025-01
『もの』を作るには、資源が必要である。また、作る際に熱や工作機械等を使えば、エネルギー消費そしてCO2排出がある。風力発電機とて例外ではない。

025-02
作った『もの』は、それを設置する場所まで運ばなければならない。これも、エネルギー消費そしてCO2排出があることである。風車の形状・大きさ・重さ等のことをよく考えてみて欲しい。

025-03
運んできた『もの』が建造物の場合は、設置前に土木作業が必要である。その後、設置・組立を行う。これらは全て、エネルギー消費そしてCO2排出があることである。風車も建造物の一種である。

025-04
ついでに言うと、風力発電関連事業にはオフィスが必要である。オフィスでもエネルギー消費そしてCO2排出がある。奇妙なことに、これらのエネルギー・資源消費やCO2排出は、看過されている。

025-05
風力発電施設は、導入コストが高い。これは、資源やエネルギーの消費そしてCO2排出が多いことを意味している。工業製品からなる建造物(それも、商品!)であることを忘れてもらっては困る。

025-06
もっとも、完成して運転を始めた後は燃料消費やCO2排出が無いことになっているので、最終的には資源節約やCO2削減になりそうな気がする。だが、寿命や故障等の問題が、それを阻むのである。

025-07
風力発電機は、野晒(ざら)しなので、風雨や強い直射等に晒されることになる。しかも、心臓部(タービン等)が剥き出しである。それ故、非常に痛み(壊れ)やすいのだ。

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また、流体機械ゆえ、原理的に、どうしても振動が生じてしまう。振動は、低周波騒音の原因になるだけでなく、繰り返し荷重による疲労破壊の原因にもなる。

025-09
さらに、落雷による破損のことも忘れてはならない。風力発電機は、雷が落ちやすい物体である。しかも、落雷に対して無防備であり、耐性もないので、ほぼ確実に壊れる。

025-10
当然のことながら、発電しなくなった風力発電機は、資源節約やCO2削減には貢献できない。だからこそ、エネルギー詐欺師や環境詐欺師たちは、寿命や故障の問題には触れないのである。

025-11
一方、発電量(出力)についても問題がある。これについては、まず、よく用いられる「再生可能エネルギー」という言葉の真意、すなわち、“裏の意味”を知っておく必要がある。

025-12
再生とは、失われた状態が蘇ることだ。このことから、再生可能エネルギーとは、『(満足のいく)発電が出来ない状態から、発電が出来る状態に戻り得るエネルギー』という意味になるのである。

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つまり、「再生可能エネルギー」という表現には、『頻繁に発電が止まってしまうエネルギー』という“裏の意味”が隠されているのである。そのことに気付かなければならない。

025-14
「再生(可能)」の“裏の意味”を見抜いていないと、「無尽蔵」などという夢物語的な解釈に陥ってしてしまう。現実世界の「風力」は、フリーエネルギーの類とは違うのだ。

025-15
それはともかく、発電が停止ている間は、資源節約やCO2削減には貢献できない。それ故、停止が頻繁にある風力発電は、資源節約やCO2削減のための有効な手段とは言えないことになるのである。

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(充)電池を組み合わせても、この問題は解消しない。なぜなら、電池には発電機能が無いからだ。単に、発電可能時に得られた電気(の一部)を、発電停止時に使えるようにするだけである。

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しかも、充放電には必ずロスがある。つまり、それだけ、発電施設からの平均出力が低下してしまう(∴資源節約やCO2削減に貢献できなくなってしまう)ことになるのだ。

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ついでに指摘しておくと、風力発電施設の方は、「再生可能」ですらない。寿命が来たり壊れたりした風力発電施設(の出力)が自然に回復することはないのだから。「無尽蔵」は、幻惑にすぎない。

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寿命が短く壊れやすい消耗品に依存し続けるためには、少なくともその部品をいつまでも作り続けなければならない。それ故、資源消費や人為的CO2排出がいつまでも続くことになるのだ。

025-20
また、「再生可能」ゆえ頻繁に停止する発電施設は、平均出力が小さい。それ故、沢山建設しなければならない。つまり、それだけ多くの資源消費や人為的CO2排出をしなければならないのだ。

