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           『科学』という思想信条 vol.44

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<無駄のない構造…イメージ優先の科学>

 ハンディを進化の原因にしたがる人たちは、カラスのことを特徴のない鳥だ
 と主張します。
 しかし、カラスについて知れば知るほど、生きていく上で有利な特徴をもつ
 鳥であることがわかってきます。

 たとえば、非常に活動しやすい体をしていることです。
 まず、贅肉が極めて少ない。
 だから、人間の食用にはならないわけですね。
 また、羽毛も、がさばらない。
 だから、水鳥のそれのように、布団などには用いられない。
 実に無駄のない機能的な体をしています。
 だからこそ、カラスは狩猟の対象にならなかったのでしょう。

 こうしてみると、進化論者たちが指摘する「特徴」は、生物が生きていく上
 での有用性とはあまり関係のないものが多いように思います。
 彼らが取り上げたがる特徴は、むしろ、人間にとって強く印象に残るもので
 す。
 つまり、その生物にとっての実用性よりも、人間様がどれだけ惹かれたかと
 いうことが重要視されているわけです。
 機能よりも造形美…といった観さえあります。
 なんとも感覚的な世界ですよね。
 これって、(自然)科学からは相当ズレてません?

 ついでに言うと、感覚というものは、ありふれたものには、あまり感応しま
 せん。
 一方、カラスは人間にとって見慣れたもの。
 それ故、感覚で物事を判断する彼らは、カラスを特徴的だとは思わないので
 しょう。

 ちなみに、感覚が重視される世界では、イメージが大切になってきます。
 こうした世界の人間たちにとって、イメージは、人間の思考を支配するもの
 だからです。
 つまり、イメージこそが絶対的な原理となるのです。
 だからこそ、彼らは、イメージに訴えようとするのです。
 そのために、勝手にイメージをつくり出してしまう。
 たとえば、「カラスは特徴のない鳥」というふうに…。

 また、こうした感覚的な世界では、「誰々が言ったことだから…」という説
 法(?)がまかり通ってしまうものです。
 芸術・芸能の世界なんかは、まさにそうですね。
 そこはまさにカルトの世界…。

 進化論って、そういう世界なのでしょうか?

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<知能と攻撃性>

 カラスは、決してハンディのある弱い鳥ではありません。
 弱い鳥なら草食のはずです。
 でもカラスは肉も食べる雑食です。
 これは、カラスが強い鳥であることの証拠です。
 強い鳥だからこそ、生きていく上で余裕が生まれ、学習する機会にも恵まれ
 たのです。

 さらに、指摘したいことがあります。
 それは、カラスはかなり攻撃的な鳥であり、また、このことが知能を発達さ
 せるための要因となることです。

 これはかなり多くの方が首をかしげるかもしれません。
 なんで攻撃的だと知能が発達するのか?、と。

 人間の場合、学習は全く受身の形で、たとえば学校などで教えられる形で行
 われます。
 ところが、自然界で生きる生物たちは、そうではありません。
 自分から積極的に周囲の自然に働きかけることで学習するのです。
 そして、このためには、ある程度、攻撃的でなくてはならないのです。
 周囲に働きかけるのは、かなり危険な冒険です。
 そうした冒険をするためには、やはり(ある程度)攻撃的でなければならな
 いのです。
 わんぱくというか、やんちゃ坊主というか、いたずら小僧というか…。
 そんなわけで、学習には(ある程度)攻撃的であることが必要なのです。

 さて、知能の発達は、学習の機会の多さと関係してきます。
 となれば、(ある程度)攻撃的である者が知能を発達させられることになる
 でしょう。

 教育環境が整備された世界にいると、こういうことは、ちょっと理解しづら
 いかもしれませんね。
 実際、人間社会では、優等生は控え目で内気で大人しい人が多いようですか
 ら。
 でも、自然界では、そんな常識は通用しません。

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<賢さの定義とは?>

 上で述べたように、学習は冒険であり、故に危険が伴います。
 ですから、弱い生き物には無理です。
 このため、弱者は知能をあまり発達させることはできないのです。

 この点から見ても、本当は強い鳥であるカラスが、知能を発達させるのに有
 利であることがわかるでしょう。

 それでは、弱者は賢くないということになってしまうのでしょうか?

 いえいえ、そんなことはありません。
 弱者は危険なことはしません。
 だから冒険もできないわけですが、危険を避けるということ自体、実は非常
 に賢いことなのです。
 どうして、進化論者たちは、こうした賢さを認めないのでしょうか?
 こうなると、ますます、賢さの定義というものが問題になってきますよね。

 彼らの言う賢さとは、要するに、積極的に外部に働きかけることができるこ
 とでしょう。
 しかし、それは、強くて攻撃的な者でなければ不可能なことです。
 もしカラスがハンディのある弱者だというのなら、それが可能であるために
 は、優れた脳をもち、賢くなければなりません。
 とすれば、カラスは最初から優れた脳をもっていたことになります。
 これでは、脳の進化について、何の説明にもなっていません。
 結論が前提になっているだけです。

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<「〜なければならない」という奇妙な論理>

 カラスの脳に関する進化論者たちの主張は、結局、進化論の空虚さをさらけ
 出すことになってしまっています。

 もし本気で進化というものを論じたいのであれば、
 「科学の法則によれば、こういう条件のもとでは、こういう変化(現象)
  が起こるために、こういう結果がもたらされることになる」
 という論理を展開すべきでしょう。

 ところが、進化論者たちは、
 「それがないと、生き残ることができないから、それはあったのだ」
 と主張します。
 つまり、それが「なければならない」という論理です。

 どうも、進化論者たちは、この「〜なければならない」という論理を乱用し
 たがるところがあるように思います。
 「〜でなければならない(から)」とか「〜しなければならない(から)」
 とかいうのが、もう口癖になってしまってます。
 でも、こういうのって、結局、「〜であれ!」とか「〜せよ!」と言ってい
 るようなものですよね。
 これではまるで祈祷魔術の呪文です。
 こんなものが科学といえるのでしょうか?

