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           『科学』という思想信条 vol.62

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≪退化論…その12≫

 進化論に対する皮肉として提唱する退化論の第12回目です。
 今回も、退化の原因である依存についてです。

 配信が大幅に遅れて、すみません。
 だからというわけではありませんが、今回は数回分まとめてお送りいたしま
 す。
 故に、すご〜く長いです。
 長いの嫌いな方、ごめんなさい。m(_ _)m

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<「たかが選手」とまでは申しませんが…>

 オリンピックで盛り上がっているこの時期に、こんな話をするのは、全世界
 を敵にまわしかいかねないことなのですが、それでも、あえてしようと思い
 ます。

 スポーツ選手というと、世間では「強い人間」というイメージがありますよ
 ね。
 特にメディアなどは、「進化」だの「天才」だのといった言葉まで用いて、
 祭り上げてます。
 でも、社会人として「生き延びる」という点においては、はたして、そう言
 いきれるでしょうか?

 プロ野球の1リーグ制に選手たちが反対した時、球界の将軍様(だった?)
 ナベツネさんは、「たかが選手」とか言って一蹴しました。
 また、バブルがはじけ、多くの企業が経営難に陥った時は、多くの社会人選
 手・チームがリストラの対象になりました。
 そう、どんなに優秀な選手でも、カネを出してくれる人たちには頭が上がら
 ないのです。
 こうしてみると、社会人として「生き延びる」という点においては、スポー
 ツ選手たちは決して強い人たちではないことがわかるでしょう。

 よくよく考えてみれば、これは当然のことです。
 スポーツ選手たちのやっていることは、スポーツに興味や関心の無い人たち
 にとっては、ただの道楽にすぎません。
 したがって、カネを出してくれる人たちがいなければ、スポーツ選手たちは
 ご飯を食べていけなくなるのは当たり前のことなのです。

 逆に言うと、カネを出してくれる人たちがいるからこそ、スポーツ選手たち
 は(「普通の人」ならやらなければならないことをやらずに済んで)スポー
 ツに専念でき、技能を磨く(その結果、優越者になる)ことができるのです。

 つまり、スポーツ選手たちの優れた才能は、実は、カネを出してくれる人た
 ちへの依存の産物なのです。
 そういう才能を「進化」などと表現するのは、物事の一面しか見ていない、
 全く愚かなものの見方でしかないでしょう。
 そして、こうしたものの見方こそ、進化論のものの見方なのです。

 ちなみに、ここで述べたことは、芸術家や芸能人、さらには、一部の学者た
 ちにも言えることです。
 作家のような文化人たちが進化論に魅せられるのは、彼ら自身のプライドの
 せいもあるのかもしれません。

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<「王」って依存する者のこと?…最適化による優位性>

 今度は、野生の動物の世界に目を向けてみましょう。

 ライオンは、よく、「百獣の王」など呼ばれます。
 でも、本当にそうでしょうか?

 確かに、暴力闘争の点では、そうです。
 しかしながら、自然界で「生き延びる」という点においては、必ずしもそう
 は言いきれないのです。
 よーく考えてみて下さい。
 ライオンは肉食獣です。
 ですから、食い物となる「(暴力闘争の点で)自分よりも弱い動物」が存在
 しないと生きていけないのです。
 この点では、ライオンよりも弱いとされている草食獣などの方が優れている
 でしょう。
 ましてや、自分で光合成により栄養を作りだすことなど、到底できません。
 ですから、植物にも劣る存在なのです。
 こんなもののどこが「王」なのでしょうか?

