053-01
風や気流は地球の自転の影響により方向を曲げられるが、これは、
見かけ上、何かの力が風や気流に働いて、その方向を曲げたように
見えることになる。この見かけ上の力が、転向力である。

053-02
要するに、風や気流の方向が地球の自転の影響により曲げられるこ
とを一言で言い表すために用いられる表現が『転向力』ということ
なのである。

053-03
さて、この『転向力』が、教科書では、『高海水温』や『潜熱』と
ともに、台風等(熱帯低気圧)の発生・発達の原因にされているので
あるが、実は、ここにトリックがあるのである。

053-04
まず、転向力は、風や気流といった大気の運動の方向を曲げる働き
をするのであって、大気に(運動)エネルギーを与えるわけではない
ということを知っておく必要がある。

053-05
つまり、転向力は、上昇気流さらには風を、少なくとも直接強める
ものではないのである。では、なぜ重要視されるのかというと、そ
れは気流の様の説明に必要だからである。

053-06
転向力の影響が無い場合、気流の方向は、気圧が低い中心部に向か
う方向にしかならないはずである。ところが、実際には、「ふち」
の方にいくほど「回るよう」な方向になっている。

053-07
この気流の方向の曲がりの原因となるのが、転向力なのである。だ
が、それなら、温帯低気圧にも言えることであるし、高気圧にも言
えることのはずだ。

053-08
ちなみに、温帯低気圧や高気圧に関する説明では、転向力がそれら
の発生・発達の原因(の一つ)にされることはない。この一貫性の無
さには、つくづく呆れさせられる。

053-09
もちろん、正しいのは、転向力を発生・発達の原因にはしていない
温帯低気圧や高気圧に関する説明の方である。上昇(下降)気流には
もちろん、中心となる部分の発生にも寄与しないからだ。

053-10
ちなみに、中心となる部分が存在しなければ、中心に向かう(中心
から拡がる)ような気流は発生しないので、たとえ転向力が働いた
としても、「ふちを回るよう」な気流は発生しない。

053-11
従って、中心となる部分が発生する理由を説明する必要が、どうし
てもあるわけである。ところが、転向力は、中心となる部分の発生
には貢献しないのである。

053-12
その理由は、転向力の働き方にある。どの経度においても、同じ働
き方をするのだ。これでは、他(の経度)と大気の状態が異なる部分
は生じない。故に、中心となる部分は生じないのである。

053-13
『中心となる部分』は『他とは大気の状態が異なる部分』なのであ
るから、『全てがどこも同じ』という状況からは生じないものだ。
『エントロピーの法則』のことを忘れてはならない。

053-14
というわけで、『中心となる部分』すなわち『他とは大気の状態が
異なる部分』が生じるためには、やはり、「大気の状態」分布が一
様・均一ではない状況にならなければならないのである。

053-15
そこで注目しなければならないのが、寒気なのである。なぜなら、
寒気には「大気の状態」分布を一様・均一ではなくする働きがある
からだ。

053-16
寒気とは相対的に低温の大気のことなのであるから、それとは温度
が異なる大気が(それと接する形で)必ず存在することを暗に示すも
のである。

053-17
それ故、寒気は大気の温度の分布を一様・均一ではなくするものと
なるのである。その結果、大気の重さの分布を一様・均一ではなく
するのである。

053-18
そして、大気の重さの分布が一様・均一ではないということは、異
なる重さの大気が(接する形で)存在するということであるから、大
気の上昇や下降といった運動が起きることになる。

053-19
実際、寒気は、自分よりも温度の高い大気を上昇させる運動を引き
起こす。そして、大気が上昇すると、気圧が下がるので、そこに大
気が流れ込んでくるような気流が生じる。

053-20
このように、寒気は気流(大気の運動)を引き起こすのである。従っ
て、その分布のしかたが、気流のあり方を大きく左右することにな
るわけである。

053-21
実際、温帯低気圧は、寒気の分布(領域)が「人」の字状に凹んだよ
うになっているところに発生・発達する。寒気が引き起こす気流の
様(特に方向)を考えれば、これは当然のことと言える。

053-22
ここで、「人」の字状になっている境界(前線)の上側(高緯度側)に
寒気が、下側(低緯度側)に暖気が、それぞれ分布している状況にお
いて、気流がどうかなるかを考えてみて欲しい。

053-23
「人」の字状になっている境界(前線)付近では、寒気のせいで暖気
が上昇させられるので、気圧が低くなり、そこに向かって暖気が引
き寄せられていくような気流が生じることになる。

053-24
それ故、「人」の字状の左半分側では左上方へ、右半分側では右上
方へ、それぞれ暖気を引き寄せようとする力が働くことになる。従
って、それらの合力は、上向きということになる。

053-25
しかも、「人」の字の(左右方向に関して)中央ほど、暖気に上向き
の力が働くエリアがより上方にまで及んでいるので、暖気が上の方
に引き込まれていくことになる。

053-26
実は、この位置、すなわち、「人」の字の二つの曲線が合わさって
いるところのあたりが、低気圧の中心付近になるのである。暖気に
関しては、以上の説明で納得していただけたと思う。

053-27
一方、寒気は、(相対的に)重い大気なのであるから、上昇はしない
はずなのであるが、上昇する暖気に引きずられることにより、こち
らもまた(一部だけではあるが)上昇するのである。

053-28
それ故、「人」の字状になっている境界(前線)付近は、寒気にとっ
ても気圧が低くなるエリアなのであり、故に、寒気もまた、引き寄
せられていくことになるのである。

053-29
ただし、それによって生じる(寒気の)流れの方向が、「人」の字状
の境界(前線)を挟んで、暖気のそれとは逆になる。まず、「人」の
字状の左半分側では右下方へ、右半分側では左下方へとなる。

053-30
このため、寒気が左右から中央の方に向かって集まってこようとす
るような流れが生じることになる。一方、「人」の字の二つの曲線
が合わさっているところの上方では、下向きの流れになる。

053-31
これを(いささか不正確な)図で示すと、『→』『↓』『←』のよう
になる。これらの矢印を「人」の字の左側・上方・右側にそれぞれ
配置してみて欲しい。

053-32
すると、寒気の流れもまた、低気圧の中心となるあたり(「人」の
字の二つの曲線が合わさっているところのあたり)に向かうような
方向になることが、おわかりいただけると思う。

053-33
こうして、「人」の字の二つの曲線が合わさっているあたりに向か
って、周囲から大気(暖気も、寒気も)が集まってくるような気流が
生じ、(温帯)低気圧が発生するのである。

053-34
転向力は、その気流の方向を、外側にいくほど「回る」ような方向
になるように曲げる働きをするのであって、低気圧(気圧が低い領
域)の発生には貢献しないのである。

053-35
ところが、「専門家」どもは、以前にも指摘したように、『回転』
の魔力を信じるのである。つまり、『転向力により気流が「回る」
ようになることで、低気圧が発達する』と言い張るのである。

053-36
こうしてみると、やはり、彼らは名ばかりで低学力のオカルティス
トにすぎないことがわかってしまう。彼らは、上昇気流が発生する
物理的メカニズムを全く理解していないのだ。

053-37
ちなみに、最近登場した「台風が(前線上の)積乱雲をまとめきれな
かった」という説明も、『回転』系のオカルト教義であって、物理
とは無縁の空理空論でしかない。

053-38
大気が、「回る」ように流れるから、中心に向かうようになるので
はない。中心に向かうように流れようとするから、それに転向力が
働いて、「回る」ような流れが生じるのである。

053-39
従って、中心に向かう流れが生じていなければ、転向力が働く対象
が無いので、転向力の影響が出ることはなく、故に、「回る」よう
な流れが生じることもないことになるのである。

053-40
それ故、まず中心に向かう(集まってくるような)流れが生じる理由
(物理的メカニズム)を説明しなければならないのである。そして、
それを可能にするのは寒気であって、転向力ではない。

053-41
既に述べたように、中心に向かう(集まってくるような)流れは、大
気(暖気)を上昇させる(→気圧を低下させる)もの、すなわち、寒気
の分布に凹み・くびれ・裂け目があることにより発生する。

053-42
そして、それ以外のケースは、大気の自然現象としては、無いので
ある。ならば、熱帯低気圧(⊃台風等)についても、全く同じことが
言えることがわかるだろう。

053-43
これは、物理的に考えれば、至極当然のことである。まず、気圧が
低いところが生じるためには、大気が上昇しなければならないが、
そのためには、重さの異なる(二種類の)大気が必要である。

053-44
一方、大気の重さの違いを生み出すのは、(大気の)温度の違いであ
る。それ故、温度の異なる(二種類の)大気が必要になる。そして、
熱帯で必要になるのは、(熱帯の基準での)寒気である。

053-45
だが、寒気と熱帯の高温の大気(すなわち、暖気)との境界が、緯線
と平行になるような状況では、南北方向の流れが生じるだけで、中
心に向かう(集まってくるような)流れにはならない。

053-46
つまり、寒気の熱帯への流れ込み方が、全ての経度に対して均等に
なるような流れ込み方では、帯状の低圧エリアが生じるだけで、低
気圧にはならないわけである。

053-47
従って、緯度により流れ込み方が異なるようでなければならないわ
けである。そして、大陸で発生する移動性の寒気団は、この条件を
満たす流れ込み方をするものだ。

053-48
もっとも、熱帯では、高温の大気(すなわち、暖気)が多勢になるの
で、寒気が「人」の字状の境界の上側(高緯度側)に分布するような
状況にはならない。代わりに、その逆の分布状況になるのだ。

053-49
つまり、北側の寒気と南側の暖気との境界が、「人」の字状ではな
く、「V」の字状になるのである。これは、すなわち、暖気の側が
凹んで、そこに寒気が食い込む形になるということである。

053-50
さて、そうなると、以下で示されるように、この場合もまた、結果
的に、似たような(ある意味、裏返しの)メカニズムにより、中心に
向かう(集まってくるような)流れが生じることになるのである。

053-51
まず、「V」の字状の境界付近では、暖気が上昇させられ、気圧が
低くなるので、暖気は、この境界に引き寄せられるように流れるこ
とになる。

053-52
つまり、「V」の字状の左半分側では右上方へ、右半分側では左上
方へ、二つの線が合わさったところの下方では上方へ、それぞれ向
かうような(暖気の)流れが生じることになる。

053-53
一方、「V」の字状の境界付近では、暖気が上昇するのに引きずら
れて、寒気(の一部)も上昇するので、寒気にとっても、気圧が低い
エリアとなり、引き寄せられるような流れが生じることになる。

053-54
つまり、「V」の字状の左半分側では左下方へ、右半分側では右下
方へ、それぞれ寒気を引き寄せようとする力が働くことになる。従
って、それらの合力は、下向きということになる。

053-55
しかも、「V」の字の(左右方向に関して)中央ほど、寒気に下向き
の力が働くエリアがより下方にまで及んでいるので、寒気が下の方
に引き込まれていくことになる。

053-56
と、ここまで来れば、結果的に「人」の字の場合と同様に、「V」
の字の二つの線が合わさっているところのあたりを中心とする低気
圧が発生することがわかると思う。

053-57
さて、大気の大循環により熱帯海域に到達した寒気は、貿易風の影
響により、西方へと移動させられていく。熱帯低気圧が低緯度では
西方に移動するのは、このためである。

053-58
一方、熱帯海域に流れ込む寒気の量は、当然のことながら、有限で
ある。それ故、暖気と寒気の境界は、徐々に高緯度へと移動してい
く。熱帯低気圧は、まさしく、そのような動き方をする。

053-59
さて、暖気と寒気の境界は、やがて中緯度高圧帯を通過し、偏西風
帯に入る。すると、状況は一変する。まず、高緯度への移動速度が
増す。

053-60
また、西方へ進むのをやめ、最初は高緯度方向のみに、そして、や
がては東方へも進むようになる。しかし、それ以上に重要なのは、
暖気の中高緯度への突き出しと、その影響である。

053-61
暖気と寒気の境界が中高緯度に移動するということは、熱帯低気圧
が中高緯度に進入するということである。それ故、熱帯低気圧に引
き寄せられている暖気が高緯度に進入するわけである。

053-62
つまり、熱帯の高温の大気が、全経度において中高緯度に張り出し
ていくのではなく、熱帯低気圧が存在するあたりの経度で中高緯度
に突き出していくのである。

053-63
さて、中高緯度に突き出した熱帯の高温の大気にとって、中高緯度
の大気は寒気ということになる。それ故、温帯低気圧の時のような
「人」の字状に近い(暖気と寒気の)境界が生じることになる。

053-64
すると、温帯低気圧と時と同じように、その境界が低圧エリアとな
り、暖気も寒気も中心(その境界の出っ張ったあたり)に向かうよう
に流れるような作用を受けることになる。

053-65
この作用により、熱帯低気圧の中心に向かう気流は力づけられ、熱
帯低気圧そのものが強められることになる。その結果、台風(等)に
なったり、暴風域や「目」までが現れたりすることになる。

053-66
一方、ここで一つ気付いて欲しいことがある。それは、熱帯低気圧
は、低気圧であるが故に、寒気を引き寄せる能力をも有するという
ことである。

053-67
これは、『西高東低の冬型の気圧配置』を構成する(東の)低気圧と
同じである。引き寄せられた寒気は、まず、熱帯低気圧自身を力づ
ける。

053-68
低温の海水(海面)は、大気を冷やし、上昇気流を弱める(場合によ
っては、下降気流を生じさせることさえある)が、寒気は、暖気を
上昇させる働きの方が遥かに大きいので、低気圧を力づけるのだ。

053-69
それ故、寒気の発生が活発な時には、熱帯低気圧が中高緯度に進入
する前に、台風(等)になったり、暴風域や「目」までが現れたりす
るほどに発達することがある。

053-70
熱帯低気圧が寒気を引き寄せるために起こる、もう一つの現象。そ
れは、前線の出現である。これも、寒気の発生が活発な時には、特
に起こりやすい現象である。

053-71
これは、裏を返せば、台風が出現した時に(中高緯度に)前線が出現
することが多くなるのは、寒気の発生が活発化している(→寒冷化
が進行していく)証拠であるということだ。

053-72
そもそも、熱帯低気圧さらには台風は、寒気が低緯度に流れ込むこ
とにより出現するのであるから、それとともに中高緯度に前線が出
現しても、物理的には少しも不思議ではないはずだ。

053-73
それはともかく、ここで一つ注意しなければならないのは、寒気の
引き寄せられ方(引き出され方)は常に一定というわけではないとい
うことだ。

053-74
つまり、引き寄せられる(引き出される)寒気の量や強さ(温度の低
さ)などは一定ではなく、変動するものなのである。時には、かな
り急激に。

053-75
寒気の発生のしかたは、場所や時により異なるのであるから、これ
は当然のことである。一方、寒気の引き寄せられ方も、熱帯低気圧
(台風等)の発達の度合いや位置などにより異なってくる。

053-76
従って、寒気の引き寄せられ方が変動するのは当たり前のことなの
である。そして、引き寄せられる寒気の量や強さが急激に増大する
と、そこに前線が発生することになるわけである。

053-77
そして、その前線は低緯度から暖気を引き寄せるので、「前線に向
かって、暖かい空気が流れ込んで」いるかのように見えてしまうわ
けである。

053-78
そして、前線の低緯度側にも、高緯度側ほどではないものの、熱帯
低気圧により引き寄せられた寒気が存在するわけであるから、前線
に引き寄せられる暖気は「湿った」状態になることになる。

053-79
一方、熱帯低気圧(台風等)の東側では、本来は中心に向かうはずの
気流の方向が、転向力の影響により、高緯度へ向かう方向に曲げら
れているので、大気が前線に引き寄せられやすくなっている。

053-80
そして、この(前線に引き寄せられやすくなっている)大気は、既に
大量の雨雲を伴っている。従って、この大気が引き寄せられれば、
雨雲も引き寄せられることになる。

053-81
その結果、熱帯低気圧(台風等)から前線に向かって、雨雲の帯が伸
びるように分布することになる。それ故、「台風から離れたところ
でも」雨が降ることになるわけである。

053-82
このように、転向力が関与するのは、気流の方向だけであって、気
流の発生や強化には関与しないのである。それらに関与するのは、
やはり、寒気なのだ。

053-83
要するに、台風とは、寒気が熱帯海域上から暖気をえぐって、高緯
度につり上げ、引き寄せる際に生じる現象なのである。つまり、そ
れによって温度差が緩和される、大気循環現象の一種なのだ。

053-84
台風さらには熱帯低気圧は、温帯低気圧や前線と同様に、寒気と暖
気の温度差によって生じるものである。だからこそ、熱帯低気圧た
る台風は、温帯低気圧に変わることができるのだ。

053-85
もし熱帯低気圧(⊃台風)が温帯低気圧(や前線)と原理やメカニズム
が異なるものなのであるのなら、自動的に(それも大抵は前線を伴
う)温帯低気圧に変われるわけがない。

053-86
一方、『温帯低気圧に変わる直前の台風』と『台風から変わった直
後の温帯低気圧』との違いといえば、風速の違いぐらいしかない。
やはり、原理やメカニズムは同じなのだ。

053-87
ならば、台風さらには熱帯低気圧にも、前線が描かれていても良さ
そうなものだ。そうすれば、寒気がこれらにかかわっている事実が
見えてきやすくなる。

053-88
だが、台風や熱帯低気圧に前線が描かれることは、無い。その理由
は、まず、寒気の基準がおかしいこと。温帯での温度を基準にして
いるので、熱帯には寒気が存在しないことになってしまうのだ。

053-89
温帯では低温とは言えなくても、熱帯では低温と言える温度が必ず
存在するはずである。従って、そうした温度の大気は、熱帯に位置
している場合、寒気とすべきなのである。

053-90
そうすれば、『熱帯でも低温とは言えない大気』との間に前線(面)
を描くことができるようになるはずである。だが、寒気の基準がお
かしいために、事実の表現は阻まれてしまうのだ。

053-91
熱帯低気圧(⊃台風)に前線が描かれないもう一つの理由は、雲が線
状もしくは帯状に分布している場合にしか前線の存在を認めないこ
とである。

053-92
つまり、雲がある方向に長く伸びたかたちで分布している場合にし
か、前線の存在を認めないのである。熱帯低気圧(⊃台風)では、雲
の分布がそのようにはなっていない。

053-93
実は、温帯低気圧でも、それに伴う雲が線状または帯状になってい
ない場合には、前線の存在を認めないのである。これは、前『線』
という文字面を考えれば、当然のことなのかもしれない。

053-94
前線は線状のものなのであるから、雲の分布も線状または帯状にな
る。従って、雲が線状または帯状に分布していないことを理由に、
前線が存在しないことにするのは、確かに一理あることではある。

053-95
だが、そうなると、寒気と暖気の境界が線状に長く伸びていない場
合には、境界は表記されないことになる。こうしてみると、前線と
いう表現の限界というものがハッキリと見えてくるだろう。

053-96
つまり、前線とは、大気の温度分布(の不連続)を表現するためのも
のではなく、雨雲・雪雲が長く帯状に発達しやすいエリアを推定可
能にするための表現なのだ。

053-97
従って、前線は、降雨や降雪といった天気の情報を教えてくれるも
のなのであって、気象現象のメカニズムを教えてくれるものではな
いのである。

053-98
だからこそ、前線は天気図に描かれるのである。天気図もまた、天
気の情報を示すためのものなのであって、気象現象のメカニズムを
示すためのものではない。

053-99
事実、天気図には大気の温度や密度(または単位体積あたりの重量)
の分布の様が描かれていない。前線や低気圧とは、そういう図に描
かれるものなのだ。

053-100
しかも、前線は、雨雲・雪雲が長く帯状に発達する可能性が高い場
合にしか描かれないのであるから、全ての『大気の温度分布の不連
続』を表現しているとは、とても言えないのである。

053-101
実際には、一部の特別なケースの不連続しか表現していないのだ。
従って、(全ての)寒気の存在を知る手がかりとしては、前線は全く
の役不足なのである。

053-102
それ故、前線が描かれていないからといって「寒気は存在しない」
と判断するのは誤りなのである。むしろ、寒気(温度分布の不連続)
が存在しても前線が描かれないことの方が圧倒的に多いのだ。

053-103
たとえば、冬に西高東低の気圧配置になると、寒気が流れ込んでき
て雪雲が発達することが多いが、その場合、前線は描かれていない
ことの方が多い。

053-104
このように、寒気が存在しても前線が描かれないことの方が圧倒的
に多いのである。ならば、熱帯低気圧の発生・発達に寒気が関与し
ていても前線が描かれないことも、理解できると思う。

053-105
ちなみに、熱帯への寒気の流れ込みは、いわゆる『大気の大循環』
により、常時、日常的に起きている現象である。にもかかわらず、
前線が描かれることは無い。

053-106
その最大の理由は、温度分布の不連続が無いことである。『大気の
大循環』による熱交換のおかげで、温度分布の不連続が生じにくく
なっているのだ。

053-107
しかも、地球は丸いため、緯線が低緯度ほど長くなるので、高緯度
からの寒気の影響力が拡散され薄められていくことになることもま
た、温度分布の不連続を生じにくくすることになる。

053-108
それ故、極地からの寒気が熱帯で温度分布の不連続を生み出すこと
は、まずない。これに対し、大陸で発生した移動性の寒気団の場合
は、話が大きく異なってくる。

053-109
まず、寒気の発生場所が極地よりも相対的に低緯度なので、その拡
散(→薄まり)の度合いが少なくなる。また、大気の大循環による熱
交換(→温度差緩和)の度合いも少なくなる。

053-110
それ故、(大気の大循環により)熱帯に到達すると、温度分布の不連
続を生じやすくなる。事実、熱帯低気圧が発生・発達する。にもか
かわらず、前線が描かれないのは、帯状に雲が発達しないからだ。

053-111
話は少々それるが、そういえば、スコールは熱帯での気象現象とし
てよく知られているが、それに関して、前線や低気圧などが描かれ
ることは、通常無い。

053-112
このことからわかるのは、前線というものは、温度分布の不連続が
長く線状になっていない場合や、寿命が短い場合、さらには、状態
がみるみる変化していく場合には描かれないということである。

053-113
実際、温帯でも、積乱雲が急速に発達する場合や、竜巻や突風など
が発生する場合に、前線が描かれていないことが結構多いものなの
である。

053-114
このように、前線が表現している『温度分布の不連続』は、実際に
存在している『温度分布の不連続』の中の、ほんの一部だけなので
ある。表現の限界という現実問題を無視してはならない。

053-115
以上のことがわかれば、熱帯で前線が描かれないことを理由に、寒
気が熱帯低気圧や台風等の発生・発達にかかわっていることを否定
するのは、間違いであることがわかるはずだ。

053-116
さて、ここで、熱帯低気圧や台風等に前線が伴うように描かれない
理由が、もう一つあることを指摘しておきたい。それは、雲が渦巻
くように分布していることである。

053-117
もちろん、そのせいで雲の分布のしかたが帯状にならないために前
線が描かれないわけであるが、問題は『何が雲を渦巻くような分布
のしかたにさせるのか?』ということである。

053-118
実は、その原因となるのが、転向力なのである。(熱帯)低気圧(で
ある台風等)の高空では、上昇してきた大気が吹き出すのだが、こ
れに転向力が働くために、回るような向きの流れになっていく。

053-119
すると、それに乗る形で、雲が渦巻くように分布するようになって
いくわけである。そして、この『渦巻く雲の分布』のせいで、温度
分布の不連続部分が見えなくなってしまうのである。

053-120
雲は、それが帯状に分布している場合は、温度分布の不連続の存在
を教えてくれるものになるが、渦巻くような分布になっている場合
は、そういうものではなくなってしまうのだ。

053-121
これは、転向力が働かない場合、雲は主に温度分布の不連続部分の
付近に分布するのに対し、転向力が働くと、それ以外のエリアにも
雲が広がって分布するようになるからである。

053-122
つまり、本来、前線がのびていてもいいような方向だけでなく、全
方向に雲が広がってしまっているために、寒気と暖気の境界を把握
する(→描く)ことが不可能になってしまうのである。

053-123
ここで気付かなければならないのは、熱帯低気圧や台風等を形成し
ている大気の観測をめぐる現実である。実は、直接観測は極めて困
難なため、雲の情報からの推定に頼っているのが現実なのだ。

053-124
熱帯低気圧や台風等は、洋上で発生・発達するものである。移動経
路の大部分も、洋上である。一方、洋上には、測候所は無い。その
代わりを務められる船舶も、ごく限られる。

053-125
さらに、台風等にまで発達してしまった場合には、風(気流)が非常
に強くなってしまっているので、たとえばラジオゾンデなどの使用
が困難になってくる。

053-126
以上のような事情から、熱帯低気圧や台風等を形成している大気を
直接観測することは極めて困難なのである。実際、それは行われて
いない。だから、ある現実離れした真円が描かれることになる。

053-127
それが、強風域や暴風域である。あのあまりに単純で美しい真円域
は、観測事実を表現したものなのではなく、実は、推定を描いてい
るものなのである。

053-128
それが証拠に、強風域や暴風域に入っていることになっているはず
なのに、風が強風や暴風にならないことがある。これらは、言語表
現で言えば、強風注意報や暴風警報などと同様のものなのだ。

053-129
つまり、これらの真円は、実際の強風域や暴風域を表現しているの
ではなく、実際の強風域や暴風域を完全に内包するように描かれて
いる真円なのである。

053-130
それ故、実際の強風域や暴風域は、それらの真円よりも小さく、形
状も真円ではなく、もっと歪んだ形をしているのである。温帯低気
圧と同じように。

053-131
以上のことがわかれば、実は熱帯低気圧も温帯低気圧も、発生・発
達のメカニズムは基本的には同じなのであるという物理学的事実が
受け入れやすくなるはずである。

053-132
つまり、「台風は真円の形をしており、温帯低気圧とは形状が異な
るのだから、全くの別物」という誤信が払拭されることで、発生・
発達の原因が同じであることが理解できるようになるわけである。

053-133
その原因とは、大気の温度差(温度分布の不連続)であり、それを引
き起こすものとして、寒気が必要となるわけである。だが、「台風
は真円」という誤ったイメージが、その理解を妨害しているのだ。

053-134
真円は、その中心から周までの距離が、どの方向に関しても等しい
図形である。それ故、大気の運動速度や温度等も、どの方向に関し
ても等しいのでなければならなくなる。

053-135
すると、温帯低気圧や前線のように寒気と暖気とが壁をなすような
大気分布はあり得ないことになってしまう。故に、大気の温度差が
原因であることが全く理解(納得)できなくなってしまうのだ。

053-136
また、それ故に、寒気の存在や関与については論外ということにな
る。「台風は真円」という誤ったイメージは、このように物理学的
事実を見えなくさせてしまうのである。

053-137
強風域や暴風域が真円で描かれるのは、それらを正確・詳細に把握
もしくは予想することが困難なために、それらをもれなくカバーす
る表現として、真円表示が最も妥当だからである。

053-138
そういえば、温帯低気圧や前線の場合は、強風域や暴風域が描かれ
ることは無い。台風等の場合も、温帯低気圧に変わった途端に、強
風域すら描かれなくなってしまう。

053-139
これには、温帯低気圧(や前線)の場合は風の観測が比較的容易であ
ることが関係している。実際には真円ではないことがわかってしま
う強風域(や暴風域)を真円表示にするわけにはいかないだろう。

053-140
そういえば、台風等が温帯低気圧に変わると、強風域や暴風域の真
円が消えるだけでなく、前線が生えてくる(出現する)ことがよくあ
る。もちろん、これも、天気図上での変化にすぎない。

053-141
ただし、直接観測が比較的容易になる『風』の場合とは違い、雨雲
の分布のしかたから、その存在を認めるのが普通である。つまり、
前線の有無判断というものは、(ここでも)雲によっているのだ。

053-142
既に述べたように、雲の分布が帯状になると前線が存在することに
するのである。まだ台風であるうちは(台風本体の)雲の分布が帯状
ではないことが多いので、前線は描かれないことが多いのだ。

053-143
しかも、雲の分布のしかたが渦巻状もしくはドーナツ状をしている
ため、「台風は真円」というイメージが出来上がってしまい、ます
ます前線が描かれなくなるのである。

053-144
「台風は真円」という誤ったイメージを植えつけることになってし
まっているもう一つの概念が、「台風の目」である。実際、見事な
までに真円に近い形状をなしている。

053-145
しかも、台風が強力である(強さが温帯低気圧のそれから遠い)ほど
クッキリとしているのだから、なおさらである。だが、これもまた
雲のマジックであるということに気付かなければならない。

053-146
そもそも、「台風の目」とは、雲の分布のしかたがドーナツ状にな
ることにより出現するものである。従って、本当の問題は、雲の分
布のしかたがドーナツ状になる理由である。

053-147
ここで問題になるのは、あまりに多くの人が「ドーナツ状に分布し
ている雲の下の全てのエリアで、上昇気流が発生している」と盲信
してしまっていることである。

053-148
つまり、雲の分布のしかたから、上昇気流が発生しているエリアが
環状に存在していると信じているのである。おそらく、前線におけ
る雲と上昇気流との関係から、そう思い込んでしまうのだろう。

053-149
だが、もしそうなのであれば、上昇気流が発生していることになっ
ている環状のエリアの内側か外側に、寒気が存在しなければならな
いことになるはずだ。

053-150
なぜなら、前線は温度分布の不連続(の存在)を示すものであり、故
に、寒気の存在を示すものであるからだ。従って、前線を連想の素
材とするのなら、寒気の存在を認めなければならない。

053-151
ところが、彼らは寒気の存在を認めないのである。前線の姿(雲や
気流)には関心があっても、その因子となる組成やメカニズムには
全くの無関心なのだ。

053-152
それはともかく、熱帯で環の内側が寒気というのは、常識的にあり
得ないことである。また、環の外側が寒気に完全包囲されていると
いうのも、常識的にあり得ないことである。

053-153
となると、環状の上昇気流発生エリアというものは、物理的にあり
得ないことになる。従って、ドーナツ状の雲の分布を根拠にした上
昇気流存在論は、全くの誤りだったことになるのである。

053-154
そもそも、「雲が存在するところでは、上昇気流が必ず発生してい
る」という考え方が誤っているのである。そこで上昇気流が発生し
ていなくても、気流により流されてくれば、雲は存在し得る。

053-155
そこで思い出して欲しいのが、転向力の影響である。これは、中心
から周囲に向かって吹き出していこうとする気流を、「縁を回る」
気流にしてしまう(方向を曲げてしまう)。

053-156
これについては、高気圧の低空でのそれがよく知られているが、低
気圧の高空でも見られるのである。低気圧の高空では、上昇してき
た大気が周囲に吹き出し、それが「縁を回る」気流になるのだ。

053-157
従って、雲がこの「縁を回る」気流に乗れば、雲の分布がドーナツ
状になることが可能になる。それ故、上昇気流の発生エリアが環状
になっている必要は、全く無くなるのである。

053-158
つまり、上昇気流の発生エリアは、雲のドーナツの一部分(の付近)
のエリアだけで十分なのである。ならば、温帯低気圧のような構造
でも良いことになるだろう。

053-159
ちなみに、台風が大量の雨雲を有していることの一因には、周囲に
吹き出た気流が「縁を回る」気流になるために、雲が拡散していき
にくく、保持されやすい(∴溜まっていきやすい)ことがある。

053-160
このように、転向力は、広がっていくはずの大気の流れを、回る流
れにすることで、雲を渋滞(→混雑)させ、雨雲を発達させることに
一役買っているのである。

053-161
それだけではない。実は、渋滞するのは雲だけではなく、大気も渋
滞するのだ。広がっていこうとしても、進行方向が「回る」方向に
曲げられてしまうので、広がっていきにくくなるのである。

053-162
すると、後から次々と(上昇した後に)広がってこようとする大気に
後ろから押される(圧力を受ける)ことになり、「回る」速度を上げ
させられることになるわけである。

053-163
このように、転向力は、間接的な関与により、低気圧の高空の気流
を強めるのである。ならば、今度は、低気圧の低空の気流への影響
についても、考えてみる意義があるというものであろう。

053-164
低空でも、「縁」の方では気流は「回る」方向になっている。ただ
し、高空とは回る向きが逆になっている。また、中心付近では、大
気は、吹き出してくるのではなく、吸い込まれていくのだ。

053-165
つまり、大気の流れの方向が、転向力(地球の自転)の影響が無けれ
ば中心部に吸い込まれていく方向になっているはずなのが、「縁」
の方ほど「まわる」方向になっているのである。

053-166
それ故、大気の流れが「回る」方向になっているエリアでは、高空
とは、ある意味、逆のことが起こる。大気が渋滞するのではなく、
抜かれていくことで欠乏するようになるのだ。

053-167
すると、「回る」大気は、その前方から引っ張られる(負圧を受け
る)ことになり、「回る」速度を上げさせられることになる。つま
り、結果的には、高空の場合と同じことになるわけである。

053-168
このように、転向力は、低空でも、間接的な関与により、低気圧の
気流を強めるのである。ここで重要なのは、『間接的な関与』であ
ることである。直接加速するわけではないのだ。

053-169
つまり、転向力は、(気流をなしている)大気に運動エネルギーを与
えるわけではないのである。大気に回り道をさせることで、結果的
に、大気の流れを加速させることになるのである。

053-170
転向力の影響が無い場合、(低気圧の低空の)大気は、上昇気流が発
生している所に向かおうとするだけのはずであり、その速さは、低
気圧の中心から遠ざかるほど遅くなるはずである。

053-171
従って、風速は中心部分で最速になるはずである。ところが、実際
には、中心よりも少し離れた、風向きが「回る」方向になっている
ところ(注:「縁」まではいかない。)で最速になるのである。

053-172
もしかしたら、これが、ビジュアル系(=物理嫌い)の「専門家」ど
もが転向力を台風の発生・発達の『直接的な』原因としたがる理由
なのかもしれない。

053-173
転向力は、大気の運動方向を曲げる働きをするのであるから、むし
ろ、大気の進行を妨害するとさえ言える。実際、速度の『中心へ向
かう方向』の成分は、小さくなる。

053-174
もっとも、そのせいで、気圧は減少することになる。大気を吸い寄
せ吸い上げようとする中心部への大気の供給が滞るからだ。こうし
て、低気圧内の気圧がさらに低くなることになる。

053-175
これは低気圧の勢力が増すことを意味するのだが、ここで注意しな
ければならないのは、そのせいで気圧が低くなっても、上昇気流の
勢いが増すわけではないということだ。

053-176
あまり良いたとえとは言えないかもしれないが、大気(気流)への転
向力の働きは、宇宙探査機の加速時の重力や、巨大加速器のローレ
ンツ力の働きに似ている。

053-177
宇宙探査機は地球などの天体の周りを回って加速するのだが、天体
の重力によって加速されるわけではない。重力は、宇宙探査機を周
回させることにしか貢献しない。

053-178
巨大加速器のローレンツ力も同様で、加速される粒子が加速器内を
回るように運動方向を曲げる働きしかしない。いずれの場合も、加
速させる働きをするのは、それらとは別の力なのである。

053-179
この「別の力」を、「回る」運動をしている間に受け続けることに
より、宇宙探査機や加速器内の粒子は加速させられることになるわ
けである。

053-180
つまり、「回る」運動をするだけでは、加速はされないのである。
「回る」運動をすることも、「回る」運動をさせる力も、加速の原
因ではないのだ。(当たり前のことだが…。)

053-181
「回る」運動をする(させる)ことにより、加速に必要な力を(それ
も無駄にならない形で)受け続けることができるので、「回る」運
動をする(させる)のである。

053-182
もし宇宙探査機が天体の周りを「回る」運動をしないとなると、加
速するためには天体の重力に逆らう力が必要となり、その力が重力
よりも弱い場合には天体に落下してしまう(∴加速できない)。

053-183
加速するためには重力よりも強い力が必要となるのであり、しかも
重力の分だけ打ち消されてしまうのであるから、その分、力が「無
駄」になってしまうのである。

053-184
これに対し、「回る」運動をすると、遠心力により重力の影響が無
くなる上に、重力と平行でない方向の力による加速が可能になるの
で、「無駄」の無い加速が可能になるわけである。

053-185
次に、巨大加速器について。もしも巨大加速器が、加速される粒子
に「回る」運動をさせないものだったとしたら、どんな問題が生じ
るのか?、考えてみて欲しい。

053-186
もしも巨大加速器が環状の形ではなく、たとえば直線の形をしてい
たとしたら、その長さの範囲でしか加速ができない。対して、環状
の形なら、何度も「回る」ことで、加速を続けることができる。

053-187
従って、サイズが同じなら、環状の形の方が、粒子を加速させる力
を及ぼし続けられる時間が圧倒的に長くなるので、圧倒的に速い速
度にまで加速させることができることになるわけである。

053-188
このように、「回る」運動は、いずれの場合も、加速の(直接の)原
因になっているのではなく、加速に適した状況を作り出す働きをし
ているのである。

053-189
低気圧(の低空)における大気の「回る」運動も、同様のことが言え
る。それ自体は、大気の運動を加速させるものではなく、加速に適
した状況を作り出す働きをしているのである。

053-190
もしも大気が「回る」運動をしなかったのなら、大気は上昇気流が
生じているところへ向かおうとするだけなのだから、大気の流れの
速さは、上昇気流の速さ以下の速さにしかならない。

053-191
なぜなら、まず、大気の流れを生じさせる原因となるのは、上昇気
流発生による気圧低下だからだ。従って、上昇気流の速さを超える
ことは、あり得ない。

053-192
また、大気は、上昇気流発生エリアよりも広いエリアから集まって
くるように流れるわけであるから、上昇気流よりも遅く流れること
はあっても、速く流れることはあり得ない。

053-193
以上のような理由から、大気の流れ、すなわち、風の速さは、上昇
気流の速さ以下にしかなり得ないのである。一方、上昇気流の速さ
は、台風の風速ほど速くはならない。

053-194
もしも上昇気流の速さが台風の風速ほどの速さだったとしたら、竜
巻の場合のように、地表に存在するものは吸い上げられてしまうこ
とだろう。

053-195
以上のことから、大気が「回る」運動という過程を経ることにより
流れの速さが加速されていることは確かである。だが、この過程自
体が大気(の流れ)を加速させるわけではない。

053-196
大気(の流れ)を加速させるのは、負圧、すなわち、気圧の相対的な
低さにより生じる力学的作用である。この作用を、「回る」運動と
いう過程においても、受け続けることになるわけである。

053-197
作用を受け続ければ、大気は加速し続ける。だから、ビジュアル系
人間たちには、「回る」運動が加速の原因であるように思えてしま
うのである。

053-198
それはともかく、作用を受ける時間が長くなればなるほど、加速す
る時間が長くなるわけであるから、大気の流れの速さ、すなわち、
風速は速くなることになる。

053-199
つまり、「回る」運動という遠回りをさせられることにより、負圧
という作用を受ける時間が長くなるために、大気の流れの速さ、す
なわち、風速が速くなるわけである。

053-200
このように、転向力は、大気に「回る」運動という遠回りをさせる
ことにより、負圧による加速の累積量を増やして、低気圧の風の強
化に貢献するのである。

053-201
このように、転向力や、それが原因となる「回る」運動が、風を強
める(風速を高める)わけではないのである。その真の働きとは、大
気が上昇エリアに接近・到達するのを妨害することなのだ。

053-202
上昇気流発生エリアが大気を最短距離で引き寄せようとしても、転
向力が大気の進路を捩じ曲げてしまうので、大気はなかなか引き寄
せられない(「回る」運動をしようとする)ことになる。

053-203
それでいて、大気には負圧による引力が働き続けるので、大気は加
速され続け、風速が増していくことになる。ここで理解の妨げとな
るのが、おそらく、負圧による引力の方向の問題であろう。

053-204
なぜなら、(「回る」運動をしている)大気は、低気圧の中心に向か
うような方向の引力を受けるように思えるからである。何しろ、低
気圧は中心に近くなるほど気圧が低いことになっているのだから。

053-205
そのことは、等圧線からも確かなはずである。だが、そうだとする
と、大気は低気圧の中心に向かって加速することになり、「回る」
方向には加速しないことになってしまうはずである。

053-206
そこで考えなければならないのが、「なぜ負圧が生じるのか?」と
いう問題である。大気の上昇だけでは、上昇気流が発生していると
ころしか気圧が低くならない。

053-207
つまり、大気が「回る」運動をすることになるエリアには、負圧に
よる引力が働かない。それを働くようにしてくれるのが、近接作用
による力の伝播というメカニズムなのである。

053-208
あるエリアで大気が上昇すると、そのエリアの気圧が下がる。する
と、そのエリアと接しているエリアの大気が、そのエリアからの負
圧による引力を受けて、そのエリアに吸い込まれてしまう。

053-209
つまり、大気が吸い出されてしまう。その結果、大気が薄くなるの
で、当然のことながら、気圧が低下する。すると、今度は、そこと
接している別のエリアの大気が、負圧による引力を受ける。

053-210
それ故、大気が吸い出され、気圧が低下し、そこと接している更な
る別のエリアの大気が、負圧による引力を受け…といった連鎖反応
的現象により、負圧による引力が伝播していくのである。

053-211
さて、この(負圧による引)力の伝播において重要なのが、大気の運
動である。大気が、ある側に吸い出されるという運動をした結果、
もう一方の側を引っ張ろうとする力が生じるのである。

053-212
そして、この(引)力の方向は、大気が運動する方向と一致する。そ
れ故、転向力(地球の自転)の影響があると、この(引)力の方向も曲
げられていくことになるのである。

053-213
その結果、大気が「回る」運動をしているところでは、大気の運動
方向とほぼ同じ方向(若干、内向き)の(負圧による)引力が、大気に
働くことになるわけである。

053-214
ちなみに、この『近接作用による力の伝播というメカニズム』の理
解を最も妨害してくれるのが、(地球温暖化説を支えているニセ科
学の一つである)気圧原理主義なのである。

053-215
なぜなら、大気が「回る」運動をしているあたりでは、運動方向が
等圧線とほとんど平行の方向になっているからだ。これでは、負圧
による引力が、全く見えてこない。

053-216
気圧原理主義では、風すなわち大気の運動の原因を、気圧の高低差
のみとしている。ならば、等圧線に垂直な方向の作用は受けても、
水平な方向の作用は受けない(∴加速しない)ことになるはずだ。

053-217
実際には等圧線に平行な方向に(も)大気(風速)は加速するのである
から、これは気圧原理主義というニセ科学の決定的な反証となるこ
とである。

053-218
『気圧の高低差が風(大気の運動)の原因となる』という教義は、ミ
クロな問題、すなわち、大気の力学的解析のための微積分計算にお
ける微小領域に関する考察において有意義なものである。

053-219
しかも、この微積分計算は、風の原動力を求めるための計算なので
はなく、実は、『近接作用による力の伝播というメカニズム』の解
析のために行われる微積分計算なのである。

053-220
つまり、『気圧の高低差』は、風の原動力の説明に出てくることな
のではなく、『近接作用による力の伝播というメカニズム』の説明
に出てくることなのである。

053-221
従って、『気圧の高低差』は、『近接作用による力の伝播というメ
カニズム』を成立させる因子(の一つ)ではあっても、風の原動力を
生み出す因子ではないのである。

053-222
ならば、風の原動力を生み出す因子とは何かというと、それは大気
の重さの差によって生じる大気の上昇(高気圧の場合は『下降』)で
ある。

053-223
既に説明したように、大気が上昇すると、大気が薄くなるため、気
圧が低くなり、そこと接している領域との間に『気圧の高低差』が
生じるので、『負圧による引力』が生じる。

053-224
こうして生じた『負圧による引力』が、『近接作用による力の伝播
というメカニズム』により、そことは接していない離れたところに
まで伝わっていく。

053-225
それ故、風の原動力となる現象(大気の上昇)が起きているところか
ら離れたところでも、『負圧による引力』が働くことになる。この
ことが、気圧原理主義的な錯覚を生み出すのだ。

053-226
なぜなら、等圧線によると、『負圧による引力』が伝わってきてい
るところには、『気圧の高低差』(傾き)があることになっているか
らだ。

053-227
これでは、『気圧の高低差』こそが、大気を動かし加速させる原因
(すなわち、風の原動力)であるかのように見えてしまう。特に低気
圧(や高気圧)の中心付近については、そうである。

053-228
なぜなら、気圧の傾きと風の向きが、よく一致するからだ。もっと
も、中心から離れるほど、この一致は見られなくなるのだから、普
通の人なら「何か、おかしい。」と気付きそうなものである。

053-229
だが、文字や言葉に惑わされやすい人たちは、等圧線よりも、中心
に描かれた『低』(高気圧の場合は『高』)という表記に目を奪われ
てしまうのである。

053-230
つまり、「風は気圧の高いところから低いところに向かって吹く」
という教義から、『低』や『高』の字に近いところでの(気圧の傾
きと風の向きの)一致だけで満足できてしまうのである。

053-231
これは、あまりに文系人間的な迷妄である。ご存知のように、風が
強まるのは、『低』(や『高』)の字に近いところ(=中心付近)では
なく、等圧線の間隔が狭くなっているところだ。

053-232
従って、思考のまともな者ならば、気圧の傾きと風の向きの整合性
の悪さを気にせずにはいられないはずなのである。何しろ、それは
風が強くなっているところで見られることなのだから。

053-233
等圧線が混んでいるところでは、気圧の傾きが大きくなっているの
だから、大気が受ける作用も大きいはずであり、故に、気圧の傾き
と風の向きが似通ったものになってもよさそうなものである。

053-234
ところが、実際には、垂直に近い角度にまでズレていることさえあ
るのである。ここで気付かなければならないのは、中心から離れる
ほど、このズレが大きくなっていることである。

053-235
これは、中心から離れるほど、転向力の影響が累積していることを
示している。だが、低気圧の場合、大気は中心に向かうのであるか
ら、中心に近いほど、転向力の影響が累積しているはずである。

053-236
それ故、中心に近いほど、気圧の傾きと風の向きのズレが酷くなる
はずなのである。ところが、実際は正反対なのである。気圧の傾き
を風の原動力とする説では、このような矛盾が生じてしまうのだ。

053-237
これに対し、『近接作用による力の伝播というメカニズム』による
説明では、このような矛盾は一切生じない。そして、この場合、風
の原動力は、大気の上昇(高気圧の場合は、下降)になる。

053-238
ならば、気圧の傾き(高低差)を風の原動力とする説に固執しなけれ
ばならない理由は無いだろう。何しろ、この説は、前線が吹かせる
風も説明できないのだから。

053-239
実際、前線よりも低緯度側に描かれている等圧線は、前線に向かう
風を吹かせるような気圧の傾き(高低差)が存在していることを示し
ていない場合がほとんどである。

053-240
等圧線が前線と「ほとんど直角」と言ってもいいほどの角度で交わ
っていることさえ珍しくない。同じ等圧線上には、気圧の傾きは存
在しない。

053-241
前線に向かう風が吹かないと、大気の供給が無くなるので、前線で
の上昇気流が発生し続けられなくなってしまう。そうなれば、雨雲
や雪雲も発達しなくなってしまう。

053-242
一方、前線よりも高緯度側についても、前線に向かう(こちらは冷
たい)風を吹かせるような気圧の傾き(高低差)が存在していること
が示されていない場合がほとんどである。

053-243
このように、気圧の傾き(高低差)を風の原動力とする説は、前線が
吹かせる風も説明できないのである。だから、「前線に向かって…
空気が流れ込む」というニセ科学的な説明で誤魔化すのだ。

053-244
これに対し、風の原動力を大気の上昇とする『近接作用による力の
伝播というメカニズム』なら、前線が吹かせる風についても、難な
く説明できる。どちらが正しいかは、もはや明白であろう。

053-245
ちなみに、温帯低気圧は前線の特異な部分と言えるのであるから、
低気圧についても、前線についても、誤魔化し無く、しかも統一的
に説明できる理論の方が正しいに決まっている。

053-246
話は少々それるが、ついでだから、もう一つ、指摘しておこう。そ
れは、「専門家」どもが得意になって口にする「偏西風」、すなわ
ち、ジェット気流の原動力の問題である。

053-247
あれだけ強く大規模な「風」が吹いているにもかかわらず、そこに
は、風を吹かせる原動力として必要なはずの気圧の傾き(高低差)が
存在しないのだ。

053-248
つまり、風上と風下の間に存在していなければならないはずの『気
圧の傾き(高低差)』というものが、存在しないことになっているの
である!

