041-01
ここからは、『風と自然(特に「生き物」)』と題して話をしていき
たいと思う。多くの現代人はわかっていないようだが、風は、自然
界にとって、絶対に欠くことの出来ない重要なエネルギーなのだ。

041-02
自然現象により気候が少々変動しても、生き物たちは移動により絶
滅を防ぐことができる。だが、植物などは、自力で移動する能力を
有さない。実は、風が移動させてくれるのである。

041-03
風は、種子などを、四方八方、それもかなり遠方までまき散らす。
そうしてまき散らされたもののうち、生息可能な環境に移動できた
ものが生き延びて、その種が保存されることになるのである。

041-04
風のそうした働きを無くしてしまうと、植物は絶滅し、さらに、食
物連鎖の関係で、動物や虫なども絶滅する。このこと一つ見ても、
風が自然界にとって如何に重要なエネルギーか、わかるだろう。

041-05
たとえ気候変動が無くても、風は「生命維持装置」と言っても決し
て過言ではないほどの重要なエネルギーである。なぜなら、もう何
度も言っているように、風は地球の天然エアコンだからだ。

041-06
復習すると、まず、熱交換により、極端な温度差や急激な温度変化
を抑えてくれる。また、雲や(雲等の原料となる)水蒸気の形でH2O
を海から運んできてくれる。

041-07
雲は、(紫外線を含む)強い日差しを和らげてくれる。また、放射冷
却(→猛烈な嵐等の原因にもなる寒気の発生)を抑えてくれる。これ
らも、風の働きあってのことなのである。

041-08
つまり、風の働きが無ければ、陸の大部分は、砂漠のような『多く
の生き物が生息できない環境』になってしまうのである。ただ、多
くの現代人が、そのことを知らないだけのことだ。

041-09
風はまた、ミネラルなどを運ぶ働きをする。こうした風の働きにつ
いては、まだ十分には解明されていない可能性が高い。なぜなら、
農漁業などへの直接の影響ぐらいしか知られていないからだ。

041-10
一方、飛ぶことが出来る生き物には、風を利用するものが少なくな
い。バード・ストライクも、このことが一因になっていると思われ
る。風は、やはり、重要なエネルギーなのだ。

041-11
ところが、風力発電推進派の連中は、「風は厄介者」などというネ
ガティブ・キャンペーンを展開して、天然エアコン破壊を正当化し
ようとするのである。

041-12
ネガティブ・キャンペーンなどというものは、誠意ある科学者のす
ることではない。政治運動屋や利権屋どものすることだ。このこと
からも、風力発電推進派の正体は明白だろう。

041-13
確かに、風が木を倒してしまったり、山火事等の被害をもたらした
りすることはある。だが、そうしたことは、そうそう頻繁にあるこ
とではないはずだ。

041-14
それに、そんなことだけで「厄介者」になるのなら、雨(→水害)や
日光(→干ばつ被害等)だって「厄介者」ということになるはずだ。
ダブル・スタンダードは、科学ではない証拠である。

041-15
ここで、一見逆説的な例の話をしよう。それは、風が強すぎて背の
大きな木が存在しない地域についての話である。なるほど、こうし
た例を見ると、風は生き物の敵であるかのように思えてしまう。

041-16
だが、ものは考えようである。大きくなる植物が存在しないという
ことは、大きくならない植物が淘汰されずにすむということでもあ
るのだ。つまりは生態系の問題である。

041-17
つまり、もし風が弱くなると、大きくなる植物が繁殖して、大きく
ならない植物が淘汰されてしまうのだ。これは、生態系が破壊され
たことになるのである。

041-18
ある生き物にはマイナスになるものが、別の生き物を保護している
ことがあるのだ。部屋等の風通しを良くすると、細菌などが繁殖し
にくくなり、疫病が抑えられることがあるのも、その実例である。

041-19
ちなみに、西洋では風通しの悪い家が多かったことが疫病が蔓延す
る一因になったとする説がある。風の重要性を理解したがらないの
は、もしかしたら西洋の伝統なのかもしれない。

041-20
それはともかく、そんな西洋人たちでさえ、風のことを「厄介者」
呼ばわりすることは、まずない。それはそうだ。そんなに風が嫌い
なら、風の強い所に住ま(行か)なければいいのだから。