 ライオンは、(動物を食べずに)植物を食べて生きていくことができないの
 です。
 (暴力闘争の点で)自分よりも弱い動物を食うことで、やっと生きていける
 のです。
 ですから、そういう生き物に依存して生きているのです。

 植物を食べないから、(それをすりつぶすための)臼のような歯や、長い腸
 などを必要としません。
 つまり、退化できます。
 その結果、より肉食にふさわしい肉体へと「最適化」することができたので
 す。

 このように、何かに甘え、依存することで、専業化し、必要無くなったもの
 が退化して、最適化された結果こそが、これまで「進化(の結果)」と誤解
 されてきた(生物の)特徴なのです。

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<依存が豊かさや優位性を生み出すという皮肉>

 ライオンは、暴力に甘え、他の動物(を食うこと)に甘え、依存してきた動
 物と考えられます。
 その結果、平和主義者的な生き方をする上で必要なものを捨て去る=退化さ
 せることができ、その分、より暴力闘争に最適化された肉体をもつことがで
 きた…というわけです。

 それだけではありません。 
 肉は草よりも栄養価が高い。
 より強靱な肉体を得る上では、肉食の方が圧倒的に有利。
 このため、ライオンはますます暴力闘争に向く肉体になっていった…。
 そう、肉食化したことが、暴力闘争に強い肉体を得るのに都合のいい状況を
 もたらしたのです!

 つまり、甘えること・依存することが、より有利な恵まれた状況を生み出し
 たのです。
 これは何という皮肉なのでしょう。

 もっとも、現実の人間社会では、よくあることですよね。
 権利ばかり主張して義務を果たさない人たちを見れば、「思わず納得!」で
 しょう。
 こういう人たちが進化論を盲信したがるは、ごもっともなことです。

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<平均身長が伸びているのは…>

 進化論が感覚的に信じられてしまう原因の一つに、平均身長が伸びているこ
 とがあるように思います。
 ですが、平均身長が伸びているのは、進化のせいではありません。
 栄養が良くなり、また、肉体重労働からどんどん解放されているからです。
 つまり、恵まれているからなのですよね。
 そんなものを進化と言いますか?
 それは単なる依存でしょう。
 そして、依存は退化を起こす原因のはずです。
 事実、現代っ子たちの体は、サイズが大きくなった半面、軟弱になっている、
 と言われています。
 体力は落ち、骨も折れやすくなっているそうです。
 こんなものが進化のわけがないでしょう。

 表面的なイメージだけで物事を判断(納得)するのは愚かなことです。

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<育てる手間>

 進化論者たちが、「高等」すなわち「進化した」と呼ぶ生物ほど、育てるの
 に手間がかかるものです。

 逆に、進化論者たちが、「下等」すなわち「進化していない」と呼ぶ生物ほ
 ど、育てる手間がかかりません。
 むしろ滅ぼすのに手間がかかると言えるところさえあります。

 このように、子を育てる手間ということに注目するならば、高等生物の方が
 退化していると言えるのです。
 手間がかかるなんて、欠点でしょう。
 ですから、退化している証拠になるはずです。
 人間に限らず、生き物を育てる苦労(手間)というものを経験した人なら、
 この話は理解できると思います。

 逆に、結婚しようとしない人、結婚しても子供を作ろう(持とう)としない
 人、子供がいても子育てに無関心な人…は、こういう話がさっぱり理解でき
 ないかもしれません。
 育てる苦労(手間)というものを経験したことがないのですから、無理もあ
 りません。

 そういえば、メディアにヨイショされる文化人には、そういう類の人たちが
 多いようですね。
 ならば、進化論に疑問を抱かないのは当然のことでしょう。
 ちなみに、「結婚しないかもしれない症候群」で有名な作家の谷村志穂さん
 (北海道新聞のお気に入り文化人の一人)も、盲信的な進化論信者のようで
 す。

 高等な動物は、親にたっぷり面倒を見てもらいます。
 そのおかげで、より高度な技能や知恵を有する動物になれるのです。
 本来、生きていくために自分でやらなければならないことを、親にやっても
 らうことで、つまり親に依存することで、高度なものになれるわけです。

 これは(、良く言えば)、自分たちの種族の、高度な生活水準を維持するた
 めの、見事な「分業」と言えるでしょう。

 もっとも、これは、家庭や家族を崩壊させることを生きがいとしている人た
 ちには、絶対に然理解できない、否、理解したくないことでしょう。
 そもそも、彼らは、自分たちが社会に依存している事実を、死ンデモ認めた
 がらない連中です。
 権利ばかり主張して、義務を果たさない。
 何でも「自分らしさ」が大切なんだとか。(「自分らしさ」というものが、
 実は、人や社会から影響を受けたもの=吹き込まれたものであることを、プ
 ライドの高い彼らは、死ンデモ認めようとはしない。なぜなら、「影響を受
 けた」とか、「吹き込まれた」というのも、一種の依存だから。)
 こんな調子ですから、進化論を盲信したがるのは当然のことです。

