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 N┃→       仮想力線電磁気学
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●反エコ(環境)ファッショ特集 号外

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前回同様、、他のメルマガ(サマータイム制導入に反対する)の流
用記事での代用です。
体調が戻るまで、どうか御了承願います。


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-.改めて福島第一原発事故の本当の原因を
  考える <1>
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 さて、久々の今回は、これ(↑)をテーマにしたいと思います。
 福島第一原発事故がきっかけで起きた集団ヒステリのせいで、自
 分たちが生きている時代のことしか考えない「無原発」ファッシ
 ョ(笑)が台頭してしまったのですから。
 石油やガスや石炭などの資源が有り余るほど豊かに存在する国な
 らまだしも、資源に乏しく、その多くを輸入に頼りきっている国
 が、こんなファッショにとりつかれるとは、とても正気の沙汰と
 は思えません。
 もう事故から3年以上も経ったのですから、ここは、もういい加
 減、冷静になって、事故の問題の本質に目を向けるべきです。

 事故が起きた本当の原因とは、何か?
 そして、被害が出た本当の原因とは、何か?
 それは、以下の三つです。

 (1)自然災害の想定が低すぎた。

 (2)想定越えという事態を考えていなかった。故に、想定越
    えという事態に対する備えが全く不十分であった。

 (3)事故が起きた時のことを考えていなかった。故に、事故
    への対処がなっていなかった。

 以上、三つです。
 これら以外の議論は、全くの的外れでしかありません。
 また、これらのどれか一つでも抜けている議論もまた、無意味で
 す。
 マスゴミ上の議論は、これらを無視した的外れなものばかりです。
 だから、「東電が悪い。原子力村が悪い。」という馬鹿げた感情
 論的結論にしか到達しないのです。

 たとえ千歩譲って、マスゴミが煽り立てているように、東電や原
 子力村がカスやクズの集まりだったとしても、上記三つの問題点
 が無ければ、事故は物理的に起こり得なかったのです。
 そのことを指摘するジャーナルが一つも無いとは、まったく情け
 ない。

 とにかく、上記三つを避けて通る議論は、全て反科学的感情論で
 しかありません。
 一方、この国を本気で救いたいと思う人は、上記三つの議論を避
 けては絶対になりません。

 ということで、以下、この三つについて述べてみたいと思います。
 ただし、一回で全てを述べきることは到底無理なので、複数回に
 分けておおくりいたします。
 で、今回は、まず、改めて、「日本の地(震)学」信仰を斬って
 みたいと思います。


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-.「日本の地(震)学」信仰が国を滅ぼす!
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 「脱原発」を叫ぶニッポン人たちも、「原発再稼働」を軽々しく
 叫ぶニッポン人たちも、はっきり言って、同じ穴の狢です。
 なぜなら、「日本の地(震)学」信者であるという点では、全く
 共通しているからです。(地球温暖化説というニセ科学を盲信・
 狂信しているという点でも共通していますね。前者は「だから再
 生可能エネルギーが必要だ」とし、後者は「だから原発が必要だ」
 とします。話が逸れましたが…。)

 事実、彼らは学者の責任を問おうとしません。
 私が学者らを「無能、怠慢」と批判すると、彼らは学者らを庇っ
 て私のことを口汚く罵ってきます。
 「お前は攻撃的だ!」と。

 なぜに、そこまで、学者らを庇いたがるのか、私には全く理解で
 きません。
 事実、学者らのせいで「想定越え」という事態を招いてしまった
 というのに…。

 従って、彼らの態度は、事実を抹殺しようとする態度ということ
 になるのです。
 事実を抹殺しようとするのは、保身のためか、そうでなければ、
 何か利権があるからでしょう。

 まぁ、理由は何であれ、そのような態度は、それこそ「真理」に
 背く反社会的な態度でしかありません。
 反社会的行動は、社会を駄目にし、国民の生活を破壊し、国を滅
 ぼすものです。

 余談が長くなってしまいました。
 とにかく、「日本の地(震)学」信仰は、大いに批判されるべき
 ことなのです。
 なぜなら、「日本の地(震)学」を信仰していたからこそ、「想
 定越え」という事態を招いてしまったからです。

