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           『科学』という思想信条 vol.63

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 引き続き、『ダーウィン進化論』について取り上げようと思います。
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≪退化論…その13≫

 進化論に対する皮肉として提唱する退化論の第13回目です。
 今回も(次回以降も)しつこく「依存」のことを中心に話を進めます。
 「依存」については、どんなに強調しても強調しすぎるということはありま
 せん。
 「進化」という幻想が盲信される最大の要因の一つが、「依存」から目を背
 けていることなのですから。

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<偏った観察力>

 「進化」というのは、幻想または錯覚です。
 少なくとも、ある部分に目を奪われて、他の部分に目が行かなくなっている
 証拠です。
 現に、進化したはずの生物が絶滅しているではありませんか。
 絶滅するのは、何かを得た代わりに、他の何かを失っているからです。
 そして、それに気付かないのは、「依存」という事実から、目を背けている
 からです。
 「進化した生物」とは、実は、「依存」によって、不要になった機能を捨て
 ることにより、ある目的のためにより最適化されただけの存在なのです。
 つまり、最適化された部分だけを見て、「進化した」と錯覚しているのです
 ね、彼らは。
 全く偏った観察力です。
 目立つところにだけ注目するというアート流の観察力です。
 客観性が要求される科学の観察力ではありません。
 同じ観察力でも、芸術のそれと、科学のそれとは、違うのです。
 言うまでもなく、ダーウィンのそれは、芸術のそれです。
 だからこそ、作家連中にウケがいいのでしょう。

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<喪失と最適化>

 「捨てる・失う」ということが最適化をもたらし、その結果、機能を得たり
 高めたりするできる…ということがわからない人が、もしかしたら結構多い
 のかもしれませんね。
 でも、そういうのって、別に珍しくないのですよ。

 たとえば、スポーツ選手には髪を短くしている人が多いですよね。
 なぜ髪を短くするのかというと、長い髪が邪魔になるからです。
 つまり、髪を短くすることで、機能を高めているのです。
 一方、髪を短くするということは、髪を切るということであり、すなわち、
 それは、髪を捨てる・失うということでしょう。

 似たようなのには、「爪を切る」というのがありますね。
 長い爪は、肉体労働には不都合。(引っかけたり、指先に力を入れようとす
 ると、爪がはがれる。)
 で、爪を短くする(=切る=捨てる・失う)わけです。

 「得る」ということと、「捨てる」ということは、一緒の場合がほとんどで
 す。
 たとえば、野球の素振りなどをやっていると、豆ができたりしながら、徐々
 に手の皮が厚くなってきます。
 これで、強い力に耐えられるようになるのですね。
 でも、皮が厚くなったぶん、繊細な感覚は失われます。
 「失う」ものなくして、何かを得ることは、神でもない限り、不可能なので
 す。

 大人になると、苦味とか辛味とかに強くなりますね。
 でも、これもまた、繊細な味覚が「失」われた証拠です。
 愚かにも、人間は、そんなことに優越感を覚えるわけです。
 「自分は大人になった」と。
 「進化」という幻想・錯覚も、これと似たようなものです。

 もっと、どぎつい例をあげましょうか。
 恐怖の「アマゾネス」とは、「乳房がない」という意味だそうで、弓矢を射
 る際に邪魔になる乳房を焼き切ってしまったそうです。(ひょえ〜)
 乳房を捨てることで、弓を射る能力を高めている(より高い能力を得ている)
 わけですね。
 男の人には理解しがたいことかもしれませんけど…。

 もっと、下品な例もありますよ。
 好色エロオヤジたちは、邪魔になった妻子を捨てて、若い娘たちとウハウハ
 楽しめちゃってます。
 こいつらは、妻子だけでなく、モラルや恥の意識も捨ててますね。
 教育上全く良くない話ですけど、これが醜いオトナの世界の現実でありやす。

 ついでだから書いちゃいますと、男の人は、皮が無くなる(=剥ける)こと
 で、満足なアレが可能になります。(皮はアレの時、障害になるんすよ。)

 余談に、こんなのもあります。
 ジェンダーフリーおばさんたちは、家族や家庭、子作りのことを蔑ろにする
 (=捨てる)ことで、社会生活を充実させようとします。
 そう、ジェンダーフリーの根拠になっているのが、「捨」てている事実から
 目をそらす眉唾科学=「進化論」なのです。

