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           『科学』という思想信条 vol.10

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 当メルマガを購読していただき、ありがとうございます。
 今回は、『天動説の教訓』の4回目です。

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<周転円のトリック>

 天動説の前提となっているものとは、何でしょう?
 具体的には、次の二つと言えると思います。

  (1) 地球は宇宙の中心である(静止している)。

  (2) 天体の軌道は、基本的に『真円』である。

 もちろん、これだけでは、観測事実と合わないことがわかります。

 そこで導入されるのが、『周転円』という概念です。

 周転円によって、例えば、火星などに見られる『逆行運動』や『地球上から
 の距離の変化』が説明できるようになります。
 また、その他、多くの観測事実が、周転円によって説明できるのです。
 つまり、言い換えれば、理論(の前提・原理)と観測事実との間の矛盾は、
 この『周転円』により、解消されるのです。

 したがって天動説は、観測事実とピタリ一致する → 観測により余すところ
 無く確証されている → 完全に正しい…ということになってしまうのです。

 こうしてみると、天動説を信じ続けた中世の時代の人たちを笑うことなど、
 やはりできないことがおわかりいただけると思います。

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<演繹と帰納のごちゃ混ぜ>

 ところで、周転円の根拠とは、何でしょうか?
 また、ある周転円を書き込む際に、その根拠となるものは、何でしょうか?

 答えは簡単!
 『それを認めれば、観測事実がうまく説明できる』
 ということです。
 このことから、周転円は帰納的に生み出された概念ということができます。
 事実、周転円は、観測事実から『帰納的に』書き込まれるものなのです。
                ^^^^^^^^
 ここで、気付かねばならない重要な問題点があります。
 それは、天動説が、『演繹』と『帰納』を両方用いて理論を構築している、
 という事実です。
 つまり、上で述べた二つの前提((1)と(2))をもとにしている点では『演繹
 的』であり、観測事実をもとに周転円を書き込むという点では『帰納的』な
 のです。

 したがって、悪い言い方をすれば、天動説は、純粋に演繹的でも帰納的でも
 ない、一貫性を欠いた、演繹と帰納のごちゃ混ぜの産物ということになるわ
 けです。

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<反証不可能性>

 演繹と帰納のごちゃ混ぜは、極めて重大な問題です。
 なぜなら、そのようにして構築された(科学)理論は、反証できないからで
 す。
 その理由は簡単で、前提となっているもの、そして、そこから演繹的に導か
 れたものが間違っていたとしても、帰納的な部分が、理論と事実の間の矛盾
 を吸収してしまうからです。
 したがって、理論の矛盾を示すような実験・観測結果が得られても、帰納に
 よって、解消できてしまうのです。
 これでは、反証することができません。

 具体的に天動説を例に説明しましょう。
 今、それまでの天動説理論とは矛盾するような、新たな観測事実が得られた
 とします。
 すると、天動説を支持する理論家たちは、この観測事実をもとに、新たな周
 転円を書き込むことでしょう(帰納)。
 この新たに書き込まれた周転円によって、天動説でも、問題の観測事実を説
 明できるようになります。
 こうして、理論と観測事実との矛盾は解消されてしまうのです。

 天動説がなかなか崩壊しなかったのは、天動説が反証不可能な理論だったか
 らなのです。
 決して宗教だけのせいではありません。

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<科学理論の現実>

 上で述べたように、演繹と帰納の両方を用いて構築された(科学)理論とい
 うものは、反証が不可能、あるいは、極めて困難なのです。
 このため、(特に前提が)どんなに誤った理論でも、一度、支持を得ると、
 長い時代に渡って学問の世界を支配し続けることになるのです。

 実のところ、反証可能なのは、純粋に演繹だけ、あるいは、帰納だけによっ
 て作られた理論だけなのです。

 それでは、純粋に演繹だけ、あるいは、帰納だけによって作られた(科学)
 理論というのは、どれだけあるのでしょうか?

 残念ながら、そんなものは一つもありません。
 どんな(科学)理論も、実は、程度の差こそあれ、演繹的に作られた部分と
 帰納的に作られた部分があるのです。
 こうしてみると、科学にはやはり慎重さが必要なことが、おわかりになると
 思います。

 ついでながら、厳密に言うと、純粋な演繹というものはありません。
 なぜなら、それが前提とする原理は、一般に人間の経験(=事実?)をもと
 にしている場合がほとんどだからです。

 同様に、純粋な帰納というものもありません。
 なぜなら、人間は事実を生のまま捕らえるのではなく、人間が扱いやすい形
 に抽象化して捕らえるからです。
 抽象化は、何か前提となるものが無ければできないことです。

 いずれにせよ、演繹的か?、それとも、帰納的か?、という区別は、全く相
 対的なものにすぎない、と見るべきなのです。

                           (次回に続く)

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●訂正とお詫び●

 前回(vol.9)、<ガリレイが示した根拠>のところで、

『そこで、彼は、大きな星(木星)の周りを、小さな星(衛星)が回る様を見
 たわけです。
 この観測事実から、大きな星の周りを小さな星が回るのが、宇宙の法則なの
 だと悟ったわけです。
 そして、このことから、大きな星である太陽の周りを、小さな星である地球
 が回るとする(すなわち地動説)のが正しいと確信したのです。』

 と述べたのですが、このことに関して、ある読者の方から、
 「ガリレオは、どうやって太陽が地球よりも大きいことを知ったのでしょ
  う?」
 という質問を受けました。
 確かに言われてみれば、この方の疑問ももっともだと思いますので、上記の
 部分を下記のように訂正させていただきます。

『そこで、彼は、木星の周りを、衛星が回る様を見たわけです。
 この観測事実から、地球だけが宇宙の中心とする天動説の矛盾を悟ったので
 す。』

 また、これに関連して、<それでも天が動いている!?>の、

 『木星とその衛星の場合は、大きな星の周りを小さな星が回るのだろうが、
  太陽と地球の場合は、それは該当しないのだ!』

 という部分も、

 『木星の衛星が木星の周りを回っているからといって、地球が宇宙の中心
  ではないとは言えない!』

 と訂正させていただきます。

 メルマガの主題には直接影響のあることではありませんが、読者の皆様方に
 は、大変ご迷惑をおかけしました。
 深くお詫び申し上げます。

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発行者   : media
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