 つまり、私が「日本の地(震)学」信仰を批判するのは、それが
 上記(1)の(ほぼ唯一の)原因になったことだからです。
 「日本の地(震)学」信仰が無ければ、「想定越え」は防げた可
 能性が極めて高いのです。

 東電が「その想定で十分だ」とたかをくくっていたのも、東電が
 「日本の地(震)学」を信用しきっていたからです。
 事故の危険性が指摘されたにもかかわらず、国会や政府がそれを
 放置し続けていたのも、「その想定で十分だ」と思っていたから
 であり、そう思ったのも「日本の地(震)学」を信用しきってい
 たからです(…よね)。

 「日本の地(震)学」は、人間に例えるならば、まだ幼子のレベ
 ルなのです。
 まぁ、地震がほとんど無い国のそれに比べれば進んでいるのかも
 しれませんが、それでもドングリの背比べ的なレベルでしかあり
 ません。

 従って、長い目でみてあげる必要がある一方、決して信用しきっ
 てはならないものでもあるのです。
 子供を育てたことのある人なら、こういうことが理解できるはず
 です。

 いや、子供を育てたことが無くても、常識をわきまえている人な
 ら、理解できますよね。
 逆に、子供を育てたことがあっても、常識を侮辱したがる今時の
 赤いオトナたちには、死ンデモ理解できないことかも。(笑)


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-.『高すぎる想定』もまた有害なもの
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 何度でも申し上げますが、「日本の地(震)学」は、まだ、幼子
 のレベルなのです。
 従って、『地震(津波)』の予知はおろか、『地震が起きる可能
 性』の予測すら、まだ無理な段階なのです。
 そういう段階のものから出る予測など、まともな予測であるはず
 がありません。

 ところが、「日本の地(震)学」者のうち、モラルの低い学者た
 ちは、震災後、想定(予測)を、確かな根拠も無しに、不当なま
 でに高いものに引き上げることで責任逃れを企てるようになって
 しまいました。
 こうすれば、「想定が低すぎた」という事態は、まずあり得ない
 だろう(∴非難を浴びることには、ならずにすむだろう)って寸
 法です。
 それに、「脱原発」ブームの時代ですから、ウケも狙えますしね。

 ですが、『高すぎる想定』もまた、有害なものなのです。
 そんなものを認めては、その地は、原発操業はおろか、他の如何
 なる事業目的にも使えなくなりますし、住むこともできなくなり
 ます。
 事実、未だ復興しない被災地は、そうなりつつあるのではありま
 せんか?
 日本のように国土の狭い国の場合、これは全く賢明なことではあ
 りません。
 また、戦後ニッポンのように軍事力行使のできない国の場合は、
 その地を他国に取られてしまうおそれすらあります。

 ですから、『高すぎる想定』もまた、『不十分な想定』とは別の
 意味で、無責任ということになるのです。
 また、『高すぎる想定』は、誰かさんたちが批判している『べら
 ぼうに高い防潮提』設置推進の原動力にもなり得ます。

 「大は小を兼ねる」と言いますが、それが言えるのは、大きくて
 も特に問題が生じるわけではないという場合だけです。
 大きいと問題が生じる場合は、「大は小を兼ねる」式では駄目な
 のです。
 適度・適切な数値でなければ駄目なのです。

 では、今の「日本の地(震)学」は、適度・適切な数値を求めら
 れるのか?
 残念ながら、答えは「ノー」なのです。
 まだ幼子の段階なのですから。

 だから、上記(2)や(3)のことも考えなければ駄目なわけで
 す。
 「これで絶対」などと保証できる想定など、存在し得ないのです
 から。
 ですから、想定をバカ高くして日本中をゴーストタウン化するよ
 りも、(2)や(3)の対策をとった方が、ずっと利口なのです。


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-.「日本の地(震)学」が未熟な証拠とは?
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 もっとも、こんな話をすると、サヨクもホシュ・ウヨクも怒るで
 しょうね。
 「日本の地(震)学」を幼子などと侮辱するとは何事かっ!と。