041-21
このことに関連する重要な告発を一つしておきたい。私が住んでい
る北海道でも風力発電が盛んなのだが、風のことを「厄介者」と悪
く言っている者の多くが、実は、道外から来た者たちなのである。

041-22
つまり、『よそ者』が、北海道の自然の一部である強い風のことを
悪く言っているのだ。それも自分たちの利権のために。北海道で風
力発電関連の事業をやっている業者の多くは、本州の業者である。

041-23
余談だが、そうした業者の中には、東電出資の業者もあるのだ。東
電は、福島第一原発の安全性向上には金を注ぎ込まず、自然破壊エ
ネルギーに金を注ぎ込んでいたのである!

041-24
ところが、マスコミは、この点からの東電批判は絶対にしないので
ある。マスコミによる東電批判は、全く的が外れている。そんなマ
スコミの多くが、自然破壊エネルギー推進を全面支持している。

041-25
北海道のマスコミも例外ではない。風のことを「厄介者」呼ばわり
して悪者扱いしている。そんな北海道のマスコミも、実は、道外か
ら来た者が意外と多い業界なのである。

041-26
『よそ者』なら、その地の自然を愛せなくても、少しも不思議では
ない。それに、マスコミ人間の場合、思想性が強かったり、広告主
の業者に従順だったりすることは、決して珍しいことではない。

041-27
広告主の関連企業が自然破壊エネルギー事業にかかわっているケー
スもあり得る。また、NHKの場合は、政治家経由で操れる。いずれ
にせよ、「厄介者」評判の実態とは、この程度のものなのだ。

041-28
ちなみに、北海道のマスコミは、雪氷冷房ヨイショのために、雪の
ことまで「厄介者」扱いしている。「温暖化が進むと、(積雪→)雪
解け水が減って、農業が駄目になる」などと脅しておきながら。

041-29
風や雪が「厄介者」なら、なぜ海のことを「厄介者」呼ばわりしな
いのか? 海だって、人の命や財産を奪うことがあるはずだ。彼ら
の言う「厄介者」は、全く御都合主義的な評価でしかない。

041-30
神でもない限り、悪いところは必ずある。従って、どんなものでも
「厄介者」と評価してしまうことが可能だ。だが、それでは、単に
難癖を付けていることにしかならないだろう。

041-31
たとえば、猛暑の真夏に、わざと冷房の風が直接当たる所にやって
来て「寒い、寒い。冷房は厄介者だ!」などと論じる人がいたとし
たら、あなたはその人の言うことに賛同するだろうか?

041-32
また、厳寒の真冬に、わざと暖房のすぐ近くにまでやって来て「暑
い、暑い。暖房は厄介者だ!」などと説く人がいたとしたら、あな
たはその人の言うことに賛同するだろうか?

041-33
いずれのケースも、普通の人なら、悪質な嫌がらせとしか思わない
だろう。風のことを「厄介者」呼ばわりするのも、これらと同類の
行為なのだ。

041-34
確かに、冷暖房は、ある一部のエリアには劣悪な環境をもたらす。
だが、(それ以外の)全体には救いや恵みをもたらすはずだ。そのこ
とを無視するのは、あまりに偏った態度と言わざるを得ない。

041-35
風(気流、大気の循環)の場合も、全く同様である。生き物にとって
劣悪な環境のエリアが、どうしても生じてしまう。大気の大循環な
どは、砂漠気候地帯を生み出しているほどだ。

041-36
だが、大気の大循環が無ければ、高緯度と低緯度との温度差が、今
よりもずっと大きくなものになってしまう。また、中緯度も、温度
の年変化が、今よりもすっと大きなものになってしまう。

041-37
また、風(気流、大気の循環)が無ければ、陸の大部分は、海との熱
交換や海からのH2Oの供給も無くなるのだから、気温の年変化・日
変化がともに極端で、水に乏しい、砂漠気候になってしまう。

041-38
そもそも、太陽光の当たり方は位置や時によって異なる(一様では
ない)のであり、また、陸は比熱が小さく、水がわずかしかないの
だから、以上のことは当たり前のことである。