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<依存なくして長所などあり得ない>

 どんなものにも、長所があれば必ず短所があるものです。
 そして、短所があるにもかかわらず、それが生きていけているのは、その短
 所を補ってくれるものが存在するからなのです。
 たとえば、肉食獣の例では、自分たちの食物になってくれる草食獣などが、
 そうした存在と言えます。
 こうした依存関係を正確かつ十分に把握することが、退化論の理解には絶対
 に必要なことになります。

 何度も言いますが、長所は最適化の産物です。
 そして、それは、不要なものを捨てるという「退化」によって可能になるこ
 となのです。
 退化しているのなら、捨てた(失われた)ものが欠点すなわち短所になるは
 ず。
 ですから、長所あるものは必ず短所があるのです。

 一方、既に述べたように、短所があるにもかかわらず生きていけるのは、そ
 の捨てたところを、他に依存しているからです。
 ですから、依存することで長所をもつことが可能になる、ということになる
 のです。

 神(の関与)を否定し、現実世界に目を向けるならば、これこそ正しいもの
 の見方だと思うのですが…。
 無神論的選民主義者たちは、そうは思わないようです。

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<芸術・芸能とメディア>

 なぜ彼らは、依存という実態が理解できないのでしょうか?
 それは、彼らが、物事の一面、特に人間にとって目立つ部分、インパクトの
 強い部分しか見ようとしないからです。
 そのために、ある生物については長所ばかりが目につき、逆に、別の生物に
 ついては短所ばかりが目につくことになる。
 そのため、前者は高等すなわち進化した生物、後者は下等すなわち進化して
 いない生物…といった差別化・序列化がなされてしまう。
 その結果、進化論などという迷妄が広く深く信じ込まれてしまうことになっ
 てしまう。
 これは、本当に哀れなことです。

 ちなみに、こうしたものの見方を最も重要視しているのが、芸術・芸能の分
 野なのです。
 これらの分野は、虚構の世界です。
 裏を覗いてはいけない分野です。
 そんなことしたら、熱(目)が冷(覚)めちゃいます。
 芸術・芸能の分野に必要なのは、まさにこの「物事の一面だけしか見ようと
 しない姿勢」なのです!
 これがわかると、メディアに登場する作家のような文化人に、狂信的な進化
 論信者が多い理由も理解できるというものでしょう。

 一方、メディアは、とことん持ち上げるか、徹底的にけなすかのいずれかで
 す。
 全く両極端。
 差別化が、三度の飯よりも好き!
 自分たちがヨイショの対象とするものについては、長所ばかりを強調し、あ
 るいは、なんでもかんでも長所に解釈する。
 逆に、攻撃の対象とするものについては、短所ばかりを強調したり、なんで
 もかんでも悪意に解釈して、「これでもか、これでもかーっ!」と言わんば
 かりに卑しめる。
 こんな連中ですから、「物事の一面だけしか見ようとしない」ことは、彼ら
 にとっては常識、日常茶飯事なのです。
 彼らが進化論を盲信するのは、極めて自然なことと言えるでしょう。

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<「虫のよさ」と選民主義>

 進化論には、以下に述べるような二つの極めて注目すべき特徴があります。

 一つ目の特徴は、「虫のよさ」です。
 退化論では、長所を得るためには、他に「依存」しなければならなくなるこ
 とを考えます。
 これは極めて現実的な考え方だと思います。
 これに対し、進化論では、依存があること(→短所)を考えません。
 もっぱら、(新しい機能などを)得ること(→長所)ばかりを考えるのです。
 これって、あまりにも虫のよすぎる話ではないでしょうか?
 どこかペテン臭い理論です。