053-249
何しろ、「偏西風」は閉じた環として描かれてしまっているので、
だまし絵の世界でもない限り、気圧の傾き(高低差)が存在すること
にはできないわけである。

053-250
このように、「偏西風」もまた、気圧の傾き(高低差)を風の原動力
とする説では説明のつかない現象なのである。「専門家」どもは、
この矛盾についても誤魔化しているのだ。

053-251
もっとも、「偏西風」は、本当は閉じた環をなしてはいない。周回
して吹く風ではないのである。「偏西風」で嘘を吐いたばかりに、
気圧原理主義の矛盾がバレてしまった格好だ。

053-252
「偏西風」という風(気流)の原動力は、主に、赤道無風帯や高緯度
(寒帯)低圧帯での大気の上昇と、中緯度(亜熱帯)高圧帯や極地での
大気の下降である。

053-253
一方、大気の上昇は低気圧や前線などでも、また、大気の下降は高
気圧などでも、それぞれ発生している。だから、これらのせいで、
「偏西風」が蛇行するのである。

053-254
従って、西高東低の冬型の気圧配置になると「偏西風」が蛇行する
のは、当たり前のことなのであって、少しも「異常」なことではな
いのだ。

053-255
つまり、「偏西風」の蛇行とは、大気の上昇や下降の様が経度によ
り異なる場合に起きる現象なのである。これも、風の原動力が大気
の上昇や下降であることを知らないと理解できないことだ。

053-256
ちなみに、大気が上昇するエリア(赤道無風帯など)や下降するエリ
ア(中緯度高圧帯など)が季節により北上・南下すると、「偏西風」
が吹くエリアも北上・南下する。

053-257
これも、風(気流)の原動力が大気の上昇や下降であることを知って
いる者にとっては、当たり前のことである。どんな風・気流も、原
動力は海風や山風などと同じなのだ。

053-258
異なるのは、転向力の影響の有無である。転向力が風・気流の方向
を曲げてしまうために、全くの別物であるかのような様にしてしま
うのだ。見た目の捻(ひね)りに惑わされてはならない。

053-259
大気の運動を上空(⊃宇宙)から見るから、惑わされるのである。横
から見るようにすれば、海風や山風の場合と同じく、大気の循環が
存在しなければならないことに気付くはずだ。

053-260
一方、大気の循環の原動力は、大気の上昇や下降である。それ故、
大気の循環の一部である風や気流の原動力が、大気の上昇や下降で
あるということが、容易に理解できるようになるはずなのである。

053-261
ところが、国やマスコミが重用する「専門家」どもは、大気の運動
を上空(⊃宇宙)からしか見ようとしないのである。二次元狂いで、
ものの見方が全く『社会科』的(『文系』的)なのだ。

053-262
気象予報の仕事をしている者たちは、職業上、大気の状態(⊃運動)
を上空(⊃宇宙)から眺めることが多くなるので、まだ同情できる。
だが、学者はそうではないはずなのだから、同情すらできない!

053-263
言うまでもないが、「偏西風」もまた、高気圧や低気圧の周りを回
る気流と同じく、転向力により方向が曲げられた結果、そのように
なった、大気の流れである。

053-264
ならば、「偏西風」の原動力もまた、大気の上昇や下降であるとい
うことに気付いても良さそうなものだが、そうはならない者たちが
あまりにも多い。それには、二つの理由がある。

053-265
一つは、低気圧や高気圧の周りを回る気流の原動力を、大気の上昇
や下降ではなく、気圧の傾き(高低差)としていることである。その
ために、原理が同じであることすら理解できないのだ。

053-266
もう一つの理由は、「偏西風」が環すなわち完全に閉じた曲線をな
すように描かれていることである。これのせいで、大気が上昇・下
降しているエリアとの関連が理解できなくなってしまうのだ。

053-267
しかも、環とすることで、『円』と『回転(する気流)』が現れるこ
とになる。それ故、以前指摘した『円と回転のオカルティズム』と
いう誘惑があるわけである。

053-268
この誘惑は、低気圧や高気圧にもある。こうしてみると、転向力に
は、物理を嫌う者たちをオカルトの世界に誘惑して虜(とりこ)にし
てしまう魔力のようなものがあると言える。

053-269
転向力の原因である『地球の自転』は、その昔、見えない目を持つ
者たちに「天(の方)が動いている」という迷信を抱かせ、「暗黒時
代」を築かせた。

053-270
そして、導円や周転円という『回転』運動と結び付けられた『円』
を有難がる信仰を生み出させたのだった。そう、誰かさんの言うと
おり、歴史は繰り返すのである。

053-271
実際、導円に相当するものとして、「偏西風」の環や、高気圧など
の縁を回る空気の流れなどが、盲信・狂信されている。転向力は、
「同じ過ち」を「繰り返」させているのだ。

053-272
しかも、わが国では、『歴史の反省』をしつこく連呼し続けている
連中が、歴史を繰り返している。彼らは、歴史に学ぶ人たちなので
はなく、経験に学ぶ者たちなのだ。

053-273
事実、「天(の方)が動いている」という認識は、地球上にいる者か
らすれば、「経験」的には全く正しい認識である。地球の方が動い
ているということを「経験」することは、まず無いはずだ。

053-274
経験に学ぶことの非常に危ういところは、『見かけ』や『物事の一
面にすぎないこと』を、『実態』や『全貌』と思い込んでしまうこ
とが珍しくないことである。

053-275
つまり、主観的(最悪の場合、独善的)になりがちなのである。それ
故、経験に学ぶ場合には、学習者を正しい方向に導いてくれる確か
な指導者が必要なのである。

053-276
当然のことながら、ガリレイの時代の宗教界には、天文学の確かな
指導者はいなかった。だから、あのような歴史に大きな汚点を残す
狂行をやらかしてしまったのである。

053-277
さて、歴史に学ばず経験に学びたがる現代人は、気象という別の分
野において、全く同じ歴史(過ち!)を、性懲りも無く、繰り返して
いるのである。

053-278
『見かけ』を絶対視し、地球の自転運動が見せてくれるイリュージ
ョンに惑わされ、『円と回転のオカルティズム』に引きこもろうと
する、力学無縁の精神世界。全く同じである。

053-279
もう一つ、気付かなければならない共通点がある。それは、今で言
う法学系人間、すなわち、ある種の文系人間たちによる自然科学へ
のパワハラ的干渉である。

053-280
天動説への信仰強制は、異端者への迫害を正当化する宗教裁判によ
ってなされた。つまり、当時の司法、法曹界がかかわっていたので
ある。彼らは、今で言う法学系人間たちである。

053-281
一方、「偏西風」の環や、高気圧などの縁を回る空気の流れ論とい
った現代疑似科学に最も力を与えているのは、政治家どもである。
そして、彼らの多くは、法学系人間である。

053-282
では、なぜ、法学系人間のうちの傲慢な者たちは、歴史を繰り返す
のか? 一つには、傲慢さゆえの支配欲がある。そして、もう一つ
には、法と法則とを同一視したがるという彼ら特有の病気がある。

053-283
つまり、法(→人間社会)を仕切るように、法則(→物質の世界)まで
仕切りたがるのだ。これは完全に病気である。法は、人の都合に合
わせて、人がつくった(制定した)ものだ。

053-284
だから、その人の思想、趣味、嗜好、利権…といったこととマッチ
させることが可能となる。対して、(物質の)法則は、人間とは全く
無関係に存在するものである。

053-285
従って、人間の都合などとは全くの無縁である。どんなに権力や権
威などがある者でも、仕切れないものである。それを作ったり、変
えたり、破ったりすることは、誰にもできない。

053-286
これに対して、法は、権力や権威などがある者が、作ったり、変え
たり、無くしたりすることができる。また、そういう立場ではない
者でも、破ることはできる。

053-287
このように、法とは、その人の権限の範囲で都合の良いように決め
られるものなのである。それだけに、権力や権威のある者や、モラ
ルの低い連中に、悪用されやすいものでもあるのである。

053-288
なぜなら、法は違反者を罰することができるとしているものだから
である。法は、一つ間違えば、恐怖の暴力装置となるものなのであ
る。事実、天動説に異議を唱えた者は、法により罰せられたのだ。

053-289
地動説論者たちだけではない。たとえば、「悪法もまた、法なり」
と言った(ことになっている)ソクラテスもまた、法という名の暴力
装置により葬られた犠牲者の一人である。

053-290
ちなみに、そのソクラテスだが、「悪法もまた、法なり」とは言っ
た(ことになっている)が、「悪法もまた、正義(真理)なり」とは言
っていないはずである。

053-291
つまり、たとえ、どんなに酷い不合理や不条理に満ち溢れていたと
しても、それに従わざるを得ない情況に人間を追い込んでしまうの
が、法というものなのである。

053-292
それ故、信仰を強制するための道具(脅しの凶器)として、法はしば
しば悪用されるのである。つまり、教義に従わない者を迫害する手
段とするだけでなく、学説そのものを法にしてしまうのである。

053-293
科学を『法のようなもの』にしてしまえば、その(自称)科学に逆ら
いにくくなる。それに異を唱える者は抵抗者になるのだから、反社
会的分子ということにされてしまう。

053-294
また、真面目な人ほど、法を守りたがる傾向が強い。さらに、「法
を軽んじたら、(法以外の)何が我々を守ってくれるのだ?」などと
恐怖心を抱きたがる者たちも世の中には少なくない。

053-295
一方、民主主義においては、法は多数決で決まる。従って、『法』
化された科学では、支持率や人気で真偽が決められてしまうことな
り、事実や論理の整合性などは全く軽んじられることになる。

053-296
それ故、科学は低俗極まるポピュラリズムの世界に堕落することに
なる。だから、オカルト的要素も入り込む。また、宣伝がものをい
うようになる。百ぺん繰り返して真実にすることが常識となる。

053-297
一方、独裁社会や階級社会においては、権力ある者たちが、犬のよ
うな人間たる御用学者どもを利用して、科学を自分たちの都合のい
いように仕切たがるようになる。法を仕切るように。

053-298
ちなみに、法治主義を独裁の反対語のように説くのは、インテリ・
サヨクがよく用いる破廉恥トリックである。事実、共産圏国家は決
まって独裁だが、法治主義である。

053-299
法は、権力者に都合の良いように決められ、権力者に都合の良いよ
うに解釈される。これが、法の現実である。それはともかく、ここ
で新たに注目して欲しいのが、『解釈』の存在である。

053-300
法というものは、解釈のしかたにより、言っていることが違ってく
ることがある。このような特徴は、法則には無いものだ。そして、
解釈というものは、権力や勢力といったものに大いに左右される。

053-301
つまり、権力や勢力のある者たちの解釈『だけ』が「正しい」とい
うことにされてしまう(他の解釈は一切認められない)わけである。
まさに、ファッショにピッタリの概念だ。

053-302
だから、『法』化された(自称)科学の世界では、『解釈』が何より
も重視される。事実や論理性よりも、解釈が尊ばれる。しかも、特
定の解釈以外は絶対に認めない(他の可能性は一切考えない)。

053-303
それ故、事実(現象や実験・観測データ等)は、全て自分たちに都合
の良いように解釈され、他の可能性は全てタブー視されることにな
る。さらに、知識や解法等の意図的な誤用も常習化される。

053-304
知識や解法といったものは、正しく用いることによってのみ、正し
い結論(に到達する理論)に導いてくれるものである。もちろん、そ
れでは彼らに都合の良い結論は得られない。

053-305
そこで、デタラメな用い方をするわけである。そして、その目的の
ために、知識(⊃法則)や解法といったものを『自分たち流に解釈す
る』ということをやるのである。

053-306
知識や解法といったものを正しく用いるためには、それらを正しく
理解することが必要である。だが、彼らはそれをせず、『自分たち
流の解釈』をもって、それらを理解したことにしてしまうのだ。

053-307
この『自分たち流の解釈』により、知識や解法といったものを『自
分たち流』に用いることが可能になるわけである。もちろん、自分
たちに都合の良い結論を得るために…だ。

053-308
解釈を誤ると、真意が歪められてしまう。科学を『法』化しようと
する連中は、これを逆に利用するわけである。もちろん、科学を自
分たちの都合の良いように歪めるために…である。

053-309
解釈には、科学を『法』化する効果がある。だから、政治やメディ
アは、『解釈』屋に強い権限を与えたがるのである。もちろん、科
学を支配するためだ。

053-310
解釈には、ルールというものが無い。自由で多様なものの見方・考
え方を阻害しないためだ。だが、それだけに、誤解釈が多いのも事
実である。

053-311
つまり、解釈というものは、仮説のレベルのものでしかないのであ
る。従って、十分かつ公正な検証が必要なのである。ところが、こ
の検証の段階でも、解釈による歪曲が行われるのだ。

053-312
つまり、検証(実験、観測)結果を自分たちに都合の良いように解釈
してしまうのである。これにより、如何なる検証結果も、彼らの絶
対的な正しさを確証する証拠ということにされてしまうのだ。

053-313
こうして、如何なる検証行為(実験、観測)も、無意味な行為と成り
果てる。さらに彼らは、既知の事実を自分たちに都合の良いように
解釈することで、これを「検証」ということにしてしまうのだ。

053-314
つまり、ただの解釈のことを「検証」とほざくことにより、自分た
ちの思想教義を「科学的事実」にしてしまうのである。『解釈』は
「でっち上げ」のための最も強力な武器なのである。

053-315
それ故、解釈を悪用すれば、ニセ法則やニセ解法を新たに「でっち
上げ」ることも可能になるのである。事実をニセ法則やニセ解法に
合うように解釈すればよいのだ。

053-316
つまり、自分たちに都合の良い結論を導いてくれる演繹(の論理)を
成立させてくれる法則等を、帰納によって得られるようにするため
に、解釈というトリックを用いるわけである。

053-317
何とも手の込んだトリックだが、それだけに、騙しの効果は絶大な
ものがある。事実、このトリックを指摘できるのは、プロの科学者
でも全くの少数派である。

053-318
こうした手の込んだトリックが非常に厄介なのは、それを表現する
単語や熟語(漢字の熟語や『・』で繋がれたカタカナ熟語)、すなわ
ち、用語が存在しないことである。

053-319
実際、053-316で示されたトリックを、一言で言い表すことは、ま
ず不可能である。従って、それを正確かつ十分に表現できる単語や
熟語は存在しないと言わざるを得ないのである。

053-320
一方、単語や熟語で表現されていないことは、世間には、なかなか
受け入れられないものである。また、すぐに忘れ去られてしまうも
のでもある。

053-321
多くの人は、単語や熟語などのような『短い表現』を好む傾向が強
い。単語や熟語以外でも、短い文句を好む傾向がハッキリと見受け
られる。たとえば、「偏西風の蛇行」などがそうだ。

053-322
「高気圧の縁を回る」論も、そうである。つまり、『短い表現』で
あれば、どんなにインチキなことや空虚なことでも受け入れてしま
う傾向が非常に強いのである。

053-323
逆に、『短い表現』になっていないことは、受け入れたがらない傾
向が非常に強いのである。従って、053-316のようなトリック暴き
の話をしても、聞く耳を持たないのだ。

053-324
こういう人たちは、メカニズムが複雑なことが全く理解できない。
最初から聞き入れる気が無いからだ。メカニズムが複雑だと、説明
は長くなり、『短い表現』は不可能である。

053-325
多くの気象現象は、メカニズムが複雑である。特に「異常気象」は
そうである。従って、『短い表現』しか受け入れない者たちは、そ
の真のメカニズムを知ることはないのである。

053-326
重要なことなので繰り返すが、気象というものは、そのメカニズム
の多くが「風が吹けば、桶屋が儲かる」的なものである。『短い表
現』原理主義は、恥知らずな現実逃避でしかないのだ。

053-327
ちなみに、気象学の分野で出てくる『短い表現』の教義は、たとえ
ば、気圧配置などから風向きなどを『手っ取り早く推測する』ため
のテクニック的なものがほとんどである。

053-328
つまり、原理やメカニズムを正確かつ十分に述べたものではないの
である。ところが、マスゴミやそこに登場する「専門家」どもは、
それを原理やメカニズムを説明するものとしているのだ。

053-329
言うまでもなく、これは『短い表現』志向というポピュラリズムを
利用した騙しである。そして、その黒幕となっているのが、政治家
どもなのだ。

053-330
「専門家」どもが撒き散らしている『短い表現』の説明は、マスゴ
ミやB層市民にはウケがいいが、それは受験テクニックと同レベル
の『手っ取り早く解答を得るためのテクニック』でしかないのだ。

053-331
もちろん、たとえ『テクニック』であっても、たとえば気象予報業
務などで正しく適切に用いられるのであれば、何ら問題は無い。問
題になるのは、それを誤用・乱用している場合である。

053-332
『手っ取り早く解答を得るためのテクニック』は、メカニズムや原
理を説明するものではないのであるから、それをメカニズムや原理
の説明とするのは、完全な誤りである。

053-333
では、『手っ取り早く解答を得るためのテクニック』と『メカニズ
ムや原理の説明』とは、どうやったら見分けられるのかというと、
物理(や化学の)法則が述べられているかが、まずポイントとなる。

053-334
まともな『メカニズムや原理の説明』をするためには、物理(や化
学の)法則に基づく説明をしなければならないはず。従って、それ
が登場しない話は『メカニズムや原理の説明』とは言えないのだ。

053-335
また、物理(や化学の)法則に基づく説明は、長い説明になるのが普
通である。つまり、マスゴミ受けする『短い表現』の説明にはなら
ないことがほとんどなのである。

053-336
以上のことがわかれば、マスゴミやそこに登場する「専門家」ども
が執拗に繰り返している『説明』が、実は『メカニズムや原理の説
明』ではないことがわかると思う。

053-337
なぜなら、あの者たちが執拗に繰り返している『説明』は、『短い
表現』の説明である上に、物理(や化学の)法則が全く出てこない説
明であるからだ。

053-338
たとえば、「高気圧の縁を回る」論は、『短い表現』の説明である
上に、物理(や化学の)法則が全く出てこない説明である。これは、
『メカニズムや原理の説明』ではない。

053-339
これは、『現象』を(それも、『見た目』で捉えたことのみを)述べ
ているだけの『表現』にすぎない。つまり、天文学で言えば、天球
図のようなものでしかないのだ。

053-340
天球図は、使用目的を誤らなければ、結構、役に立つ。だが、使用
目的を誤ると、たとえば中世暗黒時代の天動説狂信のような、とん
でもない事態を招いてしまう。

053-341
ここで気付いて欲しいのは、天球図が物理法則とは関係のないもの
であるということである。実際、天動説狂信があった中世には、力
学という科学がまだ無かった。

053-342
あるのは、運動学だけであった。運動学には法則というものが存在
せず、幾何学的なことさえ満たされていれば十分な世界である。実
は、コペルニクスの理論でさえ、運動学なのであった。

053-343
さらに、ケプラーの楕円軌道という考え方も運動学であり、故に、
それらを総合したガリレイの理論も運動学ということになるのであ
る。だから、体制側(天動説)を論破することができなかったのだ。

053-344
幾何学的な違いだけでは、科学の議論にはならない。結局、数や力
が勝敗を決めてしまうことになる。天動説を理論面から撃破したの
は、ニュートンの力学(特に万有引力の法則)である。

053-345
ニュートンの力学が運動学と大きく異なるのは、『法則』というも
のが登場することである。法則は完璧な再現性を満たすものである
が、それは十分な検証が行われたものであることを意味してる。

053-346
従って、『ある条件においてのみ、たまたま成り立つもの』とは全
く異なる。天動説は宇宙を地球上から見るという条件においてのみ
成り立つものであるから、法則に基づく理論とは言えないのだ。

053-347
つまり、『法則』とは『みかけ』とは全く異なるものなのである。
『みかけ』は、ある『系』から見えた様にすぎず、他の『系』から
はそうは見えない、客観性とは無縁の主観でしかない。

053-348
これに対し、『法則』は、『系』によらず通用し、物質の運動等を
支配する普遍的原理である。この『法則』というものの有無が、力
学と運動学との大きな違いである。

053-349
前にも述べたように、天動説は、運動学に過ぎず、(物理)法則に基
づく理論ではないので、「地球が宇宙の中心で静止し、天の方が動
く(回る)」という物理的にあり得ない教義が展開できたのだ。

053-350
万有引力の法則のことを考えると、宇宙には地球よりも質量が大き
い天体がいくつも存在するのであるから、地球の方が宇宙の中心で
静止していられるというのは、おかしなことであるはずだ。

053-351
また、地球よりも質量の大きな天体が、地球に付随するかのように
その周りを回るというのも、おかしい。幸運なことに、中世暗黒時
代には『万有引力の法則』は知られていなかった。

053-352
また、地球よりも質量が大きな天体が存在することも知られてはい
なかった。それを知る手段が無かったこともあるが、それ以前に、
質量というものの重要性が全く認識されていなかった。

053-353
このように天動説は多くの幸運に恵まれていたわけであるが、それ
でも、(地球以外の)全ての天体が地球の周りを回る理由の説明は必
要となるはずである。

053-354
そこで、太陽以外の恒星については、『回転する殻』とでも言うべ
き天球なるものの存在が、また、(太陽系の)惑星や太陽や月につい
ては、レールのようなものの存在が、それぞれ説かれていた。

053-355
だが、月面の観察や木星の衛星発見を可能にするほどの性能を有す
る望遠鏡が発明されても、環状のレールのようなものは発見できな
かった。地球の周りを回る理由説明の一角が崩れたのである。

053-356
(太陽系の)惑星や太陽や月が地球の周りを回るという説は、正当化
できなくなった。にもかかわらず、『司法』は地動説を主張する者
を吊るし上げたのである!

053-357
ちなみに、地球は宇宙の中心で静止している存在なので、地球には
環状のレールのようなものは必要なかった。従って、地球に関して
は、むしろ、地動説の方が不利であったと言えなくもない。

053-358
なぜなら、地球用の『環状のレールのようなもの』が存在しないこ
とは、望遠鏡が発明される前からわかっていたことであろうと思わ
れるからである。

053-359
とはいえ、望遠鏡が発明され、太陽系の他の天体に『環状のレール
のようなもの』が存在しないことがわかっても、自分たちの側の欠
陥を認めないのは、目糞鼻糞というものである。

053-360
このように、『法則』抜きの議論の場では、権力や勢力といったも
のが真偽を決定してしまうのである。つまり、趣味や嗜好、思想、
あるいは、御都合などにより、真偽が決められてしまうのだ。

053-361
こうして、科学は『法』化していくのである。科学の『法』化は、
『法則』抜きの議論が一番の原因なのだ。ということは、『法則』
抜きの説法は、科学を『法』化するということになるだろう。

053-362
ちなみに、天動説を『法』化するのに大いに貢献したのが、幾何学
的説法である。『法則』抜きの議論では、幾何学的な議論に持ち込
むことが、聞き手を惹(ひ)きつけることになるのだ。

053-363
呆れるほど多くの人たちがわかっていないようだが、天動説は、幾
何学的な議論については、立派な科学理論だったのである。だから
こそ、宗教界からも強い支持を得ることになったのだ。

053-364
機械の設計には、幾何学的な考察が最低限必要である。従って、宇
宙を機械の一種のようにみなすならば、幾何学的な考察がされてい
る天動説は、十分、科学的なものに思えたのだ。

053-365
法則というものが知られていなかった時代なら、それは無理も無い
ことだ。だが、現代は違う。幾何学的な説明がされているというだ
けで「科学的だ」と思うのは、それこそ非科学的な態度である。

053-366
物質の振る舞いは、法則に従うものである。従って、幾何学的な説
明だけでなく、法則に基づいた説明がされて、はじめて「科学的」
と言えるのである。

053-367
何度も言うように、天動説は、幾何学的には立派な説明になってい
るが、法則に基づく説明は一切されていない。そして、それは、後
に明らかになるように、法則に従うものではなかった。

053-368
つまり、法則を無視した理論だった。だから、天動説は正しくなか
ったのである。幾何学的な説明だけで満足することが如何に愚かな
ことかを、天動説信仰という恥の歴史から学ばなければならない。

053-369
ところが、今時の「専門家」どもは、この恥の歴史を繰り返してい
る。「高気圧の縁を回る」だの、「偏西風の蛇行」だのが、そうし
た例である。

053-370
これらは、いずれも、幾何学的なことについては一見もっともらし
いことを言っているけれども、法則に基づく説明ではない。天動説
の導円や周転円の考え方と同レベルの思想なのである。

053-371
ちなみに、「高気圧の縁を回る」は『円と回転のオカルティズム』
の一種であるが、このオカルティズムの特徴として、『幾何学』原
理主義と『法則』無視志向があることを見落としてはならない。

053-372
そして、このことに気が付けば、『円と回転のオカルティズム』の
もう一つの例である『転向力を台風の発生・発達の原因の一つとす
る説明』もまた、同レベルの思想であることに気付くはずである。

053-373
なぜなら、前にも説明したように、転向力は気流(風)を直接強化す
るわけではないからだ。もちろん、気流の強化に関与はするが、補
佐的な働きしかしない。

053-374
つまり、ここで問題なのは、気流を強化する直接の原因が伏せられ
てしまっていることなのである。これはまた、転向力の関与のしか
たが伏せられてしまっているということでもある。

053-375
つまり、気流が強化されるメカニズムが、実は説明されていないの
である。しかも、主役は無視され、脇役の名(「転向力」)が掲げら
れているだけなのだから、空理空論でしかない。

053-376
従って、法則に基づく説明とは、お世辞にも言えないのである。単
に「転向力」という用語や概念を振り回すことにより、科学の権威
を装っているにすぎない。

053-377
気流の強化において脇役にすぎない転向力だけで説明できるのは、
せいぜい、気流が渦巻状になることだけだ。つまり、幾何学的なこ
としか説明できないのである。

053-378
気流が渦巻状になっているのは、低気圧では当たり前のことなので
あるから、それをわざわざ改めて台風の発生・発達の原因として示
すのは、おかしなことと言わざるを得ない。

053-379
(熱帯)低気圧と台風の違いは、気流の強さ(速さ)にあるのだから、
気流が(そこまで)強化される原因を示さなければ、台風が発生・発
達する原因を示したことにはならないのである。

053-380
繰り返し述べているように、転向力は気流の進路を曲げる働きしか
せず、速さを増すような働きはしない。従って、『黒幕』が他に存
在するわけである。

053-381
ならば、『黒幕』は何なのかというと、それは、もう何度も言って
いるように、寒気なのである。すなわち、大気の温度差→重さの差
→上昇気流→気圧低下により、気流が強化されるのだ。
123456789012345678901234567890

053-382
転向力を台風の発生・発達の原因(の一つ)とする説明は、この真相
を、結果的に、隠蔽することになってしまっているのである。この
ような問題のある説明は、直ちに改められるべきである。

053-383
このように、気流を強めようとする作用を生み出す大本の原因とな
っているのは寒気なのであって、転向力は、それが生み出す作用の
影響を長引かせることで高める働きをしているだけなのである。

053-384
作用の強さが同じでも、それを受ける時間が長くなる方が、その影
響は強くなる。転向力は、気流の方向(→進路)を曲げることで、作
用を受ける時間を長引かせるわけである。

053-385
気流の実体である大気が、上昇気流発生エリアに到達し(上昇し)て
しまうと、気流を強めようとする作用が働かなくなるので、そこに
到達するまでの時間が長引けば、作用の影響が強まることになる。

053-386
つまり、転向力は、(気流の実体である)大気が上昇気流発生エリア
に到達するのを妨げるように、気流の進路を曲げることで、作用が
働く時間を増やし、気流の強化に貢献しているわけである。

053-387
とはいえ、この貢献も、元はと言えば寒気が原因となる『作用』が
あってのことである。この『作用』無くして、転向力の貢献(それ
も、脇役としての貢献)は不可能なのだ。

053-388
従って、転向力のことだけに触れて、この『作用』を生み出すメカ
ニズムや、その根源的な因子である寒気について触れないのは、全
くおかしな説明であると言わざるを得ないのである。

053-389
また、そのようなおかしな説明で理解(納得)したなどとほざいてい
る「専門家」どもも、おかしい。やはり、彼らは、物理に全く関心
の無い連中なのである。

053-390
世の中には、説明の文章を丸暗記しただけで「理解した」気になっ
ている人たちがいるものである。そういう人たちなら、どんなにお
かしな説明でも「理解」できるのかもしれない。

053-391
また、そういう人たちではなくても、転向力が作り出す気流の幾何
学的な神秘、すなわち、『円と回転のオカルティズム』の誘惑を受
ければ、「理解」した気になってしまう危険性は十分にある。

053-392
幾何学的な説明というものは、特に物理が苦手な人の場合、科学的
な説明のように見えてしまうものである。これが、人に道を誤らせ
る罠となるわけである。

053-393
確かに、物理の世界でも、幾何学的な説明は必要である。だが、そ
れだけでは全く不十分で、法則に基づく説明がなければならないの
である。

053-394
というか、法則に基づく説明の方が、むしろメインなのであって、
それが無ければ、物理としては全くのナンセンスなのである。天動
説とは、そういう説だったのだ。

053-395
さて、以上の話を聞けば、今流行のニセ科学の手口が見えてくると
思う。それは、すなわち、人々の関心を『法則(に基づく説明)』か
ら遠ざけようとするという手口である。

053-396
そして、人々の関心を『法則(に基づく説明)』から引き離すために
悪用されているのが、『幾何学的な説明』なのである。何と、科学
を中世暗黒時代の水準に意図的に引き戻しているのだ。

053-397
幾何学は数学の一分野なので、(悪用すれば)科学を偽装する表現と
して大いに役立つ道具となり得る。また、視覚に訴えることが可能
な場合が多いので、漫画化の道具にもなり得る。

053-398
漫画化されれば、それはもう空想の世界となり、『法則なんて、ど
うでもよい』世界となる。そんなもので、人を「理解した」気にさ
せるわけである。

053-399
この手の説明の支持者になるのは、大抵、『法則に基づく説明』の
ことを「専門的で、わかりにくい」と嫌って、頭ごなしに拒絶する
者たちである。

053-400
『法則(に基づく説明)』を拒むとは、全くお話にならない反科学的
態度であるが、そのような者たちではなくても、幾何学的な説明に
惑わされてしまう傾向が人にはあるようである。

053-401
つまり、人は『幾何学の誘惑』に弱いということである。ニセ科学
のエリートたちは、そんな人の性(さが)につけこむわけである。法
則というものから人々の関心を逸らすために。

053-402
話は逸れるが、ついでに指摘しておくと、今日では、法則というも
のから人々の関心を逸らすことができるものが、もう一つある。そ
れは、コンピューター・シミュレーションである。

053-403
地球シミュレータなどに代表される、この種の世界は、ブラック・
ボックス化された世界であり、故に、法則に基づかない計算処理を
行ってもバレない世界である。

053-404
このように、法則というものから人々の関心を逸らすことにより、
デタラメな理論を信じ込ませようとするのが、政治やマスゴミに超
人気の自称「科学」に共通する手口なのである。

053-405
そういえば、今や科学の絶対的真理とされてしまっている「温室効
果」説も、法則に基づく説明がされたことがない。だから、計算式
も示せず、温暖化の数値予想が人によってバラバラなのだ。

053-406
豪雨を温暖化のせいにする論も、飽和水蒸気量と温度との間に成り
立つ法則を無視したニセ科学である。温度が上がれば、飽和水蒸気
量が増えるのだから、水蒸気は(雨)雲になりにくくなるはずだ。

053-407
ところが、呆れたことに、最近のNHKは、「気温の上昇にともな
い」という表現を用いて、「気温が上がると、大気の状態が不安定
になる」と受け取れる説教を繰り返しているのだ。

053-408
しかも、気温の上昇で大気の状態が不安定になる理由について、法
則に基づいた説明をしたことがないのだ。NHKは、やはり、科学
の敵である。

053-409
この種の教義を説く連中は、決まって、『温度上昇による水の蒸発
量の増加→大気中の水蒸気量の増加』の話をする。だが、『飽和水
蒸気量増加による水蒸気の凝結の鈍化』については触れない。

053-410
『(温度上昇による)飽和水蒸気量増加による水蒸気の凝結の鈍化』
の説明には『法則』が必要だが、『水の蒸発量の増加→大気中の水
蒸気量の増加』の方は、『法則』無しでも、『経験』で事足りる。

053-411
ちなみに、『温度低下による飽和水蒸気量減少による水蒸気の凝結
の活性化』の説明には、『法則』無しでも、『経験』で事足りる。
ならば、この種のトリックの手口は、もはや明白であろう。

053-412
つまり、『法則』を知らなくても『経験』によって知ることができ
ることを基にした説明をすることにより、聞き手を「私は完全に理
解した」という気分にさせるわけである。

053-413
そうすれば、聞き手は、説明に『法則』を要することへの関心を抱
かなくなる。事実、多くの人たちが、『温度上昇による飽和水蒸気
量増加による水蒸気の凝結の鈍化』に全くの無関心である。

053-414
つまり、このトリックは、素人にも馴染み深い『経験』によって知
ることができることをネタにした話をして、完全にわかったような
気にさせる、『誘惑』という悪事なのである。

053-415
このトリックのポイントは、『わかりやすさ』である。『わかりに
くいもの』よりも『わかりやすいもの』の方が人気があるのは、無
理もないことである。

053-416
そして、さらに問題なのは、『わかりやすさ』の正体が『馴染み深
さ』や『趣味』であることである。素人にとって『法則』は、馴染
み深いものではないし、趣味の対象になるようなものでもない。

053-417
これに対し、『経験』を通じて知ることができることは、素人にと
っても馴染み深いものとなり得るので、それをネタにした話には親
近感がわくというものである。

053-418
まして、『趣味』であることが説明の中に出てくるとなれば、なお
さらである。当たり前のことだが、『趣味』であることは、馴染み
深いもの(こと)である上に、大好きなもの(こと)でもある。

053-419
ならば、そうした説明をしている説や論を支持したくなるのが、人
間の性(さが)というものであろう。そこで、改めて、幾何学的な説
明について考えてみて欲しい。

053-420
数学の一分野とはいえ、幾何学も、初等レベルであれば、ほとんど
の人たちにとって馴染み深いもの(こと)であるはずである。また、
自然科学とは無関係なデザイン・アートの世界でも出てくる。

053-421
ならば、法則に基づく説明をしている説や論よりも、幾何学的な説
明をしている説や論の方を贔屓(ひいき)したくなる人が多くなるの
は、当然のことであろう。

053-422
人間とは、苦手なことを嫌って避け、得意なことを好んで贔屓した
がる生き物である。ペテン師たちは、そういう心理を利用して、誘
惑する。幾何学的な説明は、そうした誘惑の手口の典型なのだ。

053-423
『法則』抜きの幾何学的な説明など、自然科学の説明としては全く
空虚で、空想科学漫画にすぎない。ところが、同じことを言葉で説
明されると、そのことに気が付かなくなる者が、あまりに多い。

053-424
特に現代日本人は、言葉というものに対するコンプレックスがある
ように思えてならない。言葉で説明されると、どんなにおかしな論
でも有り難がる傾向が強いように思えてならないのだ。

053-425
事実、現代日本人は、活字に対するコンプレックスが強い。このこ
とは、新聞購読者数の多さからもわかる。一方、音声の言葉につい
ては、どの国民や民族にもコンプレックスが見られるものである。

053-426
演説等に熱狂する大衆は、その最たる例である。彼らは、話の内容
に対して、完全に思考停止している。このように、言葉には、人を
酔わす極めて強力な効果があるものなのである。

053-427
つまり、言葉には、空虚なことや、筋の通らないこと、矛盾したこ
とでも、人を納得させてしまう、極めて強い毒性があるのである。
政治思想的ニセ科学は、この毒性を大いに利用するのである。

053-428
では、どうすれば言葉の毒性にやられずにすむのかというと、自然
科学の場合は、やはり、物質の法則に基づく話になっているかどう
かをチェックすることなのである。

053-429
ニセ科学というものは、物質の法則と矛盾する(物質の法則によっ
ては説明がつかない)ものである。だからこそ、物質の法則に基づ
く説明をしたがらないのである。

053-430
従って、まず、話(説明)の中に『物質の法則』が出てくるかどうか
をチェックすることが最低限必要となる。『物質の法則』が出てこ
ない話は、ニセ科学である可能性がかなり高い。

053-431
ただし、『物質の法則』が出てこないからといって、ニセ科学とは
限らない。なぜなら、『物質の法則』を、直接、話(説明)の中で用
いない場合もあるからだ。

053-432
つまり、『物質の法則』に基づく理論(『物質の法則』から導かれ
ること)を正しく応用して説明する場合があるわけである。これは
ニセ科学ではなく、まともな科学(の説明)である。

053-433
ただ、こうした説明でも、真の専門家であれば、『物質の法則』の
段階から説明することができるはずなのである。従って、『物質の
法則』の段階からの説明を要求することが重要なのである。

053-434
もし、その人物が真の専門家であり、なおかつ、その説明が『物質
の法則』に基づく理論を正しく応用した説明なのであれば、この要
求を拒絶することはないであろう。

053-435
また、もし、その人物が真の専門家ではなくても、その説明が『物
質の法則』に基づく理論を正しく応用した説明なのであれば、真の
専門家である他の誰かが、その説明を代行してくれるであろう。

053-436
だが、もし、その説明が『物質の法則』に基づく理論を正しく応用
した説明ではない(それでいて、『物質の法則』が話の中に出てこ
ない)場合は、誰もその説明をしてはくれないはずである。

053-437
なぜなら、そのような説明は、間接的にすら『物質の法則』に基づ
いてはいない非科学(というより、『無』科学)的説明でしかないか
らである。

053-438
さて、ならば、説明の中に『物質の法則』が出てくれば、必ず真の
科学なのかというと、そうとは限らない。なぜなら、人を信用させ
るための『ただの飾り』として用いている場合があるからだ。

053-439
これには、二つの手口がある。一つは、『物質の法則』をデタラメ
に応用することで、自分たちに都合のいい結論を導くという手口で
ある。

053-440
もう一つの手口は、これの進化系(応用)で、本題とは無関係の『物
質の法則』を登場させ、それをデタラメに応用することで、自分た
ちに都合のいい(屁)理屈を展開をするという手口である。

053-441
デタラメに応用するからこそ、本題とは関係の無い『物質の法則』
を話の中に登場させることが可能になるわけである。それ故、さら
なる『でっち上げ』や『こじつけ』が可能になるわけである。

053-442
『物質の法則』をデタラメに応用することは、『物質の法則』を無
視することと、実質同じことである。つまり、これは、『物質の法
則』を封殺するための『言葉のトリック』なのだ。

053-443
また、本題とは関係のない『物質の法則』を話の中に登場させるこ
とは、説明に必要な『物質の法則』の登場を妨げることになる行為
である。

053-444
従って、これもまた、『物質の法則』を実質無視することになる行
為なのである。このように、『物質の法則』を徹底的に封殺するの
が、政治的ニセ科学に共通する最大の特徴なのである。

053-445
ところで、『物質の法則』の封殺には、もう一つ、別の種類の手段
がある。それは、多くの人たちが『物質の法則』だと勘違いしてい
る知識を『物質の法則』であるかのように用いるというものだ。

053-446
たとえば、「空気(大気)があたためられると、上昇する」というの
は、知識であって、『物質の法則』ではない。だが、少なからぬ人
たちが『物質の法則』だと思い込んでいるのだ。

053-447
そこで、ペテン師たちは、この思い込みを利用するわけである。つ
まり、本当は『物質の法則』ではない知識を基に説明することによ
り、『物質の法則』に基づく説明であるふりをするわけである。

053-448
そうすれば、『物質の法則』ではない知識のことを『物質の法則』
だと識勘違いをしている人たちは、その説明を『物質の法則』に基
づく科学的な説明だと錯覚することになるというわけである。

053-449
よって、これもまた、『物質の法則』を封殺するためのトリックな
のである。このように、正しい説明に必要な『物質の法則』を封殺
するのが、政治的ニセ科学のお決まりの手法なのだ。

053-450
ちなみに、今シーズンの台風15号の説明にも用いられた『水蒸気の
エネルギー』論は、水蒸気から連想される蒸気機関や水蒸気爆発な
どの『イメージ』を論拠に利用したニセ科学思想である。

053-451
『イメージ』は、(真の)理系人間にとっては知識と言えるようなも
のではないが、文系人間にとっては知識に類するものである。従っ
て、これも同種のトリックと言えるのである。

053-452
実際、『水蒸気のエネルギー』論は、『物質の法則』に基づく説明
がされたことがない。水蒸気(潜熱)だけでは『物質の法則』に基づ
く説明は不可能なのだから、これは当然のことである。

053-453
『水蒸気のエネルギー』論では『寒気の関与』が隠蔽されるわけだ
が、そのために、水蒸気の『イメージ』を利用して『物質の法則』
を封殺しているわけである。

053-454
『物質の法則』を封殺してしまえば、『物質の法則』に基づく説明
への(聞き手の)関心が無くなり、本当は『寒気の関与』が必要であ
るということにも関心がいかなくなるというわけである。

053-455
このように、『物質の法則』を封殺することで、中世暗黒時代の天
動説狂信のような社会的状況を意図的につくり出そうとするのが、
政治的ニセ科学のお決まりの手口なのである。

053-456
『物質の法則』を封殺したインチキ説明をする者は、(より)根源的
なことに関する質問に答えることができない。そのような質問は、
徹底的に無視する。

053-457
実際、たとえば、『水蒸気のエネルギー』論者どもは、「水蒸気は
どのようなメカニズムで風力を生み出すのか?」という質問には、
絶対に答えない。

053-458
ちなみに、『物質の法則』を封殺するということを思想の分野から
始めたのは、マルクス主義である。そこでは、『物質の法則』は一
切登場せず、代わりに『矛盾』が原理的なものとされる。

053-459
このことがわかれば、(インテリ)サヨクたちが、なぜ地球温暖化説
やそれを支える自称「科学」を「理解」できるのかも、わかるだろ
う。マルクス主義と根が同じ『物質の法則』無視思想だからだ。

053-460
『物質の法則』は、しばしば、人間に『厳しい現実』をつきつけて
くる。一方、共産主義は、『厳しい現実』を無視した思考実験の世
界においてのみ、うまく機能する理想郷である。

053-461
一方、「科学」詐欺師たちにとって、『物質の法則』とその正しい
応用法は、『厳しい現実』に他ならない。だから、地球温暖化説や
それを支えるニセ科学では、それらが徹底的に無視されるのだ。

053-462
『物質の法則』とその正しい応用法という『物質の世界の現実』を
無視するからこそ、自分たちにとって都合のいい『恐怖の終末論』
をでっち上げることができるわけである。

053-463
『物質の法則』を封殺して世間を騙すニセ科学の歴史については、
次項(054)で改めて取り上げることにしたい。この項(053)では、以
降、気象(主に台風)に関する手口に話を限定することにする。

053-464
まずは、『物質の法則』をデタラメに応用した実例を一つ挙げてお
こう。それは、「温暖化すると、飽和水蒸気量が増えるので、大気
中の水蒸気量が増え、降水量(→豪雨)が増える」論である。

053-465
「飽和水蒸気量が増える」までの部分については、確かに正しい。
また、「大気中の水蒸気量が増え」までの部分についても、大気が
洋上を通過してきた場合は正しい。問題は、それ以降の部分だ。

053-466
大気中の水蒸気量が増えても、飽和水蒸気量が増えた以上に増えな
ければ、雲になる水蒸気の量は増えない。従って、降水量(→豪雨)
が増えることにはならないのである。

053-467
もっとも、水蒸気を含む大気が、温暖化する前と同じ(ある)温度に
まで冷やされるというのであれば、話は別である。だが、温暖化が
地球規模である場合には、それはあり得ないことのはずだ。

053-468
ここで気付かなければならないのは、このデタラメ論が『水蒸気が
雲になるためには、冷やされなければならない』という必須考慮事
項を封殺していることである。

053-469
この封殺により、まず、『温暖化すると、冷やされる機会や度合い
が減ってしまう(∴雲が減る)』という致命的矛盾から世間の関心を
逸らすことができる。

053-470
さらに、『飽和水蒸気量』の『水蒸気が雲になる現象』への係わり
を封殺することができる。これは大きい。なぜなら、冷やされて雲
になる水蒸気の量の計算に、飽和水蒸気量は欠かせないからだ。

053-471
大気中に含まれる水蒸気の量が同じ場合には、冷やされた結果の温
度における飽和水蒸気量が多い方が、雲になる水蒸気の量が少なく
なる(∴雲が減る)ことになる。

053-472
つまり、温度の上昇によって起こる飽和水蒸気量の増加は、大気中
に含まれる水蒸気の量を増やす効果だけでなく、雲になる水蒸気の
量を減らす効果をももたらすのである。

053-473
言うまでもなく、「気候」詐欺師たちにとって、後者の効果は都合
の悪い効果である。だから、これを封殺するために、冷却の話を封
殺するわけである。

053-474
つまり、飽和水蒸気量の増加がもたらす効果のうち、都合の良い効
果だけを喧伝し、都合の悪い効果は隠蔽しているわけである。こう
した手口は、温室効果ガスのでっち上げの手口と全く同じである。

053-475
それにしても、冷却と(飽和水蒸気量の増加がもたらす)後者の効果
を隠蔽するとは、呆れた非科学である。これでは、水蒸気が雲にな
る現象(とその理由)すら説明できないではないか!

053-476
水蒸気を含む大気が冷やされなければ、飽和水蒸気量は減少せず、
故に、大気中に含まれる水蒸気の量が飽和水蒸気量を超えることは
なく、故に、その水蒸気が雲になることはない。

053-477
従って、降水量が増えることはおろか、雨が降ることすら説明でき
ないことになるのだ。大気中に含まれる水蒸気の量のことしか考え
ないから、この致命的な誤りに気付かないのである。

053-478
降水量を左右するのは、大気中に含まれる水蒸気の量ではなく、飽
和水蒸気量を超えてしまうことになる水蒸気の量である。これが増
えなければ、降水量は増えないのだ。

053-479
温度が上がると必然的に起きる飽和水蒸気量の増加は、飽和水蒸気
量を超えてしまうことになる水蒸気の量を減らすことになるので、
地球温暖化へのこじつけには非常に都合が悪い。

053-480
そこで、このことを封殺するために、水蒸気が雲になるために絶対
必要な過程である冷却のことを封殺するのである。また、そのこと
を目立たなくするための悪知恵も、存分に働かせる。

053-481
それが、「温暖化すると、飽和水蒸気量が増えるので、大気中の水
蒸気量が増え、降水量(→豪雨)が増える」論ばかりを繰り返すとい
う手口なのである。

053-482
前にも言ったように、これは、温室効果ガスという濡れ衣を着せる
ために、赤外線を吸収する能力のことばかり繰り返して、放出する
能力を目立たなくするという手口と同種の手口である。

053-483
『物質の法則』に基づいて考察するならば、赤外線を吸収する能力
が高い物質は放出する能力も高いことがわかるのだが、『物質の法
則』をデタラメに応用してるため、そこに至らないわけである。

053-484
いわゆる『超常モノ』という分野は、『物質の法則』を侮辱してい
ることを表明している分だけ、まだマシとさえ言える。政治的ニセ
科学は、そのことを表明することさえしないのだから。

053-485
実際、地球温暖化説は『超常モノ』と同レベルのニセ科学である。
それが証拠に、『温室効果』が数値で表されたことが無い。数値で
示されるのは、たとえば何十年も後の温度等だけだ。

053-486
しかも、その予想温度は、「研究者」によってバラバラで、おまけ
に、温度変化の数値にかなりの開きがある。そんなことになる最大
の原因は、温室効果が数値で示されるものになっていないからだ。

053-487
それが証拠に、温室効果には『単位』というものが無い。これは、
温室効果を求めるための数式が存在しないことを示している。数式
が存在すれば、単位は自ずと定まるものだ。

053-488
つまり、「研究者」たちは、温室効果は求めず(∴使わず)、地球か
ら宇宙に放出される(輻射)熱エネルギー量を自分で勝手に決めて、
予想温度を求めているのである。だから、バラバラなのだ。

053-489
それはともかく、温室効果を求めるための数式が存在しないのは、
温室効果が生じるメカニズムを説明するための理論が崩壊してしま
っている(∴数式がたてられない)からだ。

053-490
事実、最近では、温室効果が生じるメカニズムの説明をしてくれる
メディアが、一つも無くなってしまった。次々と提唱されたどの理
論もデタラメであることがバレてしまったからである。

053-491
つまり、『物質の法則』から温室効果が生じるという結論を導くこ
とが不可能であることが判明してしまったのだ。『物質の法則』を
尊ぶ限り、温室効果は物理的にあり得ないことになるのである。

053-492
ちなみに、二酸化炭素の温室効果という虚妄は、実際の大気の温室
効果に対する誤った解釈の産物である。大気中に浮遊する『観測さ
れない水や氷の粒』による反射の影響をそれと取り違えたものだ。

053-493
地球の大気に温室効果があることは、確かな事実である。問題は、
その原因である。実は、その9割以上(ほぼ全て)が、大気中に浮遊
する水や氷の粒による反射の影響なのだ。

053-494
ところが、大気中に浮遊する水や氷の粒のうち、その存在が観測可
能なのは、雲をなしているものだけなのである。この観測の限界と
いう現実が、科学詐欺師たちによって悪用されるわけである。

053-495
つまり、存在確認不可能という観測能力の限界をいいことに、雲を
なしていない水や氷の粒のことを、存在していないということにし
てしまうのである。

053-496
すると、当然のことながら、雲をなしていない水や氷の粒の反射に
よる温室効果は無いことになる。従って、その分だけ、水や氷の粒
の反射による温室効果は(本当のそれよりも)少なくなる。

053-497
と、ここまでくれば、もうおわかりであろう。科学詐欺師たちは、
雲をなしていない水や氷の粒の反射による温室効果(の分)を「二酸
化炭素の温室効果」にすり替えているのである!

053-498
おまけに、雲をなしている(=観測により存在確認可能な)水や氷の
粒の反射による温室効果のことを「水蒸気の温室効果」とほざいて
いるのである!

