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           『科学』という思想信条 vol.23

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 前回に引き続き、『ダーウィン進化論』について取り上げようと思います。
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<『染色体』という言葉の由来>

 メディアの世界では、遺伝子によってダーウィン進化論の正しさを証明でき
 るとする説が流行しているようです。
 その遺伝子に関連する概念として『染色体』というのがあります。
 この言葉の由来を御存知でしょうか?

 染色体と呼ばれるのは、(塩基性)色素に染まるからです。
 逆に言うと、色素で染めないと、見えなかったのですね。

 しかも、このやり方でさえ、染色体が見えるのは、細胞分裂の時だけ。

 観察(観測)というのは、本当に大変なことなのですね。
 これは、『科学者が見たくても見れないものがある』ということでしょう。

 もちろん、今日では技術が進歩したおかげで、『染色体』という言葉が生ま
 れた時代よりも、はるかに多くのことを観察することができるようになりま
 した。
 しかし、それでも、物質的なことの全てを見れるようになったわけではない
 のです。

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<見えるところしか見ようとしない精神>

 さて、遺伝子からわかるのは、その生物がその時点で運命づけられているこ
 とだけです。
 したがって、進化というものが周囲の環境に左右されるものだとすれば、遺
 伝子だけをいくら研究しても、そこから得られるのは、せいぜい間接的な情
 況証拠だけのはずです。
 言うまでもなく、情況証拠などというものは、解釈しだいで何とでも言える
 ものです。

 とにかく、進化の謎を解こうとするならば、遺伝子だけでなく、それ以外の
 ものをも研究の対象にしなければならないでしょう。
 特に、遺伝子と、それ以外のものとの相互作用を調べることが、極めて重要
 になってくるはずです。

 ところが、流行科学の祭司たちは、遺伝子の解釈にばかり専念しているので
 す。

 そこで、これまで述べた話から、
 「現代の流行科学の祭司たちは、自分たちが見える部分しか見ようとしな
  いのではないのか?」
 という疑問が生じてくるのです。

 細胞の研究において、染色体が注目されるようになったのは、それが人間に
 とって観察しやすいものだったからです。(色素に染まる)
 逆に、それ以外のものが軽視されるようになってしまったのは、それらが観
 察不可能または困難だったからです。(色素に染まらない)
 となれば、現代の科学者が遺伝子にばかり注目するのも、それが観察しやす
 ものだからではないでしょうか?
 逆に、遺伝子以外のものが軽視されるは、それらが観察不可能または困難だ
 からではないでしょうか?
 遺伝子の研究が盛んなのは、それが、たまたま、人間にとって見える、ある
 いは、見やすいものだからではないでしょうか?
 見えないから軽視するというのは、あまりにも人間的で、ご都合主義的なこ
 とと言わざるを得ません。

 ちなみに、見えるところしか見ようとしないという態度は、中世の時代に盲
 信されていた『天動説』や『地球円盤説』のそれに通じるものです。
 彼らは、自分たちの肉眼で見える世界しか見ようとしませんでした。
 こうしてみると、科学が中世の時代のそれに逆戻りしているような気がして
 ならないのです。

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<静的志向とオカルト>

 観察のしやすさを決める要因の中に、『変化』や『動き』があります。
 変化や動きの激しいものは、観察が困難です。
 つまり、観察が可能なのは、変化や動きの穏やかなものに限られるのです。
 別の言い方をすれば、静的なものほど観察しやすく、動的なものほど観察し
 にくい、ということです。

 遺伝子や化石は、どちらかといえば静的なものですから、観察が容易です。
 これに対して、遺伝子と、それ以外のものとの相互作用は、動的なものなの
 で、観察が困難なわけです。

 進化には長い時間が要求されるとのことですが、たとえそうであったとして
 も、それを可能にするのは、遺伝子と、それ以外のものとの相互作用のはず
 です。
 したがって、静的なものばかり観察したところで、解明されることは、極め
 て限られてしまうでしょう。
 つまり、後は人間の想像力に依存してしまうということです。
 これでは、いつまでたっても、仮説の域を出ません。

 それはそうと、非常に気になるのは、こうした『静的』志向というものが、
 オカルトによく見られる傾向だということです。

 たとえば、星占いなどは、『誕生日』という静的なデータから、その人間の
 性格や運命までをも予言できる、としています。
 人の性格や運命は、環境など後天的なもの(=動的なもの)の影響を受ける
 ものなのですから、誕生日のような静的なものだけで、それらが予言できる
 はずがありません。

 このように、静的なものに偏るのは、まさに迷妄的な神秘主義に向かう傾向
 なのです。

 それ故、進化論者たちが遺伝子に凝り固まっている姿を見ると、世間の評判
 とは裏腹に、進化論が『科学の仮説』から『いかがわしいオカルト』に転落
 しかかっているような気がしてならないのです。

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発行者   : media
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