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<豊かさと優越性を混同>

 進化論を盲信する人たちは、豊かさ、特に物質的豊かさを、優越性と混同・
 勘違いしているように思います。
 (物質的)豊かさが、優越性をもたらすわけではないですよ。

 たとえば、鉄筋コンクリート(の建物)を作ることを考えましょう。
 コンクリートですから、当然、砂を使うわけですが、さて、塩が混じってい
 る砂と、そうでない砂とでは、どちらが良いでしょうか?
 (物質的)豊かさという点では、前者ですね。
 でも、答えは、後者です。
 というのは、砂に塩が混じっていると、中の鉄筋が錆びて駄目になってしま
 うからです。
 (物質的)豊かさが、優越性とは結びつかないことが、この例からでもわか
 るでしょう。

 生物だって同じですよ。
 悪玉コレステロール、贅肉、内臓脂肪…等々、いずれも(物質的)豊かさを
 表すものですが、優越性をもたらすものではないでしょう。
 むしろ、こんなものは失った方がいいですよね。

 いたずらな豊かさよりも、むしろ失うことにより、優れた機能を手に入れら
 れる場合が少なくないのです。

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<機能・条件を減らすことの重要性>

 機械には、人間よりも高度なことができちゃうものが沢山ありますよね。
 なぜ、こんなものが作れるのでしょうか?
 それは、必要な目的以外の機能は捨てているからです。

 これは、機械を構成している各部品にも言えることです。
 必要とされる機能、すなわち、条件を徹底的に減らすことで、条件により適
 した材料を選択することを可能にしているわけです。

 逆にこれをしないと、より多くの機能や条件が要求されるようになってしま
 い、それを満たす材料など見つからなくなります。
 その結果、機械を作ることなど不可能になってしまいます。

 こうしてみると、機能や条件を減らすことこそが、(ある面で)より優れた
 ものを作り出すために必要なことであることがわかるでしょう。
 つまりは、より専門馬鹿化する、ということです。
 そして、それは、結局、他のことを「捨てる・失う」ということでしょう。

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<依存と犠牲>

 さて、他のことを「捨てる・失う」からには、それを補ってくれるものが必
 要になってきますね。
 それを可能にするのが、「分業」です。

 でも、それって、悪く言うと、「依存してる」ってことですよね。

 また、あることを得るために、他のことを失っているのですから、それは結
 局、あることを得るために、他のことを「犠牲にしている」ということでし
 ょう。

 こうしてみると、(ある面で)優れたものを作り出すためには、「依存」や
 「犠牲」が欠かせないことがわかるでしょう。

 「犠牲」は、特に注目すべき事柄です。
 「犠牲」は、「作り出されたもの」だけに見られるものではありません。
 場合によっては、それに「依存」されているものが、「犠牲」になることも
 あります。
 たとえば、草食獣は、肉食獣が生きていくために「犠牲」になっていますね。

 とにかく、「依存」により、ある機能を高めた生物は、別の機能を「犠牲」
 にしています。
 このため、環境が、「犠牲」にした機能が要求されるような環境に変わって
 しまうと、もう生きていけなくなり、絶滅してしまうのです。
 進化したはずの生物が絶滅するのは、このためです。

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<依存や犠牲を隠したがる人たち>

 「依存」や「犠牲」というのは、恰好悪いことですよね。
 また、夢やロマンを壊すことでもあります。
 少なくとも、いいイメージのことではありません。
 それだけに、そういうものを認めたくない(知りたくない)人たちが多いわ
 けです。
 だから、彼らは、「依存」や「犠牲」という事実から目をそらそうとしたが
 るのです。
 そして、良い部分・目立つ部分だけに注目し、「進化してる」などと勝手に
 錯覚しているのです。

 また、それを正当化するために、目をそらすだけでは満足せず、「依存」や
 「犠牲」の事実を隠そうとしたり、世間の関心をそらさせようとさえします。

 社会科学などの分野にも、こういう人たちは沢山いますよ。
 たとえば、陰で支援を受けていた事実とか、強制労働があった事実とかを無
 視して、見せかけだけの経済発展を賞賛してていた人たちとか…。
 そっくりやおまへんか。

 もっとも、今ではすっかり化けの皮がはがされちゃってますけど…。
 というか、彼らが賞賛していた国家体制の多くが、絶滅しちゃったです。

 とにかく、こんなところからも、進化論者の正体が文化マルキストであるこ
 とがおわかりいただけるのではないかと思います。

                             (つづく)

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発行者:media
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