 ですが、東日本大震災と、その後の余震をめぐる学者たちの迷走
 ぶりだけを見ても、そのことは否定できない事実なのです。
 以下に、その証拠を示したいと思います。

 (A)「日本の地(震)学」者たちは、実は、地下のひずみの
    たまりを把握していない。

 (B)「日本の地(震)学」者たちは、実は、連動のメカニズ
    ムを解明できていない。

 (C)「日本の地(震)学」者たちは、実は、アウターライズ
    地震のメカニズムも解明できていない。

 もっとも、いきなりこんなことを言われても信じられないかもし
 れません。
 そこで、以下、これらの実態について説明していきたいと思いま
 す。


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-.『ひずみのたまり』と『プレート境界の
  すべりやすさ』
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 まずは(A)から。

 震災が起きる前、ほとんどの「日本の地(震)学」者たちは、東
 日本大震災の震源となったあたりのプレート境界は「すべりやす
 い」と決めつけていました。
 だから、それを信用しきってしまっていた東電の想定が、あんな
 に低いものになってしまっていたのです。
 まずは、この絶対に否定できない事実を素直に認めなければなり
 ません。

 さて、では、なぜ、プレート境界がすべりやすいと、想定(予想
 値)が低くなってしまうのでしょう?
 それは、すべりやすいと、ひずみがたまることができないからで
 す。
 強く大きい地震が起きるためには、ひずみがタップリとたまる必
 要があります。
 ところが、すべりやすいと、ひずみがたまろうとすると、すべっ
 てしまい、ひずみが解放されて無くなってしまうのです。
 だから、ひずみがタップリとはたまらず、故に、強く大きな地震
 は起こり得ない…ということになるのです。

 ネジをまこうとしても、ネジと指の間がすべってしまっては、ネ
 ジを十分にまくことはできないでしょう。
 そして、ネジがまけなければ、(ネジをまくことで動く)機械は
 動かない。
 それと似たようなものです。

 さて、そうなると、「日本の地(震)学」者たちは、(震災前ま
 では)大震災を引き起こすほどのひずみはたまっていないと確信
 していたことになるはずです。
 本当に「すべりやすい」のなら、大震災を引き起こすほどのひず
 みがたまるわけがないのですから。
 たまる前に、すべって無くなってしまうはずです。

 ところが、事実はそうではなかったわけですね。
 つまり、ひずみはタップリとたまっていたわけです。
 でも、彼らは、そんなにたまっているとは全然思っていなかった。
 ということは、彼らは、ひずみのたまりを全く把握していなかっ
 た…ということでしょう。

 逆に、観測データ等から、ひずみがたまっていることを把握でき
 ていたのなら、定説(すなわち、「すべりやすい」説)のおかし
 さに気付いていたはずです。
 そんなにたまることなど物理的にあり得ないひずみのたまりが起
 きていたことになるわけですから。
 でも、気付いていた「日本の地(震)学」者は、いなかった。
 ということは、やはり、ひずみのたまりを全く把握していなかっ
 たとしか考えられないのです。

 ひずみのたまりを把握していなかったということは、「日本の地
 (震)学」が、まだまだ幼子段階(未熟)であったということの
 決定的な証拠でしょう。


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-.そもそも把握など実質不可能
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 では、震災後は把握できるようになったのでしょうか?
 残念ながら、答えは「ノー」です。
 なぜなら、方法が無いからです。

 これは、よくよく考えてみれば、当然のことです。
 地下は見えないのですから。

 まぁ、一応、GPSなどを用いる方法が「期待」されてはいるよ
 うですけれどね。
 でも、東日本大震災では、役に立ちませんでした。
 もっとも、東日本大震災の場合は、データを集められる期間が、
 あまりにも短すぎたということもあります。
 何しろ、千年に一度の震災だったわけですからね。
 ですから、あと千年くらいデータ収集を続ければ、予知に利用可
 能なデータが得られるかもしれないわけです。