053-499
これは、三重の破廉恥である。雲をなしていない分を、無いことに
した上に、二酸化炭素の分にすり替え、しかも、雲をなしている分
についても「水蒸気の」と物質の相を偽っているからだ。

053-500
まともな理論(→数式)が存在せず、故に、その如何なる数値も求ま
ることがないはずの『二酸化炭素の温室効果』(が大気の全温室効
果に占める割合)なるものは、こうして捏造されたのである。

053-501
雲や霧といったものは、ある濃さ以下のものは観測できない。従っ
て、それらを構成している水や氷の粒の存在も、観測ではわからな
いのである。

053-502
大気中に存在するのに観測できない水や氷の粒の存在を実感したけ
れば、昼間の青空(の部分)を見ると良い。太陽以外の恒星が全く見
えなくなるほど明るいはずだ。

053-503
これは、太陽光やそれが地表で反射された光が大気で(乱)反射され
た証拠である。もっとも、その全てが『水や氷の粒』によるものと
いうわけではないが、主要因の一つであることは間違いない。

053-504
また、雲をなしていない(∴観測できない)水や氷の粒による温室効
果は、雲をなしている水や氷の粒による温室効果と比べると、当然
弱い。だが、分布域の厚さが、その差を縮めてくれる。

053-505
一見透明に見えるものでも、重ねるなどして厚さを増やすと、不透
明になることがある。雲をなしていない水や氷の粒も、その分布域
に十分な厚さがあれば、その温室効果は無視できない強さになる。

053-506
とはいえ、それでも、雲をなしている水や氷の粒による温室効果に
比べると、全く弱いものである。そして、この弱さが、二酸化炭素
の温室効果へのすり替え詐欺には、かえって有利に働くのだ。

053-507
なぜなら、「まぁ、この程度の弱い温室効果なら、大気中の二酸化
炭素にもあるかもしれない」という気に人々をさせてしまう心理的
効果があるからだ。

053-508
もし、これが雲の温室効果並みに強いものだったとしたら、「いく
らなんでも、それは強すぎではないか?」と疑い始める人が現れて
きてしまうだろう。

053-509
ちなみに、大気の全温室効果に占める二酸化炭素の温室効果の割合
は、9〜26%とのこと。なんと、数値に約3倍ものバラツキがある
のだ。呆れた大雑把さである。

053-510
物質の法則に基づく理論から導かれた数式によって求められた数値
が、このようにバラつくことは、絶対にあり得ない。これは、その
ような理論から得られた数値ではないことの証拠である。

053-511
ちなみに、「水蒸気の温室効果」、すなわち、雲をなしている水や
氷の粒による温室効果の割合は、36〜70%だそうである。こちらも
倍近いバラツキがあるが、実はここにヒントが隠されているのだ。

053-512
というのは、このバラツキの原因が『雲の有無の判定基準が曖昧で
あること』にあるからだ。そして、これがまた、「二酸化炭素の温
室効果」の割合の数値のバラツキの原因になっているのである。

053-513
なぜなら、その正体が『雲をなしていない水や氷の粒による温室効
果』であるからだ。雲をなしているか否かの判定基準が曖昧なため
に、こちらもまた、バラツキが生じてしまうのである。

053-514
だから、その『なりすまし』となった「二酸化炭素の温室効果」も
バラツキのあるものとなってしまったのである。つまり、これらの
バラツキは、すり替えという不正行為が行われた証拠なのだ。

053-515
そして、そのような不正行為が必要だったのは、温室効果を物質の
法則に基づいて説明できる理論が無い(∴温室効果を求めるための
数式が無い)からだ。

053-516
このように、「二酸化炭素の温室効果」なるものは、すり替えとい
う破廉恥トリックの産物でしかなく、理論の方は、定量的なことは
おろか、定性的なことすら説明できないという有様なのである。

053-517
二酸化炭素の場合に限らず、温室効果ガス説の極めてお粗末なとこ
ろは、『赤外線の吸収が、どうして温室効果をもたらすことになる
のか?』ということが物理的に説明されていないことである。

053-518
温室効果ガス(という濡れ衣を着せられているガス)が赤外線を吸収
するだけでは、大気は高温にはならない。温室効果ガス自体も、高
エネルギー内包状態にはなるが、高温になるわけではない。

053-519
なぜなら、赤外線を吸収しても、温室効果ガスの分子の運動が活発
化する(分子の運動速度が増す)わけではないからだ。活発化するの
は、分子内の(分子を構成する)粒子間の相対運動である。

053-520
それ故、分子の衝突があっても、大気中の温室効果ガス以外の物質
(窒素や酸素など)を加熱することはできないのである。一方、この
粒子間の相対運動は、『赤外線の放出』という現象を引き起こす。

053-521
つまり、温室効果ガス(という濡れ衣を着せられているガス)は、赤
外線を吸収した途端に、赤外線放出を開始し、赤外線吸収によって
得たエネルギーを失ってしまうのである。

053-522
これでは、大気の加熱は不可能になる。また、窒素や酸素は温室効
果ガスではないのだから、温室効果ガスから放出された赤外線を吸
収することはなく、故に、加熱されることはないことになる。

053-523
温室効果ガスから放出された赤外線が地球を加熱するためには、そ
の赤外線が地表に向けて放出されるのでなければならない。だが、
エネルギーの問題から、それは物理的にあり得ないことである。

053-524
なぜなら、エネルギーというものは、(仕事をされない限り)高い方
から低い方にしか流れないからだ。輻射(赤外線)のエネルギーも、
その例外ではない。

053-525
(大気中の)温室効果ガスが地表からの赤外線を吸収するのは、地表
の方が温室効果ガスよりも高エネルギーだからである。そもそも、
「吸収」という表現が本当は良くないのだ。

053-526
本当は「地表からの輻射(赤外線)のエネルギーを、温室効果ガスが
受け入れた」とでも表現すべきなのだ。そうすれば、温室効果ガス
が地表からエネルギーを与えられた事実が見えてきやすくなる。

053-527
エネルギーを与えることができるのは、『与える側』が『与えられ
る側』よりも高エネルギーだからだ。だから、地表から温室効果ガ
スにエネルギーが流れたのである。

053-528
それを「吸収」と言うのは、やはり(誤解を招くおそれがあるとい
う意味で)問題がある。なぜなら、温室効果ガスは、ブラックホー
ルのように電磁波を吸い込んでいくわけではないからだ。

053-529
温室効果ガスは、赤外線(電磁波)の電磁場から作用を受け、それに
よる(物理学的な意味での)仕事を受け入れることにより、エネルギ
ーを得る。よって、その分だけ、赤外線はエネルギーを失う。

053-530
これが、「赤外線の吸収」の実態である。一方、窒素や酸素などと
いった『温室効果ガスではない物質』は、赤外線(電磁波)の電磁場
から作用を受けはするが、それによる仕事を受け入れない。

053-531
このため、エネルギーを得ることはなく、故に、赤外線がエネルギ
ーを失うこともない。これが、「赤外線を吸収しない」ということ
の実態である。

053-532
このように、「吸収」という表現は、赤外線のことしか考えなくて
良い場合にのみ用いられる表現なのであって、現象のメカニズムに
ついて考えなければならない場合には全く不適切な表現なのだ。

053-533
温室効果ガスは、赤外線を『能動的』に吸収するのではなく、全く
『受動的』に、赤外線の電磁場からの作用による仕事を受け入れる
ことにより、エネルギーを与えられるのである。

053-534
つまり、「温室効果ガス」と、そうでない気体(窒素や酸素など)と
は、赤外線の電磁場からの作用による仕事を受け入れる気体である
か否かということで区別されていることになるわけである。

053-535
だが、「温室効果ガス」といえども、分子の向きと、赤外線の電界
(や磁界)の向きとが、ある関係にないと、赤外線の電磁場からの作
用による仕事を受け入れない状態になってしまうはずである。

053-536
なぜなら、赤外線を「吸収」するかしないかという問題は、電磁波
(⊃赤外線)の波長が影響してくる問題だからである。電磁波のうち
の特定の波長のものに関する問題なのだ。

053-537
文章による説明がわかりにくければ、電磁波(赤外線)の電磁場の様
(波の山や谷など)を描いた図の中に、温室効果ガスの分子の絵を描
いてみるとよい。

053-538
そうすれば、分子の向きによって、『電磁波の波長』と『分子を構
成する粒子の間の距離』との関係が違ってくることが見えてくるよ
うになるはずだ。

053-539
つまり、ここで気付かなければならないのは、分子の向きによって
電磁波(赤外線)からの影響の受け方が違ってくることになるはずだ
ということなのである。

053-540
それは、より具体的に言うと、分子の向きによって、赤外線が「吸
収」される度合いが違ってくるということである。だが、温室効果
ガス説では、そうした『違い』が全く考慮されていないのだ。

053-541
赤外線が「吸収」される度合いが違ってくれば、温室効果の度合い
も違ってくるはずである。従って、これ(分子の向きの影響)を考慮
しないのは、とんでもないことのはずである。

053-542
こうしてみると、温室効果ガス説(を絶対の前提としている地球温
暖化説)は、赤外線の「吸収」というステージから、話が全くいい
加減であることがわかってしまう。

053-543
もしこの点への追及が盛んになると、彼らは次のように話を変える
ことだろう。「いや、波長ではなく、周波数が影響するのだ」と。
だが、そうなると今度は結合子の問題が浮上してくることになる。

053-544
結合子は、本来、化学の概念であり、物理的に実在する物ではない
が、赤外線の「吸収」に関しては、分子内の粒子を結び付けている
弾性体のようなものとみなす(仮想する)ことができる。

053-545
すると、その物性がどのようなものか、問われることになる。運動
のしかたに周波数が関係してくる場合には、その弾性係数が問われ
ることになる。

053-546
なぜなら、赤外線の「吸収」によって起きる粒子の相対運動は、結
合子の周期的な変形(伸縮、たわみ、ねじれ等)現象であり、その周
波数を左右する因子の一つが弾性係数だからだ。

053-547
ところが、温室効果ガス説では、仮想弾性体たる結合子の弾性係数
についての説明が全く無いのである。これは、物理的説明が無いと
いうことと同じことだ。

053-548
物理的説明が無いということは、物理的根拠が無いということだ。
そんな理論で、一つの温室効果ガス分子が赤外線(のエネルギー)を
どれだけ「吸収」するかなど、求まるわけがない。

053-549
従って、大気の温室効果(→温暖化の度合い)が求まることは絶対に
あり得ないのである。事実、予想はバラバラだ。さて、結合子につ
いては、もう一つ、重大な問題がある。それは、強度の問題だ。

053-550
結合子の強度は無限大ではない。従って、赤外線の「吸収」により
温室効果ガス分子内の粒子の相対運動があるレベル以上に達してし
まうと、結合子は切れてしまうことになる。

053-551
なぜなら、相対運動の振幅が大きくなるからだ。従って、温室効果
ガス分子が赤外線を「吸収」することができる量には上限があるこ
とになる。それ以上は「吸収」できないのだ。

053-552
一方、大きな温室効果を生じさせるには、それだけ多くの赤外線を
「吸収」しなければならないことになるはずである。従って、結合
子の強度が問題になってくるわけである。

053-553
地球温暖化説は1%にも満たない濃度で地球の気候を激変させてし
まうほど大きな温室効果が二酸化炭素にはあると主張しているが、
その場合、はたして結合子は耐えられるのだろうか?

053-554
もっとも、実際には、結合子が切れることはない。なぜなら、結合
子が切れる状態になるはるか以前に、(温室効果ガス分子からの)赤
外線の放出が始まってしまうからである。

053-555
しかも、(以前説明したように)その放出方向は、自身より高エネル
ギーな地表に向かう方向ではなく、低エネルギーな宇宙空間に向か
う方向である。これでは、温室効果は生じない。

053-556
つまり、赤外線のエネルギーは、温室効果ガス分子に一瞬立ち寄り
はするが、すぐに宇宙空間に向けて放出されてしまうのである。こ
のように、温室効果ガス分子は中継しているだけなのだ。

053-557
もっとも、中継される分だけ、赤外線の速度は遅くなる。実は、こ
れこそが、「温室効果ガス」という濡れ衣を着せられたガスが本当
にもたらす効果なのである。

053-558
それは、別の言い方をすると、大気の赤外線の屈折率を大きくする
効果である。波長(周波数)によって屈折率が異なることは、それほ
ど珍しいことではない。

053-559
たとえば、虹やプリズムによって生じるスペクトルは、波長(周波
数)によって屈折率が異なることが大本の原因となっている現象で
ある。

053-560
こうした実例を知れば、赤外線という特定の波長(周波数)の電磁波
の屈折率を変えてしまう(→速度を遅くする)物質が存在するという
話に違和感を覚えることも無くなるだろう。

053-561
このように、「温室効果ガス」なる概念は、赤外線の速度を遅くす
る(屈折率を大きくする)効果を「温室効果」にすり替えることによ
って捏造された虚妄なのだ。そう、得意の『すり替え』である。

053-562
赤外線を「吸収」するだけでは温室効果が生じないことは、実は、
とっくにバレている。だから、地球温暖化論者たちは『エネルギー
受け渡し』説を唱えているのだ。

053-563
これは、温室効果ガス分子が(大気の主成分である)窒素分子や酸素
分子と衝突することにより、温室効果ガスが赤外線から得たエネル
ギーが窒素や酸素に受け渡されるとする説である。

053-564
つまり、エネルギーを受け渡された窒素分子や酸素分子が、温室効
果ガス分子に代わって、赤外線を地表に向かって放出するとする説
なのである。

053-565
なるほど、確かに、このシナリオ通りなら、温室効果ガス分子が宇
宙空間に向けて赤外線を放出してしまうことは無くなる。問題は、
窒素分子や酸素分子が赤外線を地表に向けて放出するかどうかだ。

053-566
赤外線の放出を担う役が、温室効果ガス分子から窒素分子や酸素分
子に代わったとしても、エネルギーは高い方から低い方にしか流れ
ないのであるから、結局、何の解決にもならないのである。

053-567
つまり、赤外線の放出役が窒素分子や酸素分子になっても、赤外線
は、高エネルギー状態である地表へは放出されず、低エネルギー状
態である宇宙空間へ放出されてしまうのだ。

053-568
しかも、窒素分子や酸素分子は温室効果ガス分子からエネルギーを
受け渡されるわけであるから、(赤外線を「吸収」する)温室効果ガ
スよりも高エネルギー状態になることはあり得ない。

053-569
従って、赤外線を地表へ放出することは、温室効果ガス分子の場合
以上にあり得ないことになるのである。理論を改良したどころか、
実は改悪にしかなっていなかったという、お粗末ぶりなのである。

053-570
ここで重要になってくるのは、『エネルギーというものは、外部か
ら仕事をしてやらない限り、高い方から低い方にしか流れないもの
である』という物理の基礎知識である。

053-571
もし、外部から仕事をしてやらなくても、エネルギーが低い方から
高い方に流れるものだとしたら、永久機関が実現可能ということに
なってしまう。

053-572
もちろん、永久機関は実現不可能である。このように、エネルギー
の流れ方に関する知識は、非常に重要な知識なのである。これを無
視するのは、非科学・反科学の類でしかない。

053-573
そして、そのことがわかれば、温室効果ガス説が、その改良版であ
る(最終バージョンでもある)『エネルギー受け渡し』説を含めて、
全くの似非科学であることに気付くはずである。

053-574
だが、この知識を知らぬ者や拒む者は、『エネルギー受け渡し』説
のことを、地表への赤外線放出量がさらに多くなる(温室効果がよ
り高まる)理論的証拠として、熱狂もしくは心酔するのである。

053-575
そういえば、彼らは自然エネルギーのことを「無尽蔵」と、まるで
フリーエネルギー(→永久機関)であるかのようにほざくのがお好き
だ。根が同じ非科学志向である。

053-576
当然のことながら、『高→低』というエネルギーの流れ方を無視し
た説は、物質の法則を無視した説である。やはり、彼らは、物質の
法則が大嫌いなのである。

053-577
さて、エネルギーの受け渡しをしても何の解決にもならないことは
既に示したが、実は、それ以前に、エネルギーの受け渡しの実現性
からして極めて疑わしいという大問題があるのである。

053-578
既に述べたように、赤外線を「吸収」しても、温室効果ガス分子の
速度(→運動エネルギー)が増すわけではない。それ故、(他の分子
との)単純な衝突ではエネルギーの受け渡しは起きないのだ。

053-579
つまり、かなり特殊な衝突のしかたをしないと、エネルギーの受け
渡しは起きないのである。それは、各々の分子の結合子の両端にあ
る二組の原子同士が同時に接触するという衝突のしかたである。

053-580
たとえば、二酸化炭素分子(CO2)と窒素分子(N2)の場合、CがN2の片
方のNと、そして、(どちらかの)OがN2のもう片方のNと、二組同時
に接触する衝突のしかたをしなければならないのである。

053-581
だが、そのような衝突は、極めて高い命中精度が要求される。従っ
て、人為による場合でも非常に難しく、まして、分子の熱運動によ
り起きる可能性は、絶望なまでに低い。

053-582
確率の低さだけではない。原子間の距離も問題である。もしCとOの
距離と二つのNの距離とが等しくなければ、二組同時の衝突は不可
能か、可能でも受け渡しの効率が非常に悪いということになる。

053-583
問題は、まだある。まずは、『赤外線の電磁場からの作用による仕
事を受け入れない粒子が、他の分子中の粒子からの衝突による作用
による仕事を受け入れるだろうか?』という問題である。

053-584
『衝突による作用』とは、正確には『衝突により接触したことで、
相手から直接力を受けることになる作用』のことであるが、電磁作
用でも力を受けるということには変わりはない。

053-585
従って、「一方の作用(衝突による作用)による仕事は受け入れて、
もう一方の作用(赤外線の電磁場からの電磁作用)による仕事は受け
入れない」というのは、全くもって奇妙な話なのである。

053-586
特に、電磁作用による仕事の受け入れに周波数が関係してくる場合
は、なおさらである。赤外線の「吸収」の有無は、特定の周波数に
おける相違であり、故に、周波数が関係してくる場合である。

053-587
つまり、温室効果ガスは、(赤外線という)特定の周波数の(電磁波
の電磁場からの電磁)作用による仕事を受け入れるガスなのであり、
一方、窒素や酸素は、それを受け入れないガスなのである。

053-588
従って、作用の種類が関係ないのなら、それを受け入れない窒素や
酸素が、衝突(→接触)による作用の仕事を受け入れるはずがないの
である。

053-589
そもそも、温室効果ガスではない(∴赤外線を「吸収」しない)物質
であるはずの窒素や酸素が、どうして赤外線を放出することはでき
るというのか? その物理学的な説明は、一切無い。

053-590
ここで、改めて、赤外線を「吸収」するための条件、すなわち、あ
る周波数の電磁波の電磁場からの電磁作用による仕事を受け入れる
ために満たされなければならない条件を確認しておく必要がある。

053-591
その条件は二つある。一つは、赤外線を「吸収」すると相対運動す
ることになる分子内の粒子が、(電磁場にあると)電磁作用を受ける
粒子であるということである。

053-592
それは、すなわち、電気を帯びた粒子であるということである。た
とえば、温室効果ガス分子を構成する原子の原子核は、プラスの電
気を帯びた粒子とみなすことができる。

053-593
もっとも、条件がこれだけなら、窒素や酸素などのような温室効果
ガスではないガスも、温室効果ガスと同じになってしまう。違いを
生む重要な条件は、次の二つ目の条件となる。

053-594
それは、分子内の(少なくとも)二つの粒子が、赤外線の周波数で周
期的相対運動をすることが可能であることだ。それが不可能である
と、仕事(→エネルギー)を受け入れないのである。

053-595
動かない(運動することが不可能な)ものに仕事をすることは不可能
である。なぜなら、『仕事=力×(移動)距離』であり、動かない場
合は距離がゼロ(∴仕事はゼロ)となるからだ。

053-596
作用によって生じる運動が、周期的な相対運動であっても、事情は
同じである。つまり、温室効果ガスとは、分子内の粒子が赤外線の
周波数で相対運動しやすいという特徴をもつガスなのである。

053-597
逆に、窒素や酸素などといった『温室効果ガスではないガス』は、
分子内の粒子が赤外線の周波数で(周期的)相対運動をしにくいガス
なのである。

053-598
従って、たとえ温室効果ガスからのエネルギーの受け渡しが実現し
たとしても、それにより分子内の粒子が赤外線の周波数で周期的相
対運動することは、まずあり得ないのである。

053-599
もし赤外線の周波数で周期的相対運動をしたとしたら、それは赤外
線を「吸収」しない(=温室効果ガスではない)ということと矛盾す
ることになってしまう。

053-600
一方、分子内の粒子が赤外線の周波数で周期的相対運動をしないと
いうことなると、それによる赤外線の発生という現象が起きないこ
とになる。つまり、赤外線が放出されないことになるのだ。

053-601
地表に向かう方向にはもちろん、宇宙空間に向かう方向にも、如何
なる方向にも、(粒子の周期的相対運動によって発生する)赤外線は
放出されないことになるのである。

053-602
従って、温室効果は生じないことになるわけである。何ともお粗末
だが、窒素と酸素の助けを借りようとした猿の浅知恵には、この他
にも、反作用の影響を無視しているというペテンがある。

053-603
温室効果ガスの分子内の粒子が、(エネルギーを受け渡そうとして)
窒素や酸素の分子内の粒子に作用を及ぼせば、必ず、(窒素や酸素
の分子内の粒子から)反作用を受けるはずである。

053-604
問題は、この反作用が温室効果ガスの分子内の粒子の運動状態にど
う影響するのかである。反作用を受ければ、粒子の運動状態は変わ
る。その変わり方が問題なのだ。

053-605
もし速度がゼロになったとしたら、エネルギーは100%受け渡され
たことになる。一方、速度の向きが変わっただけで、その大きさが
変わらなかったとしたら、エネルギーの受け渡しはゼロである。

053-606
そして、この場合、窒素や酸素の分子内の粒子の運動状態(速度)は
変化無しである。そこで思い出さなければならないのが、赤外線の
周波数で周期的相対運動をしにくいという特徴だ。

053-607
これは、赤外線の周波数で周期的相対運動をする運動状態にはなり
にくいということである。従って、『運動状態(速度)は変化無し』
となる可能性があり得るわけである。

053-608
もしそうなれば、温室効果ガス分子内の粒子の運動状態は、速度の
向きが変わるだけで、その大きさはかわらない。故に、エネルギー
の受け渡しはゼロということになってしまうのである。

053-609
これは、たとえば、ボールを地面に投げつけても、地面(地球)の運
動状態は変化せず、ボールが跳ね返されてくるだけであるというこ
とに似ている。

053-610
これは、ボールに比べて地球の方が質量が圧倒的に大きいために加
速されにくいことが原因となっていることである。つまり、『加速
されにくいもの』にエネルギーを受け渡すことは困難なのだ。

053-611
ならば、窒素や酸素の分子内の粒子はどうなのかというと、温室効
果ガスの分子内の粒子と比べて、質量が(ボールと地球との関係の
ように)圧倒的に大きいというわけではない。

053-612
だが、加速の妨げになるのは、質量(差)だけではない。化学で言う
ところの結合子なる仮想弾性体もまた、加速の妨げになることがあ
るのである。

053-613
事実、窒素や酸素といった温室効果ガスではない気体の分子では、
この仮想弾性体(結合子)が、赤外線の(周波数で)変動する電磁場か
らの電磁作用による加速を妨げる働きをする。

053-614
結合子は、変形しない場合、留め具のような働きをする。それ故、
それによってつながれている粒子に作用を及ぼそうとする側からす
れば、その粒子の見かけ上の質量を増やす働きをすることになる。

053-615
たとえば、『●━○』という結合があったとすると、『●』の分だ
け『○』の質量が見かけ上増えることになるわけである。そして、
質量が増えれば、加速されにくくなる。

053-616
故に、エネルギーの受け渡しが(それだけ)困難になるわけである。
特に、結合子に並行で互いに逆向きの作用が『●』と『○』にそれ
ぞれ及ぶ場合( → ← または ← → )は、完全に不可能である。

053-617
以上のことから、エネルギーの受け渡しが夢物語であることがわか
ると思う。そもそも、赤外線の「吸収」とは、赤外線が気体分子内
の粒子にエネルギーを受け渡すことなのだ。

053-618
従って、窒素や酸素などのような温室効果ガスではない気体は、赤
外線が気体分子内の粒子にエネルギーを受け渡すことができない気
体ということになるのだ。

053-619
そして、それは、すなわち、『赤外線の周期的に変動する電磁場に
よって生じる電磁作用が、気体分子内の粒子を加速することができ
ない気体である』ということなのである。

053-620
そして、それは、『赤外線の周波数で周期的に変動する作用が、気
体分子内の粒子を加速することができない気体である』ということ
を意味しているのだ。

053-621
一方、赤外線の周波数で周期的に相対運動している粒子のペアは、
他の粒子のペアと接触すると、赤外線の周波数で周期的に変動する
作用を(接触した他の粒子のペアに)及ぼそうとする。

053-622
だが、作用を受ける側の粒子のペアが赤外線の周波数で周期的に変
動する作用では加速することができない場合は、地面に投げつけら
れたボールのように、跳ね返されてしまうことになる。

053-623
そして、このような場合には、既に説明したように、エネルギーの
受け渡しが行われることはない。もう少し正確に言うと、エネルギ
ーが100%受け渡されるということは物理的にあり得ない。

053-624
ならば、「一部だけでも受け渡されるとしたら、どうなのか?」と
いうと、また別の問題が生じる。それは、受け渡しの際に電磁波が
発生してしまうことになることだ。

053-625
マックスウェル電磁気学によると、電気を帯びた粒子が速度を変え
ると電磁波が放出されることになっている。それ故、その分だけ、
運動エネルギーが失われることになるのだ。

053-626
従って、温室効果ガス分子内の粒子も、エネルギーを少しでも受け
渡そうとすると、減速することになるわけであるから、電磁波放出
によるエネルギーの喪失が起きることになる。

053-627
それ故、その分だけ、窒素や酸素に受け渡されるエネルギー量は少
なくなってしまうことになるのである。つまり、電磁波の発生によ
る損失があることになるのだ。

053-628
ついでに言うと、この損失は、エネルギーを受け取る側が『赤外線
の周波数で周期的に変動する作用が、気体分子内の粒子を加速する
ことができる気体』でも生じてしまうことになるものなのだ。

053-629
分子内の粒子の間でのエネルギーの受け渡しでは、電気を帯びた粒
子の減速(や加速)が起きることになるので、どんな気体であれ、電
磁波放出によるエネルギー損失が起きることになるのである。

053-630
このように、本当は起り得ない『エネルギーの受け渡し』という現
象を「起る」と仮定しても、電磁波放出によるエネルギー損失によ
り、100%の受け渡しは起り得ないということになるのである。

053-631
ついでに、余談であるが、分子と分子との衝突では、分子全体とし
ては電磁気的に中性ということになるので、電磁波放出(によるエ
ネルギー損失)は無いということになる。

053-632
電磁波放出によるエネルギー損失は、エネルギー受け渡し説に都合
の悪いこと(∴無視する)の一つだが、そうした醜態をもう一つ示し
ておこう。それは、メタン(CH4)に関してである。

053-633
メタン分子を構成するHは、NやOと比べて質量が一桁小さい。そ
れ故、N2のNやO2のOを加速させる能力が低く、エネルギーを受
け渡す能力がCO2のOよりも低いはずなのである。

053-634
従って、メタンは二酸化炭素よりもエネルギーを受け渡す能力が低
く、故に、温室効果が弱いことになるはずなのである。ところが、
温室効果ガス説では、正反対のことを説いているのだ。

053-635
こうしてみると、温室効果ガス説は、エネルギー受け渡し説におい
ても、物理法則を完全に無視した屁理屈を展開していることが、よ
くわかるだろう。

053-636
一般に、人がつくったものをありがたがる傾向の強い人たちには、
(物質の)法則を潰したがる人が多い。たとえば、文芸系人間。彼ら
は、優れた表現力で人を惑わし、それを広めてしまう。

053-637
思想もまた、人がつくったもの。思想系人間たちは、居直った屁理
屈と、いい加減な引用・応用とによって、優等生たちをも狂わせて
しまう。

053-638
経済学系人間たちは、モデルや用語といったものをありがたがりた
がる。彼らは、統計トリックによる数値やグラフといったものを用
いて客観性を装うのが得意だ。

053-639
そして、最も危険な存在となるのが、法学系人間たちである。法も
また、人がつくったものである。しかも、権力というものと必ず結
びついているものである。

053-640
つまり、従わぬ者を裁き罰するという暴力装置となる権力と…であ
る。これが生み出す恐怖の効果により、教義を強制された側は、そ
れを受け入れざるを得なくなってしまう。

053-641
法とは、権力による脅迫や暴力を正当化するものである。よって、
これを悪用すれば、自分たちの教義を押し付け、異議を封じ込める
ことができてしまうのである。

053-642
加えて、法というものは、誰もが平等に意見することができるもの
ではなく、権力者や選ばれた者しか意見することができないもので
あるというのが現実である。

053-643
それ故、法学系人間が権力者になったり、権力者に気に入られたり
すると、法を暴力装置にして、自分たちの教義を客観的かつ不可侵
な真理として位置づけてしまうことが可能になるわけである。

053-644
こうしてみると、法というものは、ファッショの強力な武器や温床
となり得ることがわかるだろう。事実、ナチスやヒトラーは、違法
なことはしていないのだ。

053-645
彼らは、合法的に政権を握り、合法的にドイツの軍国主義化を推し
進め、合法的に侵略戦争やユダヤ人迫害を行ったのだ。そして、同
様のことが、共産圏のスターリンにも言えるのである。

053-646
ちなみに、暴力革命は、革命前の法では犯罪すなわち違法だが、革
命後の法では偉業すなわち合法となるのである。だから、レーニン
は偉人扱いされているというだけのことなのだ。

053-647
ここで気付かなければならないのは、法は力のある者によって都合
のいいように変えられたり定められたり廃されたりするものである
ということである。

053-648
これに対し、(物質の)法則というものは、どんなに力のある者でも
変えたり定めたり廃することはできないものである。だから、彼ら
は、法則というものが全く気に食わないわけである。

053-649
そこで、彼らは、『物質の法則』に基づく解析をすべきところを、
彼らが作った『物質の法』に基づく説法で押し通してしまうのであ
る。これが、彼らの言う科学的見解の実態である。

053-650
つまり、彼らは、『物質の法則』を原理とすべきところを、彼ら流
の『物質の法』を原理とすることで、自分たちに都合のいい結論を
ひねり出しているわけである。これが、彼らの言う科学なのだ。

053-651
「気候変動」すなわち地球温暖化説の分野でも『物質の法』が原理
にされている。ただし、法学系人間たる政治家どもが自分でそれを
やるのではなく、犬のような御用学者どもにそれをやらせるのだ。

053-652
もうお気づきかと思うが、温室効果ガス説や偏西風原理主義、気圧
原理主義、海洋原理主義等は、どれも『物質の法』に基づくもので
あり、さらに、新たな『物質の法』になってもいるものなのだ。

053-653
事実、これらは、地球温暖化説の論拠となる『物質の法』になって
いる。つまり、地球温暖化説もまた、『物質の法則』にではなく、
『物質の法』に基づいている自称科学なのである。

053-654
いや、もっと正確に言うと、『物質の法』に『のみ』基づく自称科
学である。ご存じのように、法学系人間は「法にのみ基づいて…」
という理屈が大好きである。

053-655
これは、法以外のものには基づかないということである。従って、
自然科学の分野においても、『物質の法』にのみ基づき、それ以外
のものには基づかないのが、彼らの流儀なのである。

053-656
こうして、彼らは、『物質の法則』に基づく説明を葬り去るわけで
ある。何しろ、彼らは、『法』にのみ基づくことを誇りに思ってい
る連中であるから、こういうことが平気で出来てしまうのだ。

053-657
また、だからこそ、『物質の法則』を無視して、『物質の法』を原
理とすることにより、自分たちに都合の良い結論や解釈をすること
を、恥とも思わず、むしろ、誇りにさえ思ったりするのだ。

053-658
全く呆れたイカレようであるが、非常に困るのは、多くの人たち…
特に文系の人たちが、『物質の法』を好んで受け入れてしまってい
ることだ。

053-659
これには、まず、『物質の法則』と『物質の法』との違いがわかっ
ていないということがある。だが、それ以上に大きいのは、『物質
の法則』よりも『物質の法』の方を好む傾向が強いことである。

053-660
法則というものは、定性的なことだけではなく、定量的なことも述
べられるものであり、それ故に、数式で表現されることが少なくな
い。それで、文系の人たちは敬遠しがちになるわけである。

053-661
一方、『物質の法』の方は、せいぜい定性的なことだけで、故に、
数式で表現されることはない。だから、文系の人たちは、親近感か
らくる誘惑に負けやすいのである。

053-662
そこで、彼らが「理解できる」という温室効果ガス説を調べてみる
と、定量的な話が全く出てこないことに気付く。無論、数式も出て
こない。だから、誘惑に負けてしまうのである。

053-663
それはともかく、地球温暖化説の原理的な部分となる温室効果ガス
説に定量的な話が出てこないために、温暖化の予想が「研究者」に
よってバラバラであるという有様になってしまっているのである。

053-664
ここで、『物質の法』に基づく自称科学の興味深い特徴を一つ指摘
しておこう。それは、あるところから、突如、数値や数式が登場し
てくることである。

053-665
数値や数式を登場させるのは、科学を装うためと、実用性をアピー
ルするためなのであるが、定量的な話の無いところから数値や数式
が出現してくるというのは、論理的に全くおかしなことである。

053-666
これは、要するに、原理として示したものとは別のものを、話の途
中でこっそりと持ち込んでしまっているということなのである。そ
して、その正体は、大抵、『仮定』なのだ。

053-667
つまり、話の途中でこっそりと『仮定』をすることで、それがなけ
れば絶対に導くことなどできるわけがない数値や数式というものを
導いているのである。

053-668
この『こっそり仮定』トリックは、温室効果ガス説でも用いられて
いる。温室効果ガスが吸収した赤外線のエネルギーのうちの何%が
こもることになるのかを勝手に『仮定』するのだ。

053-669
たとえば、強い温暖化を望む者は、100%か、もしくは、それにで
きるだけ近い大きな数値を『仮定』する。また、公平中立を気取る
者は、50%という数値を『仮定』する。

053-670
もちろん、これらの数値は、どれも仮定にすぎず、何より、物理学
的根拠が全く無い。にもかかわらず、特に後者(50%)については、
懐疑派の人たちでさえ騙されることがかなり多い。

053-671
おそらく、「50」という数字に惑わされるのであろう。だが、それ
は肯定派と否定派の中間をとるという仲裁の手段にすぎず、物質の
世界(自然科学)では全く無意味な数字にしかならない。

053-672
「50%」に限らず、仮定の数値というものは、事実(に基づくもの)
ではなく、理論によって導かれたものでもない。そもそも、仮定と
いうものは、正解がわからないからするものだ。

053-673
物質の法則に基づいて理論を構築すれば、何%がこもることになる
かは求まるはずである。従って、数値を仮定してやる必要はない。
やはり、物質の法則に基づく理論ではないのだ。

053-674
『こっそり仮定』は、20世紀に絶対的とも言える人気を獲得した真
っ赤な(自称)科学の多くに共通して見られるトリックである。それ
だけ多くの人を騙せるトリックということなのだ。

053-675
では、なぜ、そんなに多くの人が騙されるのかというと、まず、そ
れ(数値や数式など)が仮定されたものでしかないという事実に気が
付かない人がかなりいるということがある。

053-676
これは、そこで示された数値や数式などが『どのようにして導かれ
たものなのか?』ということに全く無関心な人たちが如何に多いか
ということを物語っている。

053-677
つまり、『なぜ、そうなるのか?』ということを全く考えず、ただ
ひたすら、出てくるものを頭の中に詰め込んで理解した気になって
いる者が呆れるほど多いということなのである。

053-678
だが、『こっそり仮定』トリックのカモになるのは、そうした人た
ちだけではない。インテリ・エリートのような人たちもまた、絶好
のカモになり得るのである。

053-679
なぜなら、そこで示された数値や数式などが『どのようにして導か
れたものなのか?』という問いを発しにくいという、インテリ・エ
リート特有の、ある事情があるからだ。

053-680
それは、もしも問いを発した時に「なんだ、そんなこともわからな
いのか」と無知・無学・無能扱いされでもしたら…という恐怖心が
あるという事情である。騙す側は、そうした心理につけこむのだ。

053-681
つまり、恐怖心にかられた者たちは、ただの仮定でしかないことを
「何か確かな根拠があることなのだ」と自分に言い聞かせ、問いを
発しなくなってしまうのである。それが、騙す側の狙いなのだ。

053-682
『こっそり仮定』トリックでは、こうした心理面からの騙し工作だ
けでなく、学術的な面からの騙し工作も行われている。たとえば、
ある分野では『数式攻め』とでも言うべき手法が用いられている。

053-683
これは、ろくに説明もせずに、数式を次から次へと繰り出して、聞
き手を圧倒するという手法である。数学的表現を用いると、ただの
仮定も百件繰り出せば真実になるのだ。

053-684
もっとも、気象学や気候学の分野には、哀しいかな、それをやれる
だけの数学力がある者がほとんどいない。そこで代わりによく用い
られるのが「シミュレーター」というわけなのである。

053-685
コンピューター・シミュレーションは、処理のブラックボックス化
が可能である。これは、『何を原理として、どんな論理が展開され
ているのか?』ということを隠すことができるということである。

053-686
従って、『こっそり仮定』をやってもバレないわけである。実際、
「パラメータ」なるものをいじくることで、シミュレーション結果
を実際の「異常気象」に合わせようとすることが行われている。

053-687
数値解析でパラメータとなるのは、初期値となる物質の状態量であ
る。気象や気候の場合、気温や海水温などだ。だが、これらには実
際の値が用いられるのが普通だから、いじれるものではない。

053-688
いじることができるのは、それが(実際の)物質の状態量ではないか
らだ。つまり、「パラメータ」が『こっそり仮定』(の一部分)なの
である。

053-689
この『こっそり仮定』のパラメータをいじくって、事実によく一致
するシミュレーション結果を得ようとするというトリックは、おそ
らくカオスやフラクタルの手法にヒントを得たものであろう。

053-690
カオスやフラクタルの(ある)応用分野では、状態量以外のパラメー
タ(たとえば、定数や係数など)を試しにいろいろ変えみるというこ
とが行われる。

053-691
すると、様々な結果が得られることになるが、その中から、実際の
状態や変化のしかたによく似たものを探し出そうとするということ
をするのである。

053-692
この手法を用いると、たとえば海岸線の形状とかをもっともらしい
姿で再現することができる(ことがある)。だが、それによってメカ
ニズムやその原理となるものが解明されるというわけではない。

053-693
結局のところ、それを表現することが可能であるというだけのこと
であって、真の因果構造の探求にはならないのである。もともと物
質の法則等を基にしたものではないのだから、当然のことである。

053-694
そういうものを、あたかも物質の法則に基づく解析のように装って
猿真似しているのが、気候変動シミュレータ屋たちである。彼らは
カオスの特徴を意図的に誤用、悪用しているのだ。

053-695
カオスになる関数は、パラメータの選び方次第で、様々な変化のし
かたを見せる。そこで、そうしたものの中から、過去の期間の変化
のしかたが観測事実に似たものを探し出そうとするわけである。

053-696
そして、もしそれを探し出すことに成功すると、今度は、それを用
いて、未来の期間の変化を算出する。それを「シミュレーションに
よる予測」とほざいて、素人に見せるわけである。

053-697
すると、素人は、過去の期間の「一致」から、それを「正しい」シ
ミュレーションだと思い込み、未来の期間についても、それを「正
しい」予測だと信じ込んでしまうのである。

053-698
ちなみに、過去の期間の類似性を印象付けるために、グラフによる
表現が用いられることが多い。素人は視覚に訴えられると弱いこと
が多いからだ。

053-699
おまけに、進化論を信じる現代人は、いわゆる『類似性』に弱い。
過去の期間の類似性だけで、それをまともなシミュレーションだと
信じ込んでしまう傾向があるのである。そこに漬け込むのだ。

053-700
過去の期間の「一致」は、カオス(とパラメータの組み合わせ)が生
み出す偶然でしかない。だから、彼らは「シミュレータ」のプログ
ラムはおろか、フローチャートすら公表しないのである。

053-701
要するに、彼らの「シミュレータ」は物質の法則「にのみ基づく」
ものではないわけである。日頃、「法にのみ基づく(べきだ)」と説
く者たちが、そんなものを盲信するとは、呆れた連中である。

053-702
要するに、彼らは『法』が好きなのであって、故に『物質の法則』
が大嫌いなのである。「シミュレータ」もまた、『法』同様、人が
つくったものであることを見落としてはならない。

053-703
そして、『こっそり仮定』もまた、人がつくったものである。自分
たちに都合の良い結論・結果が得られるようにするためにつくった
ものなのであって、原理としているものからの帰結ではない。

053-704
『こっそり仮定』となるものには、人がつくったものではないもの
もあるが、話の前提としていたものではないわけであるから、論理
の面からは、人がつくったものと言えるわけである。

053-705
ちなみに、気象予報の世界では、『こっそり仮定』とよく似たこと
をやることがある。たとえば、気圧配置の話をしていながら、そこ
から急に、雨雲の分布などの話を始めたりするのである。

053-706
つまり、素人が聞いていると、あたかも気圧配置だけから雨雲の分
布などが正確に推測できるかのように聞こえてしまう話し方をする
ことがあるのである。

053-707
確かに、天気の大雑把な推測なら、気圧配置だけからでも可能なこ
とが多いが、雨雲の分布などを正確に推測することは不可能で、実
際には写真など観測事実を基に話をしているのである。

053-708
つまり、こちらは、『こっそり仮定』する代わりに、こっそり観測
事実を話の中に持ち込んでいるわけである。もしかしたら、これが
『こっそり仮定』という手口のヒントになったのかもしれない。

053-709
なぜなら、前提(根拠)となっているものとは全く別のものを話の中
にこっそり持ち込んで正論ぶるという点で、両者は共通しているか
らである。

053-710
何かを持ち込むのは、それが無いとその結果や結論が得られないか
らである。天気予報とは、気象現象を解明するのが目的ではなく、
天気の予報をするのが目的だから、それが許されるのである。

053-711
しかも、天気予報には、制限時間がある。時間がかかる方法は、と
れない。物質の法則に基づく解析では、かなりの時間がかかる。ま
た、処理能力の高いコンピュータも必要となる。

053-712
そして、何より、気圧のデータだけでは解析不可能で、温度など他
の状態量の詳細かつ十分なデータまでもが必要になってくる。それ
故、現実的な手段とは言い難いところがあるわけである。

053-713
そうした現実問題があることから、天気予報の世界では、物質の法
則に基づく解析は敬遠され、(話の途中から)観測事実を利用すると
いうやり方がとられているのである。

053-714
さらに、意地悪なことを言えば、天気予報は、たとえ外れたとして
も責任を問われることは無い分野である。そんな分野の手段を、現
象の確かな解明に用いるのは、とんでもないことである。

053-715
ところが、いわゆる「気候変動」の分野では、これを真似た手段が
現象解明のための正統科学の手段とされてしまっているのである。
それが『こっそり仮定』なのだ。

053-716
『こっそり仮定』をするのは、それをしないと自分が希望する結論
や結果が得られないからである。従って、『こっそり仮定』をして
いるものは、大抵、ニセ科学なのである。

053-717
だが、科学を暗記科目のように思っている人たちは、『こっそり仮
定』を見落としてしまう場合が多い。『こっそり仮定』があると、
そこで話が飛んでしまうので、わかるはずなのだが…。

053-718
要するに、この種の人たちは、論理を追うということを全くせず、
ただ、ただ、知識や情報を頭に詰め込んで満足しているだけの人た
ちということなのである。

053-719
一方、大変困ったことに、科学にコンプレックスを抱いている人た
ちは、話が飛ぶと、「そう思うのは、自分に学(力)が無いからなの
だ」と思い込んでしまう傾向が強い。謙虚な人ほど。

053-720
これに対し、プライドの高い連中は、自分に学(力)が無いと思うこ
となど死んでもできないことであるから、話が飛んでいる事実を無
視することで理解(納得)した気になろうとする。

053-721
以上、三つの種類の人たちが、物質の法則に基づいていない疑似科
学に不動の地位を与えてしまっているのである。物質の法則に基づ
く科学では、話が飛ぶことは絶対に無い。

053-722
要するに、物質の法則の基づく論理を展開してしまうと、自分たち
が望む結果や結論が得られないから、『こっそり仮定』などによっ
て話を飛ばすのである。

053-723
ちなみに、梅雨期などのような大雨が降りやすい季節になるとマス
ゴミ上をにぎわす「温暖化で雨量が増える」論でも、広い意味での
『話を飛ばすトリック』が用いられている。

053-724
それはどんな飛ばし方かというと、なんと、理科(自然科学)の話を
していながら、突然、社会科(地理)の話に飛ぶ(その後、再び、理
科の話に戻る)ということをするのである。

053-725
まず、『温暖化すると気温や海水温が高くなるので、(亜)熱帯のよ
うな気候になる』と説く。ここまでは(まだ)理科の話である。問題
は、その直後に続く部分だ。

053-726
なんと、『(亜)熱帯では、降水量が多い。だから、温暖化すると降
水量が増す』と説くのである。これは、理科の話ではなく、社会科
(地理)の話である。

053-727
より正確に言うと、社会科の知識を乱用・誤用した疑似科学論であ
る。世界中の様々な場所における年変化を見れば、温度と降水量の
間に単純な相関関係があるわけではないことがわかるはずである。

053-728
だが、社会科が得意な人たちの中には、自分が知っている知識が登
場してきたことを喜ぶあまり、その誤用であることに気付かない人
がかなりいるようである。

053-729
もっとも、それ以前に、それが理科の話ではなく社会科の話である
ことに気付かない人があまりに多いことが大問題なのである。それ
は物質の法則を完全に無視することになる態度なのだから。

053-730
なぜなら、それは、物質の法則に基づく考察を怠り、社会科の知識
のでたらめな応用で済ませようとする態度だからである。そんなふ
ざけたやり方は、社会科学でも許されることではないはずである。

053-731
話を「温暖化で雨量が増える」論に戻そう。社会科の知識の杜撰な
引用によって降水量の増加という結論を導いた後は、再び理科の話
になるのである。「だから、雨量が増えるのだ」と。

053-732
そして、こう続く。「梅雨の大雨も温暖化のせい。集中豪雨も温暖
化すなわち熱帯化によるスコールなのだ」と。社会科に話を飛ばす
と、こんなインチキ見解が導けるのである。

053-733
ちなみに、梅雨の豪雨が増えてきているのは、雨雲が狭いエリアに
集中して発生する(∴雨が狭いエリアに集中して降る)ようになって
きているからだ。だが、これは寒冷前線に見られる特徴である。

053-734
つまり、梅雨前線の寒冷前線化が起きているということなのである
が、寒冷前線は寒気優勢の前線なのであるから、温暖化とは矛盾す
る。温暖化なら、(梅雨前線の)温暖前線化であろう。

053-735
なぜなら、温暖前線は暖気優勢の前線であるからだ。ただし、前線
面の傾斜が緩やかなものとなるために、雨雲の分布が広い範囲に拡
散されることになる。故に、(集中)豪雨にはならない。

053-736
元来、梅雨前線は温暖前線的な前線である。気温が上昇していこう
とする季節に発生・発達する前線なのであるから、これは当然のこ
とである。

053-737
従って、これに温暖化の影響が加われば、ますますもって温暖前線
化するはずである。故に、「線状降水帯」はあり得ず、風が強くな
ることもあり得ない。

053-738
破廉恥な気象庁は、温暖化のせいにするために、『前線に向かって
暖かく湿った空気が流れ込んだせい』論を説いているが、そんな流
れ込みがあれば、前線は間違いなく温暖前線化するはずである。

053-739
いや、もっと言うと、『完全に』温暖前線化するはずなのである。
つまり、雨雲発生エリアが拡散したりするだけでなく、前線が流れ
込んでくる空気の下流方向へと押しやられるはずなのだ。

053-740
従って、梅雨前線はどんどん北上していくはずなのである。故に、
停滞することはなく、同じ場所に雨を降らせ続けることはあり得な
い。今の気象庁は、物理を完全無視する非科学・反科学の巣窟だ!

053-741
そういえば、前線に向かって流れ込んでくる「暖かく湿った空気」
が、どこで、どのようにして発生したのかを説明する者は、一人も
いない。出来ないのだ。

053-742
大気の大循環のことを考えるならば、6〜7月という時期に南から
「暖か」い空気が流れ込むことは、ごくありふれた出来事でしかな
い。問題は、その空気が『なぜ湿っているのか?』である。

053-743
そもそも、その「流れ込んでくる」「暖か」い空気は、どこで「湿
った」状態になるのか?、その説明が全く無い。「湿った」状態に
なるのは、前線に近づいてからであろう。

053-744
なぜなら、前線に近くない位置では、雨雲が発達していないからで
ある。もしその位置で既に「湿っ」ているのなら、なぜ雨雲が発達
しないのか、その理由をきちんと釈明すべきであろう。

053-745
もちろん、それは物理的に説明不可能なことである。やはり、前線
に近づくと「湿っ」てくるのである。これは説明がつく。前線付近
に存在する寒気に冷やされることが、その原因である。

053-746
それはともかく、何より滑稽なのは、「南から暖かく湿った空気が
流れ込んで」きているというのに、気温が平年よりも低くなること
が少なくないということだ。

053-747
空気中の水蒸気が凝結して雨雲となれば、潜熱(気化熱)が放出され
空気が暖められるはずなのであるから、気温が低くなるのは全くも
って、おかしなことのはずだ。

053-748
「線状降水帯」が温暖化の産物なのであれば、気温が最も高くなる
真夏に頻発するはずである。だが、実際は正反対。そのことは、今
年もまもなく経験することになるであろう。

053-749
気温および海水温の年変化のグラフに、「線状降水帯」数の年変化
のグラフを重ねてみるといい。マスゴミが起用する「専門家」ども
の嘘は容易に証明することができる。

053-750
「線状降水帯」に限らず、何でも地球温暖化に結び付けたがる「専
門家」どもが根拠にしていることの中で確かなことは、これしかな
い。それは「近年になって増えてきた(酷くなってきた)」である。

053-751
つまり、「近年になって顕著になってきたことだから、地球温暖化
のせいである」としているわけである。だが、これは物理学の論法
ではない。事実、物質の法則が全く出てこない。

053-752
単に、時期の一致だけを理由に、二つの事柄を結び付けているだけ
である。こうした関連付けは、占星術に見られるものである。これ
が、彼らの言う「科学」の実態なのだ。

053-753
そういえば、地球温暖化説贔屓のマスメディアを見ると、占い好き
のマスメディアが少なくない。類は友を呼ぶわけである。ついでに
言うと、魔女狩りや魔女裁判でも、この関連付けは用いられた。

053-754
なるほど、確かに、古代の占星術は暦を生み出し、周期的な天候の
変化や自然災害などを予測することを可能にした。しかし、だから
といって、「星の位置が諸現象の原因」とはならないはずだ。

053-755
加えて、予測できるのは周期的な現象だけであって、異常気象のよ
うな「かつてないような」現象は予測することはできない。ここに
『時期の一致』を理由にする論の限界がある。

053-756
ここで重要になってくるのは、周期性そのものよりも、周期性によ
って『再現性』の検証が可能になってくることである。つまり、再
現性の問題があるわけである。

053-757
周期的に起きる現象は、繰り返し起きるわけであるから、関連付け
が正しいかどうか(再現性があるかどうか)を確かめることができる
ことになるわけである。

053-758
もちろん、繰り返しの回数が確証と呼ぶのに十分な回数と言えるか
どうかは保証できないが、もし否定的なことが一度でも起きれば、
その関連付けを確信するようなことはしなくなるだろう。

053-759
つまり、関連付けの再現性を満たさないことがあれば、それを確か
な関連付けとはみなさなくなるわけである。古代の占星術でさえ、
再現性というものを(ある程度ではあるが)意識していたのだ。

053-760
これに対して、現代の占星術(星占い)は、再現性など全く尊重して
いない。権威ある(?)人物(占い師)が述べたことをただただ盲信す
るだけの世界である。これ、何かに似ていないか?