041-39
だが、この当たり前のことが、現代人は理解できないのである。ど
うやら、実際に風(気流、大気の循環)を失ってみないと、そのあり
がたみを認める気にはなれないようである。

041-40
否、もしかしたら、風(気流、大気の循環)を失って悲惨な目に遭っ
ても、なお、そのありがたみを認めようとはしないかもしれない。
「これも地球温暖化(人為的CO2)のせいだ!」とか言い張って…。

041-41
実際、寒流が流れる海域に存在する洋上風力発電施設群が招いてい
る海の生態系の異変が地球温暖化のせいにされてしまっている例が
あるのである。

041-42
風の吹き方が変われば、海水の流れも変わり、海水温の分布が変わ
ってしまうのだから、海の生態系に異変が生じるのは当然のことで
ある。

041-43
また、洋上風力発電施設の場合、水中に存在する部分が、海水の流
れを阻害する。従って、寒流が流れる海域なら、そのせいで海水温
が変わってしまうのは当然のことである。

041-44
一方、洋上風力発電施設の水中に存在する部分には、魚が住み着き
やすくなる。風発推進者たちはこれを「漁場を生む」などと宣伝す
るが、それはまた自然な生態系を乱すことでもあるはずだ。

041-45
さらに、漁場が出来ると、そこにいる魚を餌にする別の水棲生物が
集まってきてしまう。そして、このことが、「地球温暖化」の証拠
にされてしまうのである。

041-46
なぜなら、その水棲生物は、「今まで(その海域では)誰も見たこと
がない」生物であり、しかも、せっかく出来た漁場をも荒らしてし
まう脅威となる生物だからである。

041-47
ちなみに、ここで述べたような海の生態系乱しは、海洋発電でも起
こり得る。要するに、何でも人のせいにして、金を分捕ろうとする
のが、再生可能エネルギー推進派のやり方なのだ。

041-48
一方、陸の風力発電施設についても、「風が弱くなった」という症
状が確認されているそうなのだが、どうしたことか、話題にされる
ことはない。「大したことではない」と思っているからなのか?

041-49
それとも、それが風力発電推進派にとって都合の悪いことであるこ
とを知っているから、できるだけ触れないようにしたり、気付いて
いないふりをしているということなのか? 

041-50
いずれにせよ、風力発電による生態系への悪影響が隠しきれなくな
った場合には、「地球温暖化のせい」ということにして片付けてし
まうのである。

041-51
そもそも、再生可能エネルギー推進派たちは、生物や生態系のこと
など考えてはいない。だから、恐竜(が存在したこと)と地球温暖化
説との矛盾にも全く気付かないのである。

041-52
恐竜が栄えるためには、植物が豊富に茂っていなければならない。
だが、地球温暖化説が科学的事実なら、そのような環境はありえな
いはずである。

041-53
なぜなら、当時は今よりもずっとCO2濃度が高かったはずだからで
ある。なるほど、気温は高かった。だが、地球温暖化説が主張する
「異常気象」が、植物にとって大いに脅威となるはずだ。

041-54
まずは、干ばつ被害。植物は枯れてしまうだろう。また、山火事と
か野火などが起こりやすくなる。恐竜の時代に、消火活動を行う者
がいたとでもいうのか?

041-55
次に、豪雨。土砂災害は、植物を生き埋めにしてしまう。また、植
物を土壌ごと押し流してしまうこともある。さらに、土壌が流され
失われると、緑が回復するまで時間がかかる。

041-56
次に、強風・突風・竜巻。植物は、倒されたり、折られたりする。
また、恐竜自身にとっても、危険な場合が少なくない。それから、
雹も、植物を痛めつけるから、脅威となるはずだ。

041-57
そして、雹より恐いのが、雷である。背の高い植物には、雷が落ち
やすい。また、その近くにいた恐竜も被害を受ける危険性がある。
さらに、大型の恐竜の場合は、自身が撃たれる危険性が高い。

041-58
このように、もし地球温暖化説のいう通りなら、恐竜の時代は、恐
竜が栄えたとはとても思えないような環境の時代だったことになっ
てしまうのだ。

041-59
なぜ、このような矛盾に気付かないのか? それは、生物や生態系
のことなど全く考えていないか、そうでなければ、ジュール・ヴェ
ルヌ(の作品)の世界にひたっているからだろう。

041-60
ジュール・ヴェルヌの「地底旅行」をもとにしてつくられたという
「センター・オブ・ジ・アース」という映画では、なんと、太陽光
がほとんど届かないはずの地底世界に、恐竜が出てくるのだ!