 とはいえ、絶対の保証があるわけではありません。
 わかるのは地表(海底を含む)の変化だけであって、そのはるか
 下のことが確実にわかると保証できるわけではないのですから。
 地下深くで起きる『ひずみのたまり』の影響が、必ず地表に現れ
 るとは限りません。
 また、たとえ現れたとしても、それが単純な形で現れるとは限ら
 ない。
 従って、「千年に一度」の震災を何度も経験しないと、そのあた
 りのことは、よくわからないのです。(つまり、何千年以上もか
 かってしまうということ。)
 これでは、実質不可能と言っていい状況でしょう。

 以上のようなわけで、「日本の地(震)学」者たち(って、別に
 「日本の地(震)学」者たちに限ったことではないのですが…)
 は、実は、地下のひずみのたまりを把握していないと言わざるを
 得ないのです。

 そして、ひずみのたまりがわからなければ、地震の予知はおろか、
 地震が起きる可能性の予測すら不可能なはずです。
 ですから、彼らが出してよこす「想定」を全面的に信用してはな
 らないのです。
 想定は、低すぎても、高すぎても、有害なのですから。


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-.『ひずみのたまり』把握幻想には利権屋
  がからんでいる!
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 ここで、是非とも知っておかなければならないことがあります。
 それは、「日本の地(震)学」者たちによる『ひずみのたまり』
 把握幻想に、利権がからんでいる…という事実です。

 実際、役に立たない『ひずみのたまり』把握システムに、沢山の
 税金が注ぎ込まれているのです。
 つまり、例によって例のごとく、毎度お馴染みの、IT利権や宇
 宙利権(GPS等で関与)です。

 それらの利権がある政治家どもは、『ひずみのたまり』把握幻想
 を死ンデモ認めないはずです。
 なぜなら、単に利権を守りたいからだけでなく、彼らが「安全神
 話」のA級戦犯である事実がバレてしまうからです。

 もちろん、あと何千年かすれば、彼らが設けさせたシステムによ
 って、地震が起きる可能性の高まりと相関性のあるデータが発見
 される日が、いつの日か来るのかもしれません。
 従って、即、絶対悪扱いすべきではありません。
 しかし、それが「ひずみはたまっていない。すべりやすいとする
 定説は証明された。」とする絶対の迷信を生んでしまったことに
 ついては、やはり、責任を感じるぐらいのことはしなければなら
 ないのです。

 でも、彼らは、それすらしてないわけですね。
 だから、許してはならないわけです。


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-.「すべりやすい」判定は本当に正しかっ
  たのか?
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 ところで、震災前の定説、すなわち、プレート境界が「すべりや
 すい」とする説は、本当に正しかったのでしょうか?

 え?、「そんな、人の失敗をしつこくつくのは、悪趣味だ。お前
 だって、間違えることぐらい、あるだろう。」ですって?
 でも、そんなことで放置していいことなのでしょうか?
 失敗を教訓とするための追求ならば、それにケチをつけるのは、
 罪なことでさえあるはずです。
 同じ失敗を防ぐことを妨害する(=同じ失敗をおかさせる)行為
 になるわけですから。

 震災前の「すべりやすい」判定を追求することは、非常に重要な
 ことです。
 なぜなら、震災後の今になっても、「すべりやすいから、地震が
 巨大なものになった」などという屁理屈をこね回している(見苦
 しい言い訳をしている)御用学者どもがいるからです。
 マスゴミの言う「学者たちは、反省している」は、少なくとも御
 用学者どもに関しては、真っ赤な嘘です!

 とにかく、まともな人たちには信じられないような話かもしれま
 せんが、これは事実なのです。
 あれだけの大震災があっても、まだ「すべりやすい」と言い張っ
 ている者どもがいるのです。
 もし本気で言っているのなら、偏執狂でしょう。

 とはいえ、彼らがなお「すべりやすい」と言い張るからには、何
 か根拠があるはずです。
 それは、地質調査結果です。

 でも、実際には、すべりにくかったわけですよね。
 ということは、地質調査が不十分か、そうでなければ、地質調査
 結果に対する解釈がとんでもなく間違っていたということでしょ
 う。

 ということで、次回は、この「すべりやすい」判定について追求
 してみたいと思います。


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