053-761
そう、「近年になって顕著になってきたことだから、地球温暖化の
せいである」論である。この論で説かれている関連付けには、再現
性が全く無いのだ。

053-762
たとえば、集中豪雨。過去の温暖期に集中豪雨が酷かったことを示
す物的証拠は、一つも存在しないのである。むしろ、その逆であっ
たことを示す証拠の方が存在するほどだ。

053-763
その最もわかりやすい一例が『恐竜』である。その時代は、温暖化
した時代だったのであり、二酸化炭素濃度は今より高い時代であっ
た。ならば、集中豪雨も酷かったことになるはずだ。

053-764
だとすると、洪水や土砂崩れなどの自然災害も酷かったことになる
はずである。だが、そのような過酷な環境の下で恐竜が繁殖できる
わけがない。

053-765
恐竜を、作り物の世界に出てくる怪獣と一緒にしてはいけない。自
然災に見舞われた場合、おとな(の恐竜)は生き延びることができる
かもしれないが、こどもや卵は助からない可能性が高い。

053-766
さらに問題なのは、恐竜の餌となる生き物である。こちらも助から
ない可能性が高い。餌となる生き物が死ねば、餌が無くなるので、
(恐竜は)生きていくことが難しくなる。

053-767
おまけに、恐竜は一般に体が大きいのであるから、生きていくため
に食べなけらばならない量も多いはずである。それ故、絶滅する可
能性さえあり得ることになるわけである。

053-768
このように、集中豪雨の激化を温暖化のせいにすると、恐竜はオー
パーツになってしまうのである。従って、恐竜の時代には酷い集中
豪雨は無かったと考えなければならないのだ。

053-769
自然災害が脅威となるのは、人間だけではない。野生の生き物たち
にとっても脅威なのだ。従って、もし温暖化で自然災害が激化する
のなら、温暖期は生物にとって地獄の時代でなければならない。

053-770
ところが、事実は逆なのだ。温暖期は多くの生物にとって繁栄の時
代だったのである。だから、恐竜の時代があったのだ。そうした事
実を受け入れられないのは、その人が闘争史観偏執狂だからだ。

053-771
つまり、『温暖化によって自然災害の酷い時代には、怪獣のように
強い生き物である恐竜が生物界の支配者層になれるのだ』という論
理である。

053-772
どんなに強い生き物でも、餌が無ければ生きてはいけない。そんな
小学生レベルのことも無視しているのである。そんな非科学的な連
中なら、物質の法則を無視することぐらい、平気でやるだろう。

053-773
このように、恐竜の時代のこと一つ考えても、温暖化と集中豪雨と
の関連付けは、再現性が崩壊しているのである。有史時代の記録を
見ても、事情は同じだ。

053-774
温暖期に自然災害が酷くなったことを示す資料は、見つかっていな
い。何しろ、温暖期には人口が増えている場合がほとんどである。
自然災害が酷い時期に、これはあり得ないことだ。

053-775
一方、寒冷期(気候不安定期)については、豪雨を含む酷い自然災害
が多く記録されている。気温と自然災害との相関性は、逆になって
いるのだ。

053-776
このように、温暖化と線状降水帯との関連付けは、物質の法則が支
配する現実世界では、再現性が全く無いのである。再現性が見られ
るは、コンピュータ・シミュレーションの世界だけだ。

053-777
それも「専門家」どものブラックボックス化されたシミュレーショ
ンにおいてだけだ。こうしてみると、彼らのシミュレーションは現
実世界から乖離しているものであることがわかるだろう。

053-778
要するに、彼らのシミュレーションは、物質の法則に基づくもので
はないわけである。彼らの使命は、権力者が求める関連付けに再現
性を与えてくれる自称「現実」を作り上げることなのだ。

053-779
だから、NHKなどのマスゴミは、過去の温暖期の自然災害につい
ては一切触れず、「専門家」のシミュレーションにおける自然災害
のことを大々的に報じるのである。

053-780
気象庁の異常気象分析検討会は、もっと酷い。シミュレーションす
ら示さない。言葉や漫画による『こじつけ』しか示さない。これら
もまた、物質の法則とは無縁の世界である。

053-781
それはともかく、シミュレーションすら示さなかったことは、彼ら
の「分析」とやらが、彼らのシミュレーションの世界においてさえ
再現性の無いものであることを示している。

053-782
実際、既存のどのシミュレーションも、今年の梅雨期のチベット高
気圧の萎縮や偏西風の南下を予言していなかった。予言していなか
ったことが、再現性のあることであったはずがない。

053-783
そして、もっとお粗末なのは、豪雨の梅雨期から猛暑の夏への変化
の理由を説明できていないことだ。たとえば、萎縮していたチベッ
ト高気圧が、なぜ急に元気になったのか、説明してないのだ。

053-784
それにしても、偏西風の南下を地球温暖化のせいにするとは、呆れ
た恥知らず集団である。要するに、彼らの科学では、偏西風は北上
しても南下しても「地球温暖化のせい」ということになるのだ。

053-785
もうおわかりのように、気象庁の異常気象分析検討会の見解には、
物理が無い。故に、物質の法則は完全無視。だから、高気圧の二層
構造などという話が平気でできてしまうのだ。

053-786
これは、チベット高気圧と太平洋高気圧とが重なることが夏の猛暑
の一因であると説く論である。だが、高気圧が重なるという状態は
物理的に説明がつくものなのか?

053-787
もちろん、説明はつかない。気流の力学的な説明がつかないのだ。
たとえば、二つの高気圧が接しているところでは、方向が異なる二
つの気流がすれ違うことになる。

053-788
そのような気流の様を生じさせるメカニズムは、少なくとも自然界
には存在し得ない。全く現実離れしたモデルにおいて実現するので
さえ極めて困難なことなのであるから。

053-789
要するに、彼らは、ここでも、物理を無視しているわけである。ま
た、このことから、彼らの言う「高気圧」の定義が、全く恣意的か
つ御都合主義的な、いい加減なものであることも見えてくる。

053-790
彼らの言う「高気圧」とは、正しくは『高気圧の勢力範囲(内)』の
ことであろう。つまりは、高気圧の影響が及ぶ範囲のことである。
用語の使い方からして、全くのいい加減だ。

053-791
確かに、実のところ、高気圧の定義には、もともと曖昧なところが
ある。彼らは、それをいいことに、自分たちに都合の良いような定
義のしかたをして、自称「科学的見解」をでっちあげるのである。

053-792
つまり、高気圧の定義をいい加減なものにすることにより、高気圧
の影響力を実際よりも大幅に誇張し、高気圧が(一番の)原因ではな
いことを、高気圧だけが原因であることにしてしまうのである。

053-793
そうすることにより、真の原因もしくは要因を隠蔽するのである。
この騙しの手口を、当メルマガでは「高気圧原理主義」と呼ぶこと
にする。

053-794
高気圧原理主義が隠蔽の対象とするのは、寒気やその異常な発生の
しかたの原因となっている寒冷化である。言うまでもなく、それら
は地球温暖化説にとって非常に都合の悪いものである。

053-795
ちなみに、寒気の働きを隠すためのものには、他にも低気圧や前線
などがある。そこで、これらを総合して、「気圧原理主義」もしく
は「天気図原理主義」と呼ぶことにする。

053-796
それはともかく、高気圧と、低気圧や前線などとは、寒気が存在す
る位置までの距離が大きく異なる。低気圧や前線などの場合は、寒
気はそれらと近接する位置に存在する。

053-797
これに対し、(寒気の影響隠しに利用される)高気圧の場合は、寒気
はその高気圧から少し離れた位置に存在する。このため、低気圧や
前線などの場合よりも寒気から関心を逸らす心理的効果が大きい。

053-798
高気圧が高温と関連付けられる気象現象の一番の要因となるのは、
好天ぐらいなものである。高気圧は、寒気を吹き出すので、むしろ
低温と関連付けられる気象現象と縁が深い。

053-799
もっとも、高気圧から吹き出した寒気により、低緯度の高温の大気
が高緯度へ押し出されることで、(高気圧の東側や高緯度側では)高
温がもたらされるのは確かである。

053-800
だが、高気圧からの吹き出しというものは、それほど強いものでは
ない。実際、高気圧のせいで風が強まるという出来事を経験するこ
とはない。

053-801
従って、たとえば異常高温の原因となるフェーン現象を起こすよう
な風を吹かせることはない。よって、高気圧は今年の猛暑の原因と
はなり得ないことになるのである。

053-802
十分な強さの気流や風を起こすのは、その下流にある低気圧や前線
などであり、それらは寒気があって発生するものである。つまり、
猛暑の一番の原因は、実は温暖化とは逆の『低温』なのである。

053-803
異常に低温のエリアがあると、そこに向かって、低緯度から高温の
大気が流れ込もうとする。この高温の大気の流れの途中に日本列島
が位置するために異常高温(猛暑)になるのである。

053-804
つまり、(日本列島の真上にではなく)高温気流の下流に存在する低
温域が、高温気流の一番の原因なのだが、「高気圧」偏執狂たちの
眼には、高気圧が吹かせているように見えてしまうわけである。

053-805
そのくせ、冬の寒さをもたらす季節風と関係が深いシベリア高気圧
のことは軽んじるのであるから、完全なダブル・スタンダードであ
る。つまり、高気圧なら何でもいいということでもないわけだ。

053-806
彼らにとって「いい高気圧」とは、要するに、低温が原因であるこ
とを隠すのに役立つ高気圧のことである。そのうち、夏に用いられ
ることが多いのは、中緯度高圧帯に発達する高気圧である。

053-807
太平洋高気圧やチベット高気圧は、まさしく、この『中緯度高圧帯
に発達する高気圧』なのである。そして、この種の高気圧は、『高
海水温』と結び付けることが出来る高気圧なのである。

053-808
なぜなら、中緯度高圧帯とは、赤道無風帯で上昇した大気が下降す
るエリアだからだ。それ故、「赤道無風帯での上昇の活発化→中緯
度高圧帯での下降の活発化」という屁理屈が可能になるのである。

053-809
赤道無風帯での(大気の)上昇の活発化は、高海水温と結び付けられ
る。また、中緯度高圧帯での下降の活発化は、そこに発達する高気
圧の勢力大と結び付けられる。

053-810
それ故、猛暑などの異常気象を高気圧のせいにしてしまえば、高海
水温と結び付けられるので、海水温上昇のせいにすることができ、
温暖化のせいにすることができるというわけである。

053-811
豪雨も、この手を使えば、高海水温(→温暖化)のせいにすることが
できる。高気圧が前線などに「あたたかく湿った空気」を送り込む
からだとする説法である。

053-812
「地球温暖化のせい」論には、高海水温を根源的原因とするものが
非常に多い。「偏西風の蛇行のせい」論も、根源的原因は高海水温
に結び付けられている。

053-813
こうしてみると、海洋原理主義が諸悪の根源であることに気付くだ
ろう。なんでもかんでも海のせいにする海洋原理主義は、物理無視
(∴物質の法則無視)のオカルト疑似科学思想である。

053-814
ちなみに、わが国において、海洋原理主義に最も力を与えている政
治勢力は、自民党の安倍派(森派、町村派、細田派)である。利権に
加え、おそらく国連常任理事国入りを目指しているからであろう。

053-815
日本の常任理事国入りなど、中国やロシアが反対するに決まってい
るし、国連には敵国条項が残っている。それらを無視した戯けた夢
のために、安倍派は日本の国益を損じることをしてきたのだ!

053-816
ちなみに、安倍派は米国や英国の猿真似が大好きな派閥である。米
国や英国は、海洋原理主義者の勢力が非常に強い国々である。それ
故、悪いことをしているという意識は本当に無いのかもしれない。

053-817
ちなみに、メディア(特に映像メディア)をプロパガンダに利用した
最初の国は、ナチス・ドイツではない。米国である。この点に関し
ても、安倍派は米国の猿真似をしっかりやっている。

053-818
安倍派の破廉恥について指摘し始めるときりがないので、話を海洋
原理主義に戻す。海洋原理主義の根源にあるのが、「大気は(下か
ら)あたためられただけで上昇する」というニセ科学教義だ。

053-819
前にも説明したように、大気は(下から)あたためられただけでは、
(あらゆる方向に)膨張しようとするだけで、上昇はしないのだ。故
に、高海水温が上昇気流を強化することはないことになる。

053-820
よって、高海水温により、低気圧(⊃熱帯低気圧⊃台風)が力づけら
れることも、チベット高気圧や太平洋高気圧の勢力が増すことも、
偏西風が蛇行することも、ないことになるのである。

053-821
では、それらを実現してくれるものは何なのかというと、それは大
気の上昇を実現してくれるものである。すなわち、高海水温により
高温→軽量になった大気よりも重たい大気(の流れ込み)である。

053-822
つまり、高温でない大気である。高海水温の海域にとっては、寒気
である。この寒気があるからこそ、大気の上昇という現象が起きる
のである。(もう、うんざりするほど何度も言っていることだが。)

053-823
しかも、この寒気、高海水温の海域上に来ても、そう簡単には高温
にはならない寒気である。ということは、かなり強めの寒気という
ことになるはずであろう。

053-824
また、量(体積)についても、かなりのものでなければならないはず
である。そんな大物を無視するのであるから、これはもう非科学な
どという穏やかなものではなく、反科学と呼ぶべき代物である。

053-825
状態が同じものしかない状況では、いかなる運動も生じない。状態
の差がなければ、運動(エネルギー)は生じないのだ。そんな物理の
初歩も知らない連中が、気象学を仕切っているのである。

053-826
もちろん、そんな連中に仕切らせているのは、政治家どもである。
今の政治家は、科学の敵である。中世の暗黒時代の宗教家よりも酷
い。そして、その犬が、TVや新聞といったマスゴミである。

053-827
そんな彼らには、ある明確な共通点がある。それは『物質の法則を
拒み、(自分たちに都合の良い)法にのみ基づきたがる』という偏執
病である。

053-828
これは、今時の、特に文系のエリート人間たちによく見られる病気
である。そのことは、たとえば、福島第一原発事故関連の裁判の裁
判官たちが下した判決を見ると、よくわかる。

053-829
なんと、呆れたことに、法の番人どもは、地震学者たちがプレート
境界の滑りにくさの診断を誤っていたことや、連動の可能性を指摘
していなかったという事実を、完全に無視しているのだ!

053-830
なるほど、彼らは、確かに、法にのみ基づいている。なぜなら、彼
らが無視しているこれらのものは、科学的事実であるとともに歴史
的事実なのであって、『法』ではないからだ。

053-831
このように、彼らは『法』以外のものには基づかない。ただし、彼
らが『法』に基づいて出した結論(判決)を正当化するのに役立つも
のである場合は、『法』以外のものでも『証拠』として採用する。

053-832
つまり、『証拠』とすることで、取捨する自由の権利を行使するわ
けである。裁判官には、どの証拠をどれだけ重用するかを決定する
権利・権限がある。これを悪用するわけである。

053-833
つまり、自分たちが下す判決に都合の悪い事実は、『捨』とする証
拠とし、都合の良い『ただの仮説』は、『取』とする証拠とするわ
けである。

053-834
『ただの仮説』自体は科学的事実でもなければ歴史的事実でもない
が、『それが示されたという出来事』は事実となるので、司法の場
では証拠となり得るわけである。

053-835
こうした狡猾な論法により、科学的事実や歴史的事実は無視され、
『ただの仮説』によって裁きが決められることになるわけである。
これが、福島第一原発事故関連の裁判の実態である。

053-836
ちなみに、ここで言う『ただの仮説』とは、国の専門家からなる調
査委員会とやらが示した(報告を基に導かれた)という『(原発から
見て)南方からの15m越え津波襲来予言』のことである。

053-837
だが、この予言は、マグニチュード8台を前提としたものである。
それで15m越えもの津波というのは、よほど多重の(津)波の干渉
でも起らない限り、物理的には不可能な話だ。

053-838
ここで注目しなければならないのが、15m越え津波が(原発から
見て)南方から襲来するとしている点である。つまり、この巨大津
波は、海岸沿いに進んで来ることになっているわけである。

053-839
ということは、この津波は(原発から見て)南方の海域で発生した津
波ということになるはずである。そこから広がった津波が、陸(海
岸)で反射して、北上してくるというわけである。

053-840
なぜ沖へ向かう方向にではなく、北へ向かう方向に反射するのかと
いうと、この地域特有の複雑な海岸線という地形がそれを可能にす
るというわけである。

053-841
もちろん、反射波の進む方向が全て同じ(北)というだけでは、15
m越え津波にはならない。反射波の位相(山のタイミング)が、こと
ごとく揃うことを想定しているのである。

053-842
なるほど、それならば、多重の波の干渉により、巨大津波が実現し
そうである。拡散していこうとする津波に対し、長く南北に及ぶ海
岸線が凹面鏡(集光器)のような働きをすることになるわけだから。

053-843
だが、反射波の位相がことごとく揃うというのは、奇跡としか言い
ようのないような偶然の一致を想定した期待論でしかない。実際、
位相が揃うことの証明は、何も示されていない。

053-844
位相(の揃い)の問題を解くためには、波の速度とそれが進んできた
距離(道のりの長さ)の計算を(全ての波について)しなければならな
いが、そうした解析に関することが全く示されていないのだ。

053-845
これでは、位相が揃うということの物理的根拠が示されていないこ
とになる。よって、15m越えという高さは『ただの仮説』でしか
ないことになるのである。

053-846
また、これとは別に(それ以前に)、反射のしかたの想定にも問題が
ある。反射波が全て北へ向かうような反射のしかたになるとするシ
ナリオには、相当無理がある。

053-847
たとえ地形の複雑さが影響したとしても、北への反射となるのは、
せいぜい一部だけであろう。従って、北へ反射した津波の高さは低
いものにしかならない。

053-848
よって、たとえ多重の干渉(波の山と山との重ね合わせ)を起こした
としても、たかが知れた高さにしかなり得ないのである。15m越
えなど、『ただの仮説』以下だ。

053-849
このように、法の番人たちが証拠としている『南方からの15m越
え津波襲来予言』は、二重の意味で『ただの仮説』でしかないので
ある。では、彼らは、なぜ、そんなものを証拠としたがるのか?

053-850
それは、法にのみ基づく判決に有利な証拠になるからである。その
法とは、原子力賠償法である。それによると、異常に巨大な天災が
原因の事故では、事業者が免責となることになっている。

053-851
だが、『南方からの15m越え津波襲来予言』があったとなれば、
東日本大震災の巨大津波は異常に巨大な天災ではなかったことにな
るので、東電は免責にはならないことになる。

053-852
そして、それはまた、国が(その分)責任を負わなくて済むようにな
るということでもある。つまり、法の番人たちは、国の責任を東電
に負わせるために、『ただの仮説』を証拠に採用したのだ。

053-853
要するに、初めから結論ありきの裁判だったのである。これが、法
にのみ基づく審判の実態なのである。そして、国(政府)は、これが
うまくいくように、二つの悪事を行った。

053-854
まず一つめは、東電を救済するふりをして、これを国有化し、イエ
スマンの弁護士を社長に据えたこと。これで、東電は国の汚いやり
方に反発することができなくなった。

053-855
そして、二つめは、異常に巨大な天災の定義・基準をとんでもない
高さのものにしてしまったことだ。なんと、小惑星の衝突などとい
った、大半の生命が死滅してしまうものにしたのだ。

053-856
つまり、東電の人間(というより、ほぼ全人類)が生き残れそうもな
いような大災害においてのみ免責になるという基準にしてしまった
のである。これは、あまりにも人を馬鹿にしきった話だ。

053-857
だが、たとえそれがどんなにふざけたものであったとしても、法に
のみ基づく者たちは、それが法である以上、それに基づこうとする
ものなのである。「悪法も法なり」というわけだ。

053-858
ちなみに、ソクラテスは、「悪法も法なり」と言ったことになって
はいるが、「悪法も正義なり」とか「悪法も真理なり」と言ったこ
とになってはいないはずだ。

053-859
だが、法にのみ基づく人たちの世界では、不合理や不条理に満ちた
悪法が、正義となり、真理となるのである。そして、それを論理武
装するのに役立つものを、証拠として採用するのである。

053-860
その論理武装のための武器(=証拠)とされたのが『南方からの15
m越え津波襲来予言』だったのである。免責を反故にするという悪
法の目的を達成するには、この上なく役に立つ武器である。

053-861
もちろん、『南方からの15m越え津波襲来予言』は、悪法の論拠
となるものでは全くない。だが、東電に責任を押し付けるという悪
法の目的には力を与えるものである。だから、採用されるのだ。

053-862
法というものは何らかの目的があって存在するものである。一方、
法廷は、その合理性や正当性を争う場ではない。それ故、その目的
が重んじられることになるのである。

053-863
法をどういうものにするかを決めるのは、司法の役割ではない。本
来は立法すなわち国会なのだが、この悪法に関しては、行政すなわ
ち政府が勝手に決めてしまったのだった。

053-864
しかも、法の文は変えずに、文で表現されていないこと(具体的に
は、異常に巨大な天災の基準)を勝手に変える(決める)というズル
をやったのである。これで罪刑法定主義は守られたというわけだ。

053-865
だが、これは、実質、法を事後に変えた(決めた)のと同じことであ
る。こうしてみると、法というものが如何にいい加減なもので、力
ある者の勝手にできるものであるかがよくわかるだろう。

053-866
だから、非道な独裁国家(特に共産主義国家)というものは、決まっ
て、法治主義国家なのである。この点に関して、メディアに登場す
る文化人どもは、大嘘を吐いている。

053-867
余談だが、そういえば、政府がやった『東電を救済するふりをして
支配する』という行為は、どこかの独裁国家が「解放」と称してチ
ベット・ウイグル・内モンゴルを支配した行為によく似ている。

053-868
言うまでもなく、この独裁国家もまた、法治主義国家である。この
ように、法とは、全く悪い意味で人間的なものなのであり、力がも
のを言う世界なのである。

053-869
もし自然科学において、物質の法則が、そんなものに取って代わら
れるようなことにでもなったらとしたら、それは、まさしく、中世
の暗黒時代の再来であろう。

053-870
困ったことに、(少なくとも)気象学は、そういう目に遭っている。
そして、そういう目に遭わせている主犯格は、政治家やマスゴミで
ある。何度でも言うが、彼らは科学の一番の敵である!

053-871
そのような連中だからこそ、国の責任で東電に賠償させるという破
廉恥ができるのである。自分の責任を他者に負わせて責任をとった
ことにするなど、よほどの恥知らずでなければできないことだ。

053-872
話を再び『(原発から見て)南方からの15m越え津波襲来予言』に
戻そう。そもそも、この予言は、事故の原因となった『実際に襲来
した津波』とは異なる津波を予言するものだ。

053-873
津波の高さが15m越えという点では一致しているが、津波がやっ
てくる方向が違う。この予言では南方からやってくることになって
いるが、実際の津波は全面(沖の方)からやってきたのだ。

053-874
つまり、メカニズムからして全く異なる津波だったのである。従っ
て、そのような予言を証拠にして裁きを下すなど、とんでもないこ
となのである。

053-875
しかも、この予言は、すでに指摘したように、物理的に相当無理の
ある仮説である。そのせいか、学術的には、海外はもちろん、国内
の学者からも、積極的に支持(評価)されているようには見えない。

053-876
実際、この予言は、東日本大震災によって反証されてしまったとさ
え言える。というのは、これが予言している『南方からの』15m
越え津波はやってこなかったからだ。

053-877
東日本大震災では連動が起きたのだから、(原発から見て)南方でも
プレートの滑りはあったはずであり、故に、『海底の跳ね上がり→
津波の発生』があったはずである。

053-878
にもかかわらず、南方からの巨大津波がやってこなかったのなら、
予言は反証されたとしか言いようがないだろう。東電に責任ありと
した裁判官たちは、そんなものを証拠に東電を裁いたのだ!

053-879
そんな非科学的なことができるのも、彼らが「法にのみ基づく」主
義に徹する者たちだからだ。「法にのみ基づく」主義は、法と整合
しないものは拒否する主義なのである。

053-880
さらに、法が悪法の場合は、「法にのみ基づく」主義は「悪法にの
み基づく」主義になる。実際、彼らが基づいたのは、事後に実質改
定された悪法であった。

053-881
それは、元はまともな法だったのを、原発事業者が実質絶対に免責
にならないよう、免責となる基準を全く非常識なまでに高くして、
悪法にしてしまったものであった。

053-882
常識的には、東日本大震災は、同法の文中にある「異常な巨大な天
災」に該当する。その常識的な基準を全く非常識な基準に変えるこ
とで、法の文を一切変えないで中身を変えてしまったのだ。

053-883
こうした悪知恵により、罪刑法定主義は表向き守られることになっ
たのとともに、法は形骸化され、国が負わなければならなかった責
任を『合法的に』東電に押し付けることができたのである。

053-884
このように、法が悪法の場合には、「法の番人」は『悪法の番犬』
となっててしまうのである。つまり、司法は『ただの暴力装置』と
なっててしまうわけである。

053-885
こうしてみると、法は不当な権力の武器でしかなくなっていること
がわかるだろう。呆れたことに、法曹界は、そのことを批判するこ
とはおろか、憂うことすらないのである。

053-886
つまり、今時の法曹界は、法の健全性よりも、法の影響力の強さの
方が重要だと考えているわけである。かくして、法は腐れはて、そ
の傲慢さばかりが増してくることになるわけである。

053-887
そんな狂った時代になれば、法学系人間が彼らにとっては全くの専
門外であるはずの科学という分野を仕切ることがあったとしても、
少しも不思議なことではないはずだ。

053-888
一方、人間という生き物は自分の趣味を出したがる生き物である。
それ故、物質の法則よりも、彼らの『法』を科学の原理に据えたが
るところがあったとしても、少しも不思議ではないわけである。

053-889
さらに、彼らの『法』に反するものは、物質の法則だろうと、事実
(観測や実験の結果)だろうと、無視しても不思議ではない。なぜな
ら、彼らは法にのみ基づくことを誇りとしている人たちだからだ。

053-890
悪法が法になることを許す連中なら、でたらめな原理(教義)が科学
における原理になることも許せることだろう。実際、彼らは、それ
らすべてをシッカリと実践している。

053-891
ちなみに、法を最高のものとする者たちの世界には、真の正義や道
徳といったものは存在しない。なぜなら、法には、正義や道徳とい
ったものを形式主義的なものにしてしまう効果があるからだ。

053-892
これは、法が『言葉で表現されるもの』であることからくる問題で
ある。つまり、悪意等が無くても生じる問題なのだ。たとえば、表
現の具体性が増せば増すほど、法は笊(ざる)になる。

053-893
と同時に、融通性や柔軟性が無くなり、多様化などの変化に対応で
きなくなる。かといって、具体性が無くなると、恣意的で御都合主
義なものになっていってしまう。

053-894
ついでに言うと、日本にとって、法は『外来種』概念である。それ
が証拠に、「ほう」は音読みであり、これに相当する訓読みの日本
語は存在しない。

053-895
法が入ってくる前の日本に限らず、法が無くても秩序が存在してい
る例はある。ただ、中央集権政治の実例は存在しないようだ。つま
り、法は、中央集権政治に欠かせないものなのである。

053-896
ならば、邪悪な独裁政治の武器となることがあったとしても、少し
も不思議なことではないだろう。法を民主主義や正義の代名詞のよ
うに考える方が異常なのだ。

053-897
法というと、日本を含む東洋では、もっぱらトップダウン的なもの
というイメージがあるが、西洋では、ボトムアップとまでは言えな
いまでも、ミドルアップ的なケースがあるのである。

053-898
つまり、実力者や影響力のある者が君主や領主に何かを約束させる
というケースがあるのである。そして、そのことが「法は独裁を防
ぐ」という迷信を生み出す原因になってしまっているのである。

053-899
もうお気づきのように、法は、底辺層のような弱い立場の者が突き
付けることのできるようなものではなく、十分に強い立場にある者
にしか突き付けることができないものなのである。

053-900
こうしみると、法は『勢力のバロメータ』であることがわかるだろ
う。つまり、力や数で勝る者の声だけが反映されているものなので
あり、そうでない者の声は全く反映されないものなのだ。

053-901
ならば、法が独裁権力や集団ヒステリの「親衛隊」的存在であった
としても、少しも不思議ではないだろう。法は、所詮、人間世界の
現実の象徴でしかないのだ。

053-902
他にも知っておかなければならないことがある。法は、十分に客観
的な検証よりも、人気の方が重要視されるものである。法の価値を
決めるのは人間なのだから、これは当然のことである。

053-903
法はまた、特定の人間による解釈が絶対視されるものでもある。つ
まりは、選民主義的なものなのだ。それ故に、恣意的で御都合主義
的なところがある。

053-904
そもそも、法は、一般人が意見することができるものではない。も
ともと、限られた人たちしか意見することができない選民主義的な
ものなのである。そんなものが独裁を防げるわけがない。

053-905
従って、そんなものが、物質の法則に代わって、科学の原理に据え
られたりすれば、科学が全く客観性の無い独善的なものになり果て
てしまうのは当然のことである。

053-906
科学にとって最も危険な存在は、法を偶像崇拝する者たちである。
ちなみに、天動説への信仰が強制された中世の暗黒時代は、宗教家
が『律法学者』化したことにより生じた時代なのであった。

053-907
そして、彼らはまた、魔女狩り・魔女裁判を行った。どれも、彼ら
の法に基づいた行動であった。このように、法には、神をも蔑ろに
させ宗教をも狂わせられるだけの極めて強い毒性があるのである。

053-908
そんなものが科学の中に入ってきたらどうなるかは、もはや明白で
あろう。多くの者が惑わされ、あるいは圧倒されて、思考停止状態
になるのは当然のことであろう。

053-909
法の害は、まだある。法は、一度制定されてしまうと、よほどのこ
とが無い限り、変えられたり廃されたりすることがない。従って、
科学の中で嘘を生き続けさせるにはもってこいの人工臓器なのだ。

053-910
法はまた、それがもたらす結果について、誰も責任をとらないもの
である。つまり、人を無責任にするものなのだ。それ故、科学者を
無責任にするにはもってこいのプラントなのである。

053-911
また、それ故に、法は人をマニュアル主義に陥らせるものでもある
わけである。従って、科学者を『お役人』化し、学界を『お役所』
化するには、うってつけの道具なのだ。

053-912
法はまた、馴れ合いに陥りやすくするものだ。たとえば、司法は判
例に頼りたがる傾向がある。それ故、科学に持ち込めば、「一度認
めさせられれば、こっちのもの」となるものになるわけである。

053-913
馴れ合いといえば、法は、そもそも何のためのものだったのか、わ
からなくなることがしばしばある。「とにかく、それに従っていれ
ば良いのだ」という無責任が横行しやすいものなのだ。

053-914
そのようなものであるから、法は、もともと何を前提としたものな
のかということについても、わからなくなってしまうことがしばし
ばあるものなのである。

053-915
何しろ、酷い時には、法文中に記された『前提を示した部分』が意
図的に無視されることさえあるほどだ。反日サヨクが自衛隊を憲法
違反とする際にも、この手口が用いられる。

053-916
現行憲法が掲げる戦争放棄等は、相手国が『平和を愛する国』であ
ることが前提となっているのだが、これを無視することにより、自
衛隊を憲法違反とすることが可能になるというわけである。

053-917
このようなものを(それも法則を塗りつぶす形で)科学の原理に据え
ようとしているのが、「脱炭素」狂の政治家どもなのである。彼ら
は法を『科学を蝕むウィルス兵器』にしているのだ。

053-918
もちろん、科学に埋め込む法をつくるのは、法学系人間ではなく、
政治家の犬となっている理系の学者どもである。気象庁気象研究所
や海洋研究開発機構、東京大学などは、その巣窟である。

053-919
それはともかく、理系の学者どもが科学っぽく見えるようにこしら
えた法なので、素人や門外漢の眼には、法には見えず、科学理論や
法則のように見えてしまうというわけなのである。

053-920
従って、科学の中に埋め込まれた『法』を見つけ出すことが重要に
なってくる。『法』は物質の法則を無視してつくられているので、
真の理系人間であれば、見破るのは容易なはずである。

053-921
一方、文系の人や学力不十分な理系人間でも、「その説明は物理法
則に基づいている説明なのか?」と問い詰めていくことで、科学に
仕掛けられた『法』の存在を暴くことが(ある程度)可能になる。

053-922
そもそも、法というものは、無為自然では満足できない場合に設け
られるものである。一方、法則に支配される世界である物質の世界
は、無為自然の世界である。

053-923
従って、そのような世界に法を持ち込むというのは、明らかに法則
を敵視している証拠である。法則に支配されていたのでは自分たち
が望むようにはならないから、法でこれを押さえ込むわけである。

053-924
法が紛れ込んだ科学は、ニセ科学である。それも、全く反科学的な
ニセ科学である。法則を封殺しているからである。このため、気象
予報士のような立場の者たちは、ペテンの広告塔にされてしまう。

053-925
ここで、法について、一つ、気付かなければならないことがある。
それは、法は権力者によって決められるということである。民主主
義の場合は、政治家どもによって決められることになる。

053-926
つまり、今時の政治家どもは、科学に法を忍び込ませることにより
科学を支配するという非道を行っているのである。だからこそ、科
学の中に紛れ込んだ法を暴き、駆除する必要があるのである。

053-927
呆れたことに、科学の中に法を紛れ込ませることを禁じる法は、存
在しないのである。こうしてみると、法というものが如何に不浄な
ものであるかがよくわかると思う。

053-928
もちろん、法が不浄なものになってしまっているのは、それを仕切
っている人間たちが不浄な連中だからである。言うまでもないが、
科学に紛れ込んだ法は、全て『悪法』である。

053-929
法は、人のためのものなのであって、物質のためのものではない。
しかも、人でさえ、従わないことがあるほどである。そんなものに
物質が従うわけがない。

053-930
一方、物質は、法には全く従わないが、法則には必ず従う。そもそ
も、物質には意思があるわけではないのであるから、これは当たり
前のことである。

053-931
ところが、世の中、こうした当たり前のことが理解できない人が多
いから困るのである。この種の人たちに共通するのが、『言葉をあ
りがたがる』という性癖である。

053-932
もうおわかりのように、法は言葉である。だから、彼らは法をあり
がたがるのである。そして、もちろん、科学に紛れ込んだ法に対し
ても、その調子なのだ。

053-933
つまり、この種の人間たちにとって、法則は法と同じ『言葉』なの
であって、故に、『言葉として優れたもの』が科学の原理となる資
格があるのだということになるわけである。

053-934
これは、とんでもない思想である。なぜなら、法則というものは、
全く冷めきった無味乾燥で非人間的なものゆえ、『言葉として優れ
たもの』にはとてもなりそうもないものだからだ。

053-935
だから、彼らは法則を軽視(場合によっては無視)するのである。こ
れに対し、法というものは、人間のためのものであるため、人間的
な面が(法則と比べると)かなり強い。

053-936
つまり、科学に疎い人たちにとって馴染みのあるものであったり、
権威を感じさせるものであったりするわけである。それ故、『言葉
として優れたもの』である場合が多いのである。

053-937
ならば、言葉をありがたがる連中が、法則よりも(科学の中に紛れ
込んだ)法を科学の原理として高く評価したがるのは当然のことだ
ろう。

053-938
たとえ、それがインチキなものであろうとも。また、物理学的に空
虚なものであろうとも。言葉には、人を惑わせ、狂わせる効果があ
る。もちろん、個人差がかなりあるが。

053-939
このように、言葉の誘惑に勝てない者は、科学の敵にしかなり得な
い。酔わされる誘惑に、人を操れるという誘惑。科学にとって言葉
は、悪魔が潜んでいても少しもおかしくないものなのだ。

053-940
ということは、『言葉として優れたもの』を疑っていれば騙される
危険性が低くなるということである。わかりやすいものや、用語で
読み手を圧倒するものは、特に疑ってかからなければならない。

053-941
実際、わかりやすいものや、用語で読み手を圧倒するものは、法則
に基づく説明が無いものであるのが普通だからだ。一般に、法則に
基づく説明は、法則を知らない人にはウケが悪い。

053-942
どうも、言葉を有難がる人たちは、自分が知らないことが話の中に
出てくると面白くないようである。おそらく、自分の物知りぶりを
鼻にかけたがる者が多いのであろう。

053-943
だから、自分が知らない法則というものが話の中に出てくると、プ
ライドが許さず、不機嫌になって拒絶するわけである。知らなかっ
たのなら、それを機会に覚えればいいだけのことなのだが…。

053-944
そのくせ、『用語』に対しては、知らなかったものでも好感を抱き
積極的に覚えようとするのだから、全く差別的である。実は、彼ら
がこのような差別をするのには、ある破廉恥な理由があるのだ。

053-945
それは、法則の場合は、正しく用いないと非難や軽蔑や嘲笑の対象
にされてしまうのに対し、用語の場合は、かなりいい加減に用いて
も全く問題視されないことである。

053-946
もっとも、理系人間が(特にその分野が専門の)理系人間相手にその
ようなことをすると烙印を押されてしまうのだが、話し手や聞き手
が文系人間の場合は全く問題にされない場合が多い。

053-947
また、法則というものは、それを覚えるだけでは駄目で、それを正
しく使えるのでなければならなず、そのためには本格的な勤勉が必
要となる。これは、好きではない者にとっては辛いことのはずだ。

053-948
これに対し、用語というものは、(相手さえ間違えなければ)使い方
など問題にされないのであるから、それを暗記するだけでよいので
ある。全く比較にならないほど学習が楽なのだ。

053-949
しかも、用語を話の中で使うと『通』を装えるから、威張ることが
できる。こうした不純極まりない動機から、彼らは用語については
精力的に習得したがるわけである。

053-950
そんな彼らを大いに魅了するものが、もう一つある。それが『科学
の(中に紛れ込んだ)法』なのだ。これもまた、用語と同じく、言葉
の教義である。

053-951
もっとも、用語と比べると字数がかなり多いが、有名人の名言など
を覚えることが好きな彼らにしてみれば、それは少しも苦にはなら
ないことのはずである。

053-952
ただし、『科学の法』は、用語のようにデタラメな使い方はできな
い。故に、異分野に乱用することはできない。とはいえ、暗記で済
む(理解不要)という点では、用語と同じである。

053-953
それに、使い方が限定されているということは、使い方のパターン
が決まっているということである。従って、理解していなくても、
使い方(のパターン)を暗記すれば、使えることになるのだ。

053-954
つまり、その『科学の法』が用いられているテーマについて、知っ
たかぶりができるわけである。「水蒸気のエネルギー」だの、「偏
西風の蛇行」だのが、そのいい例である。

053-955
このような言葉をありがたがる文系人間たちには困ったものだが、
ぞっとさせられるのは、理系人間であるはずの専門家たちにまで言
葉をありがたがる者が増えていることだ。

053-956
たとえば、一緒に起きる現象に名前を付けただけで原因を説明した
つもりになっている恥知らずな専門家が増えているのである。「極
渦」や「北極振動」など(による説明)は、そのいい例である。

053-957
考えてみれば、「水蒸気のエネルギー」や「偏西風の蛇行」による
説明も、この種の理系人間たちが生み出したものである。理系人間
の『悪い意味での』文系人間化が進んでいるのだ。

053-958
そういえば、司法の世界の人間のような科学者も増えている。自分
や依頼主に対しては『疑わしきは罰せず』式で処理しようとする者
たちが増えているのだ。

053-959
つまり、自分たちに対する異論があっても、『疑わしき』のレベル
のものとしかみなさないで却下するのである。裁判官の真似事をす
ることで、自分たちへの異論を封じ込めてしまうのだ。

053-960
しかも、彼らは、自分たちの説や見解について、検証をしたがらな
い。これもまた、裁判官の真似である。裁判官は、自ら検証を行う
ことはしないものだ。

053-961
事実、彼らは、温室効果ガス説の検証をしたことがないし、しよう
としたこともない。その提案すら、しようとしない。全くやる気が
ないのだ。(やったら、嘘がバレる!)

053-962
要するに、彼らは、自分の法にのみ基づいて異論を裁くのである。
まさに、洋画の世界に出てくる悪の親玉などと同じ、「ここでは俺
が法律だ!」というわけである。

053-963
専門家がこのような破廉恥な態度がとれるのは、学界で余程の権力
を有しているか、そうでなければ、背後に強大な権力が存在するか
のいずれかである。

053-964
「異常気象」や「気候変動」の専門家の場合は、決まって後者であ
る。背後に政治家がおり、そのまた背後にエゴ企業や投資マネー、
覇権国家などが存在する。『犬の犬』というわけである。

053-965
そして、それらに味方しているのが、テレビや新聞などのマスゴミ
である。文系人間化したクズ理系人間は、B層市民を信じ込ませる
のに絶好のキャラとなる。

053-966
一方、ちっとも科学的ではない文系人間に、理系人間の資格を与え
てしまうものが存在する。それが、気象予報士という国家資格であ
る。彼らもまた、政治的疑似科学の宣教師となっている。

053-967
要するに、政治家どもは、自分たちの犬となる「専門家」を増やす
ことで、まともな専門家(理系人間)を淘汰しようとしているのであ
る。安倍(前)総理も、そうした政治家の代表格である。

053-968
だが、そのせいで、「忖度」学者しかいなくなってしまった。その
結果、疫病問題で、まともな対応をすることができなくなってしま
ったのである。

053-969
こうした自業自得ぶりは、映画「スターリンの葬送狂騒曲」に出て
くるスターリンの最期と似ている。医者までをも粛清の対象にした
ために、まともな医者がいなくなり、命を落としてしまうのだ。

053-970
安倍総理は、専門家を粛清したわけではないが、「忖度」専門家に
力を与えることで、まともな専門家を自然淘汰させた。その結果、
映画の中のスターリンと同様に、自業自得に陥ったのである。

053-971
自分の専門外の分野の者たちを粗末にすると、このような報いを受
けることが多い。それは直ぐにはやって来ないが、ある日、突然、
予想もしない形で、それこそ盗人のようにやって来るものだ。

053-972
自分の専門外の分野は、大抵、苦手分野なのだから、そういう分野
の者たちを粗末にするなど、とんでもなく愚かな自殺行為となるも
のなのである。政治家たちは、このことを肝に銘じるべきだ

053-973
ヒトラーやその側近たち(の多く)も、軍人(=戦争の専門家)でもな
いのに、軍事に干渉して(まともな軍人の進言を無視して)、悲惨な
結果を招いたのだ。賢人は歴史(特に人の失敗)に学ぶものである。

053-974
それにしても、今時の政治家どもの自然科学への干渉癖は、完全に
病気のレベルである。彼らの多くが法学系であることを考えると、
驕りや傲慢さに加え、法への偏執病がその原因と考えられる。

053-975
実際、彼らは、「忖度」学者を使って、科学の中に、自分たちに都
合のいい結論に到達するために必要な原理となる『物質の法』を次
々と設けさせている。

053-976
こうした法学系人間の非道ぶりこそ、法というものが正義や誠意や
真実や真理といったものから如何にかけ離れたものであるかという
ことを示す何よりの証拠と言えるだろう。

053-977
ちなみに、『物質の法』とは、『科学の法』のうち、物理っぽいも
ののことを指す。すなわち、物質の法則や物理理論を装ったものの
ことである。

053-978
それ故、物理をきちんと勉強した者なら、容易に見破ることができ
るものである。逆に、そうでない者や物理嫌いな者にとっては、見
分けがつかないものとなる。

053-979
だからこそ、『物質の法』(さらには、『科学の法』)は、徹底的に
批判し、排除していかなければならないのだ。『物質の法』を振り
回すような専門家に、情けは無用…というより、禁物である。

053-980
『物質の法』は、一見、物理っぽく見えても、精査すれば、物理的
にあり得ないことを説いていることがわかるので、うわべに惑わさ
れなければ、正体を見破るのは、それほど困難なことではない。

053-981
たとえば、気象予報士どもは、よく「風がぶつかるところでは、雨
雲が発達しやすい」という趣旨の話をするが、これなどは典型的な
『物質の法』による説法の一例である。

053-982
なぜなら、「風がぶつかる」ということからして、自然現象として
は物理的にあり得ない(起り得ない)ことだからである。複数の送風
機等で人工的に起こした風でもない限り、それは不可能なことだ。

053-983
つまり、空気(大気)が正圧(高圧)により押し出される(吹き出して
くる)ようにして起きる風どうしでもない限り、ぶつかることは不
可能なのである。

053-984
一方、気象現象という自然現象である風は、負圧(低圧)により空気
(大気)が引き寄せられることで吹く風なので、ぶつかることは不可
能である。

053-985
なぜなら、複数の負圧(低圧)源は、風(気流)を引き裂こうとするよ
うな働きをするはずだからだ。とはいえ、経験からしか物事を学ぼ
うとしない人には、以上の話は納得のいかない話かもしれない。

053-986
なぜなら、風には『吹きつけてくるもの』とか『吹き飛ばそうとす
るもの』あるいは『押してくるもの』というイメージがあるからで
ある。

053-987
そのことは、『追い風』や『向かい風(逆風)』あるいは『横殴りの
風』という表現が存在することからもよくわかる。これらは全て風
上側から正圧(高圧)により押してくるイメージである。

053-988
屋内で体験する隙間風も、入って来るイメージだ。このように、風
下から引っ張られることを経験することは、まずない。だが、それ
は、巨大な流れの一部分にしかさらされていないからなのだ。

053-989
気象現象の風は、極めて巨大な気流である。つまり、周りの大量の
空気(大気)が一体(の流体)となって運動しているのである。物や人
に当たってくる空気は、それに引きずられて運動しているのだ。

053-990
そして、風にさらされている物や人もまた、周りの気流にひきずら
れているのだ。さらに、物や人の風下側の気圧が低くなることにな
るということにも気付かなければならない。

053-991
風にさらされている物や人の風下側の空気(大気)もまた、周りの気
流に引きずられる(∴物や人から引き離される)のであるから、気圧
が下がるのは当然のことである。

053-992
だが、人間の感覚が、こうした風下側の気圧の低さを認識すること
は、ほとんどないのである。このこと自体は、仕方のないことだ。
だからこそ、物理的に物事を考える必要があるのである。

053-993
特に重要なのが、風上側から当たってくる空気(大気)が、風上側か
ら押されて運動しているのではなく、周りの巨大な気流に引きずら
れて運動しているのだという物理学的事実を理解することである。

053-994
なぜなら、巨大な気流による引きずりという物理学的事実を理解し
ないと、気象現象の風が負圧(低圧)が原因で吹く風であるというこ
とが(少なくとも感覚的には)絶対に理解できないからだ。

053-995
もっとも、「負圧」という言い方にも問題はある。気圧がマイナス
になるということは無い。気圧がなり得る最低値はゼロであり、負
の値になることはない。

053-996
実は、負圧というのは、見かけ上、引っ張ろうとする作用を生み出
す圧力のことで、相対的に低圧(気圧が低い状態)であることを意味
する用語なのである。

053-997
それ故、専門家以外の人たちにとっては、誤解や混乱を招きやすい
不適切な表現と思われるかもしれないが、気圧と作用の関係を理解
するという目的のためには知っておいた方がいい表現である。

053-998
なぜなら、『気圧による圧力の向き』と『作用の向き』とが一致し
ないことがあるからである。実際、負圧の場合は引っ張ろうとする
作用を及ぼしてくるが、圧力の方向は押してくる方向なのだ。

053-999
たとえば左側が負圧だとすると、左側へ引っ張ろうとする作用を及
ぼしてくるのだが、圧力は右側に押してくる方向となるのである。
つまり、向きが正反対なのだ。なぜ、こんなことになるのか?

053-1000
その答えは、左側とは反対側からの圧力、すなわち、右側からの圧
力のせいである。つまり、左側からの(右側に押してくる)圧力より
も、右側からの(左側に押してくる)圧力の方が大きいからなのだ。

053-1001
この反対側からの正(の)圧(力)が、負圧(による作用)を生む原因な
のである。この『反対側からの正圧』は、とかく忘れられがちなも
のであり、また、認識されにくいものでもある。

053-1002
たとえば、我々人間は、常時、大気圧を受けているのだが、それを
認識することはほとんど無く、さらに、自分の体内からの圧力を認
識することは、それ以上に無いものだ。

053-1003
実のところ、この二つの圧力が釣り合っているおかけで、我々はど
ちらの圧力も認識せずにいられるのである。もし宇宙空間のような
ほとんど真空に近い気圧の極めて低い所だと、どうなるか?

