039-01
謹賀新年。さて、ここからは、日本を蝕む再生可能エネルギー幻想
の最大の原動力となっている欧州幻想(欧州コンプレックス!)につ
いて述べることにする。

039-02
先月、南アフリカで開催されたCOP17では、欧州のヤラセが凄まじ
かった。旧植民地の島国の国々に「2020年からの温室効果ガス削減
では間に合わない!」と煽らせたのである。

039-03
一方、欧州自身は『条件付きでの京都議定書延長』で妥協するとい
う態度に出た。つまり、米・中・露などのような強国や“お得意さ
ん”のことを自ら面と向かって批判するのを巧妙に避けたのだ。

039-04
その一方で、日本のような大人しく真面目で純真な(∴ヤラセに気
付かない)国のことは、カモにしようとしたのである。こうした汚
さこそ、欧州の正体、実態なのだ。

039-05
先月始め、EUの交渉団の委員の一人は、京都議定書に参加しないこ
とにした日本を批判して、こう脅した。「京都議定書を継続しなけ
れば、京都議定書がこれまで築いてきたものをすべて失う」と。

039-06
だが、京都議定書が一体何を築いたというのか? 気候変動を抑え
るものを何も築けなかったからこそ、今大騒ぎしているのではない
か? 欧州の自己矛盾は明白である。

039-07
京都議定書が築いたもの…それは、欧州が日本をカモにする権利で
ある。1990年を基準とする限り、日本には負担が生じることになる
が、欧州には生じず、逆にボーナス(排出権)がつくほどなのだ。

039-08
つまり、欧州(日本)は省エネ化が遅れて(進んで)いたが故に得(損)
をするようになっているのである。この不合理により、欧州は日本
の経済競争力を削ぐことが可能になったのだ。

039-09
さらに、西欧は、より省エネ化が遅れていた東欧を抱き込むことに
より、多くの排出権を得、それを(削減が困難な)日本に売りつけ、
搾取したのである。

039-10
加えて、高価ですぐに壊れる(メーカー補償無しの)風力発電施設を
日本に売りつけ、搾取した。以上が、欧州の言う「京都議定書がこ
れまで築いてきたもの」の実態である。

039-11
そういう「もの」を失うことになってしまうから、欧州は日本のこ
とを『批判』したのである。これが、日本のマスコミが『クリーン
な環境先進国(地域)』などと持ち上げている欧州の実像である。

039-12
日本のマスコミは、これでまで欧州に関する様々な幻想を創作して
きた。たとえば、経済成長。わざとオイルショックのような落ち込
んだ時代と比較することで成長を創作してみせたのだ。

039-13
興味深いことに、これは、「地球温暖化」創作の手口(わざと気温
が落ち込んでいた寒冷期の時代と比較するという手口)と、全く同
じである。

039-14
ここで気付いて欲しいのは、日本のマスコミが自ら『日本を蝕む勢
力』(ここでは欧州)の手先になっていることである。こんな連中が
環境やエネルギーのことを真面目に考えているとは思えない。

039-15
実際、日本のマスコミは、欧州の再生可能エネルギーについても、
容量のことを「出力」と偽って報道している。もちろん、欧州の再
生可能エネルギー(電力生産量)を誇張するためだ。

039-16
そうすることにより、「欧州は凄い」とか「再生可能エネルギーは
いける」というイメージを植え付け、「(日本も)バスに乗り遅れる
な」と煽ることができるというわけである。

039-17
つまり、日本のマスコミは、反日勢力と利権屋の味方なのだ。欧州
を親日と思うのは間違いだ。そのことは、たとえば幕末に結ばさせ
られた不公平極まる通商条約ひとつ見ても明らかである。

039-18
なのに欧州に『ぞっこん』の日本は、やはり異常な国である。そう
いえば、日本には、反米は掃いて捨てるほどいるが、反欧はわずか
しかいない。海外では反米の国は反欧でもある場合が多いのに。

039-19
そのことは、たとえばイランで英国大使館が襲撃されたこと一つ見
てもわかるはずだ。もしかしたら、日本人は米国が『欧州人が原住
民の地を奪って建てた国』であることも忘れているのではないか?

