っていて来ない場合もあります。
 ま、津波なんて来ない方が良いに決まってますから、予知がはずれても、そ
 れを責める人はいないわけですが…ね。
 でも、学術的には、これは大問題なんすよ。

 予想した高さの津波が来なかったということは、予想された海底の変化が無
 かったということであり、それは、すなわち、プレートの跳ね返りなど無か
 った可能性が出てくるわけです。
 つまり、プレート(跳ね返り)説が間違っている可能性です。

 もっとも、多くの人は、津波(のデータ)には関心をもちません。
 これが幸運な盲点になっているのです。
 そのおかげで、定説(プレート説)は全く疑われずにすんでいるのです。

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<ピッチカート>

 バイオリンなどの弦楽器には、ピッチカート奏法といって、弦を指ではじい
 て音を出す演奏法があります。
 ハープやギターなど撥弦楽器では、当たり前の奏法ですが…ね。

 で、ここで二つの問題が生じてくるわけです。

 一つは、弦の弾き方です。
 弦を引っ張って放す…ということをするわけですが、この放し方が問題なの
 です。
 弦を一気に放さなければ、音は出ませんよね。
 弦がゆっくり戻るように放したのでは、音は出ません。

 これと同じことが、プレート(跳ね返り)説でも言えるわけです。
 ゆっくり跳ね返ったのでは、振動になりません。
 つまり、地震にならないのです。
 地震になるためには、一気に跳ね返らなくてはなりません。

 ならば、それは具体的にどのくらいの速度なのでしょうか?
 彼らは、この問いに答えようとしません。

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<反射、共鳴、残響>

 二つ目の問題は、ピッチカートは音が長く響かないことです。
 弓で弦をこすって音を出すのとは、明らかに楽器の鳴り方が違います。

 同じことが、プレートの跳ね返りにも言えるわけです。
 地震になるためには、一気に跳ね返らなければならない。
 でも、そうなると、(ほとんど)一回きりの「ドスーン」で終わってしまう
 でしょう。
 これは、実際の地震とはかなり違いますよね。

 ピッチカート奏法でも、楽器が(ある程度)鳴り続けるのは、弦に発生した
 波が弦の端で反射するのと、振動が伝わって楽器全体(内部の空気も含む)
 が共鳴するからです。
 もし、それらがなければ、あっという間に鳴りやんでしまうでしょう。

 はたして、地震の方は、そのあたりの説明がうまくいっているのでしょうか?
 境界で発生した波(というよりも変位)が伝わって行くだけでは、揺れが続
 く地震は説明できません。

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<単純すぎる!>

 こうしてみると、定説であるプレート(跳ね返り)説は、わかりやすい反面、
 あまりにも単純すぎるのではないか?という疑念を抱かざるを得ないところ
 あることに気付くでしょう。

 プレートが跳ね返る速度は?
 速度が遅ければ、振動は起きず、地震にはなりません。

 プレートの跳ね返りの変位は?
 変位が小さければ、振動の振幅も小さくなってしまい、大きな地震にはなり
 ません。

 一気に跳ね返るの?
 それとも、段階的に跳ね返るの?
 こうした力学的に極めて重要な具体的問いに、彼らは答えてくれません。

 跳ね返った後、境界面で往復運動はあるの?
 もし、なければ、一回きりの「ドスーン」で終わりでしょう。
 でも、境界面って、往復運動可能なほど滑りやすいのでしょうか?
 そんなに滑りやすかったら、歪みがたまる前に滑ってしまうのでは?
 それでは、大きな歪み(→弾性エネルギー→地震のエネルギー)はたまらな
 いと思うのですけれど…。

 というふうに、問い詰めれば問い詰めるほど、胡散臭さが見えてきてしまう
 のです。
 地震の説明としては、やはり単純すぎるのではないかと思います。

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<境界と統一大陸思想>

 ここで、素朴な疑問。
 プレート境界って、いつ、どのようにして、できたのでしょうか?
 これは、「ゴンドワナ大陸」説にとって、極めて深刻な問題になることだと
 思います。

 もしゴンドワナ大陸ができる前からあったのだとすると、ゴンドワナ大陸と
 いう巨大「統一」大陸(笑)はできないことになってしまいませんか?
 プレート境界でゴンドワナ大陸は引き裂かれて、現在のようになったことに
 なっているわけですから。
 どうして、そんな場所に、巨大「統一」大陸が誕生し得たのでしょう?