053-1004
御存知のように、体のあちこちが張り裂けて、体液や血液など、中
のものが飛び出してくることだろう。体内の方が高圧力になるから
である。だが、人は、普段、この圧力を認識しないのだ。

053-1005
中のものが飛び出してくる場合、むしろ、外から吸い出されると認
識するかもしれない。宇宙船の窓ガラスが割れる等した場合、「吸
い出されそうになる」と表現する場合が多いのであるから。

053-1006
気圧というものは、気体分子の熱運動によって生じるのだから、正
の値にしかなり得ない。にもかかわらず、負圧となるのは、気圧の
偏りが原因である。

053-1007
つまり、どの方向からも同じ高さの気圧を受ける場合には、正圧も
負圧も認識されないが、ある方向から受ける気圧が低いと、その方
向からの負圧が認識されるようになるわけである。

053-1008
こうしてみると、負圧という概念は、全く主観的な概念であり、科
学的な概念とは言えないと思われるかもしれない。だが、実用の分
野では、結構用いられている概念なのである。

053-1009
たとえば、気圧を利用して動力を得る場合や、気圧に対する強度が
問題になる場合などでは、負圧という概念は役に立つ。そして、実
は、気象の「専門家」どもも、その考え方を流用しているのだ!

053-1010
それは、「低気圧(⊃台風)が、寒気を引き寄せる」という説明であ
る。これは、低気圧が寒気に対して負圧をかけているということに
なる説明である。

053-1011
つまり、寒気が低気圧から負圧を受けているということになる説明
なのである。ならば、暖気についても、こうした『負圧』論的な説
明がされても良さそうなものであろう。

053-1012
ところが、暖気の場合は、「低気圧が、引き寄せる」といった『負
圧』論的な説明は絶対にされないのである。あくまで「低気圧に向
かって、流れ込む」という『正圧』論的説明一辺倒なのだ。

053-1013
確かに、負圧は見かけ上の概念であり、『正』圧の差によって生じ
るものだが、ならば、寒気についても「低気圧に向かって、流れ込
む」という『正圧』論的説明をすべきであろう。

053-1014
ところが、寒気の場合は、「低気圧に向かって、流れ込む」という
『正圧』論的説明がされることは無く、もっぱら、「低気圧が、引
き寄せる」といった『負圧』論的な説明なのである。

053-1015
これは、あまりに破廉恥な二重基準である。もちろん、その目的は
「地球温暖化」へのこじつけのためである。そして、こうした二重
基準も、『法』にしてしまえば、「正当」ということになるのだ。

053-1016
このように、『科学の法』というものは、ダブル・スタンダードの
ような非科学・反科学をも『正統科学』に仕立て上げてしまうもの
なのである。

053-1017
気付かなければならないのは、まず、通常、法というものは議会の
承認を必要とするが、『科学の法』の場合は、それを全く必要とし
ないということである。

053-1018
『科学の法』にとって必要となるのは、御用学者の権力への忠誠心
と、マスゴミの権威主義と、それを盲信・狂信するB層市民という
愚民の群れである。

053-1019
『科学の法』は、法であるがゆえに、法則とは無縁なものなのであ
るから、理論面から反証することは不可能である。つまり、理論面
からは検証不可能なのである。

053-1020
では、実験や観測の面からはどうなのかというと、こちらについて
は、都合の悪いことは『やらない』・『無視する』・『インチキ解
釈する』・『用語で圧倒する』で、ごまかすのである。

053-1021
たとえば、温室効果ガス説の検証は、絶対に『やらない』。やれば
それが全くの迷信であった(温室効果など無い)ことがバレてしまう
からである。

053-1022
もし(理論物理学的にはあり得ないことではあるが)温室効果ガス説
が正しいのなら、その度合い(程度)を知るために、やはり、検証は
必要になるはずである。

053-1023
なぜなら、その本当の値がわからなければ、地球温暖化の程度や、
それが進行する速度を正確に予測することは、絶対に不可能だから
である。

053-1024
こうしてみると、バイデン米国大統領をはじめとする欧米政治家連
中はペテン師であり、安倍や菅といった連中は日本を欧米の属国に
しようとする走狗であることがよくわかるだろう。

053-1025
もしかしたら、安倍や菅が「脱炭素」ファッショへのお付き合いで
バイデンの顔を立てようとしているのは、COVID-19のワクチン確保
のための御機嫌取りが目的なのかもしれない。

053-1026
だとすると、バイデンは中国と同様に汚いワクチン外交を展開して
いることになり、また、日本は自ら進んで米英の属国となり果てた
ことになる。

053-1027
ちなみに、日本の属国化に最も貢献してきたのは安倍派である。そ
の歴史は、安倍の祖父である岸信介の代にまで遡る。彼はいわゆる
「安保」で有名な人物であるが、その経歴が全く不可解なのだ。

053-1028
彼は(結局、不起訴にはなったものの)A級戦犯被疑者であった。に
もかかわらず、後に政界に復帰でき、総理大臣になるのである。他
の戦犯と比べると、恵まれすぎてはいないだろうか?

053-1029
これは、例えるならば、フセイン政権の閣僚やバース党の幹部だっ
た人物が新生イラクの大統領になったというような耳を疑いたくな
るような話である。

053-1030
そこで、つい思い出してしまうのが、大陸で終戦を迎え、中国に有
利な偽証をすることで、シベリア行き(抑留)を免れた人たちの存在
である。どこか似てはいないか?

053-1031
また、戦争に負けた途端に素早く反日・辱日に転向した大学教授や
その他の文化人、マスコミ等が少なからず存在したという歴史的事
実も連想させられずにはいられない。

053-1032
つまり、米国との裏取引や、米国へのおもねりがあったのではない
のかという疑念がわいてくるのである。実際、大アジア主義者であ
りながら、反共のためという建前で米国に協力的になるのだ。

053-1033
ちなみに、彼が不起訴になった理由の一つに、閣内不一致により東
條内閣を倒閣に追い込んだことがあるが、そんな手段があったのな
ら、なぜ真珠湾攻撃前に倒閣をしなかったのだろうか?

053-1034
実は、彼は東條内閣で入閣しているのである。その一方、後に次官
に実質降格されたことから、東條に反感を抱くようになった可能性
が考えられるのだ。

053-1035
興味深いことに、近衛内閣の時は大臣就任を断っている。ならば、
なぜ東條内閣には入閣したのか、不思議である。なお、彼は、米国
および英国に対する宣戦の詔書に署名しているそうだ。

053-1036
ちなみに、彼が寝返った倒閣勢力は早期和平を目指す者たちだった
が、悲惨な結果をもたらしただけであった。なぜなら、米国は和平
ではなく無条件降伏を望んでいたからだ。

053-1037
つまり、日本への攻撃は一向に収まらなかったのである。一方、東
條の失脚が軍の指揮系統や士気に良い影響を与えたとは、とても思
えない。これでは日本の戦争被害は増す一方となったことだろう。

053-1038
おまけに、国外にいる日本人(民間人だけでなく、軍人や兵士も)の
退去を進めなかったので、国外にいる日本人までをも危険にさらす
ことになったに違いない。

053-1039
こうしてみると、倒閣は美談化してよいことではないことがわかる
だろう。むしろ、文民政治家たちの独善や無責任、身勝手、そして
保身が透けて見えてくる出来事であると言える。

053-1040
つまり、サイパンが陥落し、日本の敗戦が濃厚になったので、戦争
責任を東條ら陸軍に被せようとしたのではないかという疑いがある
のである。

053-1041
事実、文民政治家は東條をいいだけ利用した。外交でヘマをし、ル
ーズベルトの罠にはまって、武力行使以外に事態打開の策が無くな
ってしまったために、軍人である東條を首相に担ぎ出したのだ。

053-1042
しかも、東條はギリギリまで米国との戦争回避に努めたのだ。東條
=陸軍による独裁恐怖主義が軍国主義と対米戦争を推し進めたなど
というのは、真っ赤な嘘である。

053-1043
もし本当に東條=陸軍が独裁恐怖主義をとっていたならば、倒閣な
ど絶対にあり得なかったはずである。倒閣が可能であったことは、
東條の権限や権力が全く限られたものであったことを示す証拠だ。

053-1044
ついでに指摘しておくと、陸軍の暴走が戦争の原因であるというイ
メージを作り上げるために唱えられてきたのが、『二・二六事件が
日本の軍国主義化のきっかけとなった』説である。

053-1045
つまり、『二・二六事件により、政財界の人間たちは軍部(陸軍)に
恐怖感を抱くようになり、軍部の言いなりになっていった。それが
軍国主義化の原因だ。』とする説である。

053-1046
確かに、二・二六事件は陸軍の若い人たちによる暴力事件であった
が、「尊皇討邪」を目的としたものだったのであって、軍国主義を
求めていたわけではない。

053-1047
また、彼らは確かに軍政を求めていたが、もし軍部による独裁政治
を求めていたのなら、「尊皇」とはならなかったはずだ。軍政を求
めたのは、文民政治家に対する強い政治不信があったからである。

053-1048
当時の文民政治家たちは経済最優先で、そのために欧米猿真似主義
を推し進めようとしていた。これは裏を返せば、日本の古き良き文
化や精神を葬り去ろうとする行為になる。

053-1049
つまり、『このままでは、日本は金欲や退廃の国になってしまう。
もはや文民政治家たちに政治を任せてはおけない。』という危機感
から、やむなく軍政を求めたのである。

053-1050
別の言い方をすると、『恥の文化』に象徴される日本的精神が残っ
ているのは軍しかないという実情から軍政を求めたのである。決し
て権力欲や支配欲等から軍政を求めたのではない。

053-1051
従って、ドイツのナチズムとも全くの無関係である。彼らは恥知ら
ずの政治から日本を守りたかっただけなのだ。事実、文民政治家ど
もは、その政治のために皇族利用までしていたのである。

053-1052
だが、戦犯狩りサバイバルの勝者たちは、陸軍を諸悪の根源に仕立
て上げるために、二・二六事件を軍国主義化のきっかけとする説を
自国民に刷り込んできたのだ。

053-1053
そして、忘れてはならないのは、世襲政治家たちの中に、そうした
勝者の子孫がいるという事実である。彼らが祖先の罪状を認めるわ
けがなかろう。

053-1054
ついでに言っておくと、ヒトラーは、第一次世界大戦での兵士とし
ての従軍経験はあるが、軍人ではなく、彼の側近のほとんどもまた
同様であった。つまり、ナチ党は文民が中心だったのである。

053-1055
こうしてみると、第二次世界大戦は文民が起こした戦争であったこ
とがわかるだろう。日本とて例外ではない。軍人は、戦力の保持を
考えるので、むやみに戦争を始めることはしたがらないものだ。

053-1056
となると、やはり、文民政治家であった岸信介の『神話』や『武勇
伝』についても疑ってみる必要があるだろう。彼は『法学』部出身
で、大学卒業後は、まず『官僚』となったのだった。

053-1057
それも、内務省ではなく、農商務省の官僚に自らの意思でなったの
である。経済産業界への接近願望という病気は、どうやら既にこの
頃から始まっていたようである。

053-1058
その後の出世も順調で、農商務省が商工省と農林省に分かれると、
商工省に配属され重用されることになる。そして、満州に赴任する
と、いよいよ本性を剥き出しにし始めるのだ。

053-1059
つまり、経済界との癒着と「錬金術」が始まるのである。彼は満州
国で人脈を築き、大物の実力者となって、政治資金までも得始める
ようになるのだ。

053-1060
御存知のように、満州は、米国が日本に全面撤退を迫り、「太平洋
戦争」を引き起こす原因となった地である。そこで肥えた岸信介が
戦犯不起訴になったのは、摩訶不思議な出来事である。

053-1061
さらに興味深いことは、満州で、当時、関東軍参謀長であった東條
との人脈を築いていることだ。東條が本当に軍国主義者だったのな
ら、これは見過ごせぬことだったはずではないか?

053-1062
一方、満州国の建国は、本来、ソビエト共産主義の脅威から日本を
守るのがその目的であったが、いつの間にか、利権が絡むようにな
っていた。そんな地で、岸信介は肥えていたのである。

053-1063
こうしてみると、以前に指摘した『近衛内閣への入閣を断った人物
が、なぜ東條内閣には入閣したのか?』という疑問について、以下
に述べるような仮説が成り立ち得ることがわかる。

053-1064
まず、東條とは満州でコネが築かれていたこと。そして、もう一つ
は、軍需による利権が期待できたということである。何しろ、戦争
のための内閣であったのだから。

053-1065
もしこの仮説が正しかったのなら、岸信介は旨味のある話には食い
つく人物であったことになる。また、そう考えると、後の大臣から
次官への降格の理由についても、わかるような気がしてくる。

053-1066
というのは、次官に降格されたのが、(官僚から)政治家になってか
らの出来事だからだ。これは、岸信介が大臣を務めていた商工省が
軍需省(東條が大臣を兼務)に改組されたことによるものである。

053-1067
だが、もし岸信介が絶対の信用を得ていたのなら、彼が軍需大臣に
なっていても良さそうなものである。そうならなかったのは、彼の
政治資金の出処を怪しむ声があったからではないか?

053-1068
政治家になるためには金が要るが、東條内閣に入閣し商工大臣にな
った時には、まだ官僚で政治家ではなかった。ならば、怪しまれる
ことがあったとしても不思議ではないだろう。

053-1069
そして、もしこれが事実なのだとしたら、商工省の軍需省への改組
についても、岸信介に対する不信感の高まりが原因で行われた可能
性が考えられ得ることになる。

053-1070
一方、東條は、満州で知り合った岸信介のことを高く評価していた
(だから、入閣させた)ので、軍需次官として自分のもと(軍需大臣
は東條が兼務)に置くことにした可能性が考えられる。

053-1071
つまり、東條が、実は、岸信介を疑う者たちから岸信介をかばって
いたという可能性である。もしそれが事実だとしたら、倒閣に協力
した岸信介は、東條に対し、恩を仇で返したことになる。

053-1072
一方、もし東條がヒトラーのような人物もしくは立場であったのな
ら、法を勝手に変えるなり、罠を仕掛けるなりして、岸信介らを粛
清し、政権(内閣)を維持することが可能だったはずだ。

053-1073
だが、東條は、そうではなかったし、そんなことはしなかった。彼
は、法を尊び、法に従う、私利私欲のためではなく国のために使命
を果たそうとする、真っ直ぐな軍人だったのである。

053-1074
そんな東條のイメージを、今日あるような醜悪なイメージに歪めた
犯人は、何もGHQだけではないだろう。戦後、のうのうと生き続け
た我が国の文民(特に政治家)たちもグルであったに違いない。

053-1075
そのことを匂わせているものの一つが、岸信介の武勇伝である。具
体的に言うと、倒閣のために辞職を拒んだところ、東條側近の四方
諒二東京憲兵隊長が岸宅に「押しかけ」「恫喝」した時の話だ。

053-1076
それによると、その時、岸信介は「黙れ、兵隊」と逆に四方を一喝
して追い返したという。だが、人間の心理というものを考えると、
この武勇伝には、あまりにも不自然なところがある。

053-1077
まず、人の家に「押しかけ」「恫喝」してくるような心理状態の人
物が、「黙れ、兵隊」と一喝されたぐらいで、大人しく引き下がっ
てしまうという点が不自然である。

053-1078
さらに、人の家に「押しかけ」「恫喝」するような傲慢な人物が、
「黙れ、兵隊」といった挑発的で侮辱的な言い方をされて、ブチ切
れないというのも不自然だ。

053-1079
傲慢な「暴力装置」(それも隊長!)の男を言葉づかいで怒らせてし
まった場合、普通なら前歯の一、二本ぐらいは折られてしまっても
不思議ではないのではないか?

053-1080
にもかかわらず、戦後の岸信介は「ハダシ(歯出し)で赤絨毯の上を
歩くの、なあに?」というなぞなぞが作られるほどの立派な前歯を
していたのである。これは、一体、どうしたことか?

053-1081
こうしてみると、四方諒二東京憲兵隊長もまた、東條と同様に、法
を尊ぶ人物であったことがわかるだろう。と同時に、彼のキャラク
ターがブレブレになってしまっていることにも気付くはずだ。

053-1082
このことから、岸信介の武勇伝では、子供騙しのイメージ操作が行
われていることがわかってしまうのである。従って、少なくとも人
物像などは全くの捏造であると判断して良い。

053-1083
つまり、四方諒二東京憲兵隊長が岸宅に「押しかけ」「恫喝」した
という表現は、岸信介側の一方的な言い分でしかなく、その客観性
については一切保証されていないということである。

053-1084
四方が岸宅にやって来たのは事実であろうが、その目的は、岸への
説得か、歎願か、そうでなければ、せいぜい抗議といったところで
はないか? その方が、話の筋が通るというものだ。

053-1085
いずれにせよ、東條や四方が法を守る(∴暴力をふるってはこない)
人物であるということを岸信介はよく知っていたから、「黙れ、兵
隊」などという強気の態度がとれた可能性が高いのである。

053-1086
一般に「憲兵」というと「怖い」とか「冷酷」といったイメージが
あるので、おそらく、それを利用して岸信介の勇敢さを印象付けよ
うと企んだのであろう。

053-1087
だが、憲兵は、軍隊内の秩序維持を主任務としていたはずである。
従って、そのような立場にある者が、文民のところに「恫喝」目的
で「押しかけ」たというのは、いささか不自然な話なのである。

053-1088
そもそも、四方諒二東京憲兵隊長の岸宅への「押しかけ」は、東條
の命令によるものだったのか? それとも、四方の自らの意思によ
るものだったのか?

053-1089
四方の憲兵隊長という立場を考えると、前者は常識的には考えにく
い。一方、後者となると、四方が見るに見かねて行動したという可
能性も考えられることになる。

053-1090
そして、もしそれが事実だったのなら、岸宅に向かった目的は、や
はり説得か歎願か抗議であったことになり、「押しかけ」「恫喝」
は事実の歪曲であったことになるのである。

053-1091
それにしても、岸信介は、四方から、一体、何を言われて「黙れ、
兵隊」と「一喝」したのだろうか? もしかしたら、聞きたくない
ことを言われたから「黙れ」と吠えたのではないか?

053-1092
ふつう、人が「黙れ」というセリフを吐くのは、相手がふざけたこ
とをぬかした場合か、そうでなければ、自分が都合の悪いことを相
手から言われた場合である。

053-1093
はたして、四方は、ふざけたことをぬかしたのか? 憲兵隊長とも
あろう者が、そんなことをしに、わざわざ人(それも文民)の家に押
しかけたりするだろうか?

053-1094
もしそうなら、なぜ四方の発言内容を世間にさらさないのか? そ
れに、ふざけたことを言われたのなら、「黙れ」などと感情的にな
らずに、的確に反論していけば良いだけのことではないか?

053-1095
岸信介ほどのインテリ・エリートなら、それができたはずである。
ところが、彼はそれをせず、「黙れ」と「一喝」したのである。こ
れは、いささか不自然な反応ではないか?

053-1096
これに対し、もし岸信介が四方から、都合の悪いこと、耳が痛くな
るようなこと、良心の呵責に耐えられなくなるようなことを言われ
たのだとしたら、「黙れ」は全く自然な反応であると言える。

053-1097
特に「今更、和平を申し出ても、米国が応じるわけがありません」
と言われたのだとしたら、「黙れ」は岸信介の逆ギレだったことに
なり、至極当然な反応であったと言える。

053-1098
また、四方があまりにもあっさりと、すぐに諦めて引き上げていっ
てしまったのも頷ける。わからず屋や狂人には、何を言っても無駄
だからだ。

053-1099
実際、『和平』は『絵に描いた餅』『捕らぬ狸の皮算用』だったの
であり、結果は『無条件降伏』だったのであるから、「黙れ」はせ
いぜいペテン師の豪語でしかなかったことになる。

053-1100
従って、「黙れ、兵隊」は、岸信介の勇敢さや威厳を表すものなん
かではなく、インテリ・エリート官僚ゆえの傲慢さと優越感の表出
であったということになる。

053-1101
もっとも、和平という戯けた夢を本気で抱いていた者たちにとって
は、和平不可能説教は、今時の恥知らずな大人たち流の言い方をす
るならば、それこそ「心無い言葉」に思えたのかもしれない。

053-1102
従って、それをしに来た者の行為は、本当に「押しかけ」「恫喝」
であると感じたのかもしれない。だが、それは、そう主張する側の
主観にすぎず、客観的事実とは程遠いものだ。

053-1103
それに、無条件降伏という歴史的事実により、和平が不可能である
ことが確証されたのであるから、戦後になっても、なお、そう伝え
続けるのは、全く恥知らずな行為である。

053-1104
いずれにせよ、四方が具体的に何を言ったのかも明らかにせずに、
「押しかけ」「恫喝」などとネガティブ・キャンペーン的な伝え方
をするのは、あまりにも公正さを欠いた態度である。

053-1105
このように、岸信介の伝記には、自分を良く見せるために、軍部の
人たち(特に陸軍の人たち)のイメージを卑しめようとする悪意が強
く感じられるのである。

053-1106
よくよく考えてみれば、海を隔てた国である米国(や英国)と戦争を
するというのに、(海軍の人間ではなく)陸軍の人間が首相になると
いうのは、いささか理解に苦しむ出来事である。

053-1107
いや、それ以前に、戦争のことで忙しいはずの軍部の人間が首相に
なるということからして、全く解せない。戦争賛成派で、軍部に好
意的であれば、文民政治家でも首相は十分務まるはずである。

053-1108
だが、これらの疑問も、戦前の『満州』における人間関係を考えれ
ば、一気に解消する。東條は関東軍参謀長だったのだ。だから、満
州時代の岸信介は、東條と人脈を築くことができたのである。

053-1109
つまりは『満州コネクション』の影響力である。「満州」族議員ら
をはじめとする「満州」利権屋たちが、東條を日本版チャーチルに
祭り上げて利用しようとした疑いが極めて濃厚なのである。

053-1110
もしそれが事実なら、東條内閣があっけなく倒閣されてしまったこ
とも説明がつく。軍事力による米国に対する抵抗が無理と判断し、
用済みとなったからだ。

053-1111
だとすると、東條は無責任な文民どもに翻弄された『駒』にすぎな
かったことになるのである。ヒトラーのような絶対的権力を有する
恐怖政治の独裁者の政権が、平和的手段で倒閣されるわけがない!

053-1112
ドイツのヒトラーは何度も暗殺されそうになったが、日本の東條に
ついては、そのような話は無い。戦時中の日本人は、日本の軍国主
義化や戦争が東條(陸軍)の仕業ではないことを知っていたのだ。

053-1113
また、それ故に、東條ら軍人を暗殺しても軍国主義や戦争をやめさ
せることはできないということも知っていたのである。仕切ってい
たのは、権力ある文民どもだったのだから。

053-1114
中でも、満州と関係のあった文民どもの影響力は多大なものであっ
たと考えられる。おそらく、ルーズベルトも、そのことを知ってい
たために、満州を挑発のためのネタにしたのであろう。

053-1115
何しろ、戦前の日本は、満州に莫大な投資を行っていた。ならば、
彼らの影響力は相当なものであったに違いない。そして、その満州
で絶大な権限を有していた官僚の一人が、岸信介なのであった。

053-1116
こうした者たちが、戦犯狩りの対象にされる怖れが無くなった時代
になっても、なお、先の戦争や軍国主義化の責任を軍部に押し付け
たがるのは、当然のことだろう。

053-1117
なぜなら、本当のことがバレれば、日本人から恨みや顰蹙(ひんし
ゅく)をかうことになるからだ。選挙のある国の政治家の場合、こ
れは死活問題となることのはずである。

053-1118
一方、戦前の陸軍は純真ゆえ利用するには絶好のカモだったのであ
り、また、戦後は解体されて(大物は戦犯として処刑されて)しまっ
たのであるから、責任を押し付けるのには極めて都合がいい。

053-1119
これに対し、海軍の幹部たちは、日本海軍は長期戦ではもたないと
いうことを明言していたので、カモにしにくかった(日本版チャー
チルに担ぎ出すことは無理だった)に違いない。

053-1120
このように、少なくとも状況証拠的には、戦争も軍国主義化も、満
州と関係のあった文民権力者たちが主導したと考えるのが合理的な
のである。軍部の暴走を原因とするのは、見え透いた嘘である。

053-1121
また、政財界の連中が「陸軍が怖くて、言いなりになった」という
のも、真っ赤な嘘である。ちなみに、この嘘を固めるための大嘘が
「二・二六事件が軍国主義化のきっかけとなった」説である。

053-1122
もし陸軍の言いなりになったのなら、陸軍からの要求や圧力があっ
たはずである。だが、その要求や圧力の具体的な内容が示されたこ
とは、一度も無いのである。

053-1123
具体的な内容を示さないのは、それ自体が存在しないか、そうでな
ければ、内容を明かすと都合が悪いからである。文民たちにとって
後者はあり得ないから、正解は前者でしかあり得ない。

053-1124
要求や圧力が無かったのなら、言いなりになったわけがない。「陸
軍が怖くて」というのも、本当は自分たちが主導していた(仕切っ
ていた)ことを隠蔽するための創作、すなわち、大嘘である。

053-1125
もうお気づきかと思うが、二・二六事件に関しても、岸信介の武勇
伝と同類の手口が用いられている。イメージ操作、そして、軍人が
した表現の具体的な内容を明かさないという手口である。

053-1126
手口が同じ場合、同じ者たちの仕業である可能性が高い。そういえ
ば、文民たちは二・二六事件の決起部隊が掲げていた「尊皇討邪」
の「邪」が具体的に何を指すのかを明らかにしていない。

053-1127
「邪」すなわち敵が何なのかも明らかにせずに、決起部隊のことを
軍国主義の走りであるかのように説くのは、あまりに無根拠な説法
であり、実際、それは偏見を煽る誹謗中傷でしかない。

053-1128
なぜなら、決起部隊が求めていたのは軍国主義ではなく「尊皇」だ
ったからだ。彼らの敵すなわち「邪」とは、実は、自分たちの権益
のためなら手段を選ばない強欲文民どものことだったのだ。

053-1129
金儲けのために、彼らは欧米猿真似主義に走り、日本の文化精神を
破壊しようとし、そのために皇族利用までした。真の愛国者なら、
そんな連中のことを許せるわけがないだろう。

053-1130
そういう人たちだったからこそ、無関係な人たち(特に一般市民)は
一人も傷つけなかった(「恫喝」することすらなかった)のであり、
また、庶民からも実は支持されていたのである。

053-1131
ただ、天皇の理解を得ることができなかったため、恐怖の暴力犯罪
組織として扱われるようになってしまったのである。天皇の周りを
なお「邪」が固めていたのだ。

053-1132
決起部隊は、決して狂信者の集まりではなかった。だから、天皇の
理解が得られないことがわかると、潔く投降した。現場のある指揮
官は、部下たちを解散させた後、自決したほどであった。

053-1133
こうした人たちのことを、権力欲に走るテロリストや暴力革命主義
者などと一緒にするのは、とんでもないことである。彼らは日本を
「邪」から守りたかっただけなのだ。

053-1134
だが、彼らの目的は達せられず、日本は「邪」たる文民権力者たち
が全てを仕切る国になってしまったのである。軍部(特に陸軍)が怖
くて言いなりになったなど、真っ赤な嘘である。

053-1135
ならば、日本を戦争や軍国主義へ導いたのは文民権力者たちという
ことになるだろう。そして、もしそうならば、真珠湾攻撃における
お粗末ぶりも納得がいくというものである。

053-1136
日本は真珠湾攻撃で少なくとも二つのヘマをやった。宣戦布告遅れ
と空母逃がしである。これらは共に現場の責任者の不手際のせいに
されているが、はたして、そんなことがあり得るだろうか?

053-1137
もしそれが事実だとしたら、独裁恐怖政治の国なら、関係者は厳罰
に処せられたはずだ。また、独裁者は怒り狂い、彼らを激しく罵っ
たはずだ。

053-1138
さらに、彼ら(関係者)の家族も辛い目にあわされたことだろう。だ
が、そのようなことがあったということを教えてくれる資料が示さ
れたことは一度も無いのである。これは常識的におかしい。

053-1139
要するに、そのようなことは無かったのである。だとすると、岸信
介武勇伝に出てくる四方の場合と同様に、東條(さらには軍部)のキ
ャラクターもまたブレブレになってしまっていることになる。

053-1140
なぜなら、恐怖政治の独裁者であるはずの人物が、あれだけ重大な
失敗をやらかした者たちのことを、まるで仏のような慈悲深さで許
したことになるからである。

053-1141
こしてみると、東條が恐怖政治の独裁者であるというのは全くのデ
タラメで、実は関係者を処分する権限すら与えられていない『名ば
かり総理』でしかなかったと考えざるを得ないのである。

053-1142
さらに、空母逃がしの原因を考えると、東條は実は海軍を統率する
権限も十分には与えられていない『名ばかり元帥』でしかなかった
と考えざるを得ないのである。

053-1143
なぜなら、現場の指揮官が真珠湾攻撃の意義というものを聞かされ
ていたならば、あのような中途半端な攻撃だけで部隊を引き揚げさ
せてしまうようなことはし得なかったと考えられるからだ。

053-1144
軍隊とは、上への絶対服従の世界であって、自分らしさの世界では
ない。そうした常識を知っていれば、やはり、中央の意向が現場の
指揮官に伝わっていなかったと考えざるを得なくなるのである。

053-1145
そして、全く同じことが、宣戦布告遅れの関係者に関しても言える
のである。このようなことは独裁国家ではあり得ない。東條は、や
はり『名ばかり総理』の『名ばかり元帥』でしかなかったのだ。

053-1146
ちょうど、天皇が『名ばかり大元帥』であったように。つまり、黒
幕となる者たちが存在して、その者たちが実権を握っていたという
ことである。そして、それは、文民権力者しかあり得ない。

053-1147
何しろ、この頃の文民権力者どもは、皇族利用を平気でやっていた
ような連中である。ちなみに、この勢力に抵抗しようとした者たち
が起こしたのが二・二六事件であったのだが、失敗に終わった。

053-1148
かくして、逆らう者はいなくなり、皇族利用を平気でやる文民権力
者どもが全てを仕切る時代となった。そんな連中なら、軍人を戦時
の建前上の頭として利用することぐらい平気でできたことだろう。

053-1149
彼らは黒幕として実権を握っていた。黒幕は、絶対的な権力者であ
るが、責任者ではない。責任は、建前上の頭(かしら)に負わせる。
実際、東條は死刑に処せられ、歴史でも一番の悪役にされた。

053-1150
このように、哀れ大日本帝国は、絶対権力者ではあるが責任者では
ない黒幕文民たちに全てを仕切られた状態で米英との戦争に突入し
たのである。これでは、まともに戦えるわけが無かろう。

053-1151
真珠湾攻撃における前述の二つのヘマも、それを指示したのが『絶
対権力者ではあるが責任者ではない黒幕文民たち』であったという
のなら、納得がいくというものだ。

053-1152
たとえば、ドイツは、メンバーの多くが文民であったナチスが軍事
作戦を仕切った(軍人たちの提言を無視した作戦をとった)ために失
敗したことが、しばしばあった。これと同じである。

053-1153
ちなみに、宣戦布告遅れと、その関係者を処分しなかった(東條に
は、その権限が無かった)ことは、「日本の騙し討ち」説に大いに
力を与えることになった。

053-1154
今日、未だに「日本の騙し討ち」説が強大な力を有しているのは、
この『軍人を盾・隠れ蓑とした隠れ文民政治』のせいなのであり、
そのことを日本が国際社会に訴えないからなのである。

053-1155
ちなみに、日本は終戦直前に重要書類を廃棄処分したそうだが、そ
の頃は既に東條内閣(軍事政権)ではなかった。つまり、文民権力者
どもが都合の悪い証拠を消した可能性があるのである。

053-1156
もっとも、黒幕が自分たちの存在や関与を文書に明記させるわけも
ないので、最初から存在しなかった可能性もある。よって、それを
直接証明する文書の存在は期待しない方が良いだろう。

053-1157
それに、そのような文書が存在しなくても、既に示したように、多
くの情況証拠が、東條(陸軍)独裁説の矛盾と『軍人を盾・隠れ蓑と
した隠れ文民政治』説の合理性を示しているのである。

053-1158
東條を盾・隠れ蓑として利用できた文民権力者は、満州やシナと縁
の深い者たちとしか考えられない。そして、岸信介は、そうした者
たちと人脈を築いていたエリート官僚なのであった。

053-1159
こうしてみると、岸信介がなぜA級戦犯として不起訴になったのか
が見えてくる。まず、満州利権屋たちは、米国にとって、日本に先
に撃たせることに最も貢献してくれた者たちであった。

053-1160
彼らは大変影響力のある者たちであり、彼らが強い反米感情を抱い
てくれたからこそ、日本は対米戦争へと突き進んでくれることにな
ったのである。岸信介は、そんな彼らのお仲間とみなされた。

053-1161
一方、東條内閣を倒閣に追い込んだ和平派は、日本軍の抗戦能力の
低下に貢献した。岸信介は、そんな彼らのお仲間だった。ならば、
その貢献度から不起訴になるのは当然であろう。

053-1162
ちなみに、戦前の岸信介はエリート官僚だったのであり、満州時代
に政治資金を得るようになった。彼は、経済界と癒着して潤う、い
わゆる合法的錬金術師の開祖的人物だったのである。

053-1163
そんなことが出来たのも、彼が農商務省・商工省の官僚であり、な
おかつ、法学部の出身者であったからである。法学は、悪用すれば
無敵の武器となり得るということだ。

053-1164
岸信介が農商務省に入った頃、同省は彼のような優等生が入るよう
な省ではなかった。それ故に、出世もかなり早かったのではないか
と思われる。

053-1165
そして、出世が早ければ、かなり、やりたい放題のことができたは
ずである。人脈と金脈の両方に関して。それも、法学部出身者らし
く、合法的なやり方で。

053-1166
岸信介という人物の実像を知ると、孫の安倍晋三の政治の実態も見
えてくる。たとえば、環境ファッショを主導しているのが、環境省
や文部科学省とかではなく、経済産業省であることだ。

053-1167
経済産業省の前身は通産省であるが、そのまた(戦前の)前身は商工
省・農商務省だろう。そして、岸信介は農商務省・商工省きっての
エリート官僚として絶大な権限を有していた。

053-1168
要するに、経済産業省は、岸・安倍の牙城なのである。実際、安倍
派には(その前身である)通産省出身者が少なくない。その経済産業
省が環境ファッショの枢軸となっているのである。

053-1169
ということは、安倍派こそ、環境ファッショの一番の黒幕というこ
とであろう。実際、その通りである。竹下・橋本といった連中は、
その盾にすぎない。

053-1170
その竹下派(⊃橋本派)と安倍派はずっとグルである。竹下派は親亜
派と言われているが、岸信介が大アジア主義者だったのだから、竹
下派と気が合うのは当然であろう。

053-1171
むしろ、大アジア主義者であった岸信介の孫である安倍のことを反
中・反韓・反朝であると勝手に思い込んでしまっているホシュ・ウ
ヨクたちがおかしいのである。

053-1172
それに、安倍は岸信介の孫らしく、経済界との癒着で政治資金を得
ている政治家である。従って、海外進出企業や輸出関連企業には逆
らえない。(∴憲法改正なんぞ、するだけ無駄なことである。)

053-1173
もし安倍が反中・反韓・反朝になることがあるとすれば、それは、
反中・反韓・反朝が米国の意向である場合だけである。岸信介の孫
なら、これは当然のことであろう。

053-1174
一方、欧州を進出先や輸出先にしている企業は、商売の都合上、欧
州の環境ファッショに日本を従わせようとしたがるだろう。実際、
安倍は、そのようにしている。

053-1175
環境ファッショに関係のあることのうち、もう一つ、重要なのは、
イメージ操作好きという点である。岸信介が武勇伝でやったイメー
ジ操作を思い出して欲しい。

053-1176
そこでは、岸信介が勇敢で威厳のある人物であるかのようなイメー
ジが創り出され、また、そのために、四方や東條を卑しめるような
イメージが創り出されていた。

053-1177
これと同様に、岸信介の孫の安倍は、「風力」などの再生可能エネ
ルギーに「環境にやさしい」というイメージを創り出し、また、そ
のために、炭素や温暖化に「恐怖」のイメージを創り出した。

053-1178
日本人にはわかっていない人が多いようだが、法学系のワルという
ものは、イメージ操作を当たり前のようにやるものである。いわゆ
る「優秀な弁護士」などは、その典型である。

053-1179
イメージ操作は、法廷においてすら、違法ではない。だから、やる
わけである。つまり、違法でないことは、何でも平気でやるわけで
ある。それが、法学系のワルのやり方なのである。

053-1180
その一方で、法学系のワルは、法によって人を弾圧するのも大好き
である。法は最も強力(∴危険)な凶器であり、如何なる暴力や非道
をも正当化してくれるものである。

053-1181
おまけに、法を扱えるのは、政治家と法学系の人間だけである。つ
まり、法は、もともと不平等なものなのであり、一部の人間だけに
よって牛耳られている階級社会的なものなのだ。

053-1182
これは、法というものが全く古臭い前近代的なものでしかないこと
を表している。ところが、困ったことに、我が国では「近代化の象
徴」などと誤解・誤信されてしまっているのだ。

053-1183
法なんてものは、遅くとも「悪法も法なり」とソクラテスが言った
という時代には既に存在していたものである。そんな時代の遺物を
「近代化の象徴」などと考えるのは、全く愚かなことだろう。

053-1184
また、「悪法も法なり」とは、法が不合理や不条理を強制するもの
になり得るということを意味しているのであって、法が絶対的正義
であるということを説いているのではない。

053-1185
それでも法が『守らなければならないもの』であるのは、それが約
束事だからである。約束事は、相手の同意無しに変更することは許
されない。だから、罪刑法定主義がとられるのである。

053-1186
ところが、菅=民主党政権は、原子力賠償法を事後に勝手に実質変
更してしまったのである。これは約束を破る行為である。よって、
同法により裁きを下すのは、罪刑法定主義に反する行為である。

053-1187
ところが、呆れたことに、我が国では、そんな裁きが下されている
のである。しかも、法曹界に、そのことを批判する者は、ほとんど
全くと言っていいほど、いない。

053-1188
要するに、法というものは、恥というものとは全く縁が無いものな
のである。だから、法治国家には恥の意識というものが無く、故に
悪法や悪徳弁護士などが力を得てしまうことになるのである。

053-1189
「悪法も法なり」という名言が示すように、法は正義でもなければ
真理でもない。それは縄であり、鎖であり、軛であり、時には鞭や
剣や銃にもなる、無形の(それでいて最も強力な)暴力装置である。

053-1190
そんなものが科学の中に紛れ込んでくると、そのインチキ科学は、
政治権力の後ろ盾が無い科学者には反証できないものになってしま
うのである。なぜなら、法は科学者には扱えないものだからだ。

053-1191
そもそも、専門が違う。法は(既存の)物質の法則とは無関係なもの
なのであるから、科学者には否定のしようがない(否定の手段が無
い)ものなのである。

053-1192
ならば、法が科学の中に入ってこようとする段階で、これを阻止す
ればいいのであるが、それが、なかなか、そうはいかないというの
が現実なのである。

053-1193
なにしろ、科学の中に法を紛れ込ませようとする連中が、科学者の
研究費の配分や人事などに絶大な影響力を有している連中なのであ
るから、ちょっと逆らえないというのが実情なのである。

053-1194
一方、実に皮肉なことに、謙虚な科学者たちの中には、『法でしか
ないもの』のことを『自分が知らなかった法則や学説』だと思い込
んで受け入れてしまう者もいる。

053-1195
また、見栄っ張りな科学者は、『最新・最先端の学説』だと思い込
み、飛びついてしまう。そして、後で『法でしかないもの』だと気
づいても、その見栄ゆえに、引っ込みがつかなくなってしまう。

053-1196
このように、様々なケースがあるものの、科学者は概して法に弱い
ものなのである。専門外なのであるから、当然だ。一方、法に強い
文系人間は、科学に紛れ込んだ法を、法とは見抜けない。

053-1197
こちらは、(自然)科学が専門外。しかも、これまた皮肉なことに、
謙虚な人ほど、『法でしかないもの』を『法』とは思わない。まさ
か科学の中に法が紛れ込んでいるとは思わないからだ。

053-1198
一方、うぬぼれ文系人間は、『法でしかないもの』のことを『理系
人間でも知らない(もしくは理解できない)者がいるほどの高度な先
端科学』と思い込み、それを信仰して優越感にひたろうとする。

053-1199
こうしてみると、科学に紛れ込んだ法を摘発し、なおかつ、駆除で
きる者は、ほとんどいないことがわかるだろう。だからこそ、みな
で非難の声をあげるしかないのである。

053-1200
多くの日本人はわかっていないようだが、民主主義においては、非
難(抗議)しないのは「異議無し」の意思表示とみなされ、どんなに
酷い詐欺や弾圧も「合法」とされてしまうものなのである。

053-1201
何しろ、「法」狂いの人間というものは、違法ではないことは罪と
も悪とも恥とも思わないものである。ちなみに、科学の中に法を紛
れ込ませることは、違法ではない。だから、やるのだ。

053-1202
もっとも、こんな話をすると打つ手が無いように思われるかもしれ
ないが、そんなことはない。例えば、それにより損害を被ったり、
権利を侵害された場合には、損害賠償請求訴訟という手がある。

053-1203
ただし、今時の日本の裁判官は、福島第一原発事故関連裁判を見れ
ばわかるように、ちっとも公正ではないので、勝算は残念ながら低
い。(負ければ多額の金をふんだくられる!)

053-1204
というわけで、金の無い者は、やはり、非難・抗議という表現活動
で抵抗するしかないのだ。幸い、日本は民主主義の国なのであるか
ら、人気の低下は、政治家にとって、かなりの脅威となるはずだ。

053-1205
非難・抗議があるのは、不評である証拠であり、人気の低下を表す
ものだ。もっとも、日本の政治家どもは「選挙に勝ちさえすればよ
い」と考えているので、これもあまり効果は無いかもしれない。

053-1206
おまけに、日本の政治家のほとんどは、環境ファシズムに肯定的で
ある。よって、選挙投票もほとんど無意味である。となると、その
資金源となるものを責めるしかないことになる。

053-1207
具体的に言うと、それは政治献金をしている企業である。環境サヨ
ク議員に好意的な企業を非難し、不買運動を広めるのが、最も効果
的である。悪党の資金源を断つわけである。

053-1208
ついでに指摘しておくと、「法」狂いの者たちを環境ファッショに
走らせる原因の一つに、『外交最優先』主義がある。これは、裏を
返せば、国益犠牲主義であると同時に、外交万能主義でもある。

053-1209
ちなみに、外交万能主義とは、何でも外交だけで解決できるという
おめでたい考え方のことである。だから、外交最優先主義に浸って
いられるのだ。もちろん、現実はそう甘くはない。

053-1210
外交万能主義は、一種の驕(おご)りである。日独伊三国軍事同盟も
日ソ不可侵条約も、外交万能主義の産物であったことを忘れてはな
らない。

053-1211
多くの現代人が誤解しているようだが、日独伊三国軍事同盟は米英
をけん制するのが目的だったのであって、米英と戦争するのが目的
だったのではない。

053-1212
ところが、結果はご存知の通り。外交の効力など、所詮、この程度
のものなのである。外交が有力な手段となり得るのは、強い(有利
な)立場にある場合、すなわち、力で勝っている場合だけなのだ。

053-1213
事実、日ソ不可侵条約は、日本の敗戦が濃厚になると破棄されてし
まったではないか。これは、日本が力を失ったからである。力の無
い国にとって、外交は防戦一方の場にしかならないものなのだ。

053-1214
そもそも、日独伊三国軍事同盟は、日本単独では米国にはかなわな
いから結んだものだ。つまり、これは、外交による解決には力が必
要であることを当時の日本は認識できていた証拠なのである。

053-1215
つまり、当時の日本の政治家たちは、今の日本の政治家たちとは違
って、国益につながる外交となるには対等もしくはそれ以上の立場
である必要があるということを十分に認識していたのである。

053-1216
さて、日独伊三国軍事同盟により、日本は米国と対等の立場になっ
たと思われた。だが、これには大きな盲点があった。それは資源問
題である。石油を止められたのだ。

053-1217
つまり、日独伊三国軍事同盟は(米国との外交交渉のために)米国と
対等な立場を実現するための外交策だったのだが、それが実現でき
たのは、その時点における軍事力に関してだけだったのだ。

053-1218
つまり、軍事力を支え続けるために必要な資源に関しては、米国と
対等な立場を全く実現していなかったのである。これでは、軍事力
に関しても、対等な立場は『期限付き』ということになる。

053-1219
従って、外交による解決も『期限付き』ということになる。その期
限が過ぎれば、外交の主導権は完全に米国に握られてしまう。それ
が、外交というものの現実である。

053-1220
かくて、日本は、米国が譲歩してこない限り、米国の言いなりにな
るか、そうでなければ(それが嫌なら)、一か八かの(期限付きの)戦
争に打って出るしか選択肢がなくなってしまったのである。

053-1221
一方、米国は、一歩も譲らず、逆に最後通牒ともいえるハルノート
を日本に突き付けた。これで、外交による解決の望みは、完全に潰
えてしまったのである。

053-1222
ここで気付かなければならないのは、石油止めもハルノートも米国
の外交策であったということである。つまり、米国の外交策が、米
国に戦争という災いをもたらしたのだ。

053-1223
こうしてみると、外交が平和的解決手段であるという話は、真っ赤
な嘘であることがわかる。そして、これは、外交万能主義の虚しさ
を教えてくれるものでもある。

053-1224
ちなみに、戦前の日本が真珠湾攻撃に打って出たのは、それで米国
は圧力外交を諦めると考えたからだ。長期戦や全面戦争にする気は
全く無かったのである。

053-1225
要するに、強い国と弱い国との外交は、強い国のパワハラの場にし
かなり得ないということなのである。外交でものをいうのは、現実
には、外交術なんかではなく、力や立場なのである。

053-1226
こうした現実がわからないのが、外交万能主義者なのである。つま
り、彼らは、何事も彼らの頭の中にある『法』の通りに成る…と本
気で考えている連中なのである。

053-1227
つまり、この世の全ては自分たちの頭の中にある『法』に従うもの
なのだ…と信じ切っている連中なのである。だから、外交交渉の相
手も、こちらの思った通りに反応する…と思うわけである。

053-1228
たとえ、相手が強い国であっても…である。つまり、力や立場の差
は問題にはならないとするわけである。全く呆れた思い上がりであ
る。現実逃避の独善でしかない。実際、彼らは無責任である。

053-1229
このように、「法」狂いの人間は外交万能主義に陥りやすく、その
ために、外交に対して白昼夢的な期待感を抱いてしまう傾向が病的
なまでに強いのである。

053-1230
そこで、考えて欲しい。もし無能な日本の総理大臣が、「法」狂い
ゆえに外交万能主義に陥ったとしたら、どうなるか?を。そのよう
な人物は、間違いなく、外交最優先主義に走るだろう。

053-1231
無能だから、内政はダメ。一方、憲法九条があるから、軍事侵攻は
できない。となれば、外交でウケを狙うしかあるまい。だが、立場
の弱い国が外交でとり得る手段は、現実には全く限られている。

053-1232
それは、列強の御機嫌取りと、日本より経済力が劣った国へのバラ
マキや優遇ぐらいなものである。そして、これらは、いずれも日本
にとって重い負担になることばかりである。

053-1233
しかも、効果はさっぱりという場合がほとんどで、犠牲ばかりが目
立つ。弱い国が外交最優先主義に走るのは、自殺行為である。産業
は廃れ、国民は惨めな思いをさせられる一方となる。

053-1234
もうお気づきのように、これは、まさしく、今の日本の状況そのも
のである。日本は外交最優先主義によって駄目になったのである。
中でも、安倍政治のそれは、狂気としか言いようがないレベルだ。

053-1235
安倍派以外の総理の場合は、まだ、欧米からの圧力に屈する形でし
かたなくやっている感があるが、安倍派総理の場合は、自ら進んで
やるのだから、全くの狂人としか言いようがない。

053-1236
しかも、それを「国際貢献」だの「リーダーシップ」だのといった
綺麗ごと的表現を用いて正当化するのだから、恥の文化の国の人と
はとても思えない。

053-1237
「法」狂いの人間というものは、この世の全てを支配する「法」を
知り尽くしている気になっているので、何事にも自信満々である。
だから、「戦略」狂いでもあるのだ。

053-1238
つまり、物事が自分の「計画」通りに進むと信じているのである。
それも「長期」にわたり。ちなみに、戦略とは、(本来は戦争の)長
期的計画のことである。

053-1239
また、このことから、「計画経済」狂いの人間の正体が「法」狂い
人間であることもわかってしまう。さらに、「戦略」狂い人間の正
体が隠れサヨクであることもわかってしまう。

053-1240
計画通りにはなかなかいかないのが現実というものだが、「法」狂
い(∴「計画」狂い)の連中は、それを認めない。だから、彼らは、
決まって、「成長」詐欺師である。

053-1241
つまり、「成長戦略」だの「成長分野」だのといった『うまい話』
で世間を惑わすのが得意なのである。未来永劫「成長」し続ける分
野など、あるわけがないのに…。

053-1242
それに、国が「成長分野」というものを定めてしまうと、資本(や
人材)の集中・偏在が起きて、他の分野が衰退するので、経済産業
全体は弱体化していくのが普通である。

053-1243
こうした独善に走る「法」狂い人間たちが、慎重さや謙虚さを装う
のに用いるのが、「期待」という表現である。数学の確率統計の概
念である『期待値』に引っ掛けて、科学をも装うのである。

053-1244
ついでだから指摘しておくと、「法」狂い人間たちの独善は、心理
学や精神病理学にも及んでいる。たとえば、「心のケア」や「心の
傷」論が、そうである。

053-1245
つまり、彼らは、人間の心についても、それを支配している「法」
を知っている気になっている(だから、わからないことや、癒せな
いことなど、あり得ない…と本気で信じている)のである。

053-1246
そんな人たちであるから、「介護(特に認知症患者の介護)」に関し
ても独善的政策を貫き、家族を泣かせている。まさに、ソクラテス
の『無知の知』の真逆を行く者たちである。

053-1247
もうお気づきかと思うが、これらは、安倍をはじめとする今時の政
治家連中やマスゴミ、そこに登場する文化人どもに見られる特徴で
ある。彼らは、みな、「法」狂い人間なのだ。

053-1248
「法」狂い人間たちは、「自分は法に基づいているから、客観的な
のだ」と思い込んでいる。だが、実際には、法の権威というものを
利用しようとしているだけだ。

053-1249
それが証拠に、彼らは、自分に都合のいい(解釈が可能な)「法」ば
かりをふりまわしたがる癖がある。逆に、そうでない「法」は、徹
底的に無視する。つまり、「スルー」するのだ。

053-1250
だから、彼らは、自分に都合のいい(解釈が可能な)「法」を探し出
そうとすることが大好きなのである。また、「法」を自分に都合の
いいように『解釈』することも大好きである。

053-1251
要するに、彼らは「法」の権威を悪用するペテン師なのだ。それだ
けに、彼らの手にかかれば、まともな「法」でさえ『悪法』と化し
てしまう。

053-1252
「法」の解釈を捻じ曲げるぐらいは当たり前。酷い時には、「法」
をこっそり変えてしまうこともある。だから、(実質)事後法による
裁きも平気。と言われると、ある裁判のことを思い出すであろう。

053-1253
そう、福島第一原発事故関連の裁判である。そして、これには、実
は、お手本があるのだ。それは、東京裁判である。東京裁判もまた
事後法による裁判だったのだ。

053-1254
東京裁判は復讐(によって戦勝国が自国民のウケを狙う)裁判として
も悪名高い裁判だが、福島第一原発事故関連の裁判もまた、復讐に
よって被災者をはじめとする国民のウケを狙う裁判になっている。

053-1255
戦争は戦勝国の国民にさえ犠牲や負担や我慢を強いるものなのであ
るから、戦後は『ガス抜き』を必要とする。特に民主主義の国にお
いては。つまり、戦争を原発事故に置き換えて応用したのだ。

053-1256
東京裁判には、戦争(が起きた)責任を全て敗戦国に押し付けるとい
う目的があった。福島第一原発事故関連の裁判もまた、事故の責任
を東電に押し付けようとするものになっている。

053-1257
ちなみに、当時の内閣官房長官は、国の責任で東電に賠償させると
いう奇妙な論理を展開していた。ならば、裁判なんて行う必要は無
いはずであろうに。これでは税金の無駄遣いである。

053-1258
要するに、司法に裁かせることによって客観性や公正さを装ってい
るわけである。しかも、自分の手は汚さずに。どうみても、これは
東京裁判の応用である。

053-1259
こうしてみると、民主党は余程の東京裁判マニア政党であったこと
がわかる。一方、自民党には、戦勝国にすり寄ることで政治生命を
維持した連中の子孫である世襲議員が多い。

053-1260
ならば、民主党政権のやり方に異議を唱えないのも、ごもっともな
ことであろう。東京裁判を受け入れるだけでは飽き足らず、それを
「法」として位置付けてしまっているのだ。完全に病気である。

053-1261
言い遅れたが、復讐裁判による責任の押し付けという手口は、国が
予想をし損ねた巨大津波の被害者の遺族のガス抜きにも用いられて
いる。戦犯役にされたのは、被害者が通っていた学校などだ。

053-1262
国は、自らが予想できなかった巨大津波を「異常に巨大な天災」と
は認めずに東電や学校には責任を負わせたくせに、自らの津波防災
行政については『異常に巨大な天災』として責任逃れをしたのだ!