039-20
とにかく、そんな調子であるから、(欧州が発表する)容量を出力と
偽ってでも、欧州を持ち上げたがるのだろう。NHKなどは、試算で
しかない数字を報じたりしているほどだ。

039-21
困ったことに、日本には、そうしたマスコミがタレ流すガセネタを
もとに文章を書いて得意になっている者がかなりいる。事実、彼ら
の文章では、容量が「出力」扱いされている。

039-22
中には、電力輸出に関して『仏→独』より『独→仏』の方が多いと
書く者までいる。だが、もしその通りなら、フランスは大変な電力
変動に見舞われることになってしまうはずだ。

039-23
なぜなら、『仏→独』分は、ドイツの再生可能エネルギーの出力が
下がった時の不足分であり、一方、『独→仏』分は、出力が高まっ
た時の余剰分…ということになるはずだからだ。

039-24
これでは、フランスは『仏→独』分プラス『独→仏』分もの電力変
動に見舞われることになってしまう。原発依存度が極めて高いフラ
ンスにとって、それは決して好ましいことではないはずだ。

039-25
なぜなら、原発は出力制御が苦手だからである。従って、フランス
が、そのような自国の電力の安全保障を脅かすような量的関係の電
力輸出入を行うわけがないのである。

039-26
おそらく、これは、再生可能エネルギー以外のエネルギーを含めた
場合の話の一部をすり替えて創られたものだろう。日本には、そう
までしてドイツを崇拝したがる偏執狂たちがいるわけである。

039-27
ドイツという国は、日本では大変人気がある国のようだ。サヨクは
マルクスを輩出した国として、また、ホシュ・ウヨクは同じ敗戦国
として、それぞれ好感を抱いている。

039-28
確かに、ドイツは他の欧州諸国に比べると知的な感じのする国では
ある。だが、ドイツも西洋の国である以上、「自然を支配する」と
いう思想文化の国であることに変わりはないのである。

039-29
それ故、他の西洋諸国と同じく、本当は自然界(自然環境維持)に必
要なエネルギーである「風力」等の自然エネルギーを搾取すること
に何の罪意識も抱かないのである。

039-30
自然エネルギーが自然界にとって必要なエネルギーであることを西
洋人が理解できない理由として、もう一つ、西洋人の「無」という
概念に対する考え方に盲点があることが挙げられる。

039-31
「無」という言葉(概念)は、定義が実にいい加減な言葉である。実
際には何も存在しないというわけでもないのに、「無」と表現され
てしまうことが全然珍しくない。

039-32
たとえば、車でドライブしていて退屈な景色が続くと「何も無いな
ぁ」などと表現することがある。実際には草木や石ころや大地など
があるはずなのに…だ。

039-33
このように、人は、本当は何かが存在するのに、その価値を認めな
いと、「無」とみなしてしまうものなのだ。そして、こうした態度
が、人を悪しき循環論の世界に陥れてしまうのである。

039-34
その循環論とは、『「無」とみなしてしまって良い→「無」とみな
されるほど価値が無い→「無」とみなしてしまって良い→「無」と
みなされるほど価値が無い→…』という循環論である。

039-35
こうした悪しき循環論により、人は、本当は人がそう表現しただけ
のことにすぎない「無」を、「絶対的な事実」と思い込むようにな
ってしまうのである。

039-36
さらに、世の中には不特定多数の人たちをこうした悪しき循環論の
世界に引きずり込んでしまうものが存在する。それは、新聞やTVな
どのマスコミである。

039-37
マスコミには、『みんなが「無」とみなしている』と人を信じ込ま
せてしまう影響力がある。この影響力の大きさが、不特定多数の人
たちが悪しき循環論に陥るきっかけを与えてしまうのである。

