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           『科学』という思想信条 vol.59

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≪退化論…その九≫

 進化論に対する皮肉として提唱する退化論の第九回目です。(発行間隔が超
 不定期ですみません。)
 今回は、前回の補足的な説明と、食物連鎖との関係についての説明をします。

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<自然発生的分業説のバージョンアップ版>

 前回、耐性菌のでき方に関する仮説として、自然発生的分業説という仮説を
 提唱しましたが、今回はまず、そのバージョンアップ版について説明しよう
 と思います。
 名付けて「死骸活用説」。
 お世辞にも良い名前とは言えませんが、内容的にはぴったりです。

 薬品によって殺された菌の死骸が分解し、それを後からやってきた仲間の菌
 が吸収することによって耐性菌になる、とする仮説です。

 これも分業説の一種と言えますね。
 この五つ目の仮説の利点は、たとえそこに存在していた菌が絶滅しても、別
 のところにいた仲間がやってきてくれれば、耐性菌が生まれることです。

 逆に、死骸を残さなければ、耐性菌は生まれないことになります。
 ですから、もしこの仮説が正しければ、死骸を残さないことが、耐性菌を生
 み出さない重要なポイントになります。

 でも、現実には、そんな対策は無理でしょうね。
 たとえば、インフルエンザのウィルスなどは、「せき」や「くしゃみ」など
 で飛散します。
 このため、それらがたとえ死んだウィルスだったとしても、仲間の別のウィ
 ルスがそれらと出会うことによって、耐性を持ったウィルスが生まれてしま
 うことになるわけです。

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<死骸と食物連鎖>

 死骸活用説(もっと良い名前があったら教えて下さい)の特徴は、その名の
 通り、死骸が他者にとって重要な役割を果たすことです。

 実は、こうしたことは、自然界ではちっとも珍しいことではありません。

 たとえば、虫の世界では、「共食い」なんてものがあります。
 雌が産卵のために雄を食ってしまう、というのもあります。

 しかし、もっと一般的なものがあります。
 それは、「食物連鎖」です。
 食物連鎖と、死骸活用説による耐性菌発生との違いは、死骸について、前者
 はそれを単に(栄)養分とするだけなのに対し、後者はそれを耐性を生み出
 すことに役立てていることです。
 つまり、後者のようなことが「できる者」が「耐性を得ることができる者」
 になり、「できない者」が「耐性を得ることができない者」になるわけです。
 菌などは後者のようなことができるために耐性が得られますが、高等生物は
 それができないため耐性が得られず死滅してしまう、というわけです。

 こうしてみると、下等だと思っていたものの方が、実は強い存在であること
 がわかるでしょう。
 逆に、高等だと思っていたものは、実は弱い存在であることに気付くと思い
 ます。

 同様のことが、食物連鎖にも言えます。
 微生物、植物、草食動物、肉食動物…この中で一番強いのは肉食動物とされ
 ていますが、よくよく考えてみると、肉食動物は草食動物(や植物や微生物)
 がいないと生きていけない、最も弱い生き物なのです。

 こうしてみると、進化論の教義の一つである「弱肉強食」という概念が、ま
 ことに感覚的でいい加減な判断に基づいていることに気付くでしょう。
 「食」によるイメージだけで判断してますよね。
 これは、客観的事実を重視する科学者の態度ではなく、感覚を重視するアー
 ト系の人間たちの態度です。
 そういえば、ダーウィンは科学者ではなく、「スケッチ大好き人間」だった
 そうですが…。

 食物連鎖全体を支えているのは、最も下等だとされている微生物の類です。
 これらが、他の生き物を支えることができ、なおかつ、耐性を得やすいのは、
 死骸を活用する能力が極めて高いからでしょう。
 これで話がつながりましたね。
 高等生物は、そうした能力が低い、実は退化した生き物だと言えるわけです。
 ですから、食物連鎖も、一種の分業の結果と言えるでしょう。
 高等生物は、この分業の中で、自分には不必要なものを思い切り捨てて特化
 ・個性化することによって発生した生き物なのだ…とするのが退化論の見方
 です。

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<進化論=弁証法的唯物論はやっぱり精神モノの世界>

 さて、ここからは進化論(に対する批判)の話です。
 前回、進化論が、弁証法的唯物論にすぎないことを指摘しました。
 その弁証法的唯物論なのですが、これは、理論が成り立つための前提を無視
 した、全く滅茶苦茶な思想です。
 なぜなら、(ヘーゲルの)弁証法は、観念論の産物だからです。
 精神が主体の世界です。(だからこそ、矛盾を原動力にできるんすよ。)
 そんなものを物質主体の理論に取り込んでいるのです。
 批判的継承と言えば聞こえは良いでしょうが、そんなものはただの詭弁で、
 実際には、物質と精神とを混同した精神モノのオカルト疑似科学の世界なの
 です。

 そんなわけですから、「精神パワー」とでも言うべきものが、無意識のうち
 に入り込んでくるのです。
 そして、このことがわかると、進化論者たちの奇妙な信仰も理解できるよう
 になります。
 彼らは、なぜ、必要な機能が進化によって得られるなどと信じることができ
 るのでしょう?
 なぜ、「神の奇跡」や「幻の銀水晶」(笑)でもない限りかなえられないよ
 うな夢物語を大真面目に信じることができるのか?
 それは、無意識のうちに「精神パワー」を科学(生物学)の中に持ち込んで
 いるからです。
 「必要だ。欲しい。だから実現する」などというのは、明らかに「精神パワ
 ー」がもたらす奇跡でしょう。

 そういえば、(文化)マルキストの人たちは、アニメなどを通じて、若者た
 ちにやたらと「夢、夢っ!」と説教するのがお好きなようですが、これもま
 た弁証法的唯物論の実践例なのでしょうか?

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発行者:media
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