025-21
現実問題として、必要な数の発電施設の建設を一度に完了してしまうのは不可能である。それ故、いつまでも建設し続けなければならないことになるのだ。

025-22
それ故、資源消費や人為的CO2排出は、いつまでも続くことになるのである。これでは、いつまで経っても資源節約やCO2削減は実現できない。これが、風力発電に依存した場合の現実なのである。

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また、だからこそ、業者・企業は風力発電を絶賛するのである。製造や建設等をいつまでも続けなければならないということは、受注がいつまでもあり続けるということなのだから。

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そんな中で意外な盲点となるのが、石油業者だ。どんな事業でも、石油は直接・間接的に必要となるものなのである。風力発電事業とて例外ではない。商売敵どころか、大切なお得意さんなのだ。

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金融業社も風力発電事業のことを絶賛する。なぜなら、どんな事業でも金を借りる必要があるからである。また、その関連企業の株や債券等といった金融商品を取り扱うことでも儲けることができる。

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欲深い政治家や官僚たちもまた風力発電事業のことを絶賛する。それにタカれば、政治献金や接待や天下り先確保…等といった、とってもおいしい利権が生まれるからである。

025-27
彼らはまた、「雇用創出策や景気浮揚策にもなる」などとほざいて俗受けを狙おうとする。だが、そんなのは、風力発電事業が資源節約やCO2削減にはならないことを自ら認めることになる愚行だ。

025-28
風力発電機の製造や建設等は、手作業や人力によって行われるのではない。なのに雇用が増えるということは、雇用以上にエネルギー消費(資源消費、CO2排出量)が増えるということだ。

025-29
また、風力発電をめぐっては、よく「新産業」という言い方が用いられるが、「新産業」は「旧(既存)産業」によって支えられているというのが実態である。

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それ故、「新産業」(たる風力発電関連事業)は、「旧産業」を淘汰するわけではなく、むしろ潤わすのだ。したがって、「旧産業」の資源消費やCO2排出を増やしてしまうのである。

025-31
そもそも、風力発電機の製造や建設等は、ほとんど「旧(既存)技術」で済む(「新技術」を必要としない)ことなのであるから、これは当然のことである。「Change!」は幻想にすぎない。

025-32
ドイツなどの欧州の国々は、決して、風力発電によってCO2排出量を削減できたのではない。日本よりも遥かに時代遅れの非常に効率の悪い旧式の施設を潰すことにより削減できたのである。

025-33
だからこそ、欧州は(旧式の施設を本格的に潰し始める前である)1990年を基準年にしたがるのである。ついでに言うと、ドイツなどは、原発の多いフランスから電力を購入したりもしている。

025-34
このように、風力発電が欧州のCO2を削減したわけではないのだ。それどころか、風力発電に積極的になった頃から、欧州のCO2は増加傾向に転じてしまった観さえあるほどだ。

025-35
ちなみに、最近、日本の環境省が乱造を企てている『浮体式の洋上風力発電施設』は、コンクリートや鋼を沢山必要とする。やはり、資源食いなのだ。

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しかも、コンクリート産業や鋼産業は、どちらも化石燃料を沢山消費する産業である。それ故、「脱化石」や「低炭素」の切り札とは、お世辞にも言えないのである。

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それにしても、麻生(セメント業界出身!)自民党の惨敗が予想されていた衆院選直前になって、環境省が駆け込み的に浮体式洋上風力発電の実用化を進める方針を固めたのは、単なる偶然だろうか?

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ちなみに、今度の鳩山民主党政権は「コンクリートから人へ」と訴えている。ならば、浮体式洋上風力発電の推進(事業者への補助等)はやめてもらいたいものだ。さもなければ、嘘吐きになる。

025-39
浮体式洋上風力発電の先進国と言えばノルウェーが有名だが、同国は石油の輸出国である。つまり、所詮は豊かな国の偽善・独善にすぎないということだ。

025-40
豊かな国といえば、ドイツもそうだ。人口密度が低く、風力発電が可能な場所に恵まれている。(浮体式洋上風力発電に限らず)風力発電は、やはり、豊かな国の偽善・独善・自己陶酔にすぎないのだ。

025-41
話は少々逸れるが、ドイツ製の風力発電機を購入して後悔している(日本の)地方自治体が結構あるのだそうだ。おそらく、「ドイツ製」のイメージに惑わされたのであろう。