 二つ目の特徴は、非常に選民的なことです。
 つまり、「全てのものが進化できるわけではない。特定のものだけが進化で
 きるのだ。」とする教義です。

 この二つの特徴に気付くと、NHKのような偏向報道メディアが、なぜ、進
 化論をヨイショしたがるのかが、わかるようになります。

 偏向報道メディアは、まことに「選民的」です。
 故に、自分たちがヨイショの対象とするものについては、「長所」ばかりを
 強調し、あるいは、なんでもかんでも「短所」までをも「長所」に解釈する。
 「天才」なんて言葉で神格化することさえある。
 そう、「依存」や「短所」があることなど、死ンデモ報じない。
 こうした報道姿勢は、上で述べた進化論の特徴そのものでしょう。

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<「生き延びる…」という綺麗事>

 ところで、狂信的な進化論布教メディアであるNHKの最近の番組では、よ
 く、「生き延びるための知恵」とかいうセリフが登場します。
 まるで、ある種の新興宗教の説教のようです。
 生物にそんな知恵があるのでしょうか?
 そんな知恵があったのならば、なぜ、人間以外の生物は高度な文明社会を築
 くことができないのでしょう?
 全く不思議です。

 おそらく、NHKに言わせれば、海イグアナが陸イグアナと混血して子孫を
 永続させたのも、「生き延びるための知恵」ということになるのでしょうね。

 退化論では、このようなオカルト的解釈はいたしません。
 代わりに、「性欲」によって説明されます。

 海イグアナは個体数が減り、そのためにHできる相手が得づらくなった。
 でも、それでは性欲は抑えきれない。
 禁欲なんて、獣の彼らにはとても無理。
 なんとしてもHがしたい…、やりたい…、う〜ん、もー我慢できない。
 そこで、少々不満はあるものの、陸イグアナとHして欲求を満たした。
 その結果、混血イグアナが誕生した。
 ただ、それだけのこと…。

 表現がえげつなかったかもしれませんが、こちらの方がはるかに現実的だと
 思います。
 進化論者の主張は、あまりにも精神論的であり、綺麗事すぎると思います。
 もちろん、どちらを選ぶかは、みなさまの自由ですが…。

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<紫外線の恐怖を煽るNHK>

 前世紀末ごろから、メディアは盛んに「紫外線の恐怖」を煽ってきましたね。
 「紫外線が増えて、皮膚癌が増える」とか。
 だから、「紫外線対策を」とか。
 NHKも、この騒ぎに、しっかりと加わっています。

 あれ〜、でも、それって、進化論と矛盾するんじゃありません?
 紫外線が増えれば、紫外線に強くなるよう進化するはずでしょう?
 なのに、紫外線の恐怖だなんて…。

 これって、要するに、進化なんて現象が起こりっこないことを、NHK自ら
 が証明してるってことになるんじゃーありませんか?

 矛盾することを平気で言う!
 やはり、NHKは、「矛盾が発展の原動力」と説くメディアなのです。
 (vol.58の「弁証法的唯物論…内部矛盾が進化の原動力!」の項を参照のこ
  と。→ http://mediax.hp.infoseek.co.jp/mm3/58.htm )

 そういえば、最近、NHKの不正が次々と暴かれていますね。
 そのNHKが、北海道警察の不正に関する報道を行っていたのを御存知でし
 ょうか?
 特にローカル局(NHK北海道)は、北海道新聞と競うように、毎日、毎日、
 しくこく、しくこく、追求報道していました。
 そのNHKが、てめーのとこの不正を隠していたとは、まさに目糞鼻糞、猿
 の尻笑いです。
 やはり、「進化」を謳うメディアは、やることが違う?(笑)

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<お馬鹿なホシュの自然淘汰信仰>

 ところで、進化論という眉唾科学を盲信しているのは、サヨクだけではあり
 ません。
 実は、ホシュにも沢山いるのです。
 本来、進化論はサヨクの思想なのに、そんなものを信じるとは呆れた話です。

