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『科学』という思想信条 vol.3
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今回は、科学における類似性の問題を取り上げます。
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<土偶は宇宙人?>
古代の遺跡からは、しばしば、人間に似た、それでいて、人間とは異なる姿
をした埋蔵品が見つかることがあります。
土偶は、そうしたものの一つと言えます。
そこでロマンを求める人たちは、よく、これらを「地球人に知恵を授けてく
れた宇宙人を模したものだ」という仮説を提唱します。
こうした仮説を笑殺することは簡単なことです。
ですが、そこには極めて重要な問題が潜んでいるのです。
土偶を見て、「これは人間(地球人)ではない」と思うことは、それほど異
常なこととは言えないでしょう。
なぜなら、その姿は、あまりにも現実の人間の姿とは異なっているのですか
ら。
ここで気付いて欲しいのは、偶像や絵画というものは、あるがままの姿を模
したものではなく、人間が抽象化したものだということです。
そして、その抽象化の仕方が、自分にとって馴染みのものであれば、それが
何かを正しく認識できるのですが、馴染みのない抽象化が行われたものは正
しく認識できないことがよくあるのです。
ですから、現代人なら人間と認識できる漫画やアニメのキャラクターも、古
代人が見れば人間とは認識できないかもしれないのです。
インターネットの世界で用いられる『顔文字』や『絵文字』なども同様でし
ょう。
全く同じことが、土偶を人間と認識できない現代人にも言えるのかもしれま
せん。
古代人から見れば、あのような抽象化が、極めて自然なものだったのかもし
れないのです。
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<どっちが似てる?>
さて、このような話をしたのは、決してロマンを壊すためではありません。
むしろ問題なのは、上で述べたような問題が、そのまま科学にも言えるとい
うことなのです。
前回も述べたように、科学は物事を生のまま扱うのではなく、人間が扱いや
すい形に抽象化して扱うのです。
「科学は"にせもの"である」と言ったのも、そういう意味です。
そこでまず問題なのは、「どのように抽象化するのか?」ということです。
ある人は、
「こういう抽象化が正しい」
と主張するでしょうし、また、ある人は、
「いや、こっちの抽象化が正しい」
と主張するでしょう。
抽象化の仕方に、絶対確かと言えるような原理や規則のようなものがあると
いうわけではありません。
結局、それは人間の判断に任されるのです。
それ故、その段階で、その人(たち)の思想信条というものが影響してくる
ことになるのです。
さらに困るのは、正しい抽象化の仕方が必ずしも「唯一無二」というわけで
はない、ということです。
このことは、現存する科学分野の多さを見ても明らかでしょう。
例えば、物理学と化学とでは、同じ物質を扱うにしても、その扱い方(特に
表記の仕方)が随分と異なりますよね。
しかも、どちらが正しく、どちらが間違い、というものではないはずです。
このように、正しい抽象化の仕方は一つではないのです。
そして、このことが、事態をますます複雑にしてしまうわけです。
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<どっちが正しい?>
もう一つの問題は、科学の正当性です。
科学の正当性は、これも前回も述べてように、
「どれだけ本物に似ているか?」
ということで判断されます。
そこで、上で述べた土偶の話のような問題が起こってくるのです。
つまり、ある人から見れば("ほんもの"に)「似ている」けれども、別の人
から見れば「似てない」という問題が生じてくるのです。
これは、
1.どこに注目するか?
2.どういう立場(角度)から見るか?
という違いから来るものと言って良いでしょう。
そして、これらもまた、その人の思想信条と関係してくるものなのです。
ですから結局、科学の正当性の評価にも、人間の思想信条が関わってきてし
まうことになるのです。
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<目糞鼻糞笑い合戦>
似てる・似てないということを、もっとカッコイイ言葉で言えば『類似性』
となるでしょう。
科学理論の中には、この『類似性』という概念を、前面に打ち出しているも
のもあります。
例えば、『ダーウィン進化論』が、それです。
そういう意味では、ダーウィン進化論は誠に『正直な科学』と言えるでしょ
う。(別に褒めているわけではありません。)
さて、類似性に関して議論をはじめると、大抵、水掛け論に終わるのがオチ
です。
特に問題なのは、類似性の観点から相手を批判する人たちの『目糞鼻糞笑い
ぶり』です。
例えば、超常現象などを批判している『ある種の人たち』が、いい例です。
彼らは、『ユダヤ・プロトコル』や『ノストラダムス(の大予言)』を批判
するときは、
「この部分は、この文献の内容に似ている。だから、これは事実ではなく、
この文献から引用されたものにすぎない。」
と、類似性を根拠に自説の正しさを主張します。
ところが、話が、超古代文明の根拠(の一つ)とされる『南極大陸らしき大
陸が描かれた古い地図』のことになると、
「南極大陸に似ているからといって、それが南極大陸とは言えない!」
と、今度は類似性を根拠とは認めないのです。
こうした一貫性のない態度こそ、この人たちの思想信条の強さの現れである
と言えるでしょう。
(もっとも、この人たちは、問題の大陸を、別の大陸の地形に「似ている」
と主張しているわけですから、必ずしも「一貫性がない」とは言えないの
かもしれませんが…。)
このように、類似性に基づく議論は、結局、単なる思想信条のぶつかり合い
になってしまいがちなのです。
もっとも、そのおかげで、誰でも参戦できる場になっているわけですけど…
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発行者 : media
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