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N┃→ 仮想力線電磁気学
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●反エコ(環境)ファッショ特集 号外
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前回同様、、他のメルマガ(サマータイム制導入に反対する)の流
用記事での代用です。
体調が戻るまで、どうか御了承願います。
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-.改めて福島第一原発事故の本当の原因
を考える <5>
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今回も、前回の続きとして、これ(↑)をテーマにしたいと思い
ます。
まずは、前回も示した重要点を復習してきたいと思います。
まず第一に、事故が起きた本当の原因として、以下の三つを示し
ました。
(1)自然災害の想定が低すぎた。
(2)想定越えという事態を考えていなかった。故に、想定越
えという事態に対する備えが全く不十分であった。
(3)事故が起きた時のことを考えていなかった。故に、事故
への対処がなっていなかった。
そして、(1)の原因となった「日本の地(震)学」の未熟さを
示す証拠として、以下の三つのことを指摘しました。
(A)「日本の地(震)学」者たちは、実は、地下のひずみの
たまりを把握していない。
(B)「日本の地(震)学」者たちは、実は、連動のメカニズ
ムを解明できていない。
(C)「日本の地(震)学」者たちは、実は、アウターライズ
地震のメカニズムも解明できていない。
以上のことを思い出していただいた上で、前回の話の続きを述べ
ていきたいと思います。
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-.役に立たなかったのではなく役立てら
れなかったのでは?
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震災後、NHKは、地震予知のための観測システムが役に立たな
かったという趣旨の報道をしました。
で、私も、震災後、しばらくの間は、この報道に肯定的でした。
でも、今は、全く懐疑的です。
なぜなら、その種の観測システムが、プレート境界が「すべりや
すい」と頻繁に起きるはずの「すべり」による「動き」が起きて
いない(「動き」のデータが得られていない)ことを示していた
可能性が極めて高いと考えられるからです。
(「すべりやすい」とする)定説から導かれる「動き」が起きて
いないということは、「すべり」が起きていないということであ
り、それは、実はプレート境界は「すべりやすくはない」という
ことを証明することなのです。
つまり、東電の想定の根拠となっていた「すべりやすい」判定が
誤りである(∴東電の想定は低すぎる)ことを、東電をはじめ、
全ての人たちに十分に納得させられることとなる…はずだったの
です。
でも、実際には、そうはなりませんでしたね。
つまり、せっかくの観測データが役立てられなかったという疑念
が生じてくるわけです。
ですから、本当は「役に立たなかった」のではなく、「役立てら
れなかった」というのが真相だったのではないかと思えてならな
いのです。
もしそれが真相なら、これは決して看過できない重大問題でしょ
う。
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-.無の重要性を理解できない欧州偏執狂
たち
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もしかしたら、定説の信者たちは、『動かないこと』、すなわち、
『動きが無いこと』の重要性が理解できない人たちなのではない
か?
もしそうなら、定説に反する観測結果(=「すべりやすい」判定
を反証する証拠)を無視し続けていたのも、うなずけますでしょ
う。
これは、十分あり得ることです。
その(主な)理由は、二つあります。
一つは、今時の学者たちには、欧州偏執狂が多いことです。
欧州人は、伝統的に、「無」の重要性を認めたがらない傾向があ
ります。
「0(ゼロ)」という数字を発明できなかったのも、そのことが
原因の一つになったのではないかと思われます。
また、(電磁気)近接作用説に固執したがるのも、すなわち、遠
隔作用説が受け入れられないのも、そのせいではないかと思われ
ます。(作用を伝えるものが間に「無」いと、納得しない。)
つまり、欧州人は、「無」のことを、「むなしく、故に、取り上
げるに値しない」と考えたがるわけです。
それが、伝統的な欧州人の思想性なのです。
ですから、欧州偏執狂のニッポン人も、同様の思想性を有するこ
とになると考えられるわけです。
つまり、「無」は、むなしく、故に、取り上げるに値しない…と
するわけですね。
ならば、「動き」が「無」いことを示すデータも、取り上げるに
値しない…ということにしてしまうことでしょう。
特に、今、科学をはじめ、あらゆる分野で最も権力ある地位につ
いているサヨク世代のニッポン人には、思想偏執狂な上に欧州偏
執狂な人が多いのですから、欧州人並か、あるいは、それ以上に
欧州人的なところがあったとしても、少しも不思議なことではな
いはずです。
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-.毎度お馴染み…「期待」病