 本当に重要なのは、それが本当に起こるのか?、ということでしょう。

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<ビデオキャプチャーは賢い?>

 みなさんはパソコンでビデオキャプチャーを使ったことがありますか?
 あれはやたらとメモリーやハードディスクを食いますね。
 また、CPUとかも相当ハイパワーでなければなりません。
 つまり、映像や画像のデータの処理には、それだけ高性能のパソコンが必要
 になるということです。

 となれば、同じことが、動物(むろんカラスも含む)にも言えるでしょう。
 つまり、動物の場合、映像や画像のデータの処理には、優れた脳や神経系が
 必要になってくるのです。

 これは脳と賢さについて、極めて重大な問題をもたらします。
 なぜなら、脳が発達しているからといって、必ずしも賢いとは言いきれなく
 なってくるからです。

 カラスのように目がいい動物は、映像・画像データの処理のために、その分
 だけ余計に脳の働きが必要です。
 ですから、その分だけ差し引かなくてはなりません。
 それにより、それ以外の処理(たとえば知識の記憶や思考など)のために使
 用できる脳の領域は少なくなることになります。
 パソコンでも、映像・画像関連のソフトを動かしていると、メモリーやCP
 Uのパワーが食われて、まるで旧式のマシンのごとく、全体の動きが遅くな
 りますよね。
 これと同じです。

 加えて、生物の場合は、パソコンと違い、視覚のデータがパラレルで脳に送
 られきますから、なおさらです。

 大きな脳をしていても、大部分が映像や画像処理に使われることになれば、
 残りはわずか。
 賢さなど、それほど期待はできない、ということになるでしょう。

 ちなみに、ビデオキャプチャーの機能は、(基本的に)映像や画像のデータ
 を取り込むだけです。
 それでも、あれだけ資源を食うのです。
 目のいい動物の場合も、同じことが言えるでしょう。

 ビデオキャプチャーのことを「賢い」などという人は、まずいないと思いま
 す。
 したがって、単純に、脳の大きさとか、脳細胞の数だけから、賢さを判断す
 ることはできないことになるのです。

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<視力=賢さなのか?>

 上で述べたことは、裏を返せば、目がよくなければ、それほど脳が発達して
 なくても賢く生きることが可能である、ということになります。
 それでも、目のいい者は賢くて、そうでない者は賢くない、と言うのでしょ
 うか?
 たしかに、目が悪ければ、複雑な図形を認識するといったことは不可能また
 は困難でしょう。
 しかし、それならば、カラスの賢さは、目のよさが要因の一つとなっている
 と言えるはずです。
 したがって、賢さと目のよさをわけて考えたり、賢さを脳のせいだけにする
 のは、いささか的外れと言わざるを得ません。

 脳は、感覚と深い関係があります。
 したがって、感覚というものを考えずに賢さについて論じるのは、片手落ち
 です。
 それほど処理能力を要求されない感覚しかもたない生き物たちは、小さな脳
 でも、賢く生きられる可能性があります。
 逆に、賢くなくても、目がいい生物は、大きな脳が必要です。

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<感覚と実験>

 ところで、上で述べたことは、さらに別の問題をもたらします。
 たとえば、目を使う実験の場合、目のいい動物と、目の悪い動物とでは、条
 件が不公平になることです。
 図形や色の認識は、目を使いますよね。
 したがって、そういう実験によって、賢さを比較するのは、問題があるのと
 言わざるを得ないのです。

 さらに問題なのは、実験される動物が、実験に対して、どれだけ興味や関心
 を抱いてくれるか?、ということです。
 目が悪い動物は、目のいい動物ほど、目を使う実験に興味や関心を抱いてく
 れない可能性があります。
 興味や関心の度合いは、実験結果に大いに影響を及ぼす可能性があります。

 こうしてみると、賢さというものは、進化論者たちが考えているほど簡単に
 は把握できないものであることがおわかりいただけると思います。

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≪ちょっと余談−カラスの黒さ≫

 前回、カラスが黒いのは、敵に見つかりにくいという利点になるかもしれな
 いという主旨のことを述べましたが、別の可能性もあります。
 それは、目がよく利くことです。
 これは、光学機器類が黒い色をしていることからもわかるでしょう。
 特にカラスは視野が広いので、体が黒い方が有利です。
 また、こうした好条件が、目の進化(→脳の進化)にも関係したのかもしれ
 ませんよ。

 どうせカラスの目のよさについて「とことん」追求するのなら、そのあたり
 のことを取り上げてほしかったのですが…。
 権威に媚びへつらう今時の公共放送には、無理な注文でしょうか?

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発行者   : media
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