 なぜ彼らは進化論なんか信じるのでしょうか?
 それは、「競争(生存競争、自由競争、…等々)によって、サヨクは自然淘
 汰される」と信じているからです。

 実を言うと、ここが今時のホシュの最もお馬鹿なところなのです。
 現実に目を向けて下さい。
 確かに、競争によって、(労働)組合などの古典的サヨク勢力は衰退してい
 るように見えます。
 が、代わって、文化マルキストや、「市民」を名乗る政治思想集団(いわゆ
 る「プロ市民」)などのような「隠れサヨク」は、どんどん勢力を増してい
 ます。
 自然淘汰されるどころか、かえって勢力を増し、しかも正体がわかりづらい
 タチの悪いものになって、ホシュにまで食い込んでいるありさまなのです。
 この事実に気付かないとは、やはり「馬鹿」としか言いようがありません。

 そもそも、サヨクは、「闘争」を生き甲斐とする人たちです。
 故に、「競争」のプロでもあるのです。
 ですから、競争が重要視されれば、かえって有利なのです。
 何しろ、手段を選ばない連中ですし…。
 中には、自分の後先のことも考えない行動に出る者までいる。(自爆テロに
 同情的なのも、そのためです。)
 したがって、そんな人たちが、競争ぐらいで自然淘汰されるわけがないので
 す。
 それが「進化論派ホシュ」にはわからないのですから、まったく救いようが
 ありません。

 ホシュの自然淘汰信仰は、逃避的で無責任な「丸投げ」にすぎません。
 つまり、やっかいなサヨクの始末について、自分たちは何もせず、「競争」
 によって自然淘汰してもらおう…という、他力本願的な考え方なのです。
 こんなものは、単なる無気力に他なりません。

 ちなみに、こうした「丸投げ」の元祖と言えるのが、意外に思えるかもしれ
 ませんが、小泉さんが政界から追い出した中曽根さんなのです。
 彼は様々なサヨク撲滅(?)改革を行ったと信じられています。
 しかし、実際には、それらは、ことごとく、文化マルキスト・隠れマルキス
 トたちに躍進のきっかけを与えるものだったのです。

 サヨク思想をヨイショするホシュのお馬鹿ぶりには、本当に困ったものです。
 ホシュ系の雑誌に「正論」というのがありまして、その2004年の8月号に、
 上智大学名誉教授の渡部昇一氏による『昭和天皇が示された「適者生存」の
 法則に立ち戻れ』という進化論ヨイショ論文が載っていますが、これなどは
 まさにその典型です。
 ここでは、この論文にいくつもある愚かしさの中から、一つだけを指摘して
 おきましょう。
 それは、「バランスの重要性」です。
 これは、一見、理知的に思える主張ですが、だまされてはいけません。
 なぜなら、「具体的に、どういう状態が、バランスのとれた状態なのか?」
 ということは、そう簡単に言えることではないからです。
 今でこそ軍事力が無くても経済で「大国」になれる時代ですが、戦前はそう
 だったのではなく、軍事力こそが国際社会における生存競争で最も重要な要
 素だったのです。
 ですから、軍拡を主張する声が強かったのは、必ずしも(一部の)軍部の無
 知・傲慢・狂気などによるものだったわけではなく、むしろこの時代の常識
 に(ある程度)沿ったものだったと言えるのです。
 そんなこともろくに考えずに、生存競争で重要なバランスを無視した(軍拡
 を行った)から日本は不幸な歴史を歩むことになった…といったような理屈
 をこねるのは、単なる後知恵にすぎません。
 ちなみに、今の常識を前提にして、(常識の異なる)過去の時代を論じるの
 は、サヨクのやることです!

 昭和天皇だって、いい迷惑だと思いますよ。
 ちなみに、昭和天皇がバランスの重要性を唱えていたのは、彼が進化論信者
 だったからではなく、伝統的な日本精神の継承者だったからです。
 バランスを重要視するのは、進化論の特徴というよりも、日本の伝統的文化
 精神の特徴です。
 呆れたことに、今時のホシュ(特に「配給世代ホシュ」)は、こんなことも
 わかっていないのです。

 とにかく、ホシュにはサヨク以上に苦労させられます。
 世話が焼けますよ、ほんと。

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発行者:media
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