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●第71回 第4章・遠隔作用と疑似近接作用(その1)

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当メールマガジンを御購読いただき、誠にありがとうございます。

今回から『第4章・遠隔作用と疑似近接作用』に入ります。
今回は、まず、イントロ的な話をします。
第1章の復習も兼ねて、お読み下さい。

なお、このメルマガは等幅フォントで御覧下さい。

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1.速度が嫌われた理由
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第3章では、『力線の理論』によって、相対論的効果と言われてきた現象(の幾
つか)が、実は、電磁気現象として説明できることを示しました。
また、『力線の理論』が受け入れられるのを邪魔しているが、
「電磁気法則に速度は無用!」
という『思想』であることも指摘しました。
では、このような『思想』はどうして生まれてきたのでしょうか?

一つには、それまで知られていた『二物体間に働く力(作用)の法則』に、速度
の項が含まれているものがなかったことが挙げられます。
たとえば、ニュートンの万有引力の法則には、速度の項がありません。
動摩擦力の式にもありません。
また、電磁気学の分野の『クーロンの法則』にもありません。
こうしたことから、「電磁気法則に速度は無用!」という科学思想が生まれたと
考えられます。

しかしながら、世の中には、速度が作用の大きさ等に関係してくる現象があるの
も事実です。
たとえば、二物体の衝突が良い例です。
この場合、作用・反作用の大きさは、二物体間の相対速度に(も)依存します。
この他、流体力学などにも、速度が関係してくる現象があります。

それでは、なぜ、このような現象があるにもかかわらず、科学者たちは、「電磁
気法則に速度は無用!」という思想に取り憑かれたのでしょうか?

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2.相手方の速度
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それは、速度が関係してくる現象は、いずれも、作用を及ぼし合う物体どうしが
「接している」場合の現象だからです。
流体力学の現象も、流体が物体に「接している」場合の現象ですよね。

これに対し、電磁気現象は、作用を及ぼし合う物体どうしが「接していない」場
合の現象です。
一方、ニュートンの万有引力の法則や、クーロンの法則など、速度が関係してこ
ない現象の法則は、まさに「接していない」場合のものです。
このことから、電磁気法則には速度は関係しない、ということになったと考えら
れます。

これは単に類似性からくることではありません。
速度が作用に関係しているのならば、速度がわからなければ作用は求まらないこ
とになります。
したがって、速度が作用に関係するためには、物体が(作用を及ぼしてくる)相
手方の物体の速度を知ることができなければならないことになります。
さて、二物体が「接している」場合は、相手方(の物体)の速度を知ることがで
きるので、速度が作用に関係することができます。
ところが、二物体が「接していない」場合は、近接作用の考え方に従えば、相手
方の速度を知ることはできません。
これでは、作用は求まりません!
ですから、近接作用を前提とする限り、「速度は関係しない」とするしかないの
です。

ところが、物体どうしが接していなくても、相手方の速度を知ることができるよ
うな科学理論が現れたのです。
それが、ファラデーの考案した『力線の理論』の考え方です。
それによれば、
『物体からは力線がのびており、これが物体と一緒に運動し、もう一方の物体
 を横切ることで、作用が生じる』
となります。
これならば、(力線が横切る速度から)相手方の速度を知ることができるので、
速度が関係してもよいことになるわけです。
この考え方により、ファラデーは、電磁気法則には速度が関係するという事実を
素直に受け入れることができたのです。

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3.機械力学モデルへの固執
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ところが、19世紀の学会の権威たちは、これを認めませんでした。
彼らの否定の根拠は、ファラデーの『力線の理論』の考え方が、機械力学モデル
によって説明できない、ということでした。
確かに、速度が関係してくる上に、生じる作用の向きが、磁気の向きとも、運動
方向とも異なる(垂直である)現象など、機械力学モデルで説明できそうもあり
ません。

当時は、なんでもかんでも機械力学モデルで説明することが流行で、それ故に、
機械力学モデルで説明できないものは、科学として認められなかったのです。
こうして、ファラデーの『力線の理論』の考え方は、当時の学会の権威たちによ
って卑しめられてしまったのです。
そして、その代わりに認められたのが、マックスウェル方程式だったのです。