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定説の信者たちが、『動かないこと』、すなわち、『動きが無い
こと』の重要性が理解できない人たちであると考えられる理由の
二つめは、彼らが「期待」病患者(笑。「期待」大好き人間。)
であることです。
ほ〜んと、今時のオトナたちって、「期待」が好きですよねー。
「期待は事実に勝る」とでも言いたげな態度を、堂々ととります。
これには唖然とさせられますね。
で、「期待」病患者たちは、定説に合う観測データを「期待」す
るわけです。
ずっと待っているのに得られない状況でも、「いつかは必ず得ら
れる」と「期待」して、待ち(待たせ)続けようとするわけです。
ですから、「動き」のデータに対しても同様の態度をとりたがる
のではないかと考えられるわけです。
つまり、「動き」があることを示すデータが一向に得られなくて
も、「いつかは得られる」と信じて「自己の信念」を貫こうとす
る…と考えられるわけです。
これでは、「動かない」ことを示すデータが、全く活かされない
(無視される)ことになってしまうでしょう。
そうなれば、プレート境界が実は「すべりにくい」という事実が、
事実上、封殺されてしまうことになる。
その結果、東電の想定が低すぎることを科学的に指摘する機会が
奪われることになってしまうのです。
これがもし真相なら、彼らの「期待」病が、多くの人を溺死させ、
さらには原発事故まで引き起こした…ということになるでしょう。
「期待のために死ね!」ですね、これでは。
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-.定説への固執が無かったと言いきれる
か?
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今のニッポンのオトナたち(特に最高権力の地位にあるサヨク世
代の人たち)には、『欧州偏執狂(+思想偏執狂)であり、なお
かつ、「期待」病患者である人たち』が非常に多いですね。
学者とて、例外ではありません。
というか、そうした傾向は、学者のような大卒エリート人間たち
にこそ、特に強く見られるものです。
したがって、以上のことを考えると、「定説(「すべりやすい」
判定)への固執は無かった」とは、とても思えないのです。
学者たちに定説への固執があったのなら、法的責任はともかく、
道義的責任ぐらいは問われてしかるべきでしょう。
少なくとも、環境ファッショの世界では常識となっている「予防
原則」のことを考えるならば、絶対にそうなるはずです。
「動かない∴プレート境界はすべりやすくない∴想定越えの震災
が起きる可能性がある」ということを封殺してしまうことをして
しまったのですからね。
それとも、自分たちに都合の悪いことは例外ですかぁ?
ま、だとしても、こちらはちっとも驚きませんけどね。(笑)
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-.地震の統計分布が違うはず
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「動かない(=すべりにくい)」ことを示すデータがあったにも
かかわらず、「すべりやすい」判定という定説に固執していたの
だとしたら、その人たちは学者としては全くの失格でしょう。
無能か、そうでなければ、謙虚さを全く欠く連中です。
もっとも、こんなことを言うと、「プレート境界がすべりやすい
としても、『すべり』による『動き』は小さいのにしかならない
ので、検出できなかったのだ」という反論が出てくるかもしれま
せんね。
ならば、地震の統計的傾向なんてぇのは、どうでしょう?
プレート境界が「すべりやすい」場合と「すべりにくい」場合と
では、違いが出てくるはずではありませんか?
プレート境界が「すべりやすい」場合は、地震の発生回数の総数
が(相対的に)多くなるはずです。
頻繁にすべる(→地震が起きる)わけですから。
しかも、「すべり」は小さいものが多いはずですから、比較的小
さな地震ばかり…という統計分布になるはずです。
一方、プレート境界が「すべりにくい」場合は、逆の傾向が強ま
るはずです。
すなわち、地震の総数は少なくなり、比較的大きな地震が占める
割合が多くなる…という統計分布になるはずです。
このように、 プレート境界が「すべりやすい」場合と「すべり
にくい」場合とでは、地震の統計分布に違いが出てくるはずなの
です。
ですから、それを調べておれば、定説(「すべりやすい」判定)
が本当に正しいのかどうかを検証できたはずなのです。
では、学者たちは、それをやったのでしょうか?
怪しいもんです。
もしやっていなかったとしたら、学者たちは批判を免れません。
なぜなら、この検証方法は、特別な設備を要することではなく、
費用もそれほどかかりはしないことのはずだからです。
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-.プレート境界面全体を調査できたはず
がない
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学者たちが定説(「すべりやすい」判定)に固執していたことは、
どう見ても事実です。
そして、それが(想定越えの危険性を指摘することへの)怠慢の
原動力になっていたことも…です。
では、一体、何が、学者たちをそこまで定説に固執させたのでし
ょうか?