039-38
マスコミのような立場の者たちが、人に「無」を信じ込ませること
は、極めて容易なことである。なぜなら、「無」と信じ込ませたい
物事を無視すれば(取り上げなければ)いいだけだからだ。

039-39
余談だが、『無視』は『「無」を説く(「無」と報じる)こと』とは
違うので、マスコミが責任を問われることは無い。知識や情報をマ
スコミに依存することが如何に愚かなことか、わかるだろう。

039-40
このように、人は、内からも外からも「無」という思い込みへの誘
惑を受けるものなのである。ならば、多くの人が風力発電の有害性
を「無」と信じているのも、別に不思議なことではあるまい。

039-41
もちろん、自己批判精神を有する人は、この誘惑に打ち勝つことが
出来る。だが、文化や民族性といったものが、人の自己批判精神を
鈍らせてしまうことが間々あるのものなのだ。

039-42
たとえば、西洋のキリスト教では、無からの創造、すなわち、神は
無から万物を創造したという教えを説いている。だが、聖書の創世
記には、「無から」とは記されていないのだ。

039-43
特に「人」の創造に関しては致命的で、「主なる神は、土(アダマ)
の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」
と記されているほどなのだ。

039-44
こうしてみると、西洋人は、自分たちが価値を認めないものについ
ては、たとえ存在しても、「無」とみなしてしまう傾向が非常に強
いことがわかるだろう。

039-45
つまり、「土」は価値の無いものだから、存在しても、「無」とみ
なしてしまうのである。そういう民族なら、「無」という思い込み
の循環論の世界から抜け出すのは、極めて困難なことであろう。

039-46
そして、それならば、西洋(欧米)人が風流発電の有害性を「無」と
信じて疑わなかったとしても、別に不思議なことではないだろう。
そんな民族の見解を盲信する現代日本人が愚かなのである。

039-47
困ったことに、現代日本人は、欧米人の悪いところばかり真似した
がるようである。「原発安全神話」も、実は、「無」という思い込
みの循環論によるものなのだ。

039-48
つまり、それは、『想定外の自然災害の可能性など「無」なのだ→
原発は安全なのだ→想定外の自然災害の可能性など「無」というこ
となのだ→原発は安全なのだ→…』という循環論である。

039-49
このようなことが起きるのは、最初の「無」が、実は十分な検証も
せずに人がそう判断してしまったことであることを、忘れてしまう
からである。

039-50
つまり、無根拠な「無」を絶対の原理(思考の開始点)としてしまっ
ていることに気付かないからなのである。低すぎた津波の「想定」
も、実は、学者たちの思い込みに由来するものだったのだ。

039-51
その思い込みとは、「このあたりではプレートの境界部分が滑りや
すいから歪みがたまりにくく、故に(想定越えとなるような)大地震
や大津波は起こりにくい」という思い込みである。

039-52
この思い込みは、さらに「連動」や「(複数の)津波の干渉」の可能
性をも「無」としてしまう思い込みを生み出した。それなら、あれ
だけの巨大津波の可能性など、思い及ばなくて当然だろう。

039-53
ちなみに、これらの思い込みの根拠となったのは、過去に巨大津波
があったことを証明する証拠が「無」であった(見つかっていなか
った)ことであった。

039-54
ちなみに、最近の調査では、過去に巨大津波があったことを証明す
る証拠が古い地層に見つかっているそうである。つまり、それまで
の調査は不十分なものだったのだ。

039-55
だが、そのことに気付いていた学者は、ほとんどいなかった。だか
ら、巨大津波の可能性に関して、「無」という思い込みの循環論の
世界にはまっていられたのだ。無限ループのような世界に。

039-56
こうしてみると、「調査が十分かどうか?」ということが如何に難
しい問題であるか、よくわかるだろう。そこで、質問。風力発電の
有害性の調査は、はたして十分と言えるだろうか?