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どこ製だろうと、寿命や故障の問題は避けられない。一方、欧州のメーカーは、概してアフターサービスがなっていない。それ故、財力が無いと再起不能になってしまうおそれがあるのだ。

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それだけではない。風力発電機の製造は、歴史が浅いため、ドイツのメーカーといえども、伝統や実績は無い。それ故、品質(耐久性等)は全く不明なのである。楽器等とは違うのだ。

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さらに、ドイツの場合、東西統一後に深刻化した雇用問題への対策として風力発電事業を推進してきた。それ故、品質に関係してくる『労働の質』に疑問符が付くのである。

025-45
気候の違いも無視できない。ドイツと比べると、日本は季節の変化に富んでいるため、(風力発電機が)痛みやすい。それ故、ドイツでは問題が起きなくても、日本では起きる可能性があるのだ。

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以上のことを知らされていれば、「ドイツ製」ということで風力発電機を購入するなどという軽率なことはしなかったはずである。無責任にブームを煽った国やマスコミらの罪は極めて重い。

025-47
当たり前のことだが、風力発電機は神ではない。故に、永遠不滅なものではない。したがって、寿命や故障といった現実問題から逃れることは絶対に出来ないのである。

025-48
また、神ではないから、『無からの創造』も出来ない。それ故、エネルギーも、収入も、雇用も、何かを消費しなければ生み出せない(得られない)のである。

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要するに、今流行りの風力発電による地球『救済』論は、風車を偶像神として崇めさせる新興宗教(それも破壊的カルト!)なのだ。だから、独善的で、擬似科学的で、金に汚く、脅し好きなのである。

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欧米は風力発電のことを『環境技術』だなどと自慢しているが、実際には『消費を増やす技術』なのだ。日本の正統技術である『高効率化等による節約の技術』とは全く対照的なのである。

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ちなみに、『節約の技術』は、低コストを実現し、それを有する者の競争力をアップする。欧州等は、それが羨ましくてしょうがないのだ。だから、日本を攻撃してくるのである。

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また、『節約の技術』は、景気刺激策や雇用創出策にはならない。だから、無能な(特に日本の)政治家や経済学者どもは、日本のことを卑しめたがるのである。

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欧米が自慢し、無能な政治家や経済学者どもがもてはやす『消費を増やす技術』について、多くの人が見落としている重大問題がある。それは、(風力発電機の)メーカー保証期間の問題だ。

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恫喝屋たちは数十年先の環境破壊や資源枯渇の恐怖を喧伝し、メーカーは自社の風力発電機がその対策になると宣伝している。ならば、メーカーは最低でも数十年は保証をする義務があるはずだ。

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ところが、メーカー(輸入品の場合は、仲介した商事会社等)は、そのような保証はしていないのである。だから、財力の無い地方自治体が困っているのである。これでは詐欺ではないか?

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もっとも、メーカー等の業者側は、落雷などをネタに「不可抗力」と言い訳するかもしれない。だが、雷はごくありふれた自然現象であり、落雷は風車の構造から十分予測し得る事故である。

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よって、「不可抗力」などという言い訳は通用せず、保証の義務からは逃れられないのである。ところが、国は、こうした保証を義務付けていないのだ。要するに、国は業者とグルなのである。

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結局、風力発電ビジネスとは、所詮、早く寿命が来るものをどんどん買わせて儲けるという、昔ながらの『消費は美徳』ビジネスにすぎないのである。そんな活動が「環境に優しい」とは、お笑いだ。

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ちなみに、風力発電ブームを主導してきたのは、「消費は美徳」とされた時代に育った世代の者たちである。だから、(地下)資源はおろか「自然」を「消費」することにすら罪意識を覚えないのだ。

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風力発電ビジネスは、また、効用があるのか無いのか分からないようなものを沢山買わせ続けて儲けるという、いかがわしい健康食品ビジネスにも似ている。不安や恐怖を煽るという点でも。

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さらに、不安や恐怖に加えて自虐までをも煽るという点では、いかがわしい新興宗教による霊感商法にも似ている。風力発電は、今や最も強力な『民衆の阿片』の一つとなっている。

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そして、この悪質な霊感商法を支えているのが、地球温暖化説という擬似科学なのである。その実態については、番号027で暴くことにする。要するに、風力発電は、金と資源の無駄遣いなのだ。

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