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           『科学』という思想信条 vol.58

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≪退化論…その八≫

 進化論に対する皮肉として提唱する退化論の第八回目です。(前回、「第六
 回目です」と記してしまいましたが、これは「第七回目です」の誤りです。
 すみません。)
 今回は、耐性菌を話のネタにして説明しようと思います。

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<耐性菌のでき方は?>

 耐性菌は極めて興味深いテーマです。
 耐性菌って、どうやってできるのでしょうか?
 残念ながら、その仕組みはまだわかっていません。

 そこで、ある薬品のせいで耐性菌ができてしまった現象について、そのでき
 方について、四つほど仮説を考えてみたいと思います。

 まず一つ目は、「極少数ながら最初から耐性菌だった菌があったのが、(仲
 間である)他の菌が死滅したことにより優勢になって数を増し、その結果、
 人間様にその存在を認識されるようになった」とする仮説です。
 もっとも、これは耐性菌が「できた」のではなく、最初からあったのを、人
 間の側が知らなかっただけのことですよね。

 二つ目は、「耐性菌になれる特徴や機能を持った菌があった」とする仮説で
 す。
 これは、一つ目の仮説と同様、特別な菌の存在を前提としており、どこか選
 民思想的なところがありますね。
 それだけに、「そんな菌が存在する確率は、どれだけあるというのか?」と
 いうことが問題になってくるはずです。

 三つ目は、「薬品の作用が、菌に耐性を生み出させた」とする仮説です。
 この仮説には、「どうして、耐性菌になって生き延びることができた菌と、
 耐性菌になれずに死んでしまった菌とがあるのか?」という問題があります。
 結局のところ、この問題を避けようとすると、二つ目の仮説に落ち着くこと
 になり、そうなると今度はこちらが抱えるのと同じ問題に悩まされることに
 なるだけでしょう。

 ど〜も、どれもぱっとしませんね。
 そこで注目していただきたいのが、次に述べる四つ目の仮説です。  

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<自然発生的分業説>

 その四つ目の仮説とは、自然発生的な分業によるものです。
 ある菌が薬品によって殺されると、その菌の死の情報が、まだ薬品にやられ
 ていない菌に伝わり、耐性菌に変わる…とする考え方です。
 つまり、殺された菌は、死んだ際、何らかの物質を放出し、この物質が他の
 菌を耐性菌に変化させる…というわけです。

 さて、この仮説では、上で述べた三つの仮説が抱える問題がクリアされてい
 ます。
 これは有利でしょう。
 さらに、加えて、次のような利点があります。

 この仮説の特徴は、菌が単独でしか存在しない場合は、耐性菌はできないこ
 とです。
 必ず複数個の菌が必要です。
 分業によって実現するのですから、当たり前です。
 これは一見、欠点に見えますが、そうではありません。

 この仮説で、耐性が生まれるためには、個体数ができるだけ多く存在し、な
 おかつ、密集していることが条件になります。
 分業と、情報(物質)伝達のために、こうした条件が必要になるわけです。

 そこで、どんなものが耐性を得やすいか?、思い出していただきたいのです。

 たとえば、菌やウィルスや害虫といったものは、耐性を得やすいですよね。
 そして、これらは個体数がやたらと多く、しかも密集して存在しています。
 (害虫も、少なくとも卵の段階ではそうです。)

 一方、いわゆる高等生物は、耐性を得にくいですよね。
 そして、これらは個体数がそれほど多くなく、しかも密集して存在していま
 せん。

 いかがでしょう?
 こうしてみると、四つ目の仮説で耐性が生まれる条件が、事実と見事に一致
 していると思いませんか?
 現段階ではあくまで仮説にすぎませんが、それでも十分注目に値する考え方
 だと思います。

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<分業説の利点>

 この四つ目の仮説は、すでに述べたように、自然発生的な分業が大きな特徴
 となっています。
 つまり、「死して仲間に貢献する菌」と「仲間の死を無駄にせず無念を晴ら
 す菌」の存在です。