039-57
答えは、もちろん「ノー」である。それも「不十分」と言えるよう
な穏やかなものではなく、「ほとんど全くと言っていいほど行われ
ていない」というのが実状である。

039-58
つまり、福島第一原発の津波の「想定」よりも酷いのである。「風
力発電に有害性など無い」というのは「想定越えの津波などあり得
ない」というのよりも非科学的な思い込みなのだ。

039-59
だが、欧州コンプレックスが病的にまで強い現代日本人は、「欧州
人が言っていないから」ということを理由に、その思い込みを「科
学的事実」と盲信して、満足してしまっているのである。

039-60
欧州とて、調査したことがあるのは、せいぜい騒音問題やバード・
ストライクや電波障害…といったことぐらいである。中には、そう
いったことの調査すら十分には行われていない国もあるほどだ。

039-61
まして、気象や気候への(悪)影響の調査をきちんと行ったことがあ
る国など、一つも無いというのが実態だ。こんな状況では、「欧州
人が言って」くれることを期待する方が間違いというものだろう。

039-62
欧州は、日本と比べると、四季の変化に富んでいない。季節風の影
響を日本のようには受けないからだ。それ故、風が気候や気象を左
右するということがわかっていない人が少なくない。

039-63
つまり、欧州は、風の重要性が実感しにくいエリアなのである。な
らば、風力発電の有害性が理解できない人が多くても、仕方ないだ
ろう。

039-64
むしろ、日本という『風の重要性が実感できるエリア』に住んでい
ながら、欧州人同様に風力発電の有害性が理解できない戦後ニッポ
ン人こそ、あまりに情けなさすぎなのである。

039-65
そして、この情けなさの主要因が欧州コンプレックスであることは
明白である。コンプレックスというものは、人から知性も恥の意識
も奪ってしまうものなのだ。

039-66
しかも、当の御本人たちは謙虚になっているつもりでいるものだか
ら、余計タチが悪い。欧州(人)に平伏すということは、欧州(人)に
異を唱える人たちのことを卑しめるということなのだ。

039-67
従って、欧州(人)を盾に風力発電の有害性を認めようとしない戦後
ニッポン人の(自称)謙虚さは、全くの独善・偽善でしかないと言わ
ざるを得ないのである。

039-68
ちなみに、ドイツは、昔、「森の国」と言われたそうだ。森の中や
森に囲まれた所では、風が弱い場合が多い。そんな所で、気候や気
象における風の働きを経験的に知ることができるだろうか?

039-69
そして、何より奇妙なのは、「森の国」なら風が弱い所が多いはず
なのに、風力発電が盛んになっていることだ。要するに、ドイツは
森を破壊していたのである。

039-70
だからこそ、メガ・ソーラーの推進も可能なのだ。そんな国のこと
を「環境先進国」などと持ち上げ崇拝するのは、あまりにも恥ずか
しいことではないか?

039-71
ちなみに、ドイツにおける森の消失は、ウェーバーが歌劇「摩弾の
射手」を作曲する動機になったと言われている。ドイツに限らず、
欧州の歴史では、森林破壊は少しも珍しいことではない。

039-72
なお、「森の国」だった頃のドイツにも、風力発電を行うのにも十
分なほどの風が吹くエリアが存在はした。だが、それは、たとえば
上空や高所といった(一般に)人が住んでいないエリアなのである。

039-73
ならば、風の重要性を経験的に知る機会に恵まれないのは当然こと
だろう。さらに、もう一つ、見過ごしてはならないことがある。そ
れは、そうした風の影響が及ぶ範囲の広さである。

039-74
一般に、高いところを吹く風は、その風が吹き抜けている長さ(風
上から風下までの長さ)が長い場合が多い。それ故、そうした風の
影響が及ぶ範囲は、それだけ広いことになる。

039-75
従って、そうした風を弱めたり乱したりすると、その(悪)影響は、
それだけ遠方にまで及ぶことになるのである。さらに、風に国境は
無いのだから、他国にまで影響が及ぶ可能性もあり得る。