 逆に、ゴンドワナ大陸ができた後に、境界ができたのだとすると、どうして
 そんな場所にプレートの境界ができたの?、という疑問がわいてきます。

 結局、どうやっても、疑問は生じてくるわけで、それに答えられないという
 ことになれば、やはり胡散臭いものとみなされても文句は言えないでしょう。

 プレート(・テクトニクス)が盲信される最大の理由は、巨大「統一」大陸
 のおかげではないでしょうか?
 何しろ、今時の文化人たちは、「統一」が好きですからねー。
 進化論同様、どうも「文化マルキシズム」の香りが…。

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<不均一によるただのひび割れだったりして>

 もしプレート(跳ね返り)説が間違いだとすれば、では、地震はどうして起
 きるのでしょうか?

 私は、地震は岩石(地殻)が壊れる際に生じる振動だと思っています。
 その際、注目すべきは、「地殻のどういうところが最も壊れやすいか?」と
 いうことです。

 まず、物質(物性)の不均一なところが壊れやすいでしょう。
 たとえば、海と陸の境目付近(といっても、水際とかではなく、かなり広い
 範囲を指すのですが)は、アブナイですね。
 陸ばかり続く場所とか、海ばかりが続く場所は、物質が(比較的)均一です
 から、壊れにくい。
 実際、旧大陸や大洋(の真ん中)では、地震はあまり起きませんよね。
 「プレートの境界」とやらも、見あたりません。
 多く見かけるのは、陸と海との境目付近です。

 次に挙げられるのが、力のかかり方が不均一な場所。
 海と陸の境目付近では、ジオイド面が傾斜してますね。
 これは不均一な力がかかる原因になるのでは?
 一方、陸ばかり続く場所とか、海ばかりが続く場所は、ジオイド面は(比較
 的)平坦ですから、力のかかり方も一様になるのでは?
 これまた、地震のデータとよく一致します。

 こうしてみると、「プレートの境界」と言っているものは、実は単に「大き
 く目立つひび割れ」ではないのか?、という気がしてくるわけです。

 マントルの対流による影響は(今のところ)全面的に認めますが、プレート
 の考え方には、正直言って、あまり賛同する気にはなれません。

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<地震雲について>

 地震雲に関して、講談社(週刊現代)が朝日(新聞)に噛みついてるみたい
 ですね。
 相対論神話やビッグバン神話の布教においては、大の「なかよし」だったの
 に…。(月に代わってお仕置きよ!)

 講談社は、地震雲などに関する本を出版してますから、その意地もあるので
 しょうが…。
 それにしても、朝日の態度は、権威に対してあまりにも「犬」だと思います。
 特におかしいのは、地震雲ではない雲を「地震雲ではなかった」として、地
 震雲など存在しないと結論づけていることです。

 普段、雲など眺めない人たちは、どういう雲が地震雲なのか、わからないで
 しょう。
 こういう人たちが、不安になって雲を眺めると、あらゆる雲が地震雲のよう
 に見えてしまうようになるものです。
 ですから、こういう人たちが「地震雲」と言った雲が、地震雲でなくても、
 それは地震雲が存在しない理由にはならないでしょう。

 地震雲が迷信だと言うのなら、地震雲のわかる人たちが言う「地震雲」を反
 証しなければ無意味ですよね。
 そういう意味では、朝日の態度は、あまりにも権威主義的!と言わざるを得
 ないのです。
 地震雲の真偽とは関係なく。

 拉致問題で少しは変わるかと期待していたのですが、やはりNHKと同じみ
 たいですね。

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発行者:media
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