しかしながら、そもそも、「機械力学モデルで説明できないと…」という主張自
体、全く根拠の無いものです。
事実、その後、現れた相対論や量子論は、機械力学モデルなど全く受け付けない
ものです。
否、それ以前に、『ローレンツ力』という概念が登場してきた時点で、なんでも
かんでも機械力学モデルで説明できるとする考え方は既に破綻していたのです。
つまり、機械力学モデルに固執した19世紀の学会の権威たちの考え方は、根底
から誤っていたのです。

だとすれば、ファラデーの『力線の理論』の考え方を拒絶する根拠は何もないは
ずです。

もっとも、ひょっとしたら、それでもなお反論があるかもしれません。
それは、動摩擦力のように「接している」場合の現象においてさえ、速度が関係
しない現象があるのだから…という反論です。
しかしながら、動摩擦力のことを根拠にするのは、自殺行為でしょう。
なぜなら、意外と知られていないことですが、動摩擦力は未だに機械力学モデル
によって説明できていないからです。
ですから、このような反論は、「機械力学モデルで説明できないと…」という主
張そのものの無根拠ぶりを自らさらけ出してしまうことになるだけです。

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4.近接作用との訣別
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ところで、なぜ、19世紀の科学者たちは、機械力学モデルに固執したのでしょ
うか?
それは、彼らが、『近接作用』という考え方に固執していたからです。
『近接作用』への固執については、既に第1章で説明しましたので、そちらを御
覧下さい。
とにかく、そのことからわかるのは、科学者たちは意外と感覚的なものに走りや
すいという事実です。
彼らが近接作用を絶対視するのは、「接していなければ作用は伝わらない」とい
った『人間の感覚によって得られた経験』を重視しているからです。
しかしながら、人間の感覚(視覚や触覚)が「接している」とする状態も、素粒
子のような微視的なスケールで見れば、実は「接していない」のです。
ですから、接していなくても作用は伝わるという事実を、素直に受け入れなけれ
ばなりません。
となれば、近接作用とは訣別し、遠隔作用という事実を受け入れるのが合理的と
言えるはずです。

次回は、もう少し、(第1章では割愛した)近接作用の問題点について述べよう
と思います。

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□■ 前回の雷発生の話について ■□


(1)『110.氷摩擦説の問題点』に関する補足

氷どうしがあまり擦れ合うと、氷(の表面)が摩擦熱でとけてしまいます。
そうなると、とけ出た水によって正・負がショートして放電してしまいます。
特に(雨)水には空気中の塵など不純物が含まれているので、電気が流れやすく
放電しやすいと言えるのです。
これでは蓄電されません。


(2)地磁気・ローレンツ力説に関する注意

『地磁気・ローレンツ力説』は、あくまで雷の発生に関する学説であって、あら
ゆる気象現象に地磁気が関わっているということを示すものでは決してありませ
ん。
どうか誤解なさりませぬように…


(3)雷のイメージ

寒くて大雪に見舞われる北国にいると、氷どうしが擦れ合う現象に(嫌でも)出
くわすものです。
たとえば、(地)吹雪。
雪という氷の粒が、激しく擦れ合います。
でも、それで(人間が感知できるような大きな)静電気が生じることはありませ
ん。

一方、関西や名古屋、東京などでは、どうでしょう?
冬は、雪がほとんど降り積らず、むしろ乾燥しがち。
そのせいで静電気がパチパチと…。
だから、何となく、氷摩擦説がもっともらしい理屈のように思えてしまう…。
でも、あれは氷どうしが擦れ合う現象ではありません。

映画やTVなど映像娯楽の世界では、雷というと、戦い、争い、いがみ合い…と
いったシーンの演出効果によく使われますよね。
いかにも、何かと何かがぶつかり合い、擦れ合うというイメージです。
氷摩擦説を盲信する現代人は、こうした映像娯楽的イメージを、無意識のうちに
科学の中に持ち込んではいないでしょうか?

実験による証明が何一つなされていないにもかかわらず、
「氷どうしが擦れ合って、(雷のような大きな)静電気が生じる」
という仮説が盲信されるのには、こうした文化的・精神的背景があるように思え
てなりません。

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