039-76
場合によっては、国内よりも国外で影響が強く出ることさえあり得
る。この場合、風を弱めたり乱したりしている国自身は、その弊害
を認識しにくいことになる。

039-77
以上のことを考えると、ドイツの風力発電施設群が周辺の国々にど
れだけ弊害をもたらしているか、わかったものではないだろう。し
かも、ドイツは自覚症状が無いだけなのかもしれないのだ。

039-78
おまけに、現代は、なんでもかんでも地球温暖化(CO2)のせいにさ
れてしまう時代である。風力発電の悪影響は、広範囲に及ぶので、
「地球規模の異変」とこじつけるのには都合がいい現象だ。

039-79
ドイツ人の民族性についても知っておかなければならない。ドイツ
人は頑固なことで有名だ。また、ナチズムという過去からもわかる
ように、意外と煽られやすく取り憑かれやすい面があるのだ。

039-80
それに、ドイツ(人)は、日本人が思っているほど誠実な国(民族)で
はない。そのことは、たとえば、ドイツが、戦前、アジアで何をし
たかといったことをきちんと調べてみればわかることだ。

039-81
ドイツ幻想の話をし始めるとキリがないので、次に北欧幻想に話を
移そう。メディアの世界では、北欧の国(都市)は、よく、世界で一
番住み良い国(都市)に選ばれる。だが、それは真実なのだろうか?

039-82
もし真実なら、移民が殺到し、人口爆発が起きているはずである。
だが、実際には、そうなっていない。つまりヤラセの類でしかなか
ったわけだが、問題は「住み良くない理由は何なのか?」である。

039-83
それは、自然環境(気候)が厳しいことである。そういう地域なら、
「自然を支配する」という思想が支持を得やすいだろう。天然エア
コン破壊の罪の意識など、無くて当然である。

039-84
一般に、自然と戦わなくては生きていけないほど自然環境が厳しい
所では、「自然を支配する」という思想が支持を得やすいものだ。
これには、民族とかは全く関係無い。

039-85
ちなみに、風車(の風景)で有名なオランダは、水の脅威という自然
と戦ってきた歴史を持つ国である。何しろ、国土の4分の1が海面
下の国なのだから。

039-86
呆れたことに、今時のニッポン人は、風力利用ではオランダの真似
をしたがるくせに、水の脅威(ただし、日本の場合は津波だが…)と
の戦いではオランダの真似はしたがらないのである。

039-87
つまり、悪いところばかり真似したがって、見習うべきところは全
然真似したがらないのである。これは、欧米猿真似大好き人間たち
に、よく見られる傾向である。

039-88
さらに、弱い自然(人に害を及ぼさない風)は支配したがるくせに、
強い自然(人に害を及ぼす水の脅威)とは戦いたがらない点も、見過
ごせない。これでは、単なる『弱い者いじめ』ではないか!

039-89
要するに、自分たちの恥知らずぶりを、「欧州」というブランド名
を利用して、審美化・正当化しているのだ。これが、風力発電を導
入したがる欧州猿真似大好きニッポン人たちの実態である。

039-90
そういえば、彼らは、(自称)エコカーの普及には、えらく積極的だ
が、欧州では珍しくない車規制には、全く消極的だ。万事、この調
子なのである。

039-91
だから、CO2削減と脱原発を訴えていながら、イルミネーションな
どのライトアップはやめたがらない…などという矛盾したことが出
来てしまうだ。完全に狂ってるとしか言いようがない。

039-92
ちなみに、イルミネーションの盛んなフランスは、原発依存国であ
る。原発があるからこそ可能な贅沢・道楽なのだ。この現実を無視
する現代ニッポン人が如何に狂っているか、わかるだろう。

039-93
欧州コンプレックスは、欧州よりも、むしろ、現代ニッポン人の側
に原因があるビョーキである。とにかく、そんなものを科学の世界
に持ち込むのは、もうやめにしてもらいたいものだ。

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