 で、もうお気づきかとおもいますが、「(自然発生的な)分業」や「単独で
 は起こらない」という考え方は、まさしく退化論の考え方でもあるわけです。
 退化論では、全生物(間)にこの考え方を応用します。

 分業という考え方の利点は、多種多様な生物が存在することが説明出来るこ
 とです。
 これに対し、進化論の適者生存や自然淘汰という考え方では、それが困難に
 なってくるでしょう。
 種が減るだけなのですから。

 それに、進化論の適者生存や自然淘汰という考え方だけでは、生物が変化す
 る理由が説明できません。
 そこへいくと、退化論では、分業により、要らぬものは失い特化する…とい
 うことによって変化が説明できるのです。

 さらに、生物と、生物を変化させる原因とされる環境との関係についても、
 退化論の方が一貫性があります。

 進化論で環境というと、自分と異質なものだけを指します。
 つまり自分と同じ仲間のことは、環境とは考えないのです。
 なぜ、そんな区別をするのでしょうか?
 たとえ仲間でも他者は「周囲のもの」のはずです。

 これに対し、退化論では、このような区別はしません。
 故に一貫性があることになるわけです。

 また、この方が、分岐がはるかに起こりやすくなるはずです。
 つまり、仲間も環境とすることにより、わずかな個体差からでも分業が起こ
 り、それによりさらに個性化していき、ついには分岐が起こる。
 それ故、多様化しやすい=変化が起こりやすいことになるわけです。

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<弁証法的唯物論…内部矛盾が進化の原動力!>

 退化論の特徴は、周囲との駆け引きや相互作用を重視することです。
 それ故、変化の原動力は、自然界全体に(分散する形で)存在していること
 になります。

 これに対し、進化論は、確かに環境の影響は考えますが、変化の原動力は、
 変化する生物の内部にあるとしたがる傾向があります。
 選民思想的なのも、遺伝子にやたらとこだわるのも、そのせいでしょう。

 この変化の原動力が内部にあるとする教義は、進化論の極めて重要な特徴と
 言えます。
 それも思想的に…。
 その理由を説明しましょう。

 進化論では、環境に合うように生物が進化する、としていますね。
 で、「環境に合うように…」ということは、進化する前は、その環境に合わ
 ない生物だった、ということになります。
 ですから、その生物を進化させる原因となった環境は、進化前の生物にとっ
 ては合わない環境だったことになるはずです。
 このような環境は、生物にとっては、生理的に矛盾した環境と言えるでしょ
 う。
 そして、この矛盾こそが進化の原動力になるのだというのです。

 一方、生理(現象)は、生物の「内部」で起こっていることです。
 ですから、進化の原動力は「内部矛盾」ということになります。

 以上のことから、「内部矛盾が進化の原動力である」と言い表すことができ
 るわけです。

 さて、実を言うと、これとそっくりな教義が、思想の分野には存在するので
 す。
 それが「弁証法的唯物論」です。
 弁証法的唯物論では、全ての本質は物質であり、物質はつねにその内部矛盾
 を原動力として運動・発展していく、としているのです。
 生物を物質とみなし、進化を発展とみなせば、そっくり、そのまんまでしょ
 う。

 で、問題なのが、弁証法的唯物論とはどういう思想の教義なのか?、という
 ことです。
 思想に少しでも詳しい方なら、もうおわかりでしょう。
 実はこれはマルクス主義の教義なのです。

 これで、進化論者たちが、どうして「環境に合うように生物は進化する」と
 無批判に信じることができるのか、わかったでしょう。
 北朝鮮や中共が大好きなNHKが、なぜ進化論をとことんヨイショしてきた
 のかも。

 そう、進化論は、やはりマルクス主義の生物学版だったのです。
 進化論は、科学(的事実)なんかではなく、文化マルキシズムという思想に
 すぎないのです。

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発行者:media
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