041-61
太陽光が届かなければ、光合成が行えず、故に、植物が豊かに生い
茂ることはあり得ない。従って、そんな環境の所に恐竜が棲息して
いるはずがないのである。所詮は空想の世界にすぎない。

041-62
こうしてみると、恐竜と地球温暖化説との矛盾を認めない人たちが
ジュール・ヴェルヌ的空想ロマンを(おそらく無意識のうちに)科学
の中に持ち込んでしまっていることに気付くだろう。

041-63
ついでに言うと、「地底世界にも太陽がある」とする説には、相当
な無理がある。まず第一に、そのような所で核融合が起きる可能性
は絶望的なまでに低いと言わざるを得ない。

041-64
第二に、宇宙への放射冷却が期待できないので、(太陽があると)灼
熱地獄となるだろう。第三に、太陽が存在すると、地球の地磁気は
かなり複雑なものになるはずだ。

041-65
そして、第四に、「地底世界の太陽は、一体、どのような力学的メ
カニズムにより、地底世界との位置関係を保つことができるという
のか?」という天体力学的な問題が生じてくる。

041-66
もしかして、恐竜には、人がこうした問題に気付くことを出来なく
してしまう魔力でもあるのだろうか? それとも、単に、現代人が
マヌケなだけなのか?

041-67
ちなみに、欧米人には、ジュール・ヴェルヌ好き人間が多い。そし
て、我が国の再生可能エネルギー推進派は、ほぼ決まって、欧米か
ぶれ人間である。ただの偶然とは思えない。

041-68
さて、恐竜と同じことが、化石燃料にも言える。定説によれば、化
石燃料は生き物の遺体が原料になったということになっている。従
って、生き物が栄えた時代があったことが必要になってくるのだ。

041-69
ところが、その時代は、今よりもずっとCO2濃度が高い時代なので
ある。従って、地球温暖化説の言う通りなら、(「異常気象」のせ
いで)そのような時代はあり得ないことになってしまうのだ。

041-70
このように、生物や生態系のことを本当によく考えているのであれ
ば、化石燃料が実は地球温暖化説を反証する証拠なのであるという
ことがわかってしまうはずなのである。

041-71
特に植物がもとになっている石炭の場合は、干ばつや豪雨(堆積物
が流出してしまう!)は大敵のはずである。ちなみに、石炭は、化
石燃料の中でも特に悪者扱いされている化石燃料である。

041-72
ついでに言うと、地球温暖化説を絶対視し再生可能エネルギー導入
を主導してきた者の多くが、経済などの文系人間や、専門バカの工
学系人間たちである。彼らは概して生物や生態系への関心が薄い。

041-73
再生可能エネルギーに熱狂する専門バカの工学系人間たちが生物に
関心を抱くことがあるとすれば、それは生物が有する(特定の)機能
についてである。彼らの生物に対する関心は、狭く偏っている。

041-74
生物についてさえ、こんな調子である。ならば、風などの無生物の
自然についてなら、なおさらのこと、それを利用することにしか関
心が無いのは当然のことであろう。

041-75
たとえ氷のように冷たい唯物論者でも、自然というものを天然の精
密機械システムとでも考えれば、風の重要性や風力発電の有害性が
わかると思うのだが、彼らはそういうことすらしたがらない。

041-76
要するに、風力発電は、彼らに利権をもたしてくれる事業なわけで
ある。だから、考えたくもないのだ。つまりは金に汚いのである。
これは、ある意味、マッドサイエンティストよりもタチが悪い。

041-77
ところで、(文理問わず)風力発電推進派の中には、「昔は森林が豊
かだった。もし風力発電が有害なら、森林も同様の害をもたらして
いたはずだ」と論じる者がいる。これについて反証しておこう。