053-1263
そして、それを可能にしたのが、賠償請求のための民事裁判をはじ
めとした復讐裁判であり、それを可能にするためにやったのが、文
部科学省による「異常に巨大な天災」基準変更だったのだ。

053-1264
ちなみに、復讐裁判は司法という『他者にやらせる』イベントであ
るが、「異常に巨大な天災」基準変更でも、文部科学省という『他
者にやらせる』手口が用いられている。

053-1265
ちなみに、ここで言う『他者』とは「第三者」のことだ。政府(行
政)から見れば、司法は「第三者」となるし、政治家から見れば、
文部科学省(の役人)は「第三者」となる。

053-1266
つまり、「第三者のやる(もしくは、言う)ことだから、公正無私な
のだ」と言いたいわけである。「第三者」で世間を騙すのが「法」
狂い人間どもの常套手段なのだ。

053-1267
「第三者」(ということになっている者)に任せれると、他にもいい
ことがある。それは『自分はもちろん、誰もその責任をとらずに済
むことになる』ということだ。

053-1268
もちろん、被告人にされた者は責任をとらされる場合がほとんどだ
が、「第三者」は、依頼人の意向に沿う限り、道から逸れたことを
しても、その責任をとらされることは無い。

053-1269
実際、復讐裁判を担当した司法関係者たちは、事後法裁判であるこ
とについての責任を問われることすらない有様である。だから、原
告に不利な事実を無視することもできてしまうのだ。

053-1270
事実、福島第一原発事故関連裁判では、学者たちがプレート境界の
滑りやすさ(にくさ)を誤診していた事実や、連動の可能性を考えて
いなかった事実が、完全に無視されている。

053-1271
無視しないと、東日本大震災が「異常に巨大な天災」であったこと
になってしまい、東電の責任が問えなくなってしまうからだ。そん
なことができてしまうのが、「第三者」の特権なのである。

053-1272
ついでに指摘しておくと、「第三者」は、国が米国からの外部電源
喪失問題指摘文書を握りつぶしていた事実も無視している。これが
「第三者」すなわち司法が見せてくれる態度なのである。

053-1273
要するに、司法は「法は事実に勝る」主義に御墨付を与えているわ
けである。ならば、行政(内閣)も立法(国会)も、自然科学に対して
「法は事実に勝る」主義を押し付けることが可能となるだろう。

053-1274
もっとも、政治家どもが自然科学に対して「法は事実に勝る」主義
を押し付けることは、それ以前からあったが、それ以降、やりたい
放題になったのは事実である。

053-1275
そして、その『やりたい放題』を民主党以上にやっているのが、自
民党の安倍派なのである。ホシュ・ウヨクの言う「愛国心」には、
護国精神も無ければ、『恥の文化』精神も無いということだ!

053-1276
科学の中に紛れ込んだ『法』は、「法」と呼ばれることはなく、科
学の一構成要素であるかのように扱われるが、実際には、科学的事
実ではないし、科学の真理でもない、非科学の異物である。

053-1277
それが証拠に、復讐裁判の事後法の如く、都合のいいように変えら
れてしまうことが珍しくない。温室効果の発生メカニズムの説明が
コロコロ変わっていったのも、別に驚くべきことではない。

053-1278
そして、『北極海氷の減少の影響』が『温暖化の更なる加速』から
『厳冬の原因』に変わってしまったのも、別に驚くべきことではな
い。

053-1279
さらに、温暖化が進むと冬はエルニーニョ(→暖冬)になりやすくな
るはずだったのに、今冬のように逆にラニーニャ(→厳冬)になって
も平然としていられるのも、別に驚くべきことではない。

053-1280
そもそも、『法』は法則のように結果を決定付けるものではない。
結果を期待して定められたものである。もっとも、定めるだけでは
期待した結果が得られない場合がほとんどだ。

053-1281
たとえば、制限速度を定めても、それを守らない者が必ずいる。そ
こで、罰則を設けるわけである。刑罰という恐怖を利用して、期待
する結果を得ようとするわけだ。

053-1282
それでも守らない者はいる。それぐらい、法というものは守られな
いことがあるものなのである。守られない場合があっても、存続し
続けることができる。それが、法というものなのである。

053-1283
だから、科学の中に紛れ込んだ『法』も、それを守らない事実があ
っても存続し続けることができるのである。つまり、科学の中に紛
れ込んだ『法』は、反証不可能なものなのである。

053-1284
もちろん、こんなものは科学ではないし、法則や定理でもない。だ
が、少なからぬ人たちは、科学の中に紛れ込んだ『法』のことを、
法則や定理だと思い込んでしまっているから、厄介なのである。

053-1285
物質は、『法』は守らないが、法則や定理は必ず守る。従って、法
則や定理を守らない事実というものは、あり得ない。一方、『法』
を守らない事実というものは、いくらでもあり得る。

053-1286
よって、それを守らない事実がある場合には、「それは法則や定理
ではなく『法』である」と疑ってかからなければならない。それを
しない者に、科学を論じる資格は無い。

053-1287
もうお気づきのように、地球温暖化説やそれを支える自称「科学」
は、法則には基づかず、代わりに「法にのみ基づく」、そういう世
界なのである。だから、反証されることが無いのだ。

053-1288
科学の中に紛れ込んでいる『法』は、法や定理によく似た姿をして
いるものが少なくない。実際、法や定理を手本にして創作されてい
るのである。中には、部分的に継承しているものさえある。

053-1289
つまり、科学的事実や科学の真理といったものを元ネタにして、フ
ィクションを創作しているわけである。よって、これは『批判的継
承』の一種と言えるのである。

053-1290
御存知のように、批判的継承はマルクス主義の中心的教義の一つで
ある。このような手口を用いる(あるいは、用いさせる)「法」狂い
人間どもの正体は、もはや明白であろう。

053-1291
彼らは、正統科学をネタにしながら、話を、どんどん、非科学・反
科学の方へ脱線させていく。それも、わかりやすい説明によって。
だから、半可通の人間が最も騙されやすいのだ。

053-1292
よく通じている者は、話の脱線に気付くので、騙されない。一方、
全く通じていない者は、ネタとなる正統科学のことを全く知らない
ので、話についていけず、敬遠する。だから、洗脳はされない。

053-1293
ところが、半可通人間は、正統科学のことをなまじ知っているため
に、話についていってしまう。しかも、それでいて、話の脱線を見
破れるだけの学識は無いので、完璧に洗脳されてしまうのだ。

053-1294
また、概して半可通人間は、変な自信があって、プライドが高い。
だから、自分の浅はかさを認めたがらない。まあ、そんな人間だか
らこそ、半可通人間のままでいられるのだ。

053-1295
それ故、騙そうとする側からすれば、絶好のカモなのである。しか
も、半可通人間は、概して、自分が身に着けた(実は誤った)教義を
自慢して広めたがる傾向があるので、余計、都合がいい。

053-1296
このように、半可通人間が最も疑似科学に騙されやすいのである。
ちなみに、「法」狂い人間には、自然科学に関して半可通な人間が
多いようである。

053-1297
それ故、「法」狂い人間たちは、世間を騙しているのではなく、本
気で「正しい」と思っていることを説いているのかもしれないので
ある。こればかりは見分けがつきにくく、確かなことは言えない。

053-1298
だが、それはどちらでもいいことであって、重要なのは、「法」狂
い人間たちのいう「科学」が、法則には基づかず、法則のように見
える『法』に基づいているニセ科学であるということである。

053-1299
さて、そうなると必要になってくるのが、法則と法の見分け方であ
ろう。法則は分野を超えて通用するが、法は特定の分野にしか通用
しないという違いがある。

053-1300
たとえば、天動説に出てくる周転円なるものは、天界を対象とする
分野では通用するが、下界を対象とする分野では全く通用しない。
それが法則ではなく法(に基づくもの)だからである。

053-1301
周転円は、元々、惑星の逆行運動などを説明するために導入された
アイデアであった。つまり、天動説を保護することを目的に制定さ
れた法だったのである。

053-1302
それが証拠に、下界では周転円を支持するような現象は起らない。
下界では通用しない。故に、下界は対象としない。天界だけを対象
とする。そんな御都合主義が可能なのは、それが法であるからだ。

053-1303
これに対し、ニュートン力学は、下界を対象とする分野でも、天界
を対象とする分野でも、通用する。それが、法ではなく、法則から
なる理論だからである。

053-1304
法則は普遍的なものであり、故に再現性が必ずある。周転円は、下
界では再現性が全く無く、故に普遍的なものとは言えないのである
から、法則ではなく、法にすぎない。

053-1305
ちなみに、望遠鏡が発明されると、木星の衛星の運動の観測が可能
になったのだが、それにより周転円の存在を示す証拠が見つかるこ
とは無かった。

053-1306
つまり、天界の分野においても、その再現性(→正当性)が怪しくな
ったのである。そこで、「法」狂い人間たちは、司法すなわち宗教
裁判という暴力装置を用いて粛清を図ったのである。

053-1307
このように、科学の議論で自分たちが危うくなると、本業に戻って
「警察」となるのが、「法」狂い人間というものなのである。この
ような連中は、科学から完全隔離しなくてはならない!

053-1308
それはともかく、ニュートン力学が天動説を滅ぼし、地動説を勝利
させたことは、なぜか学校教育では教えられていない。これが、法
則を軽視する人間が多い原因なのかもしれない。 

053-1309
ニュートン力学の本当の偉大さは、微積分などの高度な数学の使用
にあるのではなく、『万有引力の法則』に代表されるように、万物
に対して通用する理論であることなのである。

053-1310
つまり、天界・下界の区別なく通用する理論なのである。法則とは
万物に対して通用するものでなければならないのであり、故に、周
転円は、法則でもなければ、法則に基づくものでもないのである。

053-1311
実際、ニュートン力学は周転円を反証(否定)するものであり、それ
により天動説は葬り去られてしまったのである。つまり、法則とい
うものの発見により、天動説は葬り去られたのだ。

053-1312
法則は、周転円(→天動説)を葬り、地動説と楕円軌道を支持した。
法則は、科学と非科学を分けるものである。法則は普遍的なものだ
が、法は御都合主義的なものでしかない。

053-1313
法というものは、それが無いと困ったことになるから制定するもの
である。周転円も、それが無いと天動説が困ったことになるから制
定していたのだ。

053-1314
もっとも、それが命取りになったわけであるが、では、なぜ天動説
は周転円なんかに頼る必要があったのか? それは理論が根本的に
間違っていたからであるが、ならば、なぜ間違えたのか?

053-1315
それは、見かけを実態と取り違えてしまったからである。実は、法
を必要とする自称「科学」は、見かけを実態と取り違えてしまって
いるものがほとんどなのである。

053-1316
『見かけの世界』は『実態の世界』とは異なるので、法則では説明
がつかない現象に遭遇することがある。このため、それを説明する
ために(法則を装った)法が必要になるのである。

053-1317
天動説の場合も、天が動いているという見かけを実態と取り違えた
ために、惑星の逆行運動という非常識な現象が起きることになって
しまい、これを説明するために周転円という法が考案されたのだ。

053-1318
この周転円なる法が、実は『数学』の産物であるということを認識
している人は、極めて少ない。周転円という法は、実は結果合わせ
のための『数学トリック』だったのだ。

053-1319
これは、数学(数式)が使われていても科学であるとは限らないとい
うことを意味している。と同時に、数学が使われているからといっ
て法ではないとは言い切れないということをも意味している。

053-1320
数学(数式)は、科学と非科学を分けるものではなく、また、法則と
法を分けるものでもない。天動説(周転円)という反面教師は、この
ことを教えてくれているのである。

053-1321
天動説(周転円)については、もう一つ、知っておかなければならな
いことがある。それは、観測事実すなわちデータを100%尊重する
理論であったということだ。

053-1322
つまり、都合の悪いデータ(事実)を無視したり、隠蔽したり、改竄
したり、統計トリックなどで無効化したりするといったことは、一
切しなかったのである。データの扱いに不正は全く無かったのだ。

053-1323
実際、天動説は、楕円軌道の考え方が導入されていないコペルニク
スの地動説よりも精度(観測データとの一致)が良かったのだ。その
ような理論のことを「非科学的」とけなすことができるだろうか?

053-1324
地球温暖化説を支持しているのなら、数学が用いられており、なお
かつ、観測データとよく一致する理論である天動説のことを「非科
学的」などとけなすことは、絶対にできないはずである。

053-1325
それはともかく、間違った原理に基づく間違った理論であるにもか
かわらず、その予言が観測事実(データ)とよく一致するのは、両者
の矛盾の解消のために数学が用いられているからである。

053-1326
数学は、矛盾解消の極めて強力な手段となり得るものである。従っ
て、数学がどのような目的で使用されているかをまず調べる必要が
あるのである。

053-1327
天動説の周転円は、数学を矛盾解消のために使用したことで生まれ
たものである。数学が用いられているとはいえ、法則という原理か
ら導かれたものではなかったのである。

053-1328
このように数学が矛盾解消のために用いられている場合、それを正
当化してくれる物の存在が証明されない限り、それは不正なトリッ
クということでしかなくなる。

053-1329
実は、周転円や導円を正当化するために、天体がそれらに従って運
動するようにしてくれるレールのような物が宇宙空間に存在すると
する説が提唱されたことが、あるにはあった。

053-1330
だが、望遠鏡は、宇宙空間にそのような仕掛けが存在することを支
持してはくれなかった。この時点で、周転円が数学トリックにすぎ
ないことが明らかになってしまったと言えよう。

053-1331
周転円が数学トリックでしかない以上、天動説は間違った説という
ことになる。では、間違いの原因はどこにあったのかというと、こ
の説が基づく二つの原理にある。

053-1332
一つは『地球は宇宙の中心にあって静止している』であり、もう一
つは『天体の軌道は真円または真円の組み合わせである』となる。
そこで問題なのは、なぜこのようなものを原理としたのか?だ。

053-1333
順序が逆になるが、まず後者から見ていくと、これには『天は完全
なものでなければならない』とする西方キリスト教の思想が反映さ
れている。(『西方』というところが重要!)

053-1334
つまり、これは聖書にあるものではなく、個々の天体を神々と結び
付けるという欧州の土着文化が紛れ込んだものなのだ。たとえば、
木星を最高神ゼウス(ジュピター)とするという具合に。

053-1335
このように、欧州人にとって、天界は神々の世界なのであるから、
天体の軌道の形も、真円という完全な形(の組み合わせ)でなければ
ならないということになるわけである。

053-1336
宗教には無いものを、宗教のものとして振りかざし、科学に圧力を
かけ干渉する。欧州人には、文化を歪めたり破壊したりしたがる悪
い癖が昔からあるわけである。

053-1337
これに対し、前者の原理(地球は宇宙の中心にあって静止している)
は、民族性とは無関係な思い込みであり、これぞ、まさしく、見か
けを実態と取り違えた錯誤の産物である。

053-1338
見かけと実態との取り違えは、観測や実験などによって得られた事
実(データ)に対する『解釈の誤り』から生じるものである。解釈の
存在は、とかく無視されがちな重要問題である。

053-1339
観測(や実験)がどんなに公正なものでも、解釈を誤ると、とんでも
なく間違った結論に到達してしまう。天動説は、その最もわかりや
すい例なのである。

053-1340
天動説はキリスト教から出た説ではない。キリスト教が現れる前か
ら存在していた説なのであって、観測結果を基に考案された科学の
学説だったのである。

053-1341
しかも、その原理(の一つ)となっている『地球は宇宙の中心にあっ
て静止している(天の方が動いている)』という教義も、実は、観測
結果から導かれたものなのである。

053-1342
観測結果に基づき、科学的に導かれたはずなのに、なぜ誤った教義
(原理)になってしまったのか? それは、観測結果の解釈を誤った
からである。解釈とは、かくも大きな問題なのだ。

053-1343
意外に思われるかもしれないが、解釈を誤らないようにすることが
できる方法というものは、実は存在しないのである。従って、一つ
の解釈だけを信じきっていてはいけないのである。

053-1344
なぜなら、その解釈は間違っているかもしれないからである。従っ
て、別の解釈が他にないかどうか、十分考えるようにしなければな
らない。

053-1345
もうお気づきのように、地動説は、同じ観測結果に対し、天動説と
は『別の解釈』をすることにより導かれたものである。この『別の
解釈』をしたおかげで、人類は正解を得ることができたのだ。

053-1346
そして、この『別の解釈』を弾圧しようとしたのが、ガリレイらを
裁こうとした連中なのである。つまり、科学に暗黒時代をもたらし
たのは、『他の解釈を認めない主義』だったのだ。

053-1347
これは、別の言い方をするならば、『まるで一神教のごとく、ただ
一つの解釈しか認めない主義』ということである。これは、その人
間の思い上がり以外の何物でもない。

053-1348
なぜなら、それは「俺様の解釈に間違いなどあるわけがない」とい
うことだからである。これは、自分が支持する解釈の検証を拒んで
いることに他ならない。全く反科学的な態度である。

053-1349
解釈にも検証は必要である。もっとも、それ以前に、『観測や実験
(の結果)には、必ず解釈を必要とする』ということをまず悟る必要
があるだろう。

053-1350
観測や実験の結果というものは、実は『見かけ』なのである。物事
の一部や一面を主観的に捉え示しているに過ぎない。だからこそ、
観測結果から天動説を導くことが出来たのである。

053-1351
もっとも、「主観的」といっても、人の先入観や心理的なものが影
響するということではなく、相対性などが影響するということであ
る。運動の場合なら、『系』の問題である。

053-1352
一つの運動を、異なる系から観測すると、系によって観測結果は違
ってくる。これが、ここで述べた「主観(的)」の意味である。そこ
で、天動説の根拠となった観測のことを考えてみて欲しい。

053-1353
その観測は、自転し、なおかつ、太陽の周りを公転する惑星(地球)
の地表で行われたものである。そのような系での観測結果は、どの
ようなものになるであろうか?

053-1354
それは、太陽をはじめとする全ての天体が地球の周りを回っている
と解釈することが可能な観測結果になるはずだ。天動説は、この観
測結果をそのように解釈して導かれたのである。

053-1355
その解釈は、へそ曲がりな解釈ではなく、牽強付会的な解釈でもな
く、偏見や拘りが感じられるような解釈でもない。極めて素直な解
釈なのであって、非科学的と言えるようなところは全く無い。

053-1356
にもかかわらず、その解釈は間違っていたのである。これが、解釈
の怖いところである。悪意や怠慢等が無くても、間違えることがあ
る。それが、解釈というものなのである。

053-1357
従って、天動説を唱えた者(天動説流の解釈をした者)のことを責め
ることはできない。悪いのは、天動説流の解釈しか認めなかった連
中なのである。

053-1358
彼らは、ただ一つの解釈しか認めない(他の解釈を認ない)連中であ
る。一方、世の中には、ただ一つの解釈しか認めないことを誇りに
している人たちがいる。それが『法学系』の人たちなのだ。

053-1359
法学系の人たちは、彼らの御専門である法に関して、ただ一つの解
釈しか認めない。たとえ、それがどんなに問題のある解釈であった
としてもだ。

053-1360
これは致し方ない。法に複数の解釈を許してしまったのでは、社会
に混乱を招いてしまう。法の場合、解釈とは、その具体性を示すこ
とになることが多いわけであるから。

053-1361
それ故、複数の解釈が存在することは、(同じ件に関し)複数の決ま
りが存在することと実質同じことになってしまうわけである。これ
では、法は恣意的で御都合主義的なものになってしまうだろう。

053-1362
それ故、法に関しては、たとえ悪解釈であったとしても、解釈は一
つだけに限定せざるを得ないわけである。問題は、そうした解釈の
限定主義を、法以外のことにまで適用したがるバカがいることだ。

053-1363
彼らは、科学の活動である観測や実験の解釈に、『一つに限定』主
義を押し付けるのである。それも、彼らが気に入った解釈しか認め
ない限定主義を…である。

053-1364
天動説の例でもわかるように、解釈というものは、たとえ邪心や怠
慢が無くても誤ることがあるものなのである。従って、一つの解釈
しか認めないというのは、とんでもない非道なのである。

053-1365
なぜなら、その『一つに限定』された解釈は間違っているかもしれ
ず、逆に、それ以外の排斥された解釈の中に正しい解釈があるかも
しれないからである。

053-1366
つまり、このバカ者どもは、間違った解釈への信仰を強制し、正し
い解釈を葬り去っているのである。彼らは、科学の敵であり、真実
と真理と正義の敵である!

053-1367
観測や実験の解釈で最も重要なのは、その正しさであって、断定の
早さではない。従って、間違った解釈を採って正しい解釈を葬って
しまうよりは、複数の解釈が存在する方がまだましなのである。

053-1368
ところが、世の中には、自分たちの世界の流儀を押し付けたがる傲
慢な連中がいるのである。彼らは、一つの解釈しか認めない。複数
の解釈が存在することが我慢できない。

053-1369
だから、たとえそれが間違った選択肢であったとしても、また、そ
のせいで正解が葬り去れることになるとしても、解釈は自分たちが
選んだ『一つ(のもの)に限定』してしまおうとするのである。

053-1370
そして、ひとたび、解釈の選択肢を一つに定めると、その後は選択
肢の変更を絶対に許さない。そんな偏執狂みたいなことができてし
まうのが、『法狂い』人間というものなのである。

053-1371
法は原理となるものである(∴解釈の変更は許されない)が、観測や
実験は原理となるものではない(∴正しい解釈への変更は許される
はず!)。

053-1372
また、観測や実験には『見かけ』という概念がある(∴学識が十分
にあっても解釈を誤ることがある)が、法には無い。法の解釈誤り
は、大抵、無知からくるものだ。

053-1373
そういえば、『法狂い』人間たちは、憲法9条の解釈の変更を絶対
に許さない。従来の解釈が正しいことを証明する証拠が無いにもか
かわらず。科学とは全く異質な態度だ。

053-1374
憲法9条の従来の解釈は、憲法をつくった人たちや承認した人たち
からお墨付きをもらったものではない。後世の人間たちの御都合に
よる解釈である。にもかかわらず、絶対視しているのだ。

053-1375
こうしてみると、法の解釈というものは、真意よりも御都合が重視
されることがわかってしまう。そんな流儀を科学の観測や実験の解
釈に持ち込まれたのでは、たまったものではない。

053-1376
ちなみに、御都合による解釈とは、結局のところ、初めから結論あ
りきの解釈ということである。つまり、それは、その人が望む結論
のための解釈ということに他ならない。

053-1377
このように、法の解釈というものは、その人が望む結論に到達する
ための主張でしかないのである。これは、実に異常な解釈である。
芸術(作品)の解釈と比較しても、異常だ。

053-1378
ちなみに、芸術の解釈では、自由や多様性が認められており、確か
な証拠が無い限り、『一つの解釈しか認めない』主義はとらない。
法より芸術の方が謙虚さが感じられるというものではないか?

053-1379
そもそも、法に解釈が存在するということ自体、おかしなことであ
る。解釈が可能なのは、わからないところがあるか、そうでなけれ
ば、曖昧なところがある場合である。

053-1380
ちなみに、法則には解釈という概念は無い。わからないところや曖
昧なところがあるようなものは、法則ではないからだ。こんなとこ
ろからも、法と法則は全く異なるものであることがわかるはずだ。

053-1381
一方、観測や実験については、その結果が何を意味しているのか、
単純には言えない(判断できない)ことがある。つまり、複数の可能
性が考えられる場合があるのである。

053-1382
ここで言う『複数の可能性』とは、複数の異なる結論または見解の
ことである。つまり、ものの見方・考え方次第で、結論や見解が違
ってくる(∴複数生じてしまうことになる)ということである。

053-1383
そして、この『ものの見方・考え方』こそ、『解釈』のことなので
ある。つまり、観測や実験の結果というものは、解釈次第で異なる
結論や見解が生じてしまうことがあるものなのだ。

053-1384
そして、複数存在する解釈のうち、どの解釈が正しいのかについて
は、その観測や実験だけからは判断不可能(∴『一つの解釈』に絞
ることは不可能)な場合がほとんどなのである。

053-1385
従って、『一つの解釈しか認めない』主義は、公正さを欠く主義に
しかならないのである。法の世界の流儀の押し付けが、如何に反科
学的な干渉行為になるか、これでおわかりいただけたはずだ。

053-1386
法学系人間や『法狂い』人間たちに科学を仕切らせたり、科学を扱
わせたりしては絶対にならない。それを許した途端に科学は死に、
嘘が原理となって世の中を支配するようになるからだ。

053-1387
そもそも、法とは、真実や真理ではなく、また、それらを解明する
ためのものでもない。『人が何かを治める』ためのものである。対
して、科学は『人が何かを治める』世界ではない!

053-1388
『一つの解釈しか認めない』主義は、その解釈に都合の悪い結果が
出る(おそれのある)検証を「無意味」とか「無駄」と信じ込ませる
ことで、これを封じ込めようとする卑劣な手段でもある。

053-1389
そもそも、解釈を一つに限定してしまうのは、他の見解を許したく
ないからであるのだから、公正さを目指す検証を妨害したがるのは
当然のことと言える。

053-1390
法の解釈の真偽・正誤の判断は、検証によって行われるものではな
い。そもそも、法の解釈は、検証のしようがない。法の場合、その
真意がわからないから解釈というものが存在し得るのである。

053-1391
真意がわかっていたら、解釈をする必要はないはずだ。真意がわか
らないから、解釈をするのである。真意がわからない状況で、検証
ができるわけがない。

053-1392
法の場合に限らず、解釈とは推理でしかなく、故に、その結論は仮
説でしかないのだ。従って、間違っている可能性があるのである。
だから、十分な検証が必要なのである。

053-1393
観測や実験の場合、更なる別の観測や実験を行うことにより、解釈
の検証が可能である。だが、法の場合は、運良く、別の資料が見つ
かる等しない限り、解釈の検証は不可能である。

053-1394
もっとも、それ以前に、『一つの解釈しか認めない』主義がとられ
ている社会の場合、検証を行うことが拒否されたり、検証結果が無
視されたりするのが実情である。

053-1395
観測や実験の解釈では、正しさが第一とされる。だが、法の解釈で
は、統一が第一とされるのだ。解釈がバラバラであったり、マチマ
チであったりしたのでは、混乱が起きてしまうからである。

053-1396
だからこそ、法の解釈の流儀を、観測や実験の解釈に持ち込んでは
絶対にならないのである。ところが、呆れたことに、それを禁じる
(あるいは、防ぐ)法は存在しないのである。

053-1397
このように、法というものは、法を仕切っている者たちは規制の対
象にはしないものなのである。法というものが如何に人間的なもの
であるかが、よくわかるだろう。

053-1398
法は、特権階級が存在する証である。つまり、その特権階級が事を
仕切ってしまう世界なのである。従って、客観性と公正さが求めら
れる科学の世界とは正反対の世界なのである。

053-1399
法は人が決めるものだが、法則は人が決めるものではない。また、
法には悪法が存在するが、法則には悪法則は存在しない。間違った
法則というのはあるが、それは腐った人間社会でしか通用しない。

053-1400
つまり、物質の世界では通用しない。同様に、間違った解釈は、物
質の世界では通用せず、腐った人間社会でしか通用しない。なぜな
ら、それは見かけにすぎず、実態ではないからだ。

053-1401
自分が信じている解釈について、「これは、もしかしたら、実態で
はなく、見かけかもしれない」と疑ってみることを一度もしない者
は、ガリレイを宗教裁判にかけた連中と同種の人間である。

053-1402
法にも、正しい解釈と間違った解釈がある。たが、『見かけ』とい
う概念は無い。このことが、解釈における見かけと実態の取り違え
という問題の重要性に対する理解を妨げているように思われる。

053-1403
『見かけ』という概念が無いということは、異なる見方はしないと
いうことである。これは、見方まで規定されているというよりも、
そもそも法は見るものではないということなのである。

053-1404
観測や実験は未知を解明するために何かを見る行為であるが、法は
未知の解明とは無関係なものなのだから、何かを見るということを
するわけではない。従って、見かけという概念も登場しないのだ。

053-1405
見かけを実態としてしまう解釈は間違った解釈なのだが、見かけと
いう概念が無い分野の人たちには、どうも、このことが理解できな
いようである。それとも、理解したくないだけなのか。

053-1406
解釈の真偽正誤は、本当は検証によらなければならない。だが、残
念ながら実際には、それを主張あるいは支持する者の権威や地位、
権力といったものによって決められてしまうことが少なくない。

053-1407
しかも、今日では、それに加えて、研究予算配分等の権限を握って
いる政治家どもや、宣伝力を有するマスコミ・メディアの影響力が
とんでもなく強くなってしまっているのである。

053-1408
このため、正しい解釈は淘汰され、間違った解釈が世にはばかりが
ちな状況になっているのである。つまり、見かけを実態としている
解釈が科学的事実とされやすい世の中になってしまっているのだ。

053-1409
つまり、科学にとって最も危険な存在となるのは、『法狂い』人間
たちと『表現狂い』人間たちなのである。前者が間違った解釈を戒
律化し、後者が宣伝・布教するのだ。

053-1410
一つの解釈に固執するのは、偏執狂のすることである。また、一つ
の解釈だけで満足してしまうのは、怠け者のすることである。そし
て、一つの解釈しかできないのは、能無しの証である。

053-1411
間違った解釈に固執するのは、一種の現実逃避である。なぜなら、
それは見かけへの固執ということであり、故に、実態(=現実)から
の逃避ということになるからである。

053-1412
従って、見かけを実態として説いている解釈を信用してしまうこと
は、そのような解釈をしてしまうことと同じくらい恥ずかしいこと
なのである。(つまりは、同罪ということ。)

053-1413
とはいえ、それが見かけなのか、それとも実態なのかを見分けるの
は、専門家でも容易ではないことが少なくない。だからこそ、安易
な断定や信用は絶対に禁物なのである。

053-1414
『一つの解釈しか認めない』主義は、『安易な断定』に他ならない
のであるから、絶対にやってはいけないことなのである。だが、気
候変動の分野では、それが常識となってしまっているのだ。

053-1415
地球温暖化説をはじめとする政治的疑似科学の世界では、見かけを
実態とする解釈による騙しが常套手段となっている。多くの人は見
かけを見かけだと見抜くことができないからだ。

053-1416
実際に起きた異常気象を「地球温暖化の影響」とする見解は、どれ
も見かけを実態としてしまっている解釈ばかりである。しかも、過
失ではなく故意であるケースが圧倒的に多い。

053-1417
つまり、見かけにすぎないことを実態、すなわち、科学的事実と解
釈することで「地球温暖化のせい」とこじつけていくわけである。
天動説の場合と根が全く同じ論法である。

053-1418
『見かけ』は、それが見かけとは知らない人には、客観的証拠に思
えてしまうものである。だから、ニセ科学の騙しのネタとしては、
最高のネタになるのである。

053-1419
円錐形も、底面だけからしか見ないと、(たとえば)円盤に見えてし
まう。この「円盤」という見解こそ、見かけを実態としてしまった
解釈である。

053-1420
「百聞は一見に如かず」というが、その「一見」で見たものが『見
かけ』であった場合は、『実態』を見たことにはならない。自分が
見たものが見かけではないかどうかを確かめる必要がある。

053-1421
一方、「人は見かけによらぬもの」というのがあるが、それは人に
限ったことではなく、物や現象にも言えることなのである。『見か
け』は『思い込み』である可能性が十分にあり得るものなのだ。

053-1422
「科学の眼」などという表現を振り回す者たちが世間にはいるよう
だが、科学の眼をもってしても、捉えられるのは、実は、見かけな
のである。これが現実なのであり、実態なのだ。

053-1423
見かけを実態としてしまっている解釈は、明らかに、因果関係や原
因の解明が誤っている解釈である。天動説でも、天体が動いている
ように見えることの原因の解明を誤っていた。

053-1424
つまり、地球の方が動いて(回って)いることがその本当の原因なの
に、天の方が動いていることをその原因としてしまったのである。
このように、原因を取り違えた解釈が天動説の論拠だったのだ。

053-1425
そして、原因を取り違えることになってしまった原因は、見かけを
実態としてしまったことなのである。このことがわかれば、原因が
デタラメな説を「科学」にしてしまう手口も見えてくるだろう。

053-1426
つまり、原因がデタラメな説に都合が良い『見かけ』を「実態」と
して「科学的証拠」とするわけである。天動説の場合、本当は『見
かけ』だった観測結果が「実態」とされたのだった。

053-1427
地球上からの観測結果は、それを見かけとは思わずに実態だと思い
込んでしまっていた人たちにとっては、天の方が動いていることが
一目でわかる極めて合理的な証拠であったのだ。

053-1428
当時は地球上以外からの観測は不可能であったのであり、また、物
理(力学)法則というものも知られていなかったのであるから、その
ように誤解するのは、まだ同情できることであった。

053-1429
つまり、見かけであることを「見かけである」と証明する手段が無
かったのであるから、これは過失であって故意ではない。対して、
原因がデタラメな説を唱える者たちのそれは、故意である。

053-1430
彼らは、(自分たちに都合がいい)見かけを実態と偽って譲らない。
見かけが見かけではないかどうかの検証を許さない。さらに、自分
たちに都合がいい見かけを創作することまでする。

053-1431
それは、『都合のいい光景』とセットで現れる『都合の悪い光景』
を無視または隠蔽するという手口である。つまり、『都合のいい光
景』しか見らることはないということにしてしまうわけである。

053-1432
ここで、『都合の悪い光景』とは『実態がわかってしまう光景』の
ことである。また、『都合のいい光景』とは『多くの人が実態とは
異なる誤った認識をしてしまいがちな光景』のことである。

053-1433
もちろん、正しい解釈の場合は、『都合のいい光景』が『実態がよ
くわかる光景』となり、『都合の悪い光景』は『誤解を招きやすい
光景』となるが、ならば後者を見かけとすれば済むことのはずだ。

053-1434
ところが、彼らは「見かけ」と説くことはぜずに、無視したり隠蔽
したりするのである。そんなことをするのは、その『都合の悪い光
景』が『実態がわかってしまう光景』だからである。

053-1435
隠す必要などないはずのものを隠すのは、それが真実や真相がわか
ってしまうものだからである。つまり、これは焚書(ふんしょ)と同
類の行為なのだ。

053-1436
地球温暖化論者たちが『地球規模的かつ持続的な温暖化の証拠』と
しているものは、実は『局所的で一時的な高温現象』でしかないの
だが、これもまた『見かけ』を「実態」とするトリックの一種だ。

053-1437
高温が局所的で一時的な場合は、他のエリアや時期が低温になって
いるものだ。従って、地球規模や持続性の問題においては、『局所
的で一時的な高温現象』は見かけにすぎないことになる。

053-1438
つまり、彼らは、地球温暖化説に都合のいい『見かけ』を集めるこ
とを「研究(活動)」と言っているわけである。そして、この『見か
け』を「実態」と偽って「証拠」に仕立てているのである。

053-1439
『見かけ』というものは、それが情報として『真』であれば、それ
が「真実や真相を直接物語ってくれるものになるはずだ」と思われ
がちなものである。だから、厄介なのだ。

053-1440
『見かけ』は、情報としては『真』であったとしても、それから直
接短絡的に得られる結論は『偽』であるのが普通である。今一度、
天動説の教訓を思い出して欲しい。

053-1441
『見かけ』というものから『真』である結論を得るためには、その
ように見えてしまう『からくり』を解明しなければならず、そのた
めには、どうしても『想像力』に頼らざるを得なくなってくる。

053-1442
そこで問題が起きる。まず、想像力の無い学者は、『からくり』を
解明できず、一方で学者としてのプライドがあるものだから、『見
かけ』を見かけと認めない(実態だとする)態度に出るようになる。

053-1443
一方、想像力による『からくり』解明は、それだけでは仮説にしか
ならないのであるから、軽く見られやすい。加えて、多くの人は単
純なものを好むので、『からくり』が必要となる説は好まれない。

053-1444
そういうわけで、『見かけ』を『見かけ』とはせずに、短絡的に解
釈して『実態』としてしまう論の方が、断然、ウケがいいわけであ
る。地球温暖化説人気も、これに支えられているのだ。

053-1445
天動説の場合も、『見かけ』にすぎない観測結果を、短絡的に解釈
して、天の方が動いている証拠にしてしまった。この見方には何の
『からくり』も必要無く、単純である。

053-1446
対して、地動説では、観測拠点である地球の方が動くことになって
いるため、観測結果から実態を知るには座標等の変換という『から
くり』が必要となり、複雑になる。(だから、嫌われた。)

053-1447
多くの人は単純なものを好むので、『からくり』など無い短絡的な
解釈を好む。だから、局所的または一時的な気温や海水温の上昇等
の現象を「地球温暖化の影響」と短絡的に解釈するのを好む。

053-1448
これは、まさしく『見かけ』どおりの解釈と言える。天動説を狂信
した中世暗黒時代の人たちと全く同じ醜態である。否、都合の悪い
現象のことを無視しているのだから、それより酷い醜態である。

053-1449
ちなみに、彼らが短絡的解釈の対象にする現象は、前にも説明した
ように、温暖化とは逆の寒冷化(につながる気候不安定化)が原因で
起きる現象である。この逆さまぶりも、天動説とそっくりである。

053-1450
一方、彼らは、低温などの都合の悪い現象については、『見かけ』
どおりの解釈はせずに、『からくり』を用いる複雑志向の解釈に徹
する。この一貫性の無さには、つくづく呆れさせられる。

053-1451
解釈を複雑志向にするのは、低温などの都合の悪い現象を温暖化の
せいにすることができるからだが、その『からくり』は疑似科学的
で、実際には物理法則を無視したものになっている。

053-1452
このあたりも、周転円に依存した天動説にそっくりである。周転円
は、天体の逆行運動という『都合の悪い現象』を説明するための御
都合主義的(∴物理法則無縁の)『からくり』であった。

053-1453
このように、『見かけ』と『(物理法則無縁の)からくり』をうまく
使い分けるのが、地球温暖化説の騙しの手口の特徴なのである。そ
して、そこに、ある悩ましい厄介な問題があるのだ。

053-1454
それは、正統科学(⊃気象学)の分野においても『見かけ』や『(物
理法則無縁の)からくり』というものを用いることがあるというこ
とである。

053-1455
たとえば、地球の自転により気流の向きが変えられてしまう現象の
原因とされる転向力は、遠心力などと同様に、『見かけの力』とさ
れている。

053-1456
そうしたことをいいことに、気候ペテン師たちは『見かけ』を乱用
するわけである。『見かけ』を「見かけ」とことわることはせず、
「実態が一目でわかるもの」としてしまうのだ。

053-1457
つまり、『見かけ』を短絡的に解釈して、天動説の信者たちが陥っ
たのと同じ心理状態にして、デタラメな教義を信じ込ませるわけで
ある。

053-1458
従って、彼らが短絡的な解釈しかしない(『からくり』を設けない)
ものは、彼らにとって都合のいいもの、すなわち、『見かけ』だと
思って、まず間違いないのである。

053-1459
加えて、『見かけ』(の現象)というものは、天動説における天体の
逆行運動のように、物理法則に反することが起きているものである
から、『見かけ』であることが見抜けるものである。

053-1460
一方、既に述べたように、彼らが短絡的な解釈をしない場合に設け
る『からくり』理論も、物理法則に反するものになっている。つま
り、いずれの場合も、物理法則に則っていないのだ。

053-1461
従って、物理法則に則っているかいないかをチェックすれば、地球
温暖化論者たちのインチキは簡単に見破れるのである。だが、それ
を妨げてしまうのがある。それが、『法』崇拝精神なのだ。

053-1462
『法』を崇める者たちは、法則を尊重しない。福島第一原発事故損
害賠償訴請求訟裁判を担当する裁判官たちを見てもわかるように、
何しろ、事実さえ尊重しない連中なのだ。

053-1463
東電に責任ありとする証拠があるのなら、それにより国にも責任が
あることになるはずであり、国に責任は無いとする証拠があるのな
ら、それにより東電にも責任は無いことになるはずだ。

053-1464
ところが、最高裁は『東電に責任あり、国に無し』という審判を下
したのだ。有権者は、この二重基準裁判のことを次の国民審査の日
まで絶対に忘れてはならない。

053-1465
要するに、彼らにとって重要なのは、証拠(=事実)ではなく、「国
の責任で東電に賠償させる」とした『法』なのである。これが「法
にのみ基づく」論の実態だったということだ。

053-1466
ちなみに、法と法律はイコールではない。『法 ⊃ 法律』という関
係にあるのであって、法律は議会(国会)の承認が必要であるが、法
には、その必要が無いものも含まれる。

053-1467
この違いを忘れると、法の妖術にまんまと騙されてしまう。承認も
されていないものまでをも決まりとして受け入れてしまうことにな
るのだから。

053-1468
こうしてみると、なぜ彼らが科学の中に『法則を装った法』を埋め
込もうとしたがるのか、わかるだろう。法律(や法則)とは違って、
法は承認が不要(学会の承認も不要)だからだ。

053-1469
つまり、まともな科学者からは認められていないインチキ教義を、
権威に弱い人たちに「科学的事実」とか「科学の真理」と信じ込ま
せるための悪知恵なのである。

053-1470
法則は自然の摂理とでも言うべきものであるが、法は自然の摂理に
逆らわせようとするものである。たとえば、人には欲というものが
あるが、法は欲を規制しようとするものだ。

053-1471
従って、この点に着目するならば、法は実は法則とは正反対のもの
と言えるのである。正反対のものを混同するのは、あまりにも恥ず
かしいことのはずだ。特に、それが専門家の場合ならば。

053-1472
従って、『法則』と『法則を装った法』とを見分けなくてはならな
い。幸い、『法則を装った法』は『法則』と矛盾するので、まずは
『法則』との矛盾がないかどうかをチェックするのがコツだ。

053-1473
そして、もう一つ、チェックすべきことがある。それは、他の分野
でも用いられているかどうかである。というのは、『法則を装った
法』というものは、特定の分野でしか用いられないものだからだ。

053-1474
『法則を装った法』は、法則ではないし、法則に基づいてもいない
ので、普遍性が全く無い。それ故、他の分野では全く通用しないの
である。今一度、天動説の周転円理論のことを思い出して欲しい。

053-1475
周転円理論では、何も存在しない点の周りを物体(である惑星)が周
回運動することになっているが、地球上で物体が何も存在しない点
の周りを回るような運動をすることは無い。

053-1476
つまり、周転円理論は、地球上の物体には通用せず、天体にしか通
用しない理論だったのだ。このように、『法則を装った法』(によ
る理論)というものは、普遍性が無いのである。

053-1477
普遍性が無いから、御都合主義的なものでしかなく、その場しのぎ
的なものにしかならない。事実、周転円理論は、普遍的な法則に基
づくニュートン力学の登場により葬り去られた。

053-1478
『法則を装った法』を見破るには、法則に通じているのが一番であ
るが、法則に通じていなくても、普遍性の無さに気付けば、それを
見破ることが十分可能なのである。

053-1479
ちなみに、普遍性は再現性と関係がある。普遍性のうちの、ある特
定の場合のものが、再現性なのである。条件の全てが同じ場合に、
同じ結果が得られるのが、再現性である。

053-1480
これに対し、条件が同様の場合に、同じ結果が得られるのが、普遍
性である。つまり、条件の一部については、必ずしも同じというわ
けではないが、他は全て同じであるという場合の話である。

053-1481
たとえば、周転円理論は、天体に関しては再現性があるが、天体と
は異なる物体である地球上の物体に関しては再現性が無い。物体の
種類に関する条件が同じ(天体)である必要があるわけである。

053-1482
対して、普遍性のある理論であるニュートン力学(の法則)は、天体
でも地球上の物体でも再現性がある。つまり、物体の種類に関する
条件が同じである必要が無いわけである。

053-1483
周転円理論は、『対象となる物体が天体である』という特定の場合
には、普遍性のある理論であると信じられていた。その場合には再
現性があるように当時は思われたからだ。

053-1484
ところが、望遠鏡が発明されると、天体に関してさえ、再現性は怪
しくなってきた。ガリレイは木星の衛星の公転の様を見て、周回運
動には中心に物体が必要なのではないのかと疑い始めたのだ。

053-1485
つまり、何も存在しない点の周りを天体が回る運動をする実例を発
見できなかったのだ。一方、地動説と楕円軌道の考え方を受け入れ
れば、逆行運動等の問題は解消し、周転円は不要になる。

053-1486
つまり、地球上ではもちろん、宇宙でもお目にかかれない、不可解
な運動を必要とはしなくなるのだ。事実、ガリレイの考え方は正し
かった。このことから学ばなければならないことがある。

053-1487
それは、再現性の問題である。再現性は科学であることの条件であ
るが、特定の物体(あるいは、物質)に関してしか再現性が認められ
ない場合は、科学ではない可能性が大なのだ。

053-1488
しかも、その再現性が『ある特定の仮定』の上でしか認められない
場合は、まず科学ではない。周転円は「地球は宇宙の中心で静止し
ている」という仮定の上でしか再現性が認められないものである。

053-1489
要するに、特定のケースでしか再現性がないものは、科学ではない
可能性が高いのだ。ということは、『ニセ科学では特定のケースの
ことばかり話題にすることになる』ということだろう。

053-1490
もう少し具体的に言うと、たとえば『特定の物体や物質のことばか
り話題にしたがる』ということである。実際、地球温暖化説では、
海水や水蒸気のことばかりが話題になるのである。

053-1491
それ故、陸の影響については、一切触れないのである。また、水の
蒸発についても、海水の蒸発については執拗に触れるが、雲の蒸発
については全く触れないのだ。

053-1492
温度が上がると、雲は蒸発し、消滅する。従って、雨雲が発達しに
くくなり、大雨・豪雨は降りにくくなる。よって、温暖化と大雨・
豪雨とを結び付けることができなくなる。だから、触れないのだ。

053-1493
このように、ニセ科学というものは、話の対象を限定したがるもの
なのである。その理由は、真の科学ならあるはずの普遍性というも
のが無いからである。

053-1494
再現性については、話の対象を限定すれば、それがあるように見せ
ることがある程度可能なのであるが、普遍性については、話の対象
を限定するわけにはいかないので、不可能なのである。

053-1495
ちなみに、法則は再現性だけでなく普遍性もあるものなので、話の
対象を限定する必要が無い。以上のことから、話の対象を限定する
ものは法則ではあり得ないということがわかるはずである。

053-1496
そもそも、話の対象を限定すること自体、その話の対象となったも
のが「超常(現象)」と呼ばれるべき代物であることの決定的証拠で
あると言えよう。

053-1497
ただし、気象学の場合、この点について少々困った事情がある。そ
れは、気象に関してのみ通用する『法則ではないが、法則のような
もの』が存在することである。

053-1498
これは、気象学という学問が、物理学的考察よりも経験則が先行し
ていた学問であったからである。そして、その理由は、メカニズム
の解明よりも天気の予測の方が重要であったからだ。

053-1499
こうしてみると、気象学は古代の占星術と似ているところがある。
古代の占星術には、今で言う天文学等も含まれていた。つまり、科
学と非科学の区別がついていなかったのだ。

053-1500
その後、天文学等は、占星術から切り離され、科学として独立した
が、気象学の方は、そうした『非科学との完全な決別』はしてはい
ないように思える。

053-1501
それどころか、むしろ、その逆のことが起きているように思える。
非科学が次々と付け加えられ、気象学の主役になりつつあるのだ。
つまり、科学は飾りでしかなくなっているのである。

053-1502
実際、昔は無かった変な説明が増えている。これを「科学(気象学)
の進歩」などと思ってはいけない。それは経験則ですらなく、ただ
の創作(屁理屈やこじつけ)にすぎないのだから。

053-1503
『昔は無かった変な説明』は、まさしく『法則を装った法』の一例
である。故に、現実世界の現象については、『見かけ』に対してし
か通用しない。

053-1504
一方、ブラックボックス化されたシミュレータの世界では、『見か
け』以外に対しても通用するようである。やはり、法則よりもパラ
メータが支配的な非現実の世界だったわけである。

053-1505
それはさておき、気象学に昔からある経験則の中には、原因が同じ
複数の現象(結果)のうちの一つを、他の現象の原因にしてしまって
いるものが少なくない。

053-1506
たとえば、Aが原因でBとCという二つの現象が起きる場合に、B
をCの原因ということにしてしまうのである。BとCが一緒に起き
ているのなら、そのように誤解しても無理はあるまい。

053-1507
もちろん、BをCの原因にしてしまうと、物理学的な説明がつかな
くなってしまうのであるが、多くの人は物理に興味が無いので、こ
の問題は無視されてしまうわけである。

053-1508
それに、現象Bの方が現象Cよりも先に顕著化する場合は、Bを知
ることでCを予測することができるわけであるから、予測の方法と
して役立つことになり、信仰や崇拝の対象となるわけである。

053-1509
とはいえ、Cの原因は本当はBではないので、予測が外れることも
少なくないわけである。特に近年のように気候不安定の時代には、
なおさらである。

053-1510
ところが、信者や崇拝者たちは、この予測精度の低下の原因を「地
球温暖化による予測不能化のせい」とする説に賛同してしまうので
ある。やはり、類は友を呼ぶということか。

053-1511
もっとも、気象予報の分野では、本当の原因であるAからC(やB)
を予測するよりも、本当の原因ではないBからCを予測する方が格
段に楽で速い場合が多いので、そうなってしまうのだろう。

053-1512
確かに、実務に便利な予測手段は捨てがたい。しかし、だからとい
って、原因が本当は正しくない説であることを忘れてニセ科学に賛
同するのは、専門家として、あまりに情けないことであろう。

053-1513
それはともかく、本当の原因ではないBは、まさしく、『見かけ上
の原因』ということができよう。そう、またしても『見かけ』偏執
病である。よっぽど『見かけ』がお好きなようだ。

053-1514
人(物)を評価する場合、中味で評価するよりも、『見かけ』で評価
する方が、断然、容易である。『見かけ』大好き人間たちは、科学
においても楽をしたがる怠け者なのだ。

053-1515
『見かけ』大好き人間たちは、実態や中味といったものを知りたが
らない。だから、物理や法則にも無関心。自分たちが期待する結論
に到達するのに役立つ『法』にしか関心が無い。

053-1516
『見かけ』を好む傾向は、程度の差こそあれ、誰でも見られる傾向
ではある。とはいえ、けじめは必要であろう。まして、それにより
騙され、虐げられ、搾取されるともなれば。

053-1517
それはともかく、『見かけ』大好き人間が『法』大好き人間である
というのは、実に興味深いことである。なぜなら、『見かけ』好き
と『法』好きとの間に関連性があることになるからである。

053-1518
つまり、『見かけ』大好き人間は、自らの見解の正当性を装うため
に『法』を利用し、『法』大好き人間は、自らの『法』の有効性を
装うために『見かけ』を利用するわけである。

053-1519
そういえば、福島第一原発事故関連の民事裁判では、実質事後法裁
判であるという非道を目立たなくするために、『見かけ』トリック
が用いられている。

053-1520
それは、「異常に巨大な天災」の基準を、常識的なものから、非常
識なものに変えてしまうというトリックである。これなら、文は変
わらないので、『見かけ』上は法を変えたことにはならない。

053-1521
従って、『見かけ』上は事後法裁判にはならない…というわけであ
る。このあまりにふざけきった論理こそが、今時の法曹界の論理な
のである。完全に腐れきっている!

