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           『科学』という思想信条 vol.2

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 当メルマガを購読していただき、ありがとうございます。
 さて、本題に入ります前に、お断りしておきたいことがございます。
 それは、このメルマガが、決して『科学を思想化するもの』ではないとい
 うことです。(むしろ、その逆です。)         ^^^^^^^^
 どうも、タイトルや説明文に『思想』という言葉があるために、そのよう
 に誤解されてしまった方が、相当数いらっしゃるようです。
 そのような方々は、大変申し訳ありませんが、速やかに購読解除して下さ
 りますよう、よろしくお願い申し上げます。
 このメルマガは、何か教義を説くものではございません。
 あくまでも、科学に関する問題提起を行うものです。
 ですから、『思想』というものを(事実以上に)高尚なものとか、神聖な
 ものとされる方々には、この上なく不愉快極まる内容ですので、そういう
 思いをされる前に、どうか購読を解除なさって下さい。
 どうか、よろしくお願いします。

 それでは、本題をどうぞ。

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<科学は『にせもの』である>

 いきなり抽象的な話になりますが、今回はまず、科学に関して、どうして
 も認識しておいてほしいことを、お話しいたしましょう。
 それは、
 "科学は『にせもの』である"
 ということです。

 もっとも、こんなことを言うと、眉をひそめる方が少なくないと思います。
 ですが、これは事実なのです。

 ちなみに、ここでいう『にせもの』とは、『でたらめ』とか『インチキ』
 という意味ではありません。
 『似せたもの』あるいは『似せて作ったもの』という意味です。
 ですから、『にせもの』という言い方がどうしても気に食わないと言うの
 なら、『模造』とか『代用』とか『仮のもの』と言い換えれば良いでしょ
 う。

 科学は、それが対象としようとするものを、生のまま扱うのではありませ
 ん。
 人間が扱いやすい形に単純化・抽象化して扱うのです。
 ですから、それは決して『ほんもの』ではなく、『にせもの』なのです。

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<リンゴは点か?>

 例えば、リンゴの自由落下の問題を取り上げてみましょう。

 物理学では、よく、リンゴは質量mの質点として扱われますね。
 つまり、『リンゴ』というものを『点』というものに単純化・抽象化する
 わけです。
 これによって、リンゴは『m』という項(または数)として、数学(数式)
 上で扱えるようになるわけです。
 こうした単純化・抽象化がなければ、リンゴは数学上で扱うことは出来ま
 せん。
 これが、上で述べた「人間が扱いやすい形に単純化・抽象化する」という
 ことなのです。

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<『ほんもの』と異なっていても良い>

 さて、ここで気付いて欲しいのは、リンゴは本当は『点』ではないという
 ことです。
 ですから、それは『ほんもの』ではなく『にせもの』だ、ということにな
 るわけです。
 そして、このことは、あらゆる分野の科学に言えることなのです。

 科学の概念というものは、そのほとんどが、『ほんもの』とは異なってい
 るのです。
 これは、逆に言うと、『ほんもの』と異なっていても、それから導かれる
 結果が合えば、それは『正しい科学』と認められる、ということです。

 つまり、科学の正当性は、
 "どれだけ『ほんもの』に近い(似ている)か?"
 ということで決まるのです。
 それは、具体的に言えば、
 "どれだけ結果が事実と一致するか?"
 ということになります。

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<結果がピタリ一致しなくても良い>

 さて、上のリンゴの落下の問題で、自由落下ではなく、例えば、空気抵抗
 の影響をも考慮しなければならない問題の場合は、どうでしょう?
 もはやリンゴを『点』として扱うことは出来なくなりますね。
 実際、地上の世界には空気があるわけですから、空気抵抗を考えなければ
 ならないはずです。

 それでは、リンゴを『点』に単純化・抽象化するのは間違いかというと、
 そうではありません。
 空気抵抗のない真空では、それは『正しい』とされるのです。
 否、空気のある場所でさえも、ある条件(例えば、空気が希薄とか、リン
 ゴの速度が遅いうちとか)では、それは極めて良い近似が得られ、それ故、
 これまた、『正しい』とされるのです。

 つまり、常に結果が事実にピタリ一致しなくても、それは『正しい科学』
 と認められる、ということなのです。

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<科学が迷走するわけ>

 さて、これまで述べてきたことをまとめると、
 "『ほんもの』と違っていても、それは『正しい科学』とされる"
 ということになります。
 そして、このことは、また、
 "『間違ったもの』でも、『正しい科学』とされてしまうことがある"
 ということでもあることに気付くでしょう。

 すでに述べたように、科学の正当性というものは、結果が事実と(ある程
 度)一致することによって認められます。
 一方、上で述べたリンゴと(質)点のように、『ほんもの』とは異なって
 いても、つまり、『にせもの』でも、結果が事実と一致することがあるの
 です。
 それ故、『間違ったもの』が、結果がある程度事実に一致するということ
 から、『正しい科学』とされてしまうことが、起こり得るわけです。

 これが、科学が迷走する原因(の一つ)なのです。
 『にせもの』と『間違ったもの』とを見分けることは、そう容易なことで
 はありません。
 ですから、単に結果が事実にある程度一致するからと言って、それを『完
 全に正しい』などとと言い切るのは、極めて危険なことなのです。

 『友を選ぶに、慎重になり過ぎるということはない』
 ということわざがあります。
 これは、科学の正当性についても言えることです。
 科学の正当性を評価するのに、慎重になり過ぎるということは、本当はな
 いのです。

 ところが、慎重になればなるほど、なかなか友達が出来ないのと同じよう
 に、科学についても、慎重になればなるほど、結論が得られないことにな
 ります。
 これでは、いつまでたっても、科学は先に進めないことになってしまいま
 す。
 そこで、科学者たちは、ある程度の段階で、評決を下してしまうわけです。

 では、どの程度の段階で評決を下せばよいのでしょうか?

 それを決める絶対確かな基準や原理などというものは、どこにもないので
 す。
 結局、それを決めるのは、科学者という『人間』なのです。
 それ故、彼らの人間的な部分が、評決に何らかの影響を与えることになっ
 てしまうのです。
 こういうわけで、科学の中には、人間的な概念が入り込んでしまうことに
 なるわけです。
 こうしてみると、前回述べた『隠れオカルティズム』というものが、無視
 できないものであることが、多少なりとも、おわかりいただけたのではな
 いかと思います。

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<最後に蛇足〜>

 最後に余計な話をしましょう。
 私はこれまで、科学は『にせもの』であると言ってきました。
 しかし、そうだとすると、『ニセ科学』『疑似科学』『似非科学』『偽科
 学』…といった言葉は、変な意味になってしまいます。
 アニメなどでよく出てくる『非科学』という言葉は、『にせものにあらず』
 という意味になる。
 メディアの世界で氾濫している『科学的(事実)』という言葉に至っては、
 『にせもの的(事実)』と、わけのわからない意味になってしまう!

 う〜ん、弱ったなー。

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発行者   : media
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