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           『科学』という思想信条 04/12/02特別号

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≪おことわり≫

 今回も、地震…それも予知に対する私の持論を述べたいと思います。
 もちろん、支持するかしないかは、みなさまの自由です。

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<典型的なのに予知できず>

 新潟の大震災の後の先月29日、今度は釧路沖でM7.1の地震がありました。
 で、地震学者たちによると、これは「典型的なプレート境界型の地震」なの
 だそうです。

 そこで、疑問。
 「典型的」なら、なぜ予知できなかったのですかね?
 これは、たとえ典型的な地震であっても、予知は不可能であることを意味し
 ているのではないでしょうか?
 にもかかわらず、それでも予知研究に税金やマンパワーを注ぎ込み続けるの
 は、はたして、いかがなものか?、と。

 学者の言い分がおもしろいのですよ。
 曰く、「十勝沖地震の直後から、次は釧路沖か青森県沖で大きい地震が起き
 るのでは、と危惧していた。今回の地震は一言でいうとマークしていた地震
 だ」。
 これは、地震が起きたから言えたようなセリフで、おまけに予知とは程遠い
 ものでしょう。

 地震が頻繁に起きる地域について、「五〜十年おきに地震が起きる可能性が
 ある」なんて言われても、一般人にとっては予知としての価値は無しです。
 そんなこと、学者様に言われなくてもわかることなのですから。

 こういう統計的・経験則的な話ではなく、具体的な力学の話をしてもらいた
 いですよね。
 ここに、これだけの力が加わって、これだけの歪みが生じ、これだけの弾性
 エネルギーが蓄積されているから、これだけの地震が起きそうだ…という話
 です。
 地震学者たちは、そういう肝心の話を全然してくれません。

 そういえば、「東海沖地震は必ず起きる」と、恐怖を盛んに煽っている人た
 ちがいるようですが…。
 中規模以下の地震が頻繁に起きているうちは、(火山活動や地殻変動とかが
 無い限り)どでかい地震は滅多に起きないものです。
 むしろ、地震がピタッと起きなくなってしまった場合が怖いのです。
 歪みのたまり方を考えれば、これは当然でしょう。
 前者では、歪みが小さいうちに即解放される。(∴放出エネルギー小。)
 これに対し、後者では、歪みが解放されずにどんどん蓄積されていく。(∴
 放出エネルギー大。)
 メディアは、そういう力学的な考察をもう少し重視されてはどうかと思いま
 す。

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<震源地って点なんですかぁ?>

 ところで、最近、気になってしょうがないことがあります。
 それは、TVや新聞などで、震源地がバッテン印(×)で示されていること
 です。
 これでは、震源地は「点」ということになってしまうでしょう。

 プレート境界型の場合、これはいただけない表記のはずです。
 なぜなら、プレートが跳ね返ることで地震が起きるわけですから。
 「跳ね返る」というのは、「幅がある」ことを意味するはずでしょう。
 一方のプレートが潜り(沈み)込んでいくのに、もう一方のプレートが引き
 ずり込まれ、ひずみが限界に達した時に、それが跳ね返るのですから、その
 際にプレートが滑る(ずれる)境界面の範囲は、かなり広範囲にわたるはず
 です。
 したがって、震源も点にはならないはず。
 こういうところからして、プレート盲信者たちの言うことはおかしいのです
 よね。

 ちなみに、ここで述べた問題点は、二次元的にしかものを考えない(見よう
 としない)うちは、なかなか気付かないと思います。
 TVであれ、新聞であれ、教科書であれ、プレートの説明の図は「断面図」
 という二次元の図ですからね。
 だから、断面の位置のことしか気にしなくなる。
 それ故、震源が×表記でも疑問に思わない。

 もっとも、注意深い人は、そういう図でも、震源は少なくともプレートの境
 界にそった曲線範囲であること、すなわち、点ではないことに気付くと思う
 のですが…。

 ここは改めて、三次元的にものを考え(見)てみましょう。
 そうすれば、跳ね返る範囲(→震源)は、「点」ではなく「面」であること
 に気付くはずです。
 地震報道はやはり変なのです。

 果たして、震源×表記が間違っているのか?、それとも、プレート説が間違
 っているのか?

 権力に対するチェックはあっても、権威に対するチェックが全くないのが、
 メディアというものです。

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<跳ね返りを確かめなくて良いの?>

 プレート説(という言い方があるのかどうかは知りませんが)を盲信する地
 震学者たちを見ていて、もう一つ気になるのは、プレートが跳ね返ったこと
 を確かめようとしないことです。
 そんな態度で良いのでしょうか?

 「否、確かめたくても、予算の都合などで、確かめられないのだ!」と言わ
 れるかもしれません。
 でも、科学である以上、検証は必要でしょう。

 「カネあまり」のNHKは、プレートが跳ね返る瞬間の映像とかを撮影すれ
 ば良いのですよね。(アホなCGアニメなんか作ってないで。)
 何しろ地震学者によれば、今回お話しした釧路沖は、プレートが沈み込むス
 ピードが非常に速く、地震が起きるのが「マーク」できるほどなのだそうで
 すから。
 20年ぐらい粘ればチャンスはあるでしょう。
 「NHKのハイビジョンカメラが世界で初めて撮影に成功しました」なぁ〜
 んてことになったら、世界中から尊敬の眼差しで見られますよ。
 誰か、偉大な領導者=エビ様に教えてあげたら。(笑)

 え?、深海だから技術的に無理ですって?
 だったら、プレートの歪み具合を検出することもできないはず。
 となれば、まともな予知なんて絶対に不可能ですよ〜ん。

 もっとも、それ以前に、「プレート説は本当に正しいのか?」という疑問を
 抱く人もいるかもしれません。
 ものが壊れると盛り上がることがありますから、津波は必ずしもプレート説
 の正しさを証明する必要十分条件とは言えなくなるのかも…。

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<予知より現象の解明を>

 地震の研究を見ていて非常に奇妙に思えるのは、(様々な)現象に関する研
 究よりも、「まず始めに理論ありき」みたいなところがあることです。
 特にプレート説は「原理」主義化されていますね。
 これでは、科学ではなく思想・宗教です。

 地震雲などが真面目に議論や検証の対象にならないのも、そのためでしょう。
 (注:別に地震雲が絶対に存在すると言っているわけではありません。ろく
 な検証もせずに否定するのはおかしい、と言っているのです。)

 まず、現象に対する研究を優先させるべきでしょう。
 それによって、まともな予知の研究ができるようになるはずです。

 政治だけでなく学会に対するオンブズマンも必要だと私は思います。

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発行者:media
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