041-78
木は、確かに、風(気流)を阻害する。特に何本も並べば、防風林と
なり得る。事実、森林の中では、風は弱い。だが、森林の(木々の)
上では、そうではない。ここが、重要ポイントなのだ。

041-79
一般に、自然(天然)の森林では、木々の高さが、森林全体が流線型
をなすような高さになっているものである。それ故、風(気流)がで
きるだけ森林の上を流れていくようになっているのだ。

041-80
つまり、風を阻害しにくくなっているのである。別の観点から言う
と、森林の個々の木は、風をモロに受けないようになっているので
ある。

041-81
これは当然のことだ。強い風の場合、モロに受けると、木は折れた
り倒れたりしてしまう。また、強い風を受ける環境では、木は大き
くは育ちにくいのだ。

041-82
光合成を行う植物は、太陽光を求めて、出来るだけ大きくなろうと
競争する。だが、その一方で、風当たりを出来るだけ少なくするた
めに、マラソン競技での駆け引きのようなこともするのである。

041-83
そういうわけで、森林の木々は、森林全体の形が風(気流)を阻害し
にくい流線型になるような高さになるのである。つまり、風を積極
的に受けるようとするような高さにはならないのだ。

041-84
加えて、植物は風を受けると、しなる。このことが、また、風当た
りを弱めることになる。つまり、風を積極的に受けようとはしない
ようにするのである。

041-85
こうしてみると、(風を積極的に受けようとする)風車とは全く対照
的であることがわかるだろう。森林を風車と同類のものとして論じ
るのは、全く疑似科学的なことなのである。

041-86
「生態系」という言葉を振り回す前に、もっと生態系や生物のこと
をよく観察して欲しい。流行りの用語を振り回すだけというのは、
単なる知ったかぶりのすることである。

041-87
「生き物」のことを本当にわかっているわけでもない人たちに、本
当の自然保護など出来るわけがない。そこで疑わしくなってくるの
が、白人たちの言う「自然保護」である。

041-88
たとえば「生き物」について見ると、クジラやイルカのような特定
の「生き物」だけを(それも狂信的に)保護の対象にするという、全
く偏った保護だ。

041-89
そんなエコ贔屓な保護が『本当の自然保護』なわけがない。保護は
保護でも、せいぜい観光資源保護といったところだ。つまり、観光
(すなわち、金儲け)のための保護でしかないのである。

041-90
だからこそ、(そのままでは)観光資源にはならない『風』や『海水
の流れ』などといった「自然」は、平気で破壊したり傷付けたりす
ることが出来てしまうのである。

041-91
もっとも、風を観光のために利用する方法が全く無いというわけで
はない。たとえば、オランダなどに存在する古風な風車は、観光資
源になっている。

041-92
とはいえ、「資源になるか?ならないか?」で価値を決めてしまう
のは、あまりに人間中心的な(エゴな)判断である。また、資源にな
る場合には、乱獲・乱伐・乱掘などと同じ様な問題が生じてくる。

041-93
ついでに言っておくと、今流行りのエコツアーにも、自然を資源と
みなそうとする危険思想が反映されている。人が入ると破壊が進ん
でしまうのが自然というものなのに…。

041-94
もっとも、それだけに、環境省には利権をもたらすことになる。自
然破壊があると予算を増やしてもらえるのが環境省だからだ。環境
省は、本当は、自然保護の敵なのである。

041-95
そして、観光もまた自然保護の敵であると言わざるを得ないのは当
然のことである。観光も人間活動の一種にすぎないのだから。現代
日本人は、白人たちに幻想を抱きすぎる。

041-96
エコ贔屓にバラマキ、金儲け。要するに、今日の環境ブームは、低
俗極まるポピュリズムにすぎないのだ。そして、風力発電は、その
最も象徴的な事業の一つなのである。

041-97
事実、欧米では最も手っ取り早い(ただし、全く一時的な)雇用創出
手段になっている。いわゆる選挙対策である。風力発電は、本当は
人間中心主義やエゴの象徴にすぎないのだ。

041-98
現代日本人が愚かしくも手本にしたがっている欧米人の自然観は、
本当は実利的もしくは宗教的なのであって科学的なのではない。次
に、その一例として、偏西風崇拝について取り上げたいと思う。

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