053-1522
要するに、『見かけ』で世間を騙すのが、今時の法学系人間たちの
やり方なのである。こんな連中が科学を仕切るようになれば、科学
が中世の暗黒時代のようになるのは当然のことであろう。

053-1523
彼らにとって実態とか真相といったものは重要ではないのであり、
彼らの『法』こそが何よりも重要なのである。だから、彼らは『計
画』とか『戦略』といったものが大好きなのである。

053-1524
彼らは、全ては自分たちの法に従うと思っているので、全ては自分
たちの計画や戦略どおりに事が進むと信じているのである。完全に
頭がいかれているとしか言いようがない。

053-1525
事実、物事は計画や戦略どおりにはいかないことが多いのだが、彼
らは、あたかもうまくいっているかのように装ったり、宣伝したり
する。これは、まさしく、『見かけ』を用いた騙しである。

053-1526
このように、『法』好きと『見かけ』好きとは、切っても切れない
関係にあるのである。故に、科学の敵なのである。法学部出身者が
科学を仕切ると科学が死ぬ理由が、おわかりいただけたと思う。

053-1527
『法』は疑似科学に論拠と権威を与え、『見かけ』は疑似科学に証
拠を与える。故に、どちらも政治的疑似科学には欠かせないものな
のである。それに、政治家にもマスコミにもウケがいい。

053-1528
言い遅れたが、「法則」と勘違いされている『法』は、『見かけ上
の法則』ということができる。そう、何から何まで『見かけ』だら
けなのだ。だから、しつこい宣伝が欠かせないのである。

053-1529
嘘も繰り返せば真実になるが、同様に、法も繰り返せば法則になる
し、見かけも繰り返せば実態になる。ということは、何度も何度も
繰り返される「実態」は、実は『見かけ』であるということだ。

053-1530
また、何度も何度も繰り返される「説明」は、『法則』に基づく説
明なのではなく、『法』すなわち『見かけ上の法則』に基づく説明
であるということなのである。

053-1531
このように、政治的疑似科学は何から何まで『見かけ』で騙すので
ある。従って、しつこく繰り返される自称「科学」は、全て『見か
け』であると徹底して疑ってかかることが肝要である。

053-1532
さらに、『見かけ』には『解釈の排他性』が付き物であることも知
っておかなければならない。他の解釈を認めないのだ。特定の解釈
しか認めないのは、非科学・反科学の特徴である。

053-1533
ちなみに、法の世界では、特定の解釈しか認めない傾向が非常に強
い。かくして、『法』と『見かけ』と『解釈の排他性』は、一つに
繋がることになるわけである。

053-1534
『解釈の排他性』は、狂信的信者や偏執狂のすることである。そし
て、その論理武装となるのが『法則を装った法』なのであり、「証
拠」にされるのが『見かけ』ということなのだ。

053-1535
言うまでもなく、特定の解釈しか認めないのは、他の解釈を認めて
しまうと、自分たちが望む結論とは別の結論に到達してしまうから
である。

053-1536
また、『見かけ』を「実態」とすることができるのは、『解釈』の
おかげである。もちろん、『見かけ』を「見かけ」とする『解釈』
は、絶対に認めない。

053-1537
そういえば、福島第一原発事故裁判では、「異常に巨大な天災」の
『解釈』を、常識的なものから非常識なものへ変えるというトリッ
クが用いられた。『解釈』とは、権力者が決めるものなのだ。

053-1538
そして、証拠に『見かけ』を採用する(『実態』は採用しない)こと
を決めるのも、権力者。『法則を装った法』を科学の原理とするこ
とを決めるのも、権力者である。

053-1539
つまり、『見かけ』詐欺や、『解釈』押し付けや、『ニセ法則』を
用いるのが、「政治主導」性ニセ科学の特徴なのである。これらの
特徴は、法学系人間の趣味・嗜好がよく反映されている。

053-1540
とくにかく、『見かけ』を「実態」と信じてしまっていては、ニセ
科学の呪縛から逃れることはできない。『法』を「法則」と信じて
しまう場合も、同様である。まずは疑ってみることである。

053-1541
『解釈』についても、同様である。一つの解釈しか認めないのは、
大抵、ニセ科学である。一つの解釈しか認めない世界では、検証が
行われない。その解釈をもって、検証完了とするのである。

053-1542
つまり、『見かけ』にすぎないことを、「実態である」と『解釈』
することにより、「客観的な証拠」に仕立て上げてしまうわけであ
る。解釈とは、証拠をつくる手段なのだ。

053-1543
もう少し正確な言い方をすると、あることを何かの証拠ということ
にするための手段なのである。従って、証拠ではないことを証拠と
いうことにしてしまうことも起こり得るわけである。

053-1544
つまり、間違った解釈やデタラメな解釈は、証拠ではないことを証
拠ということにしてしまうのである。従って、解釈には『慎重にな
りすぎる』ということはないのである。

053-1545
ところが、呆れるほど多くの人が、このような解釈の問題に全くの
無関心なのである。いや、それ以前に、解釈が行われている事実さ
え知らない。

053-1546
解釈無き証拠などというものは、よほどのものしかない。一つの解
釈しか絶対にあり得ないものだけである。そんなものが、どれだけ
あるか。大抵のものは、複数の解釈が可能なものである。

053-1547
一つの解釈しかできないというのは、その人の能力が低い証拠でし
かない。一つの解釈しか認めない人たちの中には、そういう人たち
もいるのではないかと疑いたくなる。

053-1548
一方、能力がありながら他の解釈を認めない者たちは、正解かもし
れないものを葬り去ろうとする者たちなのであるから、科学の敵で
ある。そんな者たちが科学(のある分野)を仕切っているのだ!

053-1549
特定の解釈しか認めない者は、間違いなく教条主義者である。だか
ら、都合の悪いこと(自分に都合のいいように解釈できないこと)は
平気で無視するのである。

053-1550
特定の解釈しか認めない者は、大抵、検証嫌いである。何しろ、彼
らは、彼らが「良し」とする解釈をもって「検証完了」としてしま
うのである。そんなものが検証と言えるわけがない。

053-1551
要するに、この者たちにとっては、検証も解釈も「力(ちから)は正
義なり」なのである。如何にも法学系人間的な流儀である。物質の
世界のことまで、自分たちが仕切ろうとするのだ。

053-1552
しつこいが、『見かけ』も『解釈』次第で「実態」ということにす
ることが可能なのだ。そして、実験や観測には『解釈』が付き物で
ある。ここに、科学の弱点があるのだ。

053-1553
科学の弱点というと、研究費の予算や人事などといった、科学者の
立場の弱さのことばかりが話題にされがちであるが、実は、科学そ
のものにも『解釈』問題という弱点があるのである。

053-1554
政治主導の自称科学は、この弱点を見事に利用している。都合のい
い『解釈』により、『見かけ』を「実態」にしてしまうのである。
『解釈』問題を知らずにいると、いいカモにされるのだ。

053-1555
騙す側にとって、解釈トリックが魅力的なのは、解釈のデタラメぶ
りがバレても、「過失であって、意図的なものではなかった」と罪
逃れをすることができることである。

053-1556
なぜ、そのような言い逃れが可能になるのかというと、天動説にお
ける観測データに対する解釈の誤りが、故意ではなく、過失であっ
たからだ。

053-1557
解釈の誤りが故意なのか過失なのかを判定することは、非常に難し
い。従って、故意を罪とする法律があっても、故意であることが証
明できなければ、裁判で有罪にすることはできないことになる。

053-1558
つまり、罪を立証することが極めて困難なのである。故に、罪に問
われることも無いわけである。そういうところまで考えた騙しの手
口を用いるとは、如何にも法学系人間らしいやり方だと言える。

053-1559
(特定の)解釈を盲信することは、又聞きの話を盲信するに等しい浅
はかさである。なぜなら、実験や観測(の結果)と、それらから導か
れる結論との間には、必ず解釈が存在するからである。

053-1560
つまり、解釈を介することによって、結論は得られるものなのであ
る。解釈が無ければ、結論は得られない。よって、解釈の存在を認
めないことは、デマを信じるに等しいことなのだ。

053-1561
デマは、自分が直接見聞きしたことではなく、人を介して知ったこ
とである。デマを信じてしまう人は、そのことを忘れてしまう。解
釈の存在を認めないのも、それと同レベルの醜態なのだ。

053-1562
ちなみに、解釈のやり方には、ルールというものが無い。つまり、
法が無いのだ。また、それ故に、不正を裁く刑法も無く、故に、罪
に問われることも無い。だから、やる(やらせる)のだ。

053-1563
つまり、法を崇めさせたがる者は、法の無いところでは、やりたい
放題なのである。また、法以外のもの、たとえば良心や恥の意識と
いったものは、法より低いものとなるから、尊ばないわけだ。

053-1564
こうしてみると、彼らの御専門である法についての解釈も、全く怪
しくなってくる。こんな連中が実験や観測の解釈を仕切ることにな
れば、科学的事実が葬られることになるのは当然であろう。

053-1565
繰り返すが、解釈を悪用すれば、『見かけ』も「実態」ということ
になり、「証拠」となってしまうのである。その結果、「科学的に
証明された」ことにされてしまうのだ。

053-1566
そんなことが許されていいはずがない。だから、法を崇めさせたが
る連中に科学を仕切らせてはならないのであり、また、そんな連中
の言う「科学」を受け入れてはならないのだ。

053-1567
なぜなら、受け入れたら最後、その「科学」に基づいた法制度や常
識といったものが次々と作り出され、戒律になってしまうからだ。
そうなれば、科学はもちろん、社会も暗黒時代になってしまう。

053-1568
NHKなどのマスゴミが何度もしつこく繰り返し啓蒙報道する解釈
は、『見かけ』を「実態」と偽るための解釈だと思って、まず間違
いない。

053-1569
一方、解釈に騙されて『見かけ』を実態→証拠と信じ込むことは、
異性愛欲旺盛な男が女装した男にハニートラップされるのと同じく
らい恥ずかしいことである。

053-1570
実を言うと、気象学に限らず、自然科学には『見かけ』を扱う分野
がかなり多い。たとえば、流体とか剛体とか弾性体といったものは
連続体ということになっているが、実際には不連続体である。

053-1571
なぜなら、それらは原子という粒子からなっており、さらに、原子
は原子核の周りを電子が回る構造になっているのだから、隙間があ
るはずであり、故に、連続体ではないことになるからだ。

053-1572
従って、「連続体」というのは、見かけ上の話ということになるの
である。ならば、「連続体」という認識は天動説並みに間違ってい
るのかというと、そうとまでは言えない。

053-1573
実際、マクロ(巨視的)な問題では、実用上、全く問題が無いほど見
事な近似を示している。つまり、『見かけ』にも、ピンからキリま
であるということである。

053-1574
もっとも、マクロな問題では良くても、ミクロ(微視的)な問題では
通用しないのであるから、注意が必要になってくる。つまり、使え
る条件というものがあるわけである。

053-1575
条件を無視した使い方をした場合、それはニセ科学となる。御用学
者には、そういうことをする連中が非常に多い。素人や門外漢の聞
き手は、そうした騙しの絶好の餌食となるものだ。

053-1576
さて、「連続体」という『見かけ』は、「巨視的な問題であれば」
という条件を満たす場合は、「実態」と言ってもいいほどの良い近
似が得られるが、ならば、気象の分野の『見かけ』は、どうか?

053-1577
お気の毒ながら、先に述べた「連続体」のような良い近似が得られ
るような『見かけ』は存在しない。このため、「連続体」と比べる
と、かなり曖昧かつ恣意的で御都合主義的なものが目立つ。

053-1578
もともと、気象学には定義からして曖昧なものが少なくない。たと
えば、高気圧や低気圧の領域などがそうである。そんな調子である
から、『見かけ』についても、そのレベルなのだ。

053-1579
もっとも、経験豊かなベテランの手にかかれば、そこそこ役には立
つようである。もちろん、限界はあるが…。一方、そうでない者が
扱うと、誤用・乱用が珍しくなくなる。

053-1580
何しろ、彼らは、自分が扱っているものが『見かけ』であることも
理解せず、結果の出し方だけを暗記して、わかった気になっている
連中である。誤用・乱用があっても、驚くに値しない。

053-1581
『見かけ』は実態ではないのであるから、それが真の原因になるこ
とはあり得ない。従って、『見かけ』から結果を導く解法は、真の
原因から結果を導く解法にはなり得ない。

053-1582
従って、得られた結果が実際の結果と合わないことがあったとして
も、別に不思議なことではない。むしろ、合う方が「まぐれ」とか
「たまたま」といったものなのである。

053-1583
また、真の原因ではないものを「原因」とする説明は、真のメカニ
ズムの説明ではあり得ないのであるから、『見かけ』に基づく説明
は、真のメカニズムの説明にはなり得ない。

053-1584
さらに、『見かけ』は、実態ではない以上、たとえばシミュレーシ
ョンの初期値用のデータとして直接単純利用(インプット)すること
は不当な行為となるはずである。

053-1585
ちなみに、天動説では、実は『見かけ』である天体観測結果を直接
単純利用してしまったために、「天の方が動いている」という誤っ
た結論に到達してしまったのである。

053-1586
ついでに言っておくと、『見かけ』を「実態」と勘違いするのは、
聖書の表現を借りて言い表すならば、それは、まさしく、「見えな
い目」のなせる業というものである。

053-1587
なんと、中世暗黒時代の欧州では、聖書の教えに最も忠実でなけれ
ばならない人たちが、聖書の教えを無視するということをしていた
のである!(己の目が見えない目であることを自覚しなかった。)

053-1588
こうした驕りは、「温室効果ガスによる地球温暖化」という大嘘で
世界を脅しつける現代の(ある種の)欧州人たちに、そのまま受け継
がれているようである。

053-1589
『見かけ』を「見かけである」と確実に見破るには、やはり、物質
の法則に合うかどうかをチェックするしかない。『見かけ』は、物
質の法則に反するところが必ずあるものだからだ。

053-1590
だから、地球温暖化説では、物質の法則がデタラメな使い方をされ
る。たとえば、飽和水蒸気量については、海水の話には必ず用いら
れるが、雲の話には絶対に用いられない。

053-1591
なぜなら、温暖化する(温度が高くなる)と、飽和水蒸気量が増える
ので、水が蒸発しやすくなるからだ。これは、海水に関しては、豪
雨と関連付けられるネタとなるので、都合がいい。

053-1592
なぜなら、海水の蒸発量が増えれば、大気中に含まれる水蒸気量が
増えることになるので、「雨雲が発達しやすくなる」という方向に
話をもっていきやすくなるからだ。

053-1593
ところが、雲に関しては、高温化による飽和水蒸気量の増加は、逆
に非常に都合が悪いことになる。なぜなら、雲が蒸発しやすくなっ
てしまうからだ。

053-1594
これでは、雨雲が発達しにくくなってしまい、豪雨の説明がつかな
くなってしまう。つまり、豪雨を温暖化と関連付けることができな
くなってしまうのである。

053-1595
だから、雲の話に飽和水蒸気量は禁句なのである。だが、そのよう
な使い方は、二重基準であり、デタラメな使い方である。こうした
法則のデタラメ使用が、地球温暖化説の特徴の一つである。

053-1596
そもそも、水が蒸発しやすい状況で、大気中の水蒸気(気体)が凝結
(液体化)もしくは昇華(固体化)しやすいわけがない。法則をデタラ
メに使用しなけらばならない事情がよくわかるだろう。

053-1597
もしも(地球温暖化の影響で)海水の蒸発量が増えたことが豪雨の原
因なのであれば、地球上のあらゆる場所が以前よりも相対的に湿潤
な気候になっているはずである。

053-1598
ところが、実際には、逆に乾燥・干ばつが酷くなっている地域があ
る。従って、海水の蒸発量の増加が豪雨の原因なのではない。雨雲
が発生・発達するエリアの集中・偏在が本当の原因なのである。

053-1599
では、雨雲が発生するエリアが集中・偏在することになる原因は何
かというと、たとえば、前線の場合は、暖気と寒気の境界すなわち
前線面の傾きが急になることである。

053-1600
雨雲は前線面付近で発生・発達するので、前線面の傾斜が緩やかな
ら、雨雲は広い範囲に分散された形で発生・発達するので、降雨も
分散され、豪雨にはなりにくい。

053-1601
対して、前線面の傾斜が急な場合は、雨雲は狭い範囲に集中した形
で発生・発達するので、降雨も集中する。故に、豪雨になりやすく
なるのである。

053-1602
ところが、権力の犬たる「専門家」たちは、前線面の傾きの話は一
切せず、「南から暖かく湿った空気が流れ込むため」という説明し
かしないのである。よっぽど、前線面がお嫌いなようである。

053-1603
それもそのはず。前線面の高緯度側には、彼らの大嫌いな寒気が存
在するからだ。つまり、寒気が本当の原因であることがバレてしま
うので、前線面(の傾き)のことには触れたがらないのである。

053-1604
ちなみに、暖気が寒気を押しやろうとしている状況では、軽い暖気
が重い寒気の上にどんどん上がっていこうとするので、前線面の傾
きは緩やかになる。つまり、豪雨にはなりにくくなるのだ。

053-1605
対して、寒気が暖気を押しやろうとしている状況では、重い寒気が
軽い寒気の下に潜り込んでいこうとするので、前線面の傾きは急に
なる。つまり、豪雨になりやすくなるのである。

053-1606
以上のことから、豪雨の増加や激化の原因が、寒気の異常発生であ
って、「南から暖かく湿った空気が流れ込む」ことではないことが
わかるはずである。

053-1607
暖気が流れ込むと、前線面の傾きが緩やかになってしまうため、豪
雨になりにくくなってしまう。それに、寒気が押しやられるので、
前線も押しやられることになるはずである。

053-1608
ところが、実際にはそうはなっていないのであるから、暖気は流れ
込んでいるのではなく、引き寄せられている(吸い寄せられている)
というのが実態なのである。

053-1609
つまり、テレビに出てくる気象予報士どもがよくやる「南から暖か
く湿った空気が流れ込む」という説明は、実は『見かけ』を述べて
いるにすぎない戯言でしかないのである。

053-1610
『見かけ』は真の原因にはなり得ない。従って、『見かけ』を原因
とする彼らの説明は、天動説並みの説明なのである。つまり、真の
原因を葬り去ってしまうことになる説明なのだ。

053-1611
このように、『見かけ』を「証拠」ということにして信じ込ませよ
うとするのが、地球温暖化説の騙し手口なのである。『見かけ』を
「証拠」とするのは、『こじつけ』に他ならない。

053-1612
地球温暖化説で示される証拠なるものは、全て『見かけ』である。
『見かけ』を『解釈』トリックにより「実態」とし「証拠」に仕立
て上げてしまうのである。気象の分野では、それがやりやすい。

053-1613
なぜなら、気象業務の世界では、『見かけ』がよく用いられるから
である。『見かけ』を用いないと、分析や予報といった実務を、限
られた時間内にさばききることができないのだ。

053-1614
それに、法則による分析や予想のために十分なデータが常に得られ
るというわけではないこともまた、『見かけ』を用いるやり方をと
らざるを得ない事情の一つである。

053-1615
つまり、『見かけ』も使い方を間違わなければ、結構、役に立つわ
けである。よくよく考えてみれば、現代でも天体観測の多くは地上
から行っているが、得られる観測結果は『見かけ』のはずだ。

053-1616
つまり、地上から観測を行うという点では、天動説が信じられてい
た時代と同じことをやっているのである。にもかかわらず、天動説
のような間違いを犯さずにいられるのは、なぜか?

053-1617
それは、その観測結果が『見かけ』であることを知っているからで
あり、なおかつ、その『見かけ』から実態を明らかにする方法を知
っているからである。

053-1618
このように、『見かけ』も、「これは実態ではなく見かけである」
と正しく解釈し認識している者が適切に扱うのであれば、結構役立
つことがあるものなのである。

053-1619
対して、『見かけ』を「見かけ」とは思わずに「実態だ」と思い込
んでしまっている者が扱うと、それは不適切な扱いにしかなり得な
いので、天動説のような間違った見解にしか至らないのである。

053-1620
「バカとハサミは使いよう」というが、『見かけ』もそうなのであ
る。そういうことがわかっていない連中が気象という分野を扱うか
ら、地球温暖化説のようなニセ科学が力を得るのである。

053-1621
ハサミが使い方を誤ると人を傷つける凶器となり得るように、『見
かけ』もまた、使い方を誤ると、科学を殺し、社会に不合理や不条
理をもたらし、狂気を蔓延させる大量破壊兵器となり得るのだ。

053-1622
事実、地球温暖化説というニセ科学は、原油価格高騰とウクライナ
戦争を招いた。「脱炭素」ファッショは、増産の障害となるもので
あり、また、産油国に右肩下がりの未来を運命づけるものだ。

053-1623
特にプーチンの場合は、カーボン系資源の輸出でロシアを立て直し
たのであるから、NATOの勢力圏拡大問題と合わせて、自衛のための
戦いに踏み切ることになるのは少しも不思議なことではない。

053-1624
つまり、真っ赤な欧米のエゴがプーチンを戦争へと駆り立てたので
ある。国連も、ノーベル賞も、実は平和の敵だったのだ。(科学の
敵にもなっているが。)

053-1625
「専門家」どもは地球温暖化が戦争を招くと主張してきたが、実際
には、地球温暖化説というニセ科学が戦争を招いたのである。平和
の敵は、葬り去らなければならない。

053-1626
ちなみに、戦争は貧乏な国にできることではない。従って、飢餓な
どで苦しむ国のできることではないのだ。地球温暖化説は、社会科
学的な面でも、全くの「ジャンク」なのである。

053-1627
話を自然科学に戻そう。既に述べたように、『見かけ』は実態では
ないものの、使い方を間違えなければ結構役に立つ。風や気流の方
向を曲げてしまう転向力も、『見かけ』上の力である。

053-1628
つまり、あたかも、流体、すなわち、風や気流の実体である大気に
力が働いて運動方向が変えられてしまっているかのように見えるの
で、転向力という『見かけ』上の力を定義しているわけである。

053-1629
では、なぜ、そのような力を定義するのかというと、それがあると
便利だからである。もし無ければ、地球の自転の影響をその都度求
めなければならなくなる。これは大変面倒である。

053-1630
たとえば、『地球が西から東に自転すると、北半球では風や気流が
右方向に曲げられる』という定性的なことでさえ、直感的にわかる
人は、まずいないだろう。

053-1631
そうしたことがわかれば、なぜ『見かけ』上の力にすぎない転向力
が重宝されているか、わかるはずである。要するに、正しい認識を
もって、適切に用いることが肝要なのである。

053-1632
ところが、今時の「専門家」には、正しい認識をもたず、不適切な
用い方をする者が少なくないのである。特に御用学者やマスメディ
アに登場する「専門家」については、そうである。

053-1633
我が国において、こうした困った「専門家」の増殖に最も貢献して
いるのは、どう見ても自民党の安倍派である。なんと、愛国者を自
称する者たちが、国を危うくするようなことをしているのだ。

053-1634
気象は、防災だけでなく、産業・経済、そして、国防すなわち軍事
にも関係してくることなのに…。要するに、彼らの言う「愛国心」
は、彼らの言う「科学」同様、『見かけ』にすぎないのである。

053-1635
現代は『見かけ』で騙す時代である。騙す方も悪いが、いい歳して
騙される方にも問題がある。現代は宣伝の時代であり、表現の自由
の時代なのであるから、『見かけ』に無警戒ではいけないのだ。

053-1636
しつこく繰り返したり、煽ったりするのは、大抵、『見かけ』であ
る。また、『見かけ』には、物理法則抜きの解釈が付き物である。
いずれも「真実」にするためだ。

053-1637
『見かけ』は、それを「見かけ」ということにしておくだけなので
あれば、それは嘘にはならない。だが、それを「実態」ということ
にしてしまうと、それは真っ赤な嘘になる。

053-1638
また、それを「見かけ」として扱ったとしても、解釈が誤っている
と、その場合もまた嘘になる。なぜそのようなことを言うのかとい
うと、多くの実験や観測の結果は『見かけ』だからだ。

053-1639
『見かけ』を「実態」としてしまうのも、解釈である。結局のとこ
ろ、実験や観測の結果というものもまた、情報にすぎないわけであ
る。そのことを忘れてはならない。

053-1640
入手可能な情報は大抵『見かけ』だと思っていた方が良い。もちろ
ん、『見かけ』が実態である場合もあるが、それは「たまたま運が
良かっただけだ」と思うべきである。

053-1641
従って、やはり解釈が重要になってくるのである。ちなみに、『見
かけ』を解釈するということは、『見かけ』を実態究明のために用
いるということなのである。

053-1642
従って、『見かけ』の解釈を誤るということは、『見かけ』の用い
方を誤るということなのだ。その点、気象学は、本来、『見かけ』
を正しく用いることの重要性をよく学べる学問分野である。

053-1643
なぜなら、前にも述べたように、気象の分野では『見かけ』が用い
られることが多いからだ。ところが、今日の気象の「専門家」には
『見かけ』を正しく扱えない者が非常に目立つ。

053-1644
そんな彼らが好んで口にする「偏西風」すなわちジェット気流も、
『見かけ』の概念である。大気の大循環の西寄りの気流になってい
る部分を連ねて、一つの気流のように見なしているだけだ。

053-1645
ところが、彼らは、これを天動説における導円や周転円のように論
じるのである。ちなみに、導円や周転円は、天体の運動を規定する
ものであった。

053-1646
つまり、レールのような実在性あるものとみなしているという点で
は、全く同じ思想なのである。天動説という反面教師から真の教訓
を得ていない者たちにより、「歴史は繰り返す」のだ。

053-1647
というわけで、愚かな歴史を繰り返さないためには、やはり、『見
かけ』の問題を常に認識しなければならないのだ。そして、そのた
めには、物質の法則にのみ基づく主義でいかなければならない。

053-1648
従って、法と法則の区別のつかない文系人間に科学を仕切らせては
絶対にならないのである。ついでに言っておくと、解法もまた、法
にすぎず、法則ではない。

053-1649
なぜなら、解法とは問題等を解く方法のことであり、故に、手段に
すぎず、物質の世界を支配する原理や摂理といったものではないか
らである。

053-1650
そんなものを丸暗記しただけで物質の世界のことを知り尽くした気
になっている自惚れ屋の何と多いことか。そんなことだから、『見
かけ』を正しく扱うことができないのである。

053-1651
彼らは、暗記力には自信のある連中のようである。実際、用語を暗
記しただけで理解した気になっていることが多い。さらには、用語
を新たに造っただけで説明した気になっていることさえある。

053-1652
要するに、彼らは『言葉狂い』なのである。『言葉狂い』は『法狂
い』と根が同じ病気である。なぜなら、『法』は『言葉』の集まり
であるからだ。

053-1653
さらに、『言葉』には『法則』が無い。『言葉』の決まりは、全て
人間がつくった(決めた)ものである。従って、それは『法』ではあ
り得ても、『法則』ではあり得ない。

053-1654
つまり、彼らは『人がつくったもの(決めたこと)』しか認めたくな
い人たちなのである。これは異常な趣味としか言いようがない。ま
た、あまりにも病的な現実逃避でもある。

053-1655
なぜなら、法は理想だが、法則は現実であるからだ。法則は人には
変えられないものなのであり、如何なる天才や権力者や富豪でも、
どうにもできないものである。

053-1656
従って、法則を無視したものは全て疑似科学と言いたいところなの
だが、何度も言うように、科学、特に気象の分野では、『見かけ』
を用いることがあるので、そうも言いきれないわけである。

053-1657
『見かけ』は実態ではないので、そのままでは物質の法則が通用し
ない。それ故、物質の法則に通じている人は、その話が『見かけ』
を用いた解法テクニックであるということがわかるわけである。

053-1658
ところが、物質の法則に通じていない人は、そのことがわからない
ので、「事実を基にした正攻法により導かれた客観的正論」と錯覚
してしまうのである。

053-1659
そして、ついには、このテクニックにすぎない解法のことを「法則
に基づく論理」と勘違いしてしまうようになるのである。だから、
解法テクニックを乱用するようになるのである。

053-1660
『見かけ』や、それを用いる解法テクニックは、使い方さえ誤らな
ければ、便利な道具となり得る。だが、使い方を誤ると、天動説の
ようなことになってしまうのである。

053-1661
「偏西風」(ジェット気流)による説明も、『見かけ』を用いた説明
であり、正しく使えば、雲などの動きを予想するのに役立つ道具と
なるが、間違って使えば、ただの疑似科学となる。

053-1662
たとえば、地球温暖化説に与する「専門家」どもは、厳寒になるた
びに、その原因を「偏西風の蛇行」のせいにする。寒気発生活発化
という矛盾を隠し、逆に、温暖化のせいにするためだ。

053-1663
高気圧や低気圧のあるところでは「偏西風の蛇行」は必ず起きる。
だから、西高東低の冬型の気圧配置でも、当然起きる。だが、彼ら
は、それを温暖化のせいにするのだ。

053-1664
これは、使い方を誤っているというよりも、意図的にデタラメな使
い方をしている疑いが濃い。つまり、科学を装うために「偏西風」
という用語を使っているだけである可能性が大なのだ。

053-1665
つまり、知識をデタラメに用いる連中が「専門家」と呼ばれている
わけである。そういえば、彼らは、最近、「ラニーニャには冷却効
果がある」などという大嘘を吐き始めた。まさに人間の屑である。

053-1666
ラニーニャの冷却効果は、局所的かつ一時的なものである。実際、
日本では、冷却効果があるのは真冬だけで、それ以外の時期には、
むしろ高温(それも異常高温)をもたらすことが多い。

053-1667
冷却効果の方が目立つのは、太平洋の東側、すなわち、米国などで
あろう。実際、アメリカ海洋大気庁NOAAは、この嘘をほざきまくっ
ている。ちなみに、NOAAはサヨクの巣窟である。

053-1668
もっとも、同様の嘘はWMOもほざいている。WMOもサヨクの巣窟であ
るが、まるで冬ゆえに寒くなる日本を騙しの標的にしているかのよ
うだ。ただし、いずれの場合も、外圧利用の可能性も考えられる。

053-1669
外圧利用は、日本国政府の仕業である。というより、日本国政府が
日本国民を騙す際に用いられる常套手段である。国際機関や欧米人
に専門家証人になってもらって信じ込ませるという騙しの手口だ。

053-1670
日本国政府は、あらゆる分野に関して、この手をよく使う。一方、
今の政権も「脱炭素」狂なのであるから、寒い冬にラニーニャに関
する偽証をしてもらう可能性は十分にあり得ることだ。

053-1671
要するに、日本の政治家どもは「日本国民は国際機関や欧米人の言
うことなら、何でも信じるだろう」とバカにしきっているのである。
そして、それはマスゴミや財界人も同じである。

053-1672
それはともかく、ラニーニャに冷却効果があるのなら、その逆の現
象であるエルニーニョには加熱効果があることになるはずだ。とこ
ろが、エルニーニョの加熱効果の方は触れないのである。

053-1673
これは、エルニーニョの加熱効果を「地球温暖化の影響」とすり替
えていることを証明することになる態度である。実際、彼らはエル
ニーニョによる暖冬を「地球温暖化の影響」とほざいてきたのだ。

053-1674
もちろん、エルニーニョの加熱効果は、ラニーニャの冷却効果と同
じく、一時的かつ局所的なものだ。実際、日本では、エルニーニョ
は冷夏の原因となるし、ラニーニャは夏の猛暑の原因となる。

053-1675
ここで特に注目すべきは、ラニーニャによる夏の猛暑についてであ
る。なぜなら、「ラニーニャには冷却効果がある」という大嘘には
二重・二倍の騙し効果があるからだ。

053-1676
まず一つ目は、ラニーニャの影響を温暖化の影響ということにして
しまう効果。そして、もう一つは、「ラニーニャの冷却効果があっ
たから、この程度の暑さで済んだのだ」と思わせる効果である。

053-1677
つまり、「ラニーニャでなければ、もっと高温になっていた。ラニ
ーニャにより温度上昇が抑えられた」と思わせる効果である。これ
により、「温暖化の影響」は水増しされることになるわけである。

053-1678
まったく、NOAAやWMOの破廉恥ぶりには呆れるが、この冬の欧州は
暖冬だそうである。ラニーニャに冷却効果があるというのなら、こ
の事実をどう説明するつもりなのか?

053-1679
それに、地球温暖化説では、温暖化が進行すると冬はエルニーニョ
になりやすくなることになっていたはずだ。だが、実際は逆のラニ
ーニャである。NOAAやWMOは認知症患者の巣窟らしい。

053-1680
御親切に、彼らは「ラニーニャには冷却効果がある」という嘘を信
じ込ませるために、「海水が熱を(吸収して)ため込んでいる」とい
う趣旨の惑わし説法を展開している。

053-1681
なるほど、確かに、ラニーニャになると、太平洋上の大気の大循環
が活発化し、それにより海水の循環も活発化するので、高緯度から
低緯度への海水の移動も活発になる。

053-1682
高緯度からの海水は低温なので、低緯度に来れば「熱を吸収」し、
大気を「冷却」する。従って、海水の移動が活発になれば、「冷却
効果」も「海水が熱をため込む」度合いも強まることになる。

053-1683
だが、活発になるのは高緯度から低緯度への移動だけではない。低
緯度から高緯度への移動も活発になるのである。従って、こちらの
影響についても考えなくてはならないはずだ。

053-1684
低緯度からの海水は高温なのであるから、高緯度に来れば熱を放出
し、大気を加熱する。従って、海水の移動が活発になれば、『加熱
効果』も『海水が熱を失う』度合いも強まることになるのだ。

053-1685
つまり、NOAAやWMOの言うこととは全く逆の効果があるのである。
NOAAやWMOは、それを無視して温暖化の証拠をでっち上げているの
である。毎度おなじみの破廉恥トリックである。

053-1686
この『一つのことだけを話題にして、他のことを無視する』という
騙しの手口のヒントとなったのは、もしかしたら、『重い物ほど速
く落下する』とするアリストテレスの運動学なのかもしれない。

053-1687
アリストテレスは、作用(力。重力)のことは考えたが、慣性(質量)
のことは考えなかったために、間違った結論に到達してしまった。
一つのことしか考えず、他のことを無視してしまったのだ。

053-1688
つまり、重さのせいで物に働く力が大きくなる『事実』は考慮され
ているが、質量すなわち物の加速されにくさが大きくなる『事実』
は考慮されていないのである。

053-1689
このように、複数の『事実』が関与してくる場合、一つの『事実』
しか考慮しないということをしてしまうと、間違った結論に到達し
てしまうものなのである。

053-1690
別の言い方をすると、たとえ事実に基づいていたとしても、複数の
事実がかかわってくる場合は、そのうちの一つにしか基づかないと
いうことをすると、間違った結論に到達してしまうのである。

053-1691
ということは、複数の事実が関与している場合は、そのうちの一つ
だけをネタにすれば、『事実に基づく嘘』をでっち上げることがで
きるということである。

053-1692
何しろ、『一つだけ』とはいえ、事実には基づいているわけである
から、他の事実の関与を知らない多くの人たちを騙せる効果は絶大
である。

053-1693
それに、多くの人は複雑な話よりも単純な話の方を好むので、複数
の事実が関与してくる話よりも、一つの事実しか関与してこない話
の方が、ウケがいい。つまり、誘惑の効果もまた絶大なのである。

053-1694
というわけで、地球温暖化説では、都合のいい一つの事実だけを採
り上げる(都合の悪い他の事実は採り上げない)という破廉恥が当た
り前になっているわけである。

053-1695
実際、温室効果ガス説からして、この手口が用いられている。赤外
線を吸収する能力が高いという事実は採り上げるが、赤外線を放出
する能力が高いという事実は採り上げない。

053-1696
さらに、赤外線の放出が吸収と同時に始まる事実や、『放出される
方向が、高エネルギーである地表に向かう方向ではなく、低エネル
ギーである宇宙に向かう方向になる』という事実も採り上げない。

053-1697
このように、温室効果ガス説は、アリストテレスの失敗と同様のこ
とを故意にやることにより、でっちあげられているのである。それ
だけではない。さらに、あと二つも共通点があるのだ。

053-1698
それは、実験により確かめられたことが無いという点と、長く学者
たちの間で盲信されてきたという点である。アリストテレスの間違
った教義は、なんと、ガリレイの時代まで盲信されていたのだ!

053-1699
ちなみに、ガリレイは実験により確かめた最初の人であった。こう
してみると、温室効果ガス説が一世紀以上もの長き間、学者たちの
間で盲信されてきたのも、別に驚くに値しないことであろう。

053-1700
さらには、実験により確かめようとしないことについても。学者と
いうものは、意外と、そういうところがあるものなのである。そし
て、そのために、科学はしばしば迷走するものなのだ。

053-1701
学者というものは、『一見もっともらしい話』に騙されやすい。そ
れは、大抵、『一つの事実(だけ)に基づく話』のことである。『望
み(可能性)のある話』や『期待が持てる話』に弱いのだ。

053-1702
こうした心理は、学者のように新たな発見を求める人たちには、む
しろ必要なものである。とはいえ、だからと言って、一つの事実だ
けに満足しきってしまうのは、やはり感心できないことだ。

053-1703
『重い物ほど落下させようとする作用は大きくなる』というのは、
『事実』である。だからこそ、たとえば、手に持つと、重い物は重
く感じられるのである。

053-1704
従って、この一つの事実だけに基づくことに満足することにすると
いうのであれば、『重い物ほど速く落下する』という結論に到達し
てしまうのは、全くの正論なのである。偽りや誤りは全く無い。

053-1705
にもかかわらず、間違った結論に到達してしまったのはなぜか?、
その理由を考えなければならない。それは、物の運動を左右するの
は作用だけではないからだ。

053-1706
御存知のように、(物の)慣性もまた物の運動を左右するのである。
従って、『重い物ほど加速されにくい』という『事実』も考慮しな
ければならないわけである。

053-1707
ところが、ガリレイ以前の学者たちは、こちらの『事実』を考慮し
なかった。一つの事実だけに満足する主義が『実験(による確認)サ
ボり』という醜態を招いてしまったのだ。

053-1708
つまり、『一つの事実だけに満足してしまう』主義は、人を重度の
『思い込み』状態に陥れてしまうのである。それは、結局、『一つ
のことだけで安心してしまう』という間抜けや怠け者の所業だ。

053-1709
もっとも、間抜けや怠け者なら、まだいい。それが『一つのことし
か認めない(他は認めない)』というレベルになると、これはもう偏
執狂のレベルである。そういう人間は結構多い。

053-1710
さらに、もっとタチが悪いのは、他の人がもっと別の良いことを言
うと、それを妬んで、(既存の)一つのことに味方する者である。こ
ういう人間は、比較的高学歴の人間に多い。

053-1711
このように、世の中には、一つのことしか関心の対象にしたがらな
い人たちが多いのである。宗教や恋愛等の場合は、その方が良いの
かもしれないが、物質を相手にする場合は、それでは困るのだ。

053-1712
もし誰かが「月が地球の周りを回っているのは事実なのだから、他
の全ての天体もまた地球の周りを回っているはずだ。故に天動説は
正しい」などと主張したら、あなたはそれを支持するだろうか?

053-1713
普通はしないだろう。だが、一つの事実だけに満足する主義を貫く
ならば、この人の主張は正しいことになってしまうのである。「月
が地球の周りを回っている」という『一つの事実』によって。

053-1714
もっとも、この例のように、論理の強引さが誰にでもわかるような
場合は、支持されることはないだろう。だが、そうでない場合は、
意外と簡単にまかれてしまうものなのである。

053-1715
事実、ガリレイ以前の学者たちは、アリストテレスの間違った運動
学にまかれていたし、現代の学者たちは、「温室効果ガス」という
思い込みにまかれている。実験で確かめようともせずに。

053-1716
温室効果ガス説が根拠とするただ一つの事実は、『赤外線を吸収す
る能力が高い』という事実であるが、赤外線を吸収する能力だけで
は、地球をあたため返すことは不可能なはずである。

053-1717
たとえば、ブラックホールは、光を吸収する(吸い込んでしまう)こ
とになっているが、光源に向かって光を放出し返すことはない。そ
のような能力は無いからである。

053-1718
従って、「温室効果ガス」と呼ばれているガスが温室効果を生じさ
せるためには、地球をあたため返す能力が必要なのである。では、
そのような能力が本当にあるのだろうか?

