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 N┃→          仮想力線電磁気学
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●第3回 概要(その3)

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今回は、主に遠隔作用アレルギー対策(?)のお話です。

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8.観測・経験
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なぜ、多くの人たちは、遠隔作用より近接作用の方が合理的(科学的?)と思う
のでしょうか?

それは、力(作用)が途中の空間を飛び越えて、離れた場所に直接作用する現象
を目撃・経験することがないからでしょう。

つまり、

 1.物体どうしが接している

 2.物体間に力(作用)を伝えるものがある

のどちらの場合に力(作用)が伝わる…
そんな現象しか経験できないからです。

つまり、物体どうしが離れているときは、途中に力(作用)を伝えるものでも無
い限り、力(作用)が伝わることはない、というのが、経験から得た事実という
わけです。

経験は、観測の一種と言えます。
観測は、科学には欠かせない検証の手段の一つです。
したがって、科学においては、経験を無視するわけにはいきません。

しかしながら、不十分な観測・経験は、かえって誤った認識を生み出すことがあ
ります。
その例を、次に述べましょう。

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9.天動説と地球円盤説の教訓
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今日、天動説や地球円盤説を信じている人は、一部の宗教信者を別にすれば、ま
ずいないといって良いでしょう。
ですが、我々は、これらを信じていた古人たちを笑うことは、決してできないの
です。

まだ望遠鏡が無く、人間の行動範囲もごく限られていた時代において…。

太陽をはじめとする星々が、天空を移動するのを肉眼で観測して、
「これは、天が動いている証拠だ!」
と判断することが、はたして非科学的(不合理)なことだ、と言い切れるでしょ
うか?
逆に、肉眼による観測によって、地球が動いている確かな証拠が得られるでしょ
うか?

地球円盤説は、
『上にあるものが、下に落ちるのが、自然の摂理だ!』
という認識に基づくものですが、地上の世界で起こる現象を見る限り、そうした
認識は、そんなに非科学的(不合理)なことと言い切れるでしょうか?
地上の物体どうしが、重力によって引かれ合う現象など、見ることがあるでしょ
うか?
むしろ、リンゴが木から落ちるのを見て、万有引力などを思いつく方が、よっぽ
ど変人的ではないでしょうか?
地球の裏側では、(自分から見て)下にあるものが上に飛び上がる(?)という
ことを、この時代に、どうやって観測できたというのでしょうか?

こうしてみると、不十分な観測・経験は、かえって誤った認識を生み出すことに
なることが、おわかりになると思います。

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11.素粒子のスケールで見ると
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接していなければ、力(作用)は伝わらない…、
近接作用を絶対視するのも、経験・観測によるものです。
ですが、それは確かなものなのでしょうか?

たとえば、キーボードのキーを押し下げることを考えましょう。
指がキーに触れて(接して)、初めて、キーを押し下げることができますね。
このことからすると、近接作用が正しいように思えます。
ですが、本当に指はキーに接しているのでしょうか?

肉眼で見る限りにおいては、そうです。
でも、指やキーといった、物質を構成する素粒子のスケールで見ると、どうでし
ょうか?

物質は原子から成り立っており、原子は原子核と、その周りを回る電子とからな
っています。
そして、原子核と電子は、接してはいません。
つまり、物質の内部は、実は、スカスカなのです。
にもかかわらず、物質に力(作用)が伝わるのです。

接していないのに、力(作用)が伝わる…、
これは近接作用ではなく、遠隔作用の現象でしょう。

このように、素粒子のスケールで見ると、遠隔作用が正しいのです。
肉眼によって得られる観測結果、すなわち、近接作用こそが正しいという観測結
果は、実は錯覚にすぎなかったのです。

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12.異なるスケールで見る重要性
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肉眼という巨視的スケールで見ると、近接作用が正しいように見えたのに、素粒
子のような微視的スケールで見ると、遠隔作用が正しかったということは、極め
て重要な問題です。

つまり、異なるスケールで見ると、物事が全然違って見えるということです。

そして、このことは、また、特定のスケールだけで物事を見ていてはダメで、異
なるスケール、いろいろなスケールで物事を見ていく必要がある、ということな
のです。

実は、人類はこうしたことを、すでに認識済みのはずなのです。

ガリレイは、望遠鏡で、木星(大きな天体)の周りを、衛星(小さな天体)が回
っているのを観測して、地動説の正しさを確信した、と言われています。
望遠鏡は、宇宙を肉眼とは異なるスケールで見ることのできる道具なのです。

一方、ニュートンは、地上のことだけでなく、宇宙の天体の運動にも注目しまし
た。
つまり、地上の世界という限られたスケールの問題だけでなく、宇宙というより
大きなスケールの問題をも考慮することによって、万有引力の法則を導くことが
できたのです。

このように、ガリレイも、ニュートンも、異なる様々なスケールで物事を見るこ
とにより、事実を知ることができたのです。

同じことが、遠隔作用にも言えるのです。
肉眼とは異なるスケールで物事を見たり考えたりしてみることが、事実を知る上
で極めて重要なのです。

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13.感覚的ドグマ
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そもそも、『近接』・『遠隔』という区別自体、どこに、その基準や根拠がある
のでしょうか?

たとえば、東京と大阪の間の距離は、遠いでしょうか?
それとも近いでしょうか?

歩いていくとすれば、大変遠い距離です。
しかし、新幹線に乗れば、それほど遠いとは言えないでしょう。
世界地図で見れば、すぐ近くです。
宇宙というスケールで見れば、距離はほとんどゼロ。
点に収束します。

天の川や渦巻き銀河を構成する恒星どうしは、ほとんどくっついて見えますが、
実際には、東京・大阪間の距離よりも桁違いに離れているのです。

こうしてみると、『近接』とか『遠隔』という区別は、全く人間的・感覚的なも
のにすぎないことがわかると思います。
つまり、それは、
『どういうスケールで物事を見るか?』
ということで決まる問題なのです。
したがって、このような区別自体、物理の世界においては、無意味なことでしょ
う。
まして、
『近接作用の方が、遠隔作用よりも合理的(科学的)だ!』
などという主張は、全く感覚的なドグマとしか言いようがありません。

ここまでくると、遠隔作用に対するアレルギーも無くなったと思います。
そして、むしろ問題は、
『本来、つまり、微視的スケールでは遠隔作用であるはずの作用が、なぜ、巨視
的スケールでは近接作用的になってしまうのか?』
ということになるはずです。

以前にも述べたように、仮想力線電磁気学では、『疑似近接作用』という考え方
により、それが説明できるのです。

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