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           『科学』という思想信条 vol.28

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 当メルマガを購読していただき、ありがとうございます。
 前回に引き続き、『ダーウィン進化論』について取り上げようと思います。
 なお、今回から購読される方は、このメルマガのvol.14〜27、及び、旧メル
 マガ『隠れオカルティズム』のvol.3〜14を、まず御覧になることをおすす
 めします。

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 なお、今回は説明の都合で図があります。
 図はホームページにありますので、文中に記されたURLにアクセスして御
 覧下さい。(汚いヘボな図ですが、どうか御容赦下さい)

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<不連続って、科学的?>

 量子力学を知らない人でも、不連続というものは、何か「科学的」というイ
 メージがあるのではないでしょうか?
 フリーハンドで描かれた連続した曲線なんかよりも、たとえば、下図のよう
 な不連続な棒グラフの方が「科学的」という感じがしませんか?


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 何しろ、電気製品の分野でも、デジタル化が急速に進み、アナログが姿を消
 していく現代という時代に生きていれば、なおさらのこと、『不連続』の方
 が『連続』よりも「科学的」とか「進歩的」というイメージが定着してしま
 っても無理はありません。
 それ故、多くの現代人は、『不連続』というものに、何か憧れのようなもの
 を抱いているように思えます。

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<でも、やっぱり未練があるの〜♪>

 しかしながら、その一方で、人間というものは、『連続』に未練がある生き
 物なのです。
 別に、アナログ・レコードにこだわっている一部のオーディオ・マニアのこ
 とを言っているのではありません。
 人間は、不連続では満足できない生き物なのです。
 ですから、中間を補ってまで、連続的なものに仕立てようとするのです。

 連続的なものに対するこだわりは、たとえば、アインシュタインのような物
 理学者たちにも見られます。
 彼がエーテルの存在を否定したのは御存知でしょう。
 でも、エーテルを否定すれば、作用を伝える媒体が無くなってしまうわけで
 すから、近接作用という考え方は成り立たなくなり、遠隔作用という考えに
 よらなくてはならなくなるはずです。
 ところが、彼には、『作用というものは、あくまでも、連続的に空間を伝わ
 っていくものでなければならない』という思想信条があったために、遠隔作
 用を受け入れず、近接作用にこだわり続けました。
 こうして『媒体無き近接作用』という奇妙な考えが捻り出されたのです。
 実際、彼は、遠隔作用のことを、テレパシーのようなものとして、バカにし
 ていました。
 しかしながら、近接作用に固執すると、『粒子(と波動の二重)性』という
 概念が説明できなくなります。
 量子力学では、これを説明するために、『(存在)確率』という概念が提唱
 されるわけですが、アインシュタインはこの考えをひどく嫌っていました。

 それはともかく、以上のことから気付いてほしいのは、人間というものは、
 不連続に憧れを抱く一方で、連続に対する未練がある、ということです。
 これは矛盾した心理のように思えるかもしれませんが、実際には少しも珍し
 いものではありません。

 『こわいもの見たさ』というのがありますよね。
 『スリルを味わう』なんてのも、そうでしょう。
 危ないとわかっていながら、『出会い系』に手を出す暇人たち…
 学歴主義を批判しながら、大卒人間を欲しがる経営者たち…
 受験戦争を問題視しながら、自分の子供を塾に通わせる学校教師たち…
 勉強したがらないくせに、学歴や単位を欲しがる学生たち…
 ムカツクとわかっていながら、購読・閲覧する厨房たち… (^.^;

 あげればキリがありません。

 そして、人間というものがそういうものである以上、科学にもそうした面が
 あっても不思議ではないのです。

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<線をどう引く?>

 さて、不連続なものを連続的なものにするためには、中間を補わなくてはな
 りません。
 そこで、今、下図のようなとびとびのデータが得られたとしましょう。
 (ここです↓)
   http://isweb23.infoseek.co.jp/school/mediax/mm3/zu0.htm

 この不連続なグラフを、連続したグラフにするには、線を引かなくてはなり
 ません。
 そこで問題になるのが、どのように線を引くのか?、ということです。

 Aさんは、単純に点と点を直線で結び、下図のような折れ線グラフを描きま
 した。
 (ここです↓)
   http://isweb23.infoseek.co.jp/school/mediax/mm3/zu1.htm

 Bさんは、これに対し、
 「グラフが折れ曲がるのはおかしい!」
 と主張して、下図のような、なめらかな曲線で結びました。
 (ここです↓)
   http://isweb23.infoseek.co.jp/school/mediax/mm3/zu2.htm

 Cさんは、さらに、
 「xとyとの関係は、もっと単純であるはずだ。それに、データには誤差
  が含まれている。」
 と主張して、下図のような、各データのそばを通る単純な線を描きました。
 (ここです↓)
   http://isweb23.infoseek.co.jp/school/mediax/mm3/zu3.htm

 さて、三人のうち、正しいのは誰でしょう?

 これだけでは、判断できませんよね。
 「Bさんが正しい」とか「Cさんが正解だ」と言えるのは、予め答えを知っ
 ている(xとyとの関係を知っている)からに他なりません。
 逆に言うと、それを知らなければ、誰が正解か?、判断などできないはずで
 す。

 仮に、Bさんと同じような考えを持つ人同士でも、どんな曲線を引くかで、
 意見が分かれるでしょう。

 同じように、Cさんと同じような考えを持つ人同士でも、どのあたりに、ど
 んな線を引くかで、喧嘩になるはずです。

 そういえば、宇宙論の分野でおなじみの『ハッブル定数』は、Cさんのやり
 方ででっち上げられるのですが、やはり、どのあたりに、どういう線を引く
 かで、すごい喧嘩になるそうです。
 それでも、不思議なことに、『ビッグバン理論』に都合の悪い値が得られる
 ような線の引き方だけは死んでも認めないという点においては、(一部の科
 学者を除いて)意見が一致しています。
 このあたりが、何とも恣意的で御都合主義的なところと言えましょう。
 このように、直接的検証の困難な分野では、事実よりも、思想信条が優先さ
 れるのです。

 とにかく、予めxとyとの関係がわからないと、線は引けないのです。
 これは逆に言うと、どんな線を引いてもかまわないということです。
 BさんとCさんの意見を折衷したような曲線を引いても良いでしょう。
 あるいは、大胆に、こんな線の引き方をしても、一向にかまわないのです。
 (ここです↓)
   http://isweb23.infoseek.co.jp/school/mediax/mm3/zu4.htm
 えらく傾き、醜く歪んでいますが、どこかで見覚えのある図でしょう?

 学生のうちは、予めxとyとの関係がわかっている問題しか扱わないので、
 こんなことで迷うことは、まず無いでしょう。
 でも、人類にとって未知なる問題では、そうはいきません。
 もっとも、学者や社会人になっても、学生気分でいる人たちには、ここで
 述べたことの重要性は理解できないでしょうが…

                           (次回に続く…)

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発行者   : media
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