053-1719
いや、その前に問われなければならないことがある。それは『その
ような能力が物理的にあり得るのか?』という問題である。お気の
毒ながら、答えは「ノー」である。

053-1720
そのことは、ガスの分子が赤外線を吸収または放出するための条件
を考えれば明らかである。まず、吸収するための条件だが、ガスの
分子が周囲の空間よりも低エネルギーであることが条件となる。

053-1721
つまり、周囲の空間の方がガスの分子よりも高エネルギーでなけれ
ばならないのである。赤外線がやって来る側の空間は、ガスの分子
よりも高エネルギーになるので、赤外線が吸収されるのである。

053-1722
では、放出するための条件はどうかというと、ガスの分子が周囲の
空間よりも高エネルギーであることが条件となる。つまり、周囲の
空間の方がガスの分子よりも低エネルギーでなければならない。

053-1723
従って、赤外線がやってくる側の空間には放出されないのである。
なぜなら、その空間(領域)は、やって来る赤外線のせいで、ガスの
分子よりも高エネルギーになっているからである。

053-1724
よって、地表に向けて赤外線が放出されることはなく、故に、地球
が(その赤外線により)あたため返されることはないのである。ちな
みに、地表は空間よりも、さらに高エネルギーである。

053-1725
ガスの分子が赤外線を放出し得る方向は、ただ一つ。それは、ガス
の分子により赤外線の陰となる空間領域、すなわち、地表とは反対
方向となる宇宙空間に向かう方向である。

053-1726
この『影となる空間領域』では、地表からの赤外線がガスの分子に
吸収されて遮られるため、高エネルギーにはならない。従って、ガ
スの分子が赤外線を放出し得る唯一の方向となるのである。

053-1727
エネルギーというものは、第三者の関与が無い限り、高エネルギー
のものから低エネルギーのものにしか移らない。永久機関が実現不
可能なのも、この理由による。

053-1728
こうしてみると、温室効果ガス説はフリーエネルギー並みの疑似科
学であることがわかるだろう。フリーエネルギーのことを馬鹿にし
て温室効果ガス説を信じるのは、精神そのもの分裂症である。

053-1729
それはともかく、ここで言う「第三者」とは、低エネルギーの方か
ら高エネルギーの方へ、エネルギーをくみ上げる働きをする物のこ
とである。だが、そのような物は、大気中には存在しない。

053-1730
さらに、エネルギーのくみ上げにはエネルギーが必要になるが、そ
のようなエネルギーもまた、大気中には存在しない。従って、エネ
ルギーのくみ上げ現象は、起り得ないのである。

053-1731
よって、エネルギーは高エネルギーの方から低エネルギーの方にし
か移らず、故に、赤外線の放出方向は、地表へ向かう方向にはなり
得ず、それとは逆の宇宙空間に向かう方向にしかなり得ないのだ。

053-1732
赤外線の放出方向が地表へ向かう方向になり得るのは、ガスの分子
の方が地表よりも高エネルギーである場合、すなわち、地表の方が
ガスの分子よりも低エネルギーである場合だけである。

053-1733
だが、それはあり得ない状況である。なぜなら、地表が赤外線放出
により低エネルギー状態になる前に、ガスの分子もまた宇宙空間へ
の赤外線放出により低エネルギー状態になってしまうからだ。

053-1734
ガスの分子からの赤外線放出は、赤外線の吸収と同時に始まる。そ
のため、地表がガスの分子よりも低エネルギー状態になるまでエネ
ルギーを保持してはいられないのである。

053-1735
『赤外線を吸収する能力が大きいものは、赤外線を放出する能力も
大きい』という『事実』を考慮すれば、以上の話は容易に理解する
ことができるはずである。

053-1736
赤外線を放出する能力が大きければ、吸収によって得たエネルギー
を放出によって失いやすいことになるはずである。結局、ガスの分
子は、赤外線を中継する働きしかしないことになるのである。

053-1737
もちろん、赤外線のエネルギーは一時的にはガスの分子内の原子の
相対運動の運動エネルギーに変換されるわけであるから、元の赤外
線と比べると位相の遅れが生じることにはなる。

053-1738
とはいえ、位相遅れによる時間差は、地表が冷えて低エネルギーに
なるのに必要な時間よりも、けた違いに短時間である。従って、地
表に放出され返すことはないのである。

053-1739
このように、温室効果ガス説では、重要な事実が(少なくとも)二つ
も無視されているのである。その数は、アリストテレスの「重い物
ほど速く落下する」説よりも多い。

053-1740
しかも、温室効果ガス説における事実無視は、明らかに故意による
ものである。従って、温室効果ガス説はアリストテレスの「重い物
ほど速く落下する」説よりも酷いジャンク科学なのである。

053-1741
実は、この『複数の事実を考慮しなければならないのに、一つの事
実しか考慮しない』という手口は、悪徳検事が人を罪人に仕立て上
げようとする際によく用いられる手口なのである。

053-1742
そのことは、『事実』という言葉を『証拠』と置き換えてみれば容
易に理解できるはずである。一つの証拠しか考慮しないということ
は、他の(つまりは都合の悪い)証拠を考慮しないということだ。

053-1743
これは、(悪徳)検事に限ったことではない。福島第一原発事故の民
事裁判を思い出そう。プレート境界問題も連動問題も外部電源喪失
警告文書問題も、事実でありながら、裁判官どもは全て無視した。

053-1744
さらに、その裁判は「異常に巨大な天災」の基準解釈を政府が事故
後に都合のいいように変えてしまった実質事後法裁判であったにも
かかわらず、法曹界の連中は、この事実を無視し続けている。

053-1745
つまり、『事故のせいで被害が出た』という『一つの事実』しか考
慮していないのである。この『どこかで見たようなやり方』こそ、
今時の法学系人間たちのやり方なのである。

053-1746
要するに、『事実は一つだけで良い』としてしまうのが、法の世界
の流儀なのである。実際、多くの法は、そのようなものになってい
る。

053-1747
つまり、法を関数に例えると、変数が一つしかない関数のような法
が多いのである。従って、変数が事実に対応するものであることを
考えれば、『事実は一つだけで良い』となることがわかると思う。

053-1748
このような趣味の持ち主たちが科学を仕切っているために、赤外線
吸収能力の高さ以外の事実が無視されてしまうのである。法という
ものには、人から恥の意識を奪ってしまう毒性があるようだ。

053-1749
自然科学から法の世界の流儀を排除しなければならない。そのため
には、政治家が科学を仕切る現代のやり方をやめさせなければなら
ない。当然、G7に自然科学を仕切らせてはならない。

053-1750
呆れたことに、札幌で開催されたG7環境相会議では、洋上風力発電
を7倍に増やすことにしたらしい。これを見ると、岸田政権は英国
の犬で(も)あることがよくわかる。

053-1751
風力発電は、その原理からして、気候環境を破壊する人間活動であ
る。なぜなら、風は気候を形成するエネルギーであるからだ。従っ
て、それを人間が利用してしまうと、気候が変わってしまう。

053-1752
だが、『事実は一つありさえすれば良い』主義により、「風力発電
は二酸化炭素を出さない」という事実だけを採り上げ、気候環境を
破壊するという事実は完全無視してしまうのである。

053-1753
この『事実は一つありさえすれば良い』主義は、結局、『事実は一
つ示されれば良い』主義なのであり、故に、『他の事実は無視して
良い』主義なのである。

053-1754
つまり、都合の悪い事実を封殺する悪知恵なのである。それだけで
は正しい判断は下せない事実を一つだけ示すことにより、本当は欠
かせない他の事実を隠蔽してしまうわけである。

053-1755
一つだけとはいえ、事実は示されているわけだから、他にも必要な
事実があるということを知らない聞き手は、その話が事実に基づく
客観的で科学的な話だと信用してしまう。(つまり、騙される。)

053-1756
一方、頑迷な聞き手は、他に必要な事実を示そうとすると、「難癖
をつけている」と決めつけ、聞き入れようとしない。こうしてみる
と、信仰もまた欲にすぎないと言わざるを得ない。

053-1757
事実、信仰とは「信じ(続け)たい」という欲である。だが、欧米人
は、この事実を認めたがらない。だから、戦争が絶えず、文化破壊
や文化強制がやめられない。

053-1758
信仰を欲とは思っていないから、自分たちの攻撃性や侵略性といっ
たことを認識することができないのだ。また、自分を正当化するの
に手段を選ばないのも、そのせいである。

053-1759
だから、『事実は一つありさえすればよい』主義を恥とも思わない
のである。しかも、そうした態度を、欲から出たものとは思わず、
使命感から出たものだと思っているのだ。

053-1760
こうしてみると、信仰は恥の文化ではないことがわかるだろう。事
実、「しんこう」は漢字音読みの言葉であって、これに相当する訓
読みの日本語は存在しない。

053-1761
昔の日本には、何かを『祭(まつ)る』文化は存在したが、信仰する
文化は無かった。信仰は、文化的にも概念的にも「外来種」なので
ある。

053-1762
だが、今日の日本では、信仰する人が多数いる。それでも、自分が
信仰する者であることを素直に認めるのなら、まだいい。それを認
めない者がいるから大問題なのである。

053-1763
事実、物質の法則を無視し、実験による検証もされていない温室効
果ガス説を支持している人たちが、この世には大勢いる。そんなも
のを支持できるのは、それを信仰しているからだ。

053-1764
信仰は、人に勇気や自信を与えてしまう。このため、破廉恥や非道
も平気で出来るようにしてしまう。一種の自己催眠のようなものだ
が、それは決して宗教の専売特許ではないのだ。

053-1765
思想や学説、あるいは人物や組織や賞までもが、信仰の対象となり
得るのである。従って、温室効果ガス説や国連やノーベル賞なども
また、信仰の対象となり得るのである。

053-1766
自分が信仰していることを認めないのは、自称「科学的」人間や自
称「客観的」人間である証拠である。何より、「事実は一つさえあ
れば良い」主義者であることが、信仰している証拠だ。

053-1767
反証の場合は、事実は一つあれば十分である場合が多いが、立証の
場合は、事実は一つでは十分ではない場合が多い。よって、一つの
事実で満足できるのは信仰している証拠と言わざるを得ないのだ。

053-1768
信仰に布教は付き物である。そして、布教には、宣伝や恐怖扇動、
さらには、敵に対するヘイトが付き物である。事実、マスゴミは地
球温暖化説批判のことをフェイクとか陰謀論呼ばわりしている。

053-1769
欧州の信仰の歴史には、魔女狩り・魔女裁判や免罪符があるが、今
日、これらに相当するのが、カーボン・ヘイトや再生可能エネルギ
ーや排出権取引である。

053-1770
このように、信仰とは、恥の文化とは全く異質なものなのである。
その信仰というものがありながら、無信仰を言い張る者たちは、も
っと異質な者たちである。

053-1771
そんな彼らが決まって自称するのが「公平中立」である。一つの事
実しか受け付けない態度の一体どこが公平中立なのか。それこそ、
信仰している決定的な証拠だ。

053-1772
どんなに無信仰を装っても、信仰は依怙贔屓という形で露呈してし
まうものだ。無信仰を装う者たちは、自分たちのそんな醜態に気付
かない。それもまた、信仰している証拠である。

053-1773
なぜなら、既に述べたように、信仰は自信を与えるからである。つ
まり、「自分は公平中立であり、依怙贔屓はしていない」という絶
対の自信を与えてくれるのだ。

053-1774
つまり、信仰には恥の意識を失わせる毒性があるのである。なるほ
ど、恥の文化の国には無かったわけである。それは欧米から入って
きたのであり、今や自覚症状の無い者が大勢いる始末なのだ。

053-1775
そういえば、実は米国が原案を作ったとされる現行憲法には「信仰
の自由」なるものが謳(うた)われている。これは、もしかしたら、
信仰の文化精神を植え付けるのが本当の目的だったのではないか?

053-1776
事実、我々は地球温暖化説への信仰を強要され、環境税などをお布
施のごとく強制されている。これらは、信仰の自由に反する行為で
あり、憲法違反になるはずである。

053-1777
要するに、現行憲法に掲げられた『信仰の自由』とは、日本国民の
信仰の自由を保障することを謳っているのではなく、本当は『布教
活動の自由』を謳っているである。

053-1778
布教活動は、信仰の証であり、勤めでもある。よって、布教活動を
規制することは、信仰の自由を奪うことになるのだ。布教したがっ
ている側からすれば。

053-1779
というわけで、『信仰の自由』は『布教活動の自由』ということに
なってしまうのである。一説によると、終戦直後、米国は日本人を
西方キリスト教徒に改宗させようとしていたらしい。

053-1780
これには、二つの目的が考えられる。一つは、神道の淘汰による大
和魂の破壊。そして、もう一つは、キリスト教の意図的誤用すなわ
ち悪用によるマインドコントロールである。

053-1781
キリスト教には「右の頬をぶたれたら、左の頬を差し出しなさい」
という教えがある。これを悪用すれば、「どんな不合理・不条理で
も喜んで受け入れなさい」という洗脳用教材となり得る。

053-1782
こうしてみると、『信仰の自由』は『洗脳の自由』になることがわ
かるだろう。これに『表現の自由』を組み合わせれば完璧である。
なぜなら、『表現の自由』は『嘘・騙しの自由』になるからだ。

053-1783
つまり、嘘・騙しによる洗脳の自由が保障されていることになるの
である。米国によるキリスト教への改宗は結局失敗に終わったよう
だが、現行憲法には、その頃の毒性が残っているのである。

053-1784
そして、この現行憲法に潜む毒性を再利用することを始めたのが、
安倍派政権の一つである小泉政権だったのである。もうおわかりの
ように、環境ファッショはそのいい例である。

053-1785
さすがは、米英の犬。飼い主に似ている上に、飼い主の手口を習得
している。このように、現行憲法のいう信仰や表現の自由は、国民
の権利なのではなく、支配者の権利なのだ。

053-1786
こうしてみると、改めて、法というものが如何にふざけたものであ
るかがわかるだろう。「法」と「信仰」と「表現」は、偽善や独善
のための「三位一体」なのである。

053-1787
「信仰の自由」が保障された社会では、物質の法則に反することで
も、信じることはもちろん、布教することも許される。従って、信
者を増やし、強大な政治勢力となることも可能なのだ。

053-1788
そうなれば、民主主義の国では、権力を握ることが可能になる。そ
の結果、自分たちの信仰を国民に強制する法を制定することも可能
になる。つまり、合法的に信仰を強制できるようになるのだ。

053-1789
従って、「信仰の自由」は「戒律強制の自由」になるのである。さ
らには、「寄付義務付けや免罪符の自由」にもなる。そして、果て
は、「異端者を狩り裁く自由」となっていくのだ。

053-1790
これは、まさしく、環境ファッショの世界そのものではないか。そ
う、「〜の自由」は、国民の基本的人権さえをも奪い取っていくの
である。ここに、「自由」というものの盲点がある。

053-1791
それは、誰でも知っているはずのことなのであるが、『強者の自由
は、弱者の権利を圧殺してしまう』ということである。野生の世界
のことを思い出すがいい。野生の世界は、完全自由の世界である。

053-1792
そして、そんな世界である野生の世界は、弱肉強食・自然淘汰・適
者生存の世界である。弱者の権利など、全く保障されていない。自
由だけでは、「力が正義」の世界になってしまうのだ。

053-1793
ちなみに、フランス革命では、自由とともに平等や博愛が掲げられ
ていた。これらは、自由の毒性を(ある程度)中和してくれる。自由
には、その毒性を中和してくれるものが必要なのだ。

053-1794
ところが、我が国の現行憲法に記された信仰や表現の自由には、自
由の毒性を中和してくれるものが一切記されていないのである。こ
れでは、力が支配する世界になるのは当然のことであろう。

053-1795
自由を「独裁と対峙するもの」と思うのは、間違いである。確かに
独裁国家の国民には自由は無いが、独裁者ら権力者たちには民主主
義国家の人間以上に自由があるものだ。

053-1796
自由(の権利)というものは、資本(富)などと同様に、集中・偏在し
やすいものである。力のある者に集中・偏在しやすく、力の無い者
には寄り付かない。そういうものである。

053-1797
だから、平等や博愛といった『集中・偏在を防ぐもの』をセットに
してやる必要があるのである。さらに、自由が招く結果に対する責
任(とり)や、公共の福祉に反しないという条件も必要である。

053-1798
多くの自由(の権利)には、そうした自由の毒性中和剤的なものが定
められているのだが、信仰と表現の自由にだけは、なぜか、定めら
れてはいないのだ。むしろ、禁じている感さえある。

053-1799
ならば、強者の自由の毒性が猛威を振るうことになるのは当然のこ
とであろう。信仰と表現の自由は、国民を騙す自由、煽る自由、脅
す自由となる。まさに、環境ファッショそのものである。

053-1800
このように、我が国の現行憲法は、権力を握った者たちによる疑似
科学の宣伝や信仰強制を禁じるどころか、逆に、それを侵してはな
らない権利と定めているのである。実に酷い憲法である。

053-1801
もっとも、こうした憲法の酷さは、我が国だけに見られるものなの
ではなく、自由主義の国では、程度の差こそあれ、必ず見られるも
ののようである。たとえば、米国がいい例である。

053-1802
米国もまた、強者の自由に蝕まれている。結局のところ、自由の毒
性を抑えてくれるのは、人(特に強者)の良心だけなのである。それ
が無い場合は、自由は「大量破壊兵器」と化すものなのだ。

053-1803
気付いてほしいのは、環境ファッショ等の精神的原動力であるエゴ
や独善といったものが自由の産物であるということである。自制心
からの自由、そして、罪や恥の意識からの自由である。

053-1804
より具体的な話をすると、環境ファッショの場合は、まず、物質の
法則からの自由(=物質の法則に囚われない自由=物質の法則を無
視する自由)の権利が行使される。

053-1805
また、自分たちに都合の悪い事実からの自由(=自分たちに都合の
悪い事実に拘束されない自由=自分たちに都合の悪い事実を無視す
る自由)の権利も行使される。

053-1806
そして、さらには、別の可能性からの自由(=別の可能性を考えな
い自由+別の可能性を強制されない自由=別の可能性を拒否する自
由)の権利も行使される。

053-1807
この自由は、別の解釈や見解からの自由(=別の解釈や見解を受け
付けない自由)にもなり得る。自由とは解放されることなのである
から、こうした破廉恥も正当化されることになるわけである。

053-1808
自由には、もう一つ、重大な盲点がある。それは、国家や政府の無
責任である。たとえば迷惑行為があったとしても、規制や取り締ま
りはできないので、その害から国民を守ることをしなくなる。

053-1809
従って、当然、嘘の害から国民を守らなくなる。また、国民が誤っ
た判断や選択をしても、国はそれを放置するしかない。よって、国
民を騙しや扇動から守ることを義務としなくなるのである。

053-1810
というわけで、中和剤無き自由主義の国の政府というものは、国民
を騙す自由の権利を有するだけでなく、国民を嘘や迷信から守らな
くても良いという免責の権利を有することになるのである。

053-1811
だから、破廉恥な連中が政権をとると、国民を騙し放題にするので
ある。というわけで、中和剤無き自由主義の国は、狂ったファシズ
ムに向かうことになるのである。

053-1812
さて、そこで、環境ファシズムを主導している国が、どのような国
か、考えてほしい。欧米や日本など、自由主義の国ばかりである。
これらの国々は、自由の毒性というものを認識していないのだ。

053-1813
自由主義であることに自惚れている国は、自由の毒性を中和するこ
とを怠るので、他国を傷つけ、自国をも蝕むことになる、愚かなフ
ァシズム思想にハマることになるのだ。

053-1814
ついでに指摘しておくと、前にも述べたように、平等は自由の毒性
を(ある程度ではあるが)中和してくれるものの一つなのであるが、
実は、困ったことに、この平等にも毒性があるのである。

053-1815
それは、真と偽、正当と不当とを公平に扱わさせようとする社会的
圧力を生み出すことだ。いわゆる悪平等思想である。このため、偽
や不当に力を与えてしまうことになってしまうのだ。

053-1816
偽や不当も、宣伝という表現活動を繰り返せば、真実となる。従っ
て、その前段階に悪平等が加われば、偽や不当が真や正当を淘汰す
ることになったとしても少しも不思議なことではないだろう。

053-1817
実際、平等主義の国では、環境の分野で、それが起きている。以上
のことがわかれば、旧西側の国々が環境ファッショを主導している
のは別に不思議なことではないということがわかるだろう。

053-1818
要するに、旧西側の国々では、平等が自由の毒性中和剤にはなって
いないのである。それどころか、自由と同様に、その毒性が猛威を
振るってしまっているという有様なのだ。

053-1819
自由の毒性というものは、権力者や社会的影響力の強い者が自由の
権利を振り回した時に最も強く出る。政治家やマスコミなどの自由
が、まさにそうである。

053-1820
ちなみに、『法』を用いれば、自由の毒性を抑えることができるは
ずなのであるが、困ったことに、信仰や表現に関しては、そのよう
な法は存在しない場合が多いのである。

053-1821
なぜなら、法が自由の毒性を抑えられるのは、自由を制限するから
である。信仰や表現の自由を『公正に』制限することは、そう簡単
にできることではない。

053-1822
つまり、法もまた、自由の毒性を抑えるのに役に立たっていないわ
けである。それどころか、強者による搾取や虐待を推し進めるばか
りで、法もまた、毒性をまき散らしているという有様なのである。

053-1823
法が毒性ばかりをまき散らすのは、今時の法学系人間に人間の屑が
多いからである。政治家は、その代表格である。彼らは、さらに、
法を自然科学の中に埋め込み、法則を淘汰しようとしている。

053-1824
そして、自己の「信仰」のために科学を捻じ曲げる「自由」の権利
を振り回し、その結果に対する責任からの自由、すなわち、免責の
権利を振り回す。これが、今時の政治家どもの姿である。

053-1825
悪法は、自由の毒性を社会にもたらす。だが、毒性をもたらすのは
悪法だけではない。法の悪用もまた、毒性をもたらすのである。ど
んな法も、悪用すれば、悪法になるのである。

053-1826
要するに、今時の法学系人間たちは、自由の毒性はおろか、法の毒
性すら抑えることができないのである。法の専門家であるはずの者
たちが、法に呑まれてしまっているのだ。情けない連中である。

053-1827
自然科学を健全な状態に戻すためには、自然科学を法学系人間の汚
れた手から取り戻す必要がある。そのためには、どうしても世論に
よる法学系人間の監視が必要なのだ。

053-1828
その際、とかく障害となりがちなのが、学歴主義、偏差値主義、資
格主義である。実際、法学系人間は文系人間の中では最も高学力な
人たちである。なので、尻込みしてしまう人が多い。

053-1829
だが、法学系人間たちにとって自然科学は専門外のことなのである
から、学の無い人たちと同じであるはずである。従って、尻込みす
るのは全く愚かなことでしかないのである。

053-1830
もし理系人間が法学や経済学や文学などを仕切るようになったら、
文系の方は納得するだろうか? 普通はしないだろう。ならば、悪
徳法学系人間たちのやり方にも納得すべきではないはずだ。

053-1831
ただし、政治家の場合は、自分が(自然科学を)直接仕切るのではな
く、自分に忖度する『理系人間の屑』どもに仕切らせるという『間
接的に仕切る』手段を用いるので、タチが悪い。

053-1832
これでは、文系の人たちや専門が異なる理系の人たちが騙されるの
も無理は無い。だが、こうした『理系人間の屑』どもは、実は学術
の分野で功績が無い者たちなのである。

053-1833
この手の者たちは、NHKなどのマスゴミに頻繁に登場するので、す
ぐにわかる。そもそも、マスゴミはなぜ彼らのことを知っているの
か? それは、国(政府)からその情報を得ているからだ。

053-1834
つまり、マスゴミは、国から提供される(人物に関する)情報を鵜呑
みにして、専門家の人選をしているのである。これが、自称「権力
の監視」の実態である。実に、お粗末極まりない。

053-1835
つまり、マスゴミは国から教えてもらった人物しか知らないのであ
る。自然科学に関しては全くの素人なのだから当然だが、だからこ
そ、頻繁に登場する「専門家」は信用すべきではないのである。

053-1836
特にNHKの場合はそうである。これは許しがたき大問題であるが、
逆手に利用すれば、誰が『理系人間の屑』なのかを教えてくれる有
難い存在とも言える。

053-1837
そんな『理系人間の屑』たちが見せてくれるのが、『自然科学の法
化』なのである。政治家という『法学系人間の屑』の犬なのである
から、これは驚くに値しない。

053-1838
政治家の犬は、今では、科学者や研究者といった理系人間だけに存
在するのではない。気象予報士もそうである。もともと、気象予報
士は、就活面で弱い立場にあるので、犬にしやすいのだ。

053-1839
こうしてみると、気象予報士なる資格身分は、悪徳政治家どもが自
分たちの犬を増やすために設けられたものであることがわかってし
まう。

053-1840
気象予報士はマスゴミ受けがいいようで、NHKは気象予報士を偶像
化するような朝ドラを制作・放送するほどである。もっとも、NHK
の場合は政府への忖度である可能性もあるのだが…。

053-1841
気象庁にとって気象予報士は予報が外れた時の『人間の盾』になる
ため、気象庁の質の低下が懸念される。また、一般人と接する機会
を奪うため、気象庁の職員をオタク化させる懸念もある。

053-1842
職員のオタク化は、組織(気象庁)のカルト教団化を招く。実際、そ
うなりかけている。一方、気象予報士は、いる必要の無い者たちで
あり、実際、昔は、いなくても全く困らなかった。

053-1843
しかも、今ではコンピュータやソフトが発達しているのだから、ま
すます、いる必要が無くなっている。以上のことから、気象予報士
という資格身分は無くしてしまった方が良いのである。

053-1844
要するに、欧米の犬や金に汚い政治家どもが「温室効果ガスによる
地球温暖化(気候変動)」という大嘘を日本国民に信じ込ませるため
に設けたのが、気象予報士という地位なのだ。

053-1845
つまり、政治家というものは、いつの時代においても「非国民」な
のである。戦前の日本を戦争に追い込んだのも政治家どもであり、
その責任を押し付けるために軍人・東條英機を担ぎ出したのだ。

053-1846
そして、そんな政治家どもに手を貸したのが、マスゴミである。彼
らは、軍国主義を煽って、軍部の尻を叩いた。「軍部が恐ろしかっ
たから」というのは、真っ赤な嘘である。

053-1847
マスゴミも事業者なのだから、実力者に弱い。そして、実力者とい
うものは、政界と繋がりが深いものである。つまり、日本は戦前か
らちっとも変わっていないということなのである。

053-1848
ちなみに、「軍部が恐ろしかったから」という話を創作したのは、
戦後の売国奴文化人たちである。しかも、その中には、戦後に転向
した者も少なくなかったのである。

053-1849
強者にすり寄る文化人も、今日ではお馴染みの存在である。要する
に、今日の「環境問題」は歴史問題と根が同じ政治的悪事なのであ
り、故に、まともな科学が通用する世界ではないのである。

053-1850
ちなみに、犬のような文化人は、戦後日本の専売特許ではない。今
夏の猛暑を温暖化のせいにしている「専門家」どもが、そのいい例
だ。彼らは、海面上昇のあまりの少なさを完全に無視している。

053-1851
もし今夏の猛暑が温暖化によるものなら、その温暖化のせいで海面
は大いに上昇し、ツバルはとっくに完全水没しているはずである。
また、日本でも、海水浴場は水没により全滅しているはずだ。

053-1852
つまり、「あれも温暖化のせい。これも温暖化のせい。」と、いい
気になって、こじつけを欲張りすぎたために、あっちとこっちとで
話の整合性がとれなくなってしまっているのである。

053-1853
フロリダの高海水温騒ぎも、強大な熱帯低気圧の発生につながって
おらず、こじつけ欲張りすぎゆえの自己矛盾をさらけ出している。
恥の文化とは対極をなすものだ。

053-1854
珊瑚の白化が起きているのに、強大な熱帯低気圧の発生や海面上昇
による浸水被害等が起きていないことを気にしないのが、罪の文化
の流儀ということか?(確かに、恥ではあるが、罪ではないが…。)

053-1855
罪の文化は「違法でなければ問題無い」主義に陥りやすい。また、
権威主義にも陥りやすい。罪(の基準)というものは、一握りの権威
ある者たちによって決められるものだからだ。

053-1856
また、それだけに、一握りの者たちの独善に陥りやすい。それ故、
閉鎖的で排他的なファッショに陥りやすいのである。中世の暗黒時
代も、罪の文化が生んだのだ。

053-1857
つまり、罪の文化の国は、一握りの者たちによる独断と偏見が支配
する国になりがちなのである。たとえ、その者たちに欲が無くても
だ。欧米の歴史を見れば、納得がいくはずである。

053-1858
それと比べると、恥の場合は、一握りの者たちがその基準を決めて
しまうわけではないので、恥の文化の国であった開国前の日本には
中世の暗黒時代のような時代は無かったのである。

053-1859
ところが、明治維新後の日本は、近代化を意識しすぎたせいか、罪
の文化を受け入れるようになってしまう。後に東亜共栄圏構想とい
うファシズムに走るようになってしまったのも、その影響である。

053-1860
話はそれるが、米ソは共に東亜に利権の欲があったのだから、東亜
共栄圏構想は米ソとの戦争を避けられなくする愚策であった。なぜ
なら、日本は米ソとは戦争をしない計画だったからだ。

053-1861
何しろ東亜共栄圏構想は東亜解放思想である。戦争になって当然で
ある。一方、今の東亜の反日ぶりを見ればわかるように、これは恩
を仇で返す地域のために日本人を犠牲にする愚策でもあったのだ。

053-1862
さらに、東亜共栄圏構想は、当時の列強の経済ブロックを真似たも
のでもあった。つまり、欧米猿真似主義なのである。まさに、平成
の暗黒時代を先取りしたような思想戦略であったのだ。

053-1863
平成の暗黒時代を先取りと言えば、東亜共栄圏構想は脱亜論の逆を
行くものである。このような場合、日本は、大抵、災いに見舞われ
ていることが、歴史を調べればわかるものである。

053-1864
つまり、歴史の教訓を無視していたのである。以上の酷さを考えれ
ば、戦前の日本が破滅に至ることになったのは当然のことだろう。
そんな愚策を戦前の日本人は受け入れてしまっていたのである。

053-1865
しかも、東亜共栄圏構想は、『一握りの者たち』によって提唱され
推し進められたものなのである。こうしてみると、やはり、罪の文
化の影響があったとしか考えられないのだ。

053-1866
ついでに言っておくと、東亜共栄圏構想の熱烈な賛同者の一人に、
岸信介がいる。そのことが(ほとんど)知られずに済んでいるのは、
そのことがわかる著作がGHQにより焚書にされたからだ。

053-1867
著作が焚書にされると、普通は名誉を失うものなのであるが、岸信
介の場合は、暗い過去が帳消しにされているのである。彼をA級戦
犯不起訴にした米国の御都合主義の可能性が疑われる。

053-1868
とにかく、岸信介が東亜共栄圏構想の支持者であったことは事実で
あり、戦後も『反列強(反米・反英)』を『反共』に変異させた形で
支持し続けたのである。

053-1869
だから、親韓だったのであり、親「統一教会」だったのだ。孫の安
倍も同じである。以上のことがわかれば、安倍派が戦後変異種の東
亜共栄圏構想の支持者の集まりであることがわかるはずである。

053-1870
北朝鮮や中国に毅然たる態度をとるのは、それらが米国の敵となる
共産圏国家だからであり、反中・反朝だからではない。韓国に対し
ても同様で、反米もしくは離米的傾向が強まった時だけだ。

053-1871
東亜共栄圏構想は、東亜に対する無知に基づく独善的な解放思想で
あり、その実現のために日本人を犠牲にする思想であるが、この特
徴は、安倍派が推進してきた環境ファッショにそっくりである。

053-1872
なぜなら、この環境ファッショは、自然科学に対する無知に基づく
独善的な『この世の終わり』からの解放思想政策であり、そのため
に日本人を犠牲にする思想政策だからだ。

053-1873
また、欧米猿真似思想であることや、一握りの者たちによって仕切
られている点でも、そっくりである。さらには、東亜を潤わせよう
とするという点でも、そっくりだ。

053-1874
そういえば、日本の経済界も環境ファッショに好意的だ。マスゴミ
が環境ファッショに味方するのもそのせいだが、経済界にも戦後変
異種の東亜共栄圏構想の狂信者が多いということだ。

053-1875
まさに「歴史は繰り返す」である。戦後日本は土下座外交がお好き
なようだが、日本のための反省は全くしていないのである。政治家
も、財界人も、文化人も、マスコミも。

053-1876
東亜共栄圏構想の支持者たちは、列強の搾取のせいで中国が貧しく
なったと説いたが、実際には、その前から貧しかった。中国の指導
者が近代化を怠っていたからだ。

053-1877
また、彼らは満州を防共・防ソのための防波堤にしようとしたが、
実際には、日本軍のお荷物にしかならなかった。日本軍が守ってや
らなければならなくなったのだ。(安保の負担がかえって増えた。)

053-1878
こうした無知といい加減さに基づく独善は、現代の環境ファッショ
に通じるところがある。実際、自然科学に対する無知といい加減さ
に基づく独善の世界になっている。

053-1879
それは、まさしく、『法』の世界である。法の世界も、傍目の者か
ら見れば、独善の世界である。だから、どんな分野も、法学系人間
が仕切ると、独善の世界になってしまうのだ。

053-1880
法学系人間にとって、(たとえば自然科学などのような)専門外の分
野に関しては、素人である。故に、悪い結果が出て当然である。従
って、そのような人たちに仕切らせる方が悪いのである。

053-1881
より具体的に言うと、政治家や裁判官などが自然科学などを仕切る
ことを許している国民が悪いのである。国民がこれを激しく非難し
ない限り、これが終わることは絶対に無い!

053-1882
なぜなら、専門外のことを仕切ることを禁じる法が存在しないから
である。ならば、法学系人間である彼らは、それを堂々とやり続け
ることになるだろう。

053-1883
弁護士でさえ、専門家証人に依頼する形で、それをやることが可能
である。最近の政治家どもは、同様の手口で、自然科学を仕切って
いる。おそらく、欲深い法学系人間たちの新常識なのだろう。

053-1884
彼らにとって重要なのは、自分たちが望む判決、すなわち、結論な
のであり、事実や論理ではない。また、そのために都合の良い法を
定め、法則を無効にしてしまう。

053-1885
その一方で、科学の用語や表現は生かしておき、自分たちに都合の
良いように、自分たち流に使用し、正統科学を装う。この『自分た
ち流』こそ、政治的疑似科学の最大の特徴と言える。

053-1886
たとえば、彼らは『飽和水蒸気量』という用語を用いて、温暖化と
豪雨を結び付けようとする。「大気中に含まれる水蒸気量が増える
ので」という論理で。もちろん、これは破廉恥トリックである。

053-1887
確かに、温度が上がれば、飽和水蒸気量は増すので、大気中に含ま
れる水蒸気量が増える可能性があるが、それはまた、大気中に含ま
れる水蒸気が雲になりにくくなるということでもあるのだ。

053-1888
従って、水蒸気が雲になる量は増えず、故に、雲の量は増えず、故
に、降水量は増えないのである。よって、温暖化により豪雨が酷く
なることは物理的にあり得ないのである。

053-1889
つまり、水蒸気が雲になりにくくなるという都合の悪い必然的結論
を無視することで、温暖化と豪雨を結び付けているのである。これ
は『飽和水蒸気量』という用語のデタラメな用法である。

053-1890
こうしたデタラメな用法こそ、『自分たち流』の好例なのである。
また、今夏の猛暑の説明でよく聞かれる「偏西風の蛇行」論や「二
階建て高気圧」論なども、『自分たち流』の典型である。

053-1891
偏西風の蛇行は、緯度が同じで経度が異なるエリア間に温度差があ
る場合に起きる現象であって、地球全体が温暖化することによって
起きる現象ではない。

053-1892
おまけに、偏西風の蛇行のしかたが、地球温暖化が進んだ場合の夏
のそれとは逆になっている。つまり、陸よりも海の方が高温になっ
ている場合の蛇行のしかたになってしまっているのだ。

053-1893
というのも、地球温暖化論者たちが、偏西風の高緯度への蛇行を温
暖化のせいにしてきたからだ。陸のエリアでは低緯度に蛇行し、海
のエリアでは高緯度に蛇行しているのである。

053-1894
まさに、自分の言葉に自分で躓(つまづ)いているわけであるが、そ
れ以上に問題なのは、何の根拠も示さずに偏西風の蛇行を温暖化の
せいにしていることである。

053-1895
前にも何度も述べたように、彼らの言う「偏西風」とは、風(気流)
が西向きになっているところを無理やり東西につなげて、ひと連な
りの流れのように描いた、人間の創作作品にすぎない。

053-1896
たとえば、高気圧が存在する場合は、高気圧のふちを回る気流のう
ちの高緯度側(ほぼ)半分の部分だけを抽出し、偏西風の構成要素に
する。故に、偏西風は高緯度側に蛇行した(凸な)ものになる。

053-1897
同様に、低気圧が存在する場合は、低気圧のふちを回る気流のうち
の低緯度側(ほぼ)半分の部分だけを抽出し、偏西風の構成要素にす
る。故に、偏西風は低緯度側に蛇行したものになる。

053-1898
こうしてみると、偏西風の蛇行は少しも異常な現象ではないことが
わかるだろう。いや、「現象」というよりは「蛇行した形状になっ
て当たり前な作られ方をされたものの姿」と言うべきなのである。

053-1899
そんなものを用いて「異常気象」と地球温暖化とを結びつけようと
するとは、全くふざけた話である。実は、この「偏西風の蛇行」論
というトリックには、ある重要な真実が隠されているのだ。

053-1900
既に述べたように、彼らの言う「偏西風」は、高気圧や低気圧など
が存在すると、蛇行したものになる。ということは、偏西風の蛇行
は、気圧分布にムラがあるということを示していることになる。

053-1901
一方、気圧分布のムラは、温度分布のムラによって生じる。故に、
以上のことから、偏西風の蛇行は、温度分布にムラがあることを示
していることになるのである。

053-1902
つまり、「偏西風の蛇行」という表現は、温度分布にムラがあるこ
と、すなわち、高温のエリアと低温のエリアがあるという事実を隠
蔽するためのトリック表現なのである。

053-1903
敢えてマルクス=レーニン主義者好みの言い方をすると、熱エネル
ギーの『集中・偏在』という事実を隠すための破廉恥表現なのであ
る。高温は、やはり、局所的な現象だったのだ。

053-1904
偏西風の蛇行を調べれば、どこが高温になっているかがわかる。ペ
テン師たちは、そういう場所ばかりを採り上げて、「世界各地で」
などとほざくのだ。

053-1905
幸運なことに、偏西風の蛇行は、地球の複数の個所で起きている。
それを「世界各地で」とは、うまい表現を考えたものだ。まるで世
界中の全ての場所が高温になっているかのように聞こえるからだ。

053-1906
それはともかく、既に述べたように、彼らの言う「偏西風」は、気
流の一部を抽出したものであるが、これは、裏を返せば、『気流の
ごく一部分しか考慮していないものである』ということだ。

053-1907
つまり、「偏西風の蛇行」論は、抽出しなかった気流(部分)を全て
無視する論なのである。しかも、抽出する気流(部分)よりも、抽出
しない気流(部分)の方が、圧倒的に多いのだ。

053-1908
そのような因子を全く限定した論で、異常気象の本当のメカニズム
が解明できるわけがない。これは、『西寄りの風』偏執狂、それも
『東西に連結可能な風』偏執狂の世界である。

053-1909
もっとも、実際には、偏執狂ではなく、馬鹿の一つおぼえである。
なぜ偏西風を重視するのか、実は全然わかっていない者たちによる
『自分たち流』なのだ。

053-1910
天気は、普通、西の方から変わってくる。それ故、この場合、天気
を変える原因となるものは、西の方からやって来ると考えられる。
だから、偏西風が重視されるのだ。

053-1911
つまり、天気を予想するために、天気を変える原因となるものの動
きを予想する目的で、偏西風に着目するわけである。偏西風は、あ
くまで、天気を予想する際に用いられる『道具』なのだ。

053-1912
従って、それを異常気象の原因の説明に使うのは、道具の間違った
使い方になるのである。このようなデタラメ行為は、名ばかりエリ
ートどものすることである。

053-1913
つまり、悪徳政治家どもは、名ばかりエリートどもに力を与えてい
るわけである。彼らの道具のデタラメな使い方は、まさしく『自分
たち流』である。

053-1914
道具のデタラメな使い方をする者が一人だけであるならば、世間か
らは「自己流」としか評価されないが、複数の者がそういうことを
するようになると、「自己流」とは評価されなくなるものだ。

053-1915
さらに、その人数が増えると、いつの間にか、広く「正統科学」と
認識されるようになってしまうのである。これが『自分たち流』と
いう集団催眠術のテクニックである。その効果は絶大である。

053-1916
嘘も百ぺん吐けば真実になるそうだが、ならば、同じ嘘を吐く者が
百人いれば、その嘘は、やはり、真実になるだろう。それと同様の
ことが、道具のデタラメな使い方にも言えるのである。

053-1917
つまり、道具について、同じデタラメな使い方をする「専門家」が
百人いると、それが「正統科学」になってしまうのである。これが
『自分たち流』の威力である。

053-1918
もっとも、実際には、百人もいる必要は無く、数名程度で十分なの
である。なぜなら、多くの人は、マスメディアに起用される「専門
家」しか知らないからだ。

053-1919
言い遅れたが、道具のデタラメな使い方をする連中が、自分たちの
やっていることを「自分たち流」と白状することは無い。『自分た
ち流』は、『自己流』との人数の違いを表すための表現である。

053-1920
『自分たち流』は、実際には『自己流』である。だが、群れを成す
ことで『正統』ぶるのである。しかも、政治やマスゴミなどが黒幕
としてバックについている。完璧な騙しである。

053-1921
「偏西風の蛇行」論は、今夏の記録的な猛暑の説明に用いられてい
るが、もう一つ、同じ目的に用いられている『自分たち流』論を挙
げておこう。それは「二階建て高気圧」論である。

053-1922
二つの高気圧が二階建て状に存在することは、物理的にあり得ない
ことである。これは、実は、二つの高気圧の間に存在しているはず
の『気圧の谷』を隠蔽するためのトリック表現なのである。

053-1923
気圧の谷は、前線や低気圧などと同様に、低緯度から暖気を引き寄
せる働きをする。この働きが高温をもたらすことになるのだが、そ
のことに気付かれないようにするために隠蔽しているわけである。

053-1924
ちなみに、ここで言う「二つの高気圧」とは、チベット高気圧と太
平洋高気圧のことであるが、意外と知られていないのが、チベット
高気圧の役割である。

053-1925
チベット高気圧で、日本に影響を及ぼすのは、その東側の部分であ
る。そこでは、「高気圧のふちを回るように」、高緯度から低緯度
の方「に向かって」、低温の「空気が流れ込んでくる」のだ。

053-1926
もうお気づきのように、この話は、気象予報士がよくやる太平洋高
気圧をめぐる話とは、気流の方向も、空気の温度の高低も、正反対
なものになっている。(だから、「」をつけた。)

053-1927
このように話がチベット高気圧の場合と正反対になるのは、太平洋
高気圧の場合、日本に影響を及ぼすのが、東側の部分ではなく、西
側の部分だからである。

053-1928
高気圧というものは、東側の部分と西側の部分とでは、気流の方向
や空気の温度の高低が逆になるのである。冬の寒さをもたらすシベ
リア高気圧のことを思い出して欲しい。

053-1929
シベリア高気圧は、高気圧から吹き出す空気がもともと低温である
上に、その東側では、気流が高緯度から低緯度へ向かう方向になっ
ているので、日本に強い寒波をもたらす。

053-1930
チベット高気圧も、これと同様である。ただし、東隣にあるのが、
低気圧ではなく、高気圧(太平洋高気圧)なので、低温の空気が日本
列島に流れ込んではこないという点が、これとは異なる。

053-1931
その代わりに、太平洋高気圧との間に、気圧の谷を生じさせる。そ
こでは、チベット高気圧がもたらす低温の空気と、太平洋高気圧が
もたらす高温の空気とが出合うことになる。

053-1932
温度の異なる空気は重さが異なるのだから、高温の空気は上昇する
ことになるため、気圧が下がり、その影響で、低緯度から高温の空
気が引き寄せられることになる。

053-1933
つまり、チベット高気圧の(東側の)ふちを回る低温の気流が、太平
洋高気圧の(西側の)ふちを回る高温の気流を力づけるのである。こ
の効果だけでも、高温の原因になることがわかるだろう。

053-1934
だが、チベット高気圧の(東側の)ふちを回る低温の気流の効果は、
それだけではない。実は、フェーン現象と同じような効果をも、も
たらすのである。つまり、山のような働きをするのだ。

053-1935
ただし、フェーン現象における山のように、気流がそれを越えてい
くわけではないので、斜面とでも言った方が良いのかもしれない。
この斜面を上って下ることにより、高温になるのだ。

053-1936
もちろん、上るエリアと下るエリアは異なる。太平洋高気圧の(西
側の)ふちを回る高温の気流が、チベット高気圧の低温の気流と出
合い接するエリアが、上るエリアとなる。

053-1937
そして、そこを過ぎて、チベット高気圧から離れようとするエリア
が、下るエリアとなる。ボブスレーなどのカーブのシーンをイメー
ジしてもらえば、わかりやすいかもしれない。

053-1938
カーブに入ると、外側の高くなったところを滑走し、カーブが終わ
ると、再び中央の低くなったところに戻って滑走するようになる。
あのイメージである。

053-1939
さて、そこから先の話は、山越えによるフェーン現象の話と同じで
ある。気流が斜面を上ると、温度が下がり、水蒸気が飽和→凝結し
て雲になるが、その際、気化熱に相当する潜熱が放出される。

053-1940
これにより、気流は温められ、温度が上がる。その後、斜面を下る
と、気圧が上がるので、温度が(さらに)上がるのだが、潜熱の放出
により加熱されているため、斜面を上る前よりも高温になるのだ。

053-1941
こうしたフェーン現象似の現象により、「太平洋高気圧のふちを回
る」気流は、「記録的な猛暑」をもたらすこともあるほどの高温に
なり得るのである。

053-1942
このように、山が無くても、フェーン現象と同様の現象が起きるの
である。そして、これが、チベット高気圧の(東側の)ふちを回る低
温の気流がもたらす、もう一つの効果なのである。

053-1943
以上、二つの効果により、チベット高気圧は夏の暑さに貢献するの
である。だが、「二階建て高気圧」という表現では、そうした温度
上昇のメカニズムが全く見えてこない。

053-1944
確かに、二つの高気圧のふちが接しているエリアでは、二つの気流
が「二階建て」状になってはいるが、このエリアのことだけを理由
に「二階建て高気圧」と呼ぶのは、いささか不適切である。

053-1945
それに、気流が「二階建て」状になっても、なぜ気流の温度が高く
なるのかの説明にはならない。これでは、「二つの高気圧がダブル
で働くから高温になるのだ」という間違った理解しか出来ない。

053-1946
つまり、「二階建て高気圧」という『自分たち流』の表現が、「二
つの高気圧がダブルで働くから」という『自分たち流』の(自称)理
解を世間に蔓延させているのである。実に反社会的な表現である。

053-1947
それはともかく、そもそも、流れの向きがほぼ正反対の二つの気流
が、上下に交通整理される(その結果、「二階建て」になる)という
ことからして、自然現象としては実に不思議な現象ではないか?

053-1948
奇妙なことに、「二階建て高気圧」論者たちは、二つの気流が正面
衝突せずに上下の「階」に交通整理されるメカニズムの説明をしな
いのである。その理由は、もはや明らかであろう。

053-1949
既に説明したように、二つの気流が上下の「階」に交通整理される
のは、二つの気流の気温が異なるからである。太平洋高気圧側の気
流は暖気流だが、チベット高気圧側の気流は寒気流である。

053-1950
そして、気温が異なれば、重さも異なってくる。高温の気流は軽い
ので上の「階」に、低温の気流は重いので下の「階」に、それぞれ
行くことになるわけである。

053-1951
このように、気流の交通整理のメカニズムは、専門知識が無くても
容易に理解できるレベルのものなのである。にもかかわらず、「二
階建て高気圧」論者たちがその説明をしないのは、なぜか?

053-1952
その一番の理由は、寒気流が重要な役割りを果たしているからであ
る。チベット高気圧の寒気流が、太平洋高気圧の暖気流を力付け、
さらにフェーン現象似の現象を起こさせて高温にするのである。

053-1953
つまり、寒気流が温度上昇の原因になっていることがバレるので、
地球温暖化説にとっては都合が悪い。だから、説明をしないのであ
る。『報道しない自由』ならぬ『説明しない自由』である。

053-1954
それはともかく、チベット高気圧は、その東側を回る寒気流の働き
により、太平洋高気圧の西側を回る暖気流を、流量・温度ともに強
化するのである。今夏は、この働きが絶大だったのだ。

053-1955
だから、エルニーニョの影響で弱まると予想されていた太平洋高気
圧の暖気流が、逆にラニーニャの時並みか、それ以上に(流量・温
度ともに)強まった(結果、記録的猛暑となった)のである。

053-1956
ちなみに、気象屋たちの今夏についての予想は、スーパーエルニー
ニョによる冷夏であった。チベット高気圧の寒気流の影響は、全く
考えていなかったのである。

053-1957
それはともかく、エルニーニョによる海水温低下の影響よりも、チ
ベット高気圧の寒気流の影響の方が強かったことは、地球温暖化説
にとって極めて都合の悪いことである。

053-1958
なぜなら、これは、寒気には高温をもたらす効果があるということ
を証明するものであり、しかも、その効果が極めて大きいというこ
とを証明するものであるからだ。

053-1959
何しろ、エルニーニョによる海水温低下の影響を打ち消すだけでな
く、ラニーニャ時の海水温上昇並みか、それ以上の気温上昇効果を
もたらしてしまったのだから。

053-1960
つまり、これは、海水温の高低を異常気象の一番もしくは唯一の原
因とする『海洋原理主義』思想の崩壊を意味するものなのである。
寒気の影響の方がずっと大きいことが証明されたのであるから。

053-1961
海水は、温度の変動を抑える働きが強いものである。従って、その
ようなものが、極端な温度変動の根源的原因になるわけがないので
ある。海洋原理主義は、やはり、『自分たち流』の世界である。

053-1962
何しろ、海洋原理主義者たちは、なぜ海水温が変動するのか、説明
できないのである。説明できるのは、地球温暖化を原因とする上昇
だけで、低下や偏りは説明できないのだ。

053-1963
海水温の変動の一番の原因は、実は、海流の変動である。そして、
その原因は、海の上を吹く風(気流)の変動である。風に影響を及ぼ
すのは、海水温だけではない。陸の温度も影響するのだ。

053-1964
ところが、海洋原理主義者たちは、陸の影響を無視するのである。
都合が悪いからだ。事実、チベット高気圧についても、陸の影響を
完全に無視している。

053-1965
まず、チベット高気圧の東側を回る寒気流は、大陸から来るもので
ある。さらに、チベット高気圧自身は、大陸で発達する高気圧であ
る。これがまた、非常に都合が悪いことなのだ。

053-1966
なぜなら、高気圧は大気が冷やされて下降することにより生じるも
のだからだ。しかも、そうした現象が陸で起きているとなれば、夏
季という時期を考えると、極めて都合が悪い。

053-1967
なぜなら、夏季は海よりも陸の方が高温になりやすいはずだからで
ある。にもかかわらず、高気圧が生じているということは、陸は低
温であって、温暖化はしてはいないということなのである。

053-1968
地球温暖化が本当に進んでいるのなら、チベット高気圧のような陸
で発生する高気圧は、夏季は発生しなくなるか、もしくは、発生場
所が高緯度へ移ってしまうかするはずである。

053-1969
こうした矛盾が露呈してしまうため、陸の影響を無視したがるので
ある。だが、陸の影響を無視していては、海水温の変動の理由が説
明できない。なぜなら、風(気流)が関係してくるからだ。

053-1970
既に述べたように、海水温の変動の原因は海流の変動であり、海流
の一番の原動力は風なのであるから、その変動の一番の原因は風の
吹き方の変動なのである。

053-1971
風の吹き方には、海水温だけではなく。陸の温度も関係してくる。
だが、水という物質は、比熱が大きく、また、蒸発による気化熱の
吸収があるので、温度が変化しにくいはずである。

053-1972
従って、海水温の変動が風の吹き方の変動の一番の原因であるとは
考えにくい。よって、風の吹き方の変動の一番の原因は、陸の温度
の変動であるとしか考えられないのである。

053-1973
陸の温度が変動したために、風の吹き方が変動し、海流が変動し、
海水温が変動したのである。となると、問題は「陸の温度が、どの
ように変動したのか?」であろう。

053-1974
具体的に言えば、陸の温度が高くなったか、それとも、低くなった
かである。もし高くなったのであれば、海風が吹きやすい状態、す
なわち、低気圧が(陸では)発生・発達しやすくなるはずである。

053-1975
従って、低気圧とは逆の高気圧が、太平洋高気圧と「二階建て」構
造をなすことができるような緯度に発生・発達するはずがないので
ある。ところが、今夏は発生・発達していたのだ。

053-1976
ということは、陸の温度は高くなったのではなく、むしろ低くなっ
たということになる。これは、温暖化とは逆の現象である。だから
こそ、今は急に寒くなったりするのである。

053-1977
『寒気が高温をもたらす』という話は、イメージ的には極めて理解
に苦しむ話だろうと思う。だが、それは、寒気が低温であるという
ことしか考えていないからである。

053-1978
そこで、次回(054)からは、予定を大幅に変更して、寒気と寒冷化
(正確には気候不安定化)の話をしたいと思う。現代人が、あまりに
も、寒気について、わかっていないからである。

                       (つづく)
戻る