それは、前にも指摘したように、地質調査原理主義が支配してい
るからでしょう。
事実、震災後の今になっても未だに地質調査結果を盾に「すべり
やすい」と言い張り続けている人たちがいるのですから。
そんな学者たちに私は質問したい。
「ならば、プレート境界面全体を調査したのか?」と。
そんなことは、現実的に不可能なはずです。
ならば、「プレート境界はすべりやすいのだ」と言い張るのは、
全く誠実さを欠く態度と言わざるを得ないでしょう。
要するに、定説(「すべりやすい」判定)は、確かな根拠も無く、
検証もろくに行われていなかった、「期待」に基づく拡大「解釈」
の産物である仮説にすぎなかったのです。
そんな仮説を盲信・狂信するような者が、はたして、「真の学者」
と言えるでしょうか?
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-.どこで引っかかっていたのか答えるべき
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プレート境界について、あくまで「すべりやすい」と言い張り続
ける者たちには、「ならば、プレート境界面のどこで引っかかっ
ていたのか?」という質問に答える義務があるはずです。
「すべりやすい」のに「すべらなかった」のなら、プレート境界
面のどこかに『全く例外的な部分』、すなわち、すべりやすくな
い部分(すべりにくくなっていた部分。すべりが妨げられていた
部分。)が必ずあったはずでしょう。
したがって、それがどこなのか釈明する義務があるはずなのです。
そういう部分が無かったのでは、プレート境界がなかなかすべら
なかったことの説明がつかないのですから。
ですから、「すべりやすい」説に固執し続ける者たちは、それが
どこなのか答えなければならないはずなのです。
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-.話を逸らす破廉恥
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ところが、奇妙なことに、彼らは、未だに、それがどこなのか、
答えていないのです。
そして、質問に答える代わりに、話を逸らすということをやって
くれているのです。
具体的に言うと、「断層」や「プレート境界の動きやすさ」に話
題を移してしまうということをやってくれているのです。
これは、あまりに破廉恥な態度ではないでしょうか?
せめて、「現代の観測システムでは解明できない」ぐらいの答え
をしてくれるのならまだしも、話を完全に逸らしてしまうという
のは、あまりに誠実さに欠ける態度です。
だから、私は、彼らを許す気には、とてもなれないのです!
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-.震源位置から「すべり」発生位置がわ
かるはず
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プレート境界のどこが(例外的に)すべりにくかったのか?
それを知る方法として考えられるのは、今のところ、震源の位置
(の時系列的分析)から割り出すという方法だけでしょう。
プレート境界型地震は、プレート境界部分がすべる(プレート境
界部分で破壊が起きる)ことによって生じることになっているは
ずです。
したがって、震源の位置が、ほぼ、「すべり」(破壊)の発生し
た位置ということになるはずです。
ですから、実際に発生した地震の震源となったあたりが、『全く
例外的な部分』であったことになる…はずなのです。
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-.震源が一つではなかったということは…
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ところが、東日本大震災では、震源は一つではなかったのです。
ということは、『全く例外的な部分』が一ヶ所ではなかった…と
いうことでしょう。
それに、震源とは、地震が発生したエリアの中心ということなわ
けですから、実際には、「すべり」(破壊)が発生したエリアは、
もっと(かなり)広がりのあるものである可能性があるのです。
こうなってくると、プレート境界面のいたる所が『全く例外的な
部分』であった可能性が生じてきますでしょう。
それ故、「すべりやすい」とする定説は誤りであった可能性が大
きくなってくるわけです。
このように、震源に関する分析だけからでも、未だに「すべりや
すい」とする定説は全く胡散臭いと言わざるを得ないのです。
地質を調査することができたのは、ごく限られた範囲(深さ)だ
けだったはずです。
それに、プレート境界面では、物質が置かれる環境が、実験室と
は違うはず。
(すべり(破壊)の原因となる)せん断力と垂直な方向にかかる
圧力は、すべり(壊れ)やすさに本当に影響しないのか?
海水に含まれる成分の影響は、物性に本当に関係しないのか?
確かめて(試して)みる必要があることが、このように、いくつ
もあるはずなのに、やらないのは、なぜなのか?
定説に固執する学者が見栄っ張りなのか?
それとも、国(何か利権がある政治家ども)が妨害しているのか?
いずれにせよ、そうした事情についてすら答えない(内部告発し
ない)というのは、学者に誠意が無い証拠でしょう。
だから、私は、彼らを軽蔑する(∴全く信用できない